町中の異界1
ここから本格的に始まります。
前の三話は所謂プロローグですね。
どうぞお楽しみください。
――渋谷。
「はあ、はあ、はあ、なんだよコレ、なんなんだよ!」
一人の男が路地を縫うように走り抜ける。
辺りには霧が立ち込め、視界が悪い。
普段歩きなれたはずの渋谷の町がまるで別物のように感じられる。
ガゴンとゴミ箱を蹴飛ばした。
少しよろめいたが男は足を止めない。
「はあ、はあ……」
見慣れた角を右へと曲がる。
ココを抜ければと何度も繰り返した行動。
そこには絶望が待っている。
「は、はは……なんでだよ……誰か、俺をここから出してくれ!」
いつも見慣れたはずの渋谷センター街入り口。
男がココへ来るのは5度目。
いつもなら夜でも人がいるはずのこの場所は現在男一人。
――ズズズズ……。
背後から金属を地面にこすりつける音がする。
――ズズズズ……。
「まただ……」
それは確実に男の側へと近寄ってくる。
「もういやだ……」
どこへ逃げても、どのルートを通っても必ず戻ってきてしまう。
男の心はすでに壊れていた。
「殺せよ……もう殺せよ!」
男が天を仰ぎ、大きく叫んだ瞬間。
男の胸から巨大な刃が突き出した。
男はゴボリと血を吐き出す。
少しずつ霧が晴れていく。
人の気配が返ってくる。
男の死体が、渋谷センター街入り口に転がる。
霧が完全に晴れた。
男の死体は、どこにもなかった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
数日後
――昇陽のマンション。
朝からドタドタと暴れる音がする。
「こら、それは儂の大事にとっておいた目玉焼きじゃぞ!」
『ふははひほほほっははらふっはんは!』
叫びながら昇陽はテーブルの上に飛び乗り、口をモゴモゴと動かして逃げる睦月の背中へと飛びかかる。
「そういうのは先に尋ねるのが礼儀じゃろうが!!」
『ごくん、そんなに大事なら先に食えよ! 俺は悪くねぇ!! それに作ったのは俺だ!』
ひらりと飛びかかってきた昇陽を屈んで躱す睦月。
イラついてきた昇陽はさらにその速度を速めていく。
「それは今はどうでも良い! 好きなものは最後の最後に食べるから良いんじゃろが! 食わずとも良い身体の分際で……あー!」
ヒートアップし過ぎて二人とも周りが見えていなかったのだろう。
躱した先にあった食卓テーブルに昇陽が突っ込み、その上の皿をひっくり返す。
その衝撃で飛び散った皿が昇陽の頭から降り、私服に見事にかかってしまった。
『あーあ、ソースがついちまったな』
「誰のせいじゃ、誰の! 数少ない儂の私服を……髪もべたべたじゃ。
ぬぐぐ、シャワーを浴びてくる。
その後で買い物に行くぞ!」
仕事用の白衣とチューブトップ、それにジーンズだけだと思ったら自宅では外出することもあるから普通の服も持っていた。
まず初めに睦月はそこに驚いたのは言うまでもない。
『ドコ行くんだよ』
「渋谷じゃ、儂の服はkingdieで買っておるからの」
『ブランドものだとは思ったが古着かよ』
「何をいう、古着の方が色々な念が染みついておるから普段着でも霊的防御が高めなんじゃぞ?」
『そんな基準で服選ぶな!』
朝からにぎやかな二人であった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
渋谷で服を買った昇陽はうんざりした顔で荷物を持っている睦月を引き連れて道玄坂に来ていた。
目的はアイスだ。
「おほー、これじゃコレ、コレがたまらんのじゃ」
昇陽の手元にはイチゴソースたっぷりのベリーシェイクが握られている。
睦月は海をイメージしたケーキアイスを使ったシェイクだ。
なんでも映画にちなんだコラボ商品らしい。
アイスが好きというのも普段からだと想像もつかない一面である。
『コレ美味いな』
「ほう? どれ一口よこせい」
『え? やだよ』
「……それ買ったの儂じゃぞ?」
それを言われてしまうと睦月は何とも言えなくなる。
『ちっ、ほら』
スプーンに一掬いし、それを無造作に昇陽の顔の前に突き出す。
「そうそう、素直によこせい。
あむ、んー! 確かに美味いのう。
折角じゃから儂のもほれ食うてみい」
昇陽も自分の食べていたものを一掬いし、睦月の口元に差し出した。
⦅……あれ? これってまずくねぇか?⦆
睦月は現在の構図がどういうものかを理解した。
一口ねだる彼女に対してぶっきらぼうに差し出す彼氏。
そのお礼に一口食べさせようとする彼女。
端から見ればそうにしか見えない。
昇陽は見た目は全く悪くない。
むしろ美人というか見た目少女なので犯罪臭がやばい。
そんな相手と仲睦まじい食べさせ合いの構図。
なんとなく周りに視線を向ければ微笑ましいものを見る眼と嫉妬に燃える眼が見える。
これは試練だ。
⦅食わないと昇陽が拗ねる。
かといってこの視線の中で食えるか?
スプーンを奪って食うか、それとも何食わぬ顔でそのまま咥えるか⦆
しかも先に食べさせたのは睦月の方。
恥ずかしいからといって自分だけそうすれば事態に気づいた昇陽がどうなるか。
⦅いや待て、こいつの羞恥心は薄い。
意外にスプーンだけ奪うのはありかもしれない⦆
一緒の風呂に誘ったり、下は履いていたとはいえ堂々と上をさらけ出すような女だ。
ここはひとつ。
『自分で食えるからいいよ』
そういってスプーンを奪って食べる。
だが。
「む!?」
自分たちが何をやっているか気づいた昇陽の顔がみるみる赤くなる。
⦅まじかよ!⦆
「うぬぬぬ……」
スプーンを受け取った昇陽は無言でもう一掬い差し出した。
これは無言のアピールだ。
(儂だけ恥ずかしい思いをするのはずるいのじゃ!)
目がそう言っている。
もはや逃げられない。
⦅ナマの胸とパンツ見られても気にしないのにコレは気にするのか!⦆
睦月は叫びだしたかった。
昇陽の恥じらう部分が分からない。
⦅くそ!⦆
覚悟を決めて昇陽の差し出すスプーンを咥える。
もし生身であったなら睦月の顔も真っ赤になっていただろう。
今はこの呪魂骸の身体をとてもありがたく思った。
『う、美味いよ昇陽』
それだけ言うのが精いっぱい。
対して昇陽は。
「そうじゃろうそうじゃろう」
にんまりとご満悦の様子だ。
顔は真っ赤だが。
その後二人は無言で食べ進める。
その様子も初々しいものがあった。
そこへ客が現れる。
「あれ? ひのでじゃない! やだ、久しぶりー!」
メガネをかけた女性が話しかけて来た。
緩いウェーブがかった髪はライトな感じで脱色されているがそれほど弾けている様子は無い。
むしろ明るい印象がその女性の魅力を引き上げているようだ。
「お? おお、誰かと思えば友梨佳ではないか」
「あはは、相変わらずその口調なんだねぇ」
「ほれ睦月、こ奴が前に言っていた奇特な友人の久津輪友梨佳じゃ」
「奇特ってひどくない?」
「奇特というのは感心する、殊勝だという意味じゃが? 祟り神と恐れられていた儂に普通に接してくるだけでも感心じゃろうに」
「あー、そういう意味なら」
そこは良いとして一つ気になった睦月は談笑している昇陽に近づいて耳打ちした。
『(ひのでって誰だよ)』
「(儂の名じゃ、天上昇陽。
陽が昇るから「ひので」じゃ)」
『(ふーん。
それにしても「ひので」って……)』
「(うっさいわ)」
所謂キラキラネームではなかろうか。
「なに二人でコソコソして……ってちょっと、いつの間にこんなイケメン捕まえたのよ。
紹介しなさいよ」
『ええ……えっと……』
そこへ別の女性が現れた。
「友梨佳ーどしたの?」
こっちはスポーツ女子という感じのショートヘアーで健康的な印象を受ける女性だ。
「あ、なずな。
紹介するね、私の友達のひので」
「儂は天上ひのでじゃ。
友梨佳とは高校までの友じゃな」
「わ、すんごい可愛い! アタシは近野なずな。
友梨佳とは大学の友達で今は仕事仲間ってとこかな。
あれ? 高校ってことは……」
「凄いよね、ひのでってばこれでも同い年なんだ」
「これでもとはなんじゃ!」
何度でも言おう、見た目は中学生だ。
睦月はまったくついて行っていない。
女三人寄れば姦しいとはよく言ったもの。
よく話題が尽きないなと感じるほど延々としゃべっている。
睦月のライフはもはや0だ。
夕方になり、やっと解放されると思っていた睦月は現在呪魂骸から文字通り魂が抜けそうになっている。
⦅何故だ、なぜ俺はここに居る?⦆
現在地は個室のバルcocono。
三人娘どもは肉パーティと洒落込んでいる。
「むつきくーん、飲んでるぅ?」
『あ、はい』
酔っぱらったなずなが睦月の隣に座り、肩を回して密着してくる。
かなり酒臭い。
スポーツをしているという彼女の肢体はなかなかに程よい肉づきをしている。
バストも昇陽よりは大きめだ。
それが左腕に押し付けられている。
『(昇陽!)』
助けて! と視線を送ると昇陽は友梨佳と談笑していた。
「んもう、私が一生懸命仕事しているのにひのでは男つくってショッピングのあとアイスクリームデートだったんでしょー? ずるいよー」
「ふふん、羨ましいか? と冗談はさておき、何をやっておるのじゃ?」
「へへー、コレを見るがいい! ジャーン」
友梨佳が出してきたのはスマホ。
「これがどうかしたのかの?」
「ふっふっふ」
含みのある笑いをしながら友梨佳はヨウチューブを起動させる。
そこに映し出されたのは廃墟を動き回る友梨佳の姿。
昇陽はその場所を見て少しだけ眉を顰める。
「コレがなんなんじゃ?」
「ヨウチューバーって知ってる? これ私のチャンネル。
結構人気があってさ、「ゆりなず」って言えばオカルト関係の人ならわかるくらいなんだー」
友梨佳はヨウチューブの投稿者らしい。
なずなはカメラマンと編集担当なんだそうだ。
最初はパッとしなかったが、女性二人のみというのもあってか現在ではそこそこ知名度があり、割と金銭的に自由が利くようになってきたとのことだ。
「あとはこれ、月間ロア」
これは都市伝説を中心に色々な話が書かれている月刊誌。
「それのココ、創作ホラーのコーナーなんだけどさ。
今連載持ってるんだー。
二か月に一回だけどね」
試しに読んでみるとなかなかよくできている。
なずなが編集している時は友梨佳が執筆しているらしい。
なずなは見た目でスポーツ系と思っていたがどうやら運動は趣味のようだ。
「なるほどのう」
「でさ、でさ、睦月君とよろしくしちゃってんの?」
自分の仕事のことよりも二人の関係の方が大事のようだ。
友梨佳は酔っているせいもありグイグイくる。
「かっかっか、なあに儂と睦月はそのような男女の仲ではないわい。
なんなら一晩貸しても良いぞ? 出来るかは知らんがなーかっかっか」
その言葉になずなも反応する。
「なになに、むつきくんそんな若そうなのに不能なの!? ちょっと、ちゃんと使えるかアタシたちに見せなさいよー」
「あーずるいー、貸してくれるなら私もまざるー」
友梨佳の胸がなずなと反対側から押し付けられる。
此方はなずなよりもさらにデカい。
柔らかい部分がしっかりと押しつぶされて形が変わる。
視覚的にもかなり凶悪な凶器である。
これはコレで確かに動画視聴率もあがりそうだ。
というか実際友梨佳の胸目当てでチャンネル登録している輩もいる。
『ちょっと、やめてください……』
昇陽の周りの人間、特に女性は皆紅椿のような奴なのだろうか。
そう考えてしまうくらいグイグイ来る。
「あははは、照れちゃってかわいー」
「ひので、ほんとに借りちゃうよー?」
「かっかっか、なんなら儂も混ざろうかのう」
「4人で? きゃー大胆ー!」
「ホテル予約する? 致す? 致す?」
「かっかっか。
それ、見目麗しい三人の女子からの熱烈な抱擁じゃ。
嬉しかろ? 嬉しかろ?」
昇陽が背後から抱き着いてくる。
昨日の夜に見た昇陽のバスト。
押し付けられるとしっかりと自己主張してくる。
女性特有の良い香りもするにはするが殆ど酒の臭いで負けているのが残念でたまらない。
もはやカオス状態だ。
個室だからこそやりたい放題になっている。
もしオープンな席だったらここまでには……なってるかもしれない。
睦月は昼間と打って変わって酔う事が出来ないこの呪魂骸の身体を恨めしく思った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
次の日。
「うーん、頭が割れそうじゃ……」
「う、いたたた……あれ? ここどこ? なにこれすっごい部屋」
「うぇ、お酒くさ……え? ひのでちゃんと睦月くん? 友梨佳も? え?」
『ほれ、朝飯食えよ。
みそ汁作ったぞ』
食卓テーブルに三人分の味噌汁と梅干の乗ったおかゆ。
みそ汁の具はキャベツだ。
「睦月……ここは儂の家か。
記憶ないんじゃが……」
「ここひのでの家なの!? って……わぁ……いい匂い」
「すっごい広い部屋、ひのでちゃんお金持ちなんだ……わ、本当にいい匂い。
二日酔いで何も口に出来ないかと思ったけど、アタシこれなら食べれそう」
『あのなぁ……あの後大変だったんだぞ?』
睦月は一番軽い昇陽を背中に背負い、こっそり鎖で固定。
左右には肩を支えて立たせた友梨佳となずなだ。
この状態でどこへ行くと言っても昇陽の家に帰るかホテルなのだが当然睦月はそこまでの金を持っていない。
一応食事係としての立場を得た睦月はそこそこに生活費をもらってはいるがこの人数の支払いとなると少々厳しい。
しかし勝手に昇陽の財布を漁るのもどうかと思ったのでとりあえずギリギリだが居酒屋の支払いを済ませ、そのままタクシーへ。
タクシー代も何とか足が出なかったので同じく支払いをし、先のスタイルで昇陽のマンションへ。
スペアのカードキーはこの数日の間に届いた。
という事でそのまま連れ帰って今に至る。
食材のストックがあってよかった。
だが今回の出費はかなり多い。
これからは今回のようなことがあった際の先立つものとして増額を要求しよう。
睦月はそう心に決めた。
余談だが綺麗処+見た目ロリを抱えて移動するのは睦月にとってかなりの苦行だったことを伝えておく。
周りからの「もげろ」の視線がとても痛かった。
「落ち着く味……」
「おいしい……」
「いつも思うがほんと意外な才能じゃのう……」
三人は一口一口をかみしめるように味わっている。
正直味付けは味噌汁だけなのだが。
そのおかげなのか最初よりは楽になった様子の三人がくつろいでいる。
友梨佳たちは大学を休むようだ。
『お前ら大丈夫そうなら風呂はいっとけよ。
その間に洗濯しといてやっから。
正直酒臭すぎるからな。
あ、下着はやらねぇから各自で洗え。
しょ……ひので、着替えくらい人数分あるんだろ?』
「うむ、何時誰が来てもいいようにはしておる。
フリーサイズを数着持っておる」
誰か来たことがあるかどうかは不明である。
『よし、なら準備しておくからとっとと行け』
そう言いながらテキパキと茶碗を片付けている。
「なんという女子力」
「私本気で睦月くん欲しい」
「貸し出しはするがやらんぞ?」
なんか女子三人がガヤガヤ言っている。
お前らは酔ってなくてもその話題なのかと突っ込みたかった。
昇陽の家の風呂は三人で入っても問題ないほどの広さがある。
三人娘は風呂場に消える。
洗濯籠には彼女たちの着ていた服が。
『おい! 下着はいってんぞ!』
「「「やっといてー(たのむのじゃー)」」」
『恥じらいはねーのかよ!』
やはり昇陽の友人+1という事なのだろうか。
風呂場ではきゃいきゃい聞こえている。
その間に睦月は洗濯機を回し、掃除機をかける。
現在の睦月は昇陽の家政夫、大体のモノは把握している。
洗濯が終わり、中身を乾燥機に入れてさらに回す。
三人娘はとっくに風呂から上がってリビングでくつろいでいる。
着ているものはパジャマ……いや、着流しというものだろう。
昇陽以外下着はまだ乾燥機なので薄手の着流しの上からでもわかる膨らみは正直目のやり場にこまる。
狙っているわけではないのは分かるがやはり昇陽のセンスはどこか変わっていると睦月は思った。
『もう少しで乾燥が終わるからな。
あ、ひので』
「なんじゃ?」
『金を寄越せ』
「たかりか?」
『ちげーよ! 食材買ってくるから金くれってんだよ。
昨日でかなり散財したから俺の財布はほぼ空なの』
「おお、そうか。
すまんかった、それもすべて渡しておこう。
わざわざ買いに行くのかの?
家にあるので良いのではないか?」
『本当は昨日買いに行く予定だったんだよ。
飲み会でつぶれたけどな』
「あれ? ひのでは作れないの?」
「儂が作るとなぜか新生物が生まれるでの……」
『そうなんだよ、だからコイツ店屋物ばっかりだったんだぜ?』
「ひのでちゃん……」
「ひので……」
「な……なんじゃ? 飯が作れんのがそんな悪いのか?」
二人はハラハラと涙を流しながら昇陽を見ている。
そして唐突に抱き着いてきた。
「「友よ!!」」
『まさかの同類!?」
どうやら二人も暗黒料理人らしい。
『……はあ……仕方ねぇなあ、なんかリクエストあれば作るけど』
その言葉に友梨佳となずなの目がキラリと光る。
「アタシ麻婆豆腐!」
「私はチーズハンバーグを所望します!」
その二人のリクエストを聞いて昇陽も。
「ぬ!? わ、儂は肉じゃがをお願いするのじゃ!」
『お前らせめて和食か洋食か中華かどれかに統一しろよ!』
結局全部作った。