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6本目 覚悟

 ブラットに突き落とされた先の森の中。幸運にも危険な相手に出会うことなく進んできた飛鳥だったが、どうやらその運もここで尽きたようだ。

 視線の先にある背の低い茂みがガサガサと揺れ動く。

 緊張に顔を強張らせるだけの飛鳥とは対照的に足元にいる炎陽はうなり声をあげ戦闘態勢をとった。

 最初に見えたのは茂みから覗いた小さな瞳。そして、そこから躍り出た黒い影。


「主様!」


 ――死んだ、とそう思った。

 先ほど炎陽が飛び掛かってきた時には感じられなかったもの。

 いわゆる“殺気”と言われるものに初めて中てられた飛鳥は全くと言っていいほど動けなかった。

 当然である。大神飛鳥(おおがみあすか)は一般人。かつ喧嘩もしたことのない平穏な人生を歩んできた。強いて経験を上げるなら、それはゲームの中での戦闘くらいだろう。

 しかし、そんなものは経験には入らない。

 戦闘時の張りつめた空気、命のやり取りをする恐怖、常に隣にある死の臭い。

 それらは画面越しでは決してわかりえない体験。


 攻撃、防御、回避、技の発動、移動。すべてボタンを押せば終わる。

 攻撃を食らってもゲーム中の操作キャラのHPという数字が減るだけだし、数字が0になってキャラが死んでしまったとしても、飛鳥自身には何もない。

 当たり前だ。ゲームとはそういうもので、死んだのなら生き返らせればいい。やり直せばいい。そうやって進めていくものだから。

 でもこれは現実。攻撃されれば傷つくのはキャラではなく自分。死んだら終わり。


 飛鳥のすぐ目の前まで迫った敵対者が大口を開けているのが見える。

 口の中は牙のようなトゲが無数に生え、涎のような体液を滴らせながら、今まさに飛鳥へかぶりつこうとしていた。


 それでも飛鳥は動けなかった。目もつぶれず、ただ迫りくる死を棒立ちで迎えることしかできなかった。


「やぁあああ!」


 幼い声の叫びとともに、眼前まで迫っていた死が飛鳥の視界から消える。

 そこでようやく体の動きを取り戻した飛鳥だったが、腰が抜けてしまい地面に吸い込まれるようにへたり込んだ。

 震える体をそのままに視線を動かせば、炎陽が飛鳥を守るように立っていた。

 全身の毛を逆立て、精一杯自らを大きく見せながら敵対者を睨みつける。

 炎陽に体当たりされ吹き飛ばされた敵対者は自力で起き上がれないのかうごうごともがいた後、のっそりと起き上がった。

 ここで、自らに襲い掛かってきた敵対者の全体像を飛鳥は初めて視認した。

 ココナッツのような形の体に小さくも足のような部位が生えた敵対者。――否、化け物。モンスター。

 少しとがった頭頂部のような場所からは茎が伸びそこから双葉が生え、体は真ん中よりやや下あたりがパックリと裂けており、そこから唸り声のようなものが漏れ聞こえてきた。

 大きさが一般的なココナッツ程度ならまだ飛鳥の恐怖心は刺激されなかったかもしれない。

 目の前のモンスターは人間の子供、三歳程度の大きさで、薄い桃色の体を持ち、真っ赤に染まる瞳で獲物である飛鳥たちをねめつけていた。


「魔物です、主様! 早く構えてくださいませ!」

「か、構えろって言われてもどうしたら。っていうか、そもそも私は戦い方なんて知らないぞ!」

「え!?」


 これがゲームだとしたらチュートリアル付の初戦闘といったところだろうか。

 だが何度も言うがこれは現実であり、チュートリアルなんてものは存在しない。

 ただボタンを押せばいいゲームではなく、自分の体を使って戦わなければならない現実。

 敗北は死。

 体の動かし方すら知らない飛鳥にとってはもはや無理ゲーと言っていいほどの難易度に跳ね上がっていた。


「そもそも武器だってないし、素手なんかで戦えるわけないじゃん!」


 そうだ。そもそも飛鳥は丸腰で放り出されたのだから何も持ってはいない。

 仮に武器があったとしても戦えるかはわからない。

 だって大神飛鳥は一般的なただの人間の女。

 特別武道をやっていたわけでもないし、よくある展開で神様からチートを貰っているわけでもない。

 というより飛鳥がその神の立場になっているわけだが。


 それに、たとえ武器を与えられていたとしても、武道の心得があったとしても、いきなり生死を掛けた戦いをしろと言われて、ただの一般人が戦えるのか。


 命を奪えと言われ奪えるのか。


 今現在、飛鳥は魔物と呼ばれたこの世界の脅威に襲われ命を奪われそうになっている。

 自らの身を守るため、反対に相手の命を奪ったとしても――日本ならともかく、この異世界でなら恐らく文句は言われないだろう。


 人間を襲う魔物を倒す。


 なるほど、そう言われればできそうな気がする。

 でも倒すとは? つまりは殺すということ。

 本当にできるのか?


 ――お前は魔物とはいえ生きている命を、自らの意志のもと、自らの手で奪いとる覚悟があるのか?


 飛鳥は自身に問う。


(……こわい)


 普段の食事として肉や魚を食べているのならば、もうすでに命を奪っているじゃないかと言われれば飛鳥に否定はできない。

 でもそれらはすでに“食品”として加工されたものがスーパーなどで並べられているからこそ罪悪感も薄いし、食べられるのである。

 自分で絞めて、食肉にしろと言われたのならば、きっと飛鳥にはできない。

 辛うじて魚介類なら飛鳥でもできるかもしれないが、鳥や豚、牛などは無理だ。

 故に自分ができないことをやってくれている人たちへの感謝の気持ちはある。

 その人たちのおかげで自分は手を汚さずとも美味しい食事にありつけているのだ。


 戦えない言い訳を並べている間も、どんどんと状況は悪くなる。


 今は炎陽がなんとか戦っているが、お世辞にも強いとは言えない。

 一対一なので辛うじて抑えられている程度だ。

 攻撃がぶつかるたびに炎陽の傷が増え、その体を汚す血も増えた。


(…………いや。違うだろ。何をやってるんだ私は? 自分より小さい子に戦わせて、怪我させて。そんで自分は怯えてぐだぐだと言い訳ばかりして守ってもらうだけか? 違うだろ、お前が守るんだろ! しっかりしろ大神飛鳥! 頑張れ、飛鳥、頑張れ! お前はやればできる子だ! 大人だろ! 頑張れ! 子供に戦わせてそれを良しとするな! 怖くても乗り越えろ! 嫌でも、無理でも、やらなきゃいけない時があるだろ! それが今だ! 言い訳なんて考えている暇があったら立ち上がれ! 勝てなくてもいい。せめて目の前で傷ついている子狐(相棒)だけは逃がせる努力をしろ!)


 無意識に動かした指先に何かが当たる。触ってみれば固い感触が飛鳥の手に伝わった。

 それが何かを確認する時間も惜しいとばかりに飛鳥はそれを強く握りしめ、立ち上がる。

 力の入らない四肢に無理やり言うことを聞かせ、震える体を抑えつけ、今すぐそのまま逃げろと叫ぶ思考を意思の元にねじ伏せた。


 飛鳥の瞳に宿るは覚悟の炎。


 別に命の奪い合いを是としたわけではない。

 別の道があるのならばそちらを選ぶ。

 だが、それしか道が無いのだというのならば。

 相手の命を奪うことに躊躇するのをやめよう。

 己の命が奪われることも覚悟しよう。

 そして、奪ったのなら、それをきちんと背負っていこう。


 ――たとえ相手が魔物なのだとしても。


 掴んだ武器は適度な硬さと長さを持った木の棒だった。

 飛鳥は好都合だと笑い、それを両手で握りしめ、駆ける。


「私の相棒にィ、何してくれてんだ、この野郎ォ!」


 最後に残った怯えを吹き飛ばすように咆哮を上げながら突っ込む飛鳥は、炎陽へと気を取られていた魔物の顔面目掛け勢いよく武器を振りかぶった。

 野球のスイングよろしく振りぬかれた木の棒は、油断していた相手の顔面へと綺麗に決まった。

 飛鳥は吹き飛ばした魔物をそのままに傷ついた相棒の様子を見る。


 幸い細かい怪我は多いものの、致命傷になるような深い怪我は見当たらなかった。

 ホッと息をつく飛鳥だが安心はできない。魔物はまだ生きているのだ。

 振り返った飛鳥は、魔物の様子をうかがう。

 先程と同様転がったまま起き上がるのに梃子摺っているように見える。


(今のうちに逃げ――いや、駄目だ。それじゃあ駄目だ。追ってくる可能性がある。仲間を呼ばれるかもしれない。こいつは、今ここで仕留めよう)

「なぁ、炎陽」


 魔物から視線を外さずに、自らを守った小さな相棒の名を呼んだ。


「主様……?」


 不思議そうにこちらを見上げる気配を背中に感じつつも飛鳥が振り返ることはない。


「守ってくれてありがとう。でも、もういいから、お前は逃げろ。お前が逃げるくらいの時間は稼ぐから。んで、リーフェさんたちのとこに帰れるなら保護してもらえ」


 武器を握る手に力を籠める。

 もう迷わないと決めた。

 ならばあとやることは簡単だ。

 殴って――

 殴って――

 殴り続ける。

 相手が息絶えるまで殴る。

 相手も反撃してくるだろうが、それを完全に避けられるような技術も動体視力も自信もない。

 でも、できる限りはやる。

 今の飛鳥にできるのはそれだけ。


 相手が死ぬのが早いか。

 こちらが死ぬのが早いか。


 ただ、それだけ。


 今朝の時点で、まさか自分がこんな覚悟をする羽目になるなんて誰が想像できただろう。

 やっぱり幸せに逃げられてるなぁ。

 飛鳥は自嘲気味に笑う。


「あぁ、それと。帰れたら私の部屋にいるはずのだいふく――猫の事もよろしく。ちょっと人見知りだけどいい子だから仲良くしてやってくれ」

「……嫌です」

「――はぁ?」

「ですから、嫌だ、と申し上げたのです」

「んだとてめぇ。うちの子と仲良くしたくないって――」

「――そっちではありませぬ!」


 強い語気に思わず炎陽へと振り返る。

 小さな相棒はしっかりとした足取りで飛鳥の隣へと並び立った。


「ワタシは逃げませぬ。主様を置いて逃げたりしませぬ。死ぬときは主様と共にと決めております故!」

「お前……」

「だから、ワタシが死んだら主様も死んでくださいね」

「え、普通に嫌」

「そこは了承するところでしょう!?」

「いやいや心中宣言とか重いわ。さすがにそこまでは……」

「もう、主様! いろいろ台無しです!」

「いやだって」

「だってではありませぬ! あぁもう。主様がぐだぐだ言ってるから敵が起き上がっちゃったではありませぬか! 折角のチャンスだったのに」


 ぶつぶつと文句を言う相棒の姿を見ていたら、少し気分が落ち着いたのか飛鳥の口元に笑みが浮かぶ。


「――ほら、やるんでしょう。構えてください」

「応!」


 生きるか死ぬか――いや、ほぼ“死”に傾いていた気もするが、その極限に立たされていたように感じていた飛鳥の緊張はいつの間にかほぐれていた。

 もちろん覚悟が鈍ったわけでもないし、緊張の糸が切れたわけでもない。

 緊張しすぎていたところから、適度な緊張感に落ち着いた感じだ。


 今なら勝てる気がする。

 両手で握った武器を確かめる。

 今から私はこれで命を奪う。

 大丈夫。怖いけど、怖くない。

 大切なモノ、守りたいものを守れず、失う方がもっと怖いんだ。


 飛鳥と炎陽が並び立つ。視線の先には異世界の魔物。

 すでに魔物も体制を立て直し、二人へ襲い掛かるタイミングを計っていた。

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