3本目 目が覚めても知ってる天井
飛鳥の部屋にカタカタとキーボードを打つ音と、時折混ざるクリック音が無機質に鳴り続ける。
ゲーム内の自室にあったタブレットのようなものが操作盤になっており、セリオル内の様々な設定が可能だと知った飛鳥は夢中でそれをいじる。
設定項目の中にはすでに決められており変更できない項目が何箇所かあるが、それ以外は自由に決められた。
人によってはこんなに一々設定を決めたり考えたりするのが面倒臭いと感じるレベルの自由度だが、箱庭ゲームなどが好きな飛鳥にはこのゲームは性に合っていた。
そうして頭を悩ませつつも夢中でプレイしている飛鳥の耳に突然ゲーム音とは別の音が入ってくる。
その後胡座をかいた足にふわふわした何かが当たり、再度先程聞こえた音――猫の鳴き声が部屋へと響く。
飛鳥の顔を見ながら甘えるように鳴くその声は空腹を訴えるもので、もうそんな時間だったかと改めて時計を確認する。アナログ時計の針は午後七時をとっくに回っており、窓の外は日が落ち暗くなっていた。
昼過ぎからゲームをプレイし始め六時間以上ぶっ続けで作業していた事に気付いた飛鳥はそこで一旦ゲームを中断し――ゲームは切らずそのままにして――モニターの電源を落とす。
だいふく――猫の名前である――にご飯を用意し、自らも適当に食事を済ませた後、風呂や歯磨きなどのやる事をぱぱっと済ませ再びゲームを再開する。
中断前までは屋敷内で働く執事やメイド、その他様々な役割を持ったキャラを作ったり、内装などを設定していただけで終わった。
その甲斐あってか始まったばかりだった時は主人公・リーフェ・ブラット・レオンの四人しかいなかった屋敷の中にはキャラクターが増え賑わいを見せる。
空き部屋が目立った館内も図書室や医務室、武器庫や宝物庫など様々な場所で埋めていった。
屋敷内の設定に一応の区切りを付けた飛鳥は屋敷の外、セリオル内の整備に目を移す。
どんなことが出来るのか再びタブレットを起動して確認してみると、こちらも様々な施設やキャラを生み出すことができた。
滝や畑や森などを好きな場所に設置することができる。
またもや夢中でポチポチし始めた飛鳥はふと思う。始めは中古屋のワゴン品、しかも得体のしれないゲーム。
少し暇をつぶせればいいか位にしか思っていなかったゲームをかなり楽しめている自分に気付き、当たりを引いたと笑みをこぼす。
そうしてしばらく画面とにらめっこを続けていた飛鳥は、モニターの端に出ている時刻が日をまたいでいる事に気が付く。
何時間も同じ体勢でいたため飛鳥の体はすっかり固まっていた。
ぐっと腕を後ろに伸ばすとバキバキと音が鳴る。
だいふくの姿を探すとすでに飛鳥の布団の上でぐだっと伸びながら寝ているのを発見した。
その姿に笑みをこぼしつつ区切りのいい所まで進めセーブをする。
そして今日はここまでとゲームを終了させた。
パソコンの電源を落とし、カーテンを閉じ、電気を消し、布団へもぐりこみ瞼を閉じる。
その瞬間頭の中に無機質な声が聞こえた気がしたが、強烈な睡魔に襲われた飛鳥には上手く聞き取れなかった。
『“世界からの離脱”が選択されました。直ちに地球より離脱を開始します。目的地は――惑星エンドラント。……捕捉しました。これより転移を開始します』
「お……か……様。起き……くだ……い。朝食の……意がで……おりま……よ。おーかみ様、起きてください」
「うぅん……あと五分寝かせ……え?」
「わぷっ!」
少女の甲高い声に寝ぼけ眼で返事を返す。
しかし一拍置いてその事実を認識した飛鳥の頭は一瞬で覚醒した。布団を蹴り上げ脱兎のごとくその少女から距離を取る。
突然蹴り上げられた布団を避けきれず頭からかぶり慌てている少女を警戒しながら、視界に入った掃除道具――フローリングワイパー――を手に取り威嚇する。
「だ、誰だ?! この家には盗みに入るような価値のあるものなんてないぞ! 早く出て行かないと警察を呼ぶからな!」
震える声を押し殺し精一杯の勇気を振り絞って自室に侵入した犯人である少女を睨みつける。
紫の髪をツインテールにした少女は上手く和を取り込んだ型をしたオーソドックスなメイド服を着ており、頭にはホワイトブリムを付けている。
コスプレ感もなく自然と着こなしているようにも見えるメイド少女だったが、そもそも飛鳥の家にメイドなどいない。よって彼女は不法侵入してきた不審者でしかありえなかった。
怒声を飛ばされた少女は始めは何を言われたのか理解できなかったのかきょとんとした顔で飛鳥を見つめていたが、自分が何を言われたのか理解をすると明らかに動揺し始めた。
「え、あの、申し訳ありません、おーかみさま! 私、その、あの、ですから――」
「どうかされましたか?」
慌てふためく少女の声とは別に第三者の女の声が襖の外から投げかけられる。
(あれ、家に襖なんかあったっけ……?)と首をかしげる飛鳥をよそに襖が開き、そこから深緑の髪をもつ女が部屋へと入ってきた。
どこかで見たことがある。
そんな既視感を覚えながら新たな侵入者である女へも警戒は怠らない。
その間にも少女は慌てて立ち上がり先ほどのやり取りにより少々乱れてしまった衣服を整えたのち、深緑の髪の女へと軽く頭を下げその背後に控えるように移動する。
そして飛鳥はすぐ近くまで移動してきた深緑の髪の女へそれ以上近づくなと手に持った掃除用具を女の眼前に突きつけ威嚇した。
威嚇された本人である深緑の髪の女は威嚇されたことなど気にも留めずに、形の良い眉を下げ飛鳥への心配を口にする。
「おーかみ様、お部屋の外まで御声が聞こえてきましたが……何かございましたか? それに、顔色もすぐれないようですが、御身体の具合でも悪いのでしょうか?」
「は? 人の家に勝手に入ってきておいて、何かあったかって……そもそもあんたたちは誰だって話で……。あー、もう! とにかく! 早く出て行かないと本当に警察呼ぶからな!」
「落ち着いてくださいおーかみ様。ここは確かにおーかみ様の御屋敷ですが、この者たちを生み出したのはおーかみ様御自身で、勝手に入って来たわけではございません。この者がおーかみ様を起こしに来たのも貴女様がそうお命じになられたからです。お忘れですか?」
「何を言って……?」
「私、リーフェの事もお忘れですか?」
リーフェ。その名前を聞いた瞬間、先程から感じていた既視感の正体が顔を出す。
ゲームはドット調で描かれていたので詳細は不明だったが、言われてみれば確かに目の前の女はゲームの中に居たリーフェによく似ていた。
そして彼女の後ろで先程からこちらを窺うような瞳で見つめている少女もまた、よく見れば昨日設定したメイドの一人だった気もする。
「あ」
「思い出していただけましたか?」
「思い出すというか、なんとなくわかったというか……え、なにこれ夢?」
「現実でございます。……なるほど、やはり実際にこちらに来られた事により少々混乱されているのですね。無理もありませんか……。ともかく、我らは貴女様に危害を加えるような真似は決して致しませんので、その棒を下ろしていただけないでしょうか」
飛鳥はリーフェの本心を探るようにその大きな碧の瞳を見つめるが、困ったような顔でこちらを見つめる彼女に根負けして手の中の物を元の位置に戻した。
「信じていただけてありがとうございます」
深く頭を下げる彼女たちを横目に飛鳥はため息を吐く。
そしてゲームの世界に入り込んでしまったという嘘みたいな現実から目を逸らし、ひとまず空腹を訴える腹を満たすべく立ち上がった。
悲しいかな、人間どんな状況でも腹はすくのだ。
とりあえず改めてぐるりと部屋を見まわすがワンルームの自室に変化は無い。
しかし一つだけ大きく変わっていると確信をもって言える部分があった。
玄関があった場所が少し広くなり、桜の花びらが描かれた綺麗な襖に変化していたのだ。
特に引っかかる感覚もなくスッっと開いた襖の向こうには時代劇にでも出てきそうな建物が見え、そこと自身の部屋とを繋ぐ形で渡り廊下が佇む。
渡り廊下の左右には綺麗に整えられた日本庭園風の庭。
いつもの光景なら玄関の向こうには住宅街が広がり通行人やら車やらが行きかっているはず。
自身の記憶とのあまりの違いにうっすらと頭痛を覚えるが、一々気にしていても仕方がないとこの問題も脇へ置き庭へと降りてみる。
後ろに付いていたメイド少女が慌てたように「は、履物を」と言っているが無視をした。
裸足で少し歩いてみるが足元の草木の感触や木々の葉が風でざわめく音。
何かの花の香だろうか、風に乗った甘い匂いが飛鳥の鼻腔をくすぐる。
あまりにもリアルすぎるその感覚がこれが夢や幻の類ではなく、現実だと飛鳥に教えてくる。
そうしてしばらく庭を眺めていた飛鳥だったが、ふと飼い猫の存在を思い出し後ろに控えるように佇むメイド少女へと声をかけた。
「そういえば、私の部屋に猫いなかった?」
「猫、でございますか? ……申し訳ございません。私がお部屋に入った時からおーかみ様以外のお姿は見かけておりません」
すまなさそうに頭を下げる少女に構わないと手を振って急いで自室へと踵を返す。
軽く足の裏をはたき廊下へと上がるとそのまま自室へと繋がる襖を開け部屋の隅にあるどら焼き型の猫用ベッドを覗く。
するとそこにこちらを窺うように丸まっているだいふくがいた。
飛鳥の姿を認めると、なーうと小さく声を上げるが出てくるそぶりは見せない。
どうやら知らない人間がいるので警戒しているようだ。うちの猫は人見知りをするから仕方がない。
猫を怖がらせないようにメイド達には部屋から退出してもらって、飛鳥はだいふく用のご飯を手早く準備する。
いつもの場所にご飯と飲み水を設置したあと――水道が普通に使えたことに驚いたが好都合なので無視をした――自分も手早く身支度を整える。
顔を洗い、着ていたスウェットを脱いでいつもの黒のパーカーに袖を通す。
その時、自身の体にいつもと違う小さな違和感を覚えたが、人を待たせていることもありその事には目をつぶって身支度に戻る。
簡単に準備を終わらせた飛鳥はだいふくへ一声かけてから部屋の外へ出た。
襖を開けた先には頭を下げたリーフェとメイドが並んで飛鳥を出迎えている。
一般庶民である飛鳥にはこんな対応をされた経験がないので少しばかりビビリながらも自身の空腹感をなんとかするべく二人へと声をかける。
「とりあえず、お腹空いたんだけど……何か食べるものってある?」
飛鳥の問いに綺麗な笑顔で是と答えたリーフェに連れられて、飛鳥は彼女たちと共に食堂へと足を運んだ。