16本目
食事も終わりしばらくは子供達の相手をしつつ飛鳥は時間を潰す。
やがて子供達は遊び疲れたのか寝静まるも、飛鳥はなかなか寝付けずにぼんやりと格子窓から外を眺めていた。
精神的にも肉体的にも疲れているはずなのに眠気は訪れない。直前まではすぐにでも休息を求めていたはずなのに。
一度目を閉じ、ゆっくりと開く。その行動に特に意味はない。
飛鳥はどこを見るでもなく彷徨わせていた視線を空へと移す。そこには夜空に輝く満天の星空。
都会では見れないだろうその光景はとても美しいが、この世界の現状を思うと気楽にこの星空を楽しめる気分でもない。
星空から視線を下げ大地に目を移す。何もない。本当に何もない大地が広がっている。
田んぼがあるわけでもない。道もなければ、他の民家もない。山奥というわけでも、人里離れた場所というわけでもない。
なのに、何もない。
唯一視界に映るのは、一本の枯れかけた燈火の樹が頼りない明かりであたりを照らすのみ。
飛鳥は思わず小さなため息を吐く。
本当に自分なんぞにこの世界を救えるのか。
格子窓の隙間から入る燈火の樹の光が、飛鳥の不安げな表情をうっすらと映し出した。
「むへへ……もう食べられませぬぅ」
むにゃむにゃと寝言を言いながら飛鳥の足元でだらしなく腹を見せ、炎陽はぐっすりと眠りこけている。
夢の中でも何かを食べているのか、口をモニュモニュと動かし涎を垂らす様は野生を失った獣にしか見えない。そもそも野生ではないのだが。
「ははっ。きったねぇなぁ。ったく」
飛鳥は小さく呟きへそ天している炎陽の腹をわしゃわしゃと一撫ですると、蹴り飛ばしたのであろう借り受けた布団代わりの布をそっとかけてやる。
薄い薄い布切れはボロボロで、これでは寒さを凌げないだろう。
今はまだ大丈夫かもしれないが、本格的な冬になれば厳しいかもしれない。
さらに一人一枚すら満足に使えていないその布団を、神子は丸々一枚飛鳥達に貸してくれた。
大丈夫だと辞退しようとするも、子供達までもが使ってくれと笑顔で飛鳥に迫るので押し切られてしまったのだ。
炎陽にしっかりと布団をかけてやった飛鳥はまた窓の外へと視線を向ける。
そして何とは無しに前髪をくしゃりと掴み、また小さくため息を吐いた。
「寝付けませんか?」
「あ……すみません。起こしてしまいましたか?」
「いいえ」
子供達と添い寝をするように寝ていた神子がムクリと起き上がり飛鳥の方へと顔を向ける。
少しの間飛鳥へ視線を投げていたと思えば、すぐさまその視線は子供達へと向いた。
「今日は大神様に遊んでいただいたおかげで、子供達もいつもより穏やかに眠っております。この子達のこんな安らかな寝顔を見たのはいつぶりでしょうか……」
「そう、ですか……」
「はい。いつもはどこか不安げな顔をして眠りにつきますゆえ。大神様には感謝しております」
「感謝だなんて……私は何も……」
「いいえ、いいえ。そのようなことはありません。貴女様という存在がどれほどこの子達に……私に希望をもたらしたか」
「…………希望。私は貴方達にまだ何もしていません。むしろしてもらっている立場です。その私が希望だなんて――」
――あり得ない。そんな言葉をすんでのところで飲み込み、顔を伏せる。彼らの顔をまともに見れない自分がいた。
何故なら自分が逃げたから、いまだに彼らの苦しみは続いていると言っても過言ではないのだろうから。
リーフェの話を受け入れすんなりと行動に移していれば、彼らもきっとそれだけ早く安心を、一般的な幸せを受けられたのかもしれない。
考えても意味のないことだとは思う。思うが、考えずにはいられなかった。
飛鳥はしれず拳を握る。
叱責を受けることはあっても、感謝などはあり得ない。
この現状が飛鳥の預かり知らぬところで起こっていたとしても、それは彼らには関係のないこと。
飛鳥はこの世界の神。その一点をもってして責め立てられても文句は言えないのかもしれないのだ。
「――希望です。貴女は私達、いえ、この世界に生きる人々の希望なのです」
神子の言葉に飛鳥は顔を上げる。神子は飛鳥を見ておらず、傍らで眠るウィルの頭を優しく撫でている。
「滅びの道を回避しても、この世界の現状はあまり良くなりませんでした。神はいない、救ってなどくれないと自暴自棄になるものもいました。――神子にあるまじき考えではありますが、恐れながら、私も彼らと同じようなことを考えたことがあります」
申し訳ございません。そういって佇まいを直した神子は床に己の額をつけ頭を下げた。
その行動に焦った飛鳥は思わず大きな声を出しそうになり、慌てて自らの口を手で覆う。
寝ている子供達を起こしては大変だ。さっと周囲を見回して、誰も起きていないことを確認すると安堵の息を吐く。
そして神子へと視線を戻すと、いまだ頭を下げた彼の姿が目に入った。
すぐにやめるようにと口を開こうとするも、神子の方が早く、飛鳥は口を挟む機会を失った。
「大神様。伏して、伏して御願い申し上げまする。どうか、どうか我らを憐れだと思ってくださるのでしたら、一欠片で構いません。慈悲をお与えくださいませ。どうかっ!」
「――ッ!」
「せめて子供達だけでも、どうにか健やかに生きていけるように……お願い申し上げます、どうか……」
子供達に配慮してだろう。小さな声で、しかし強い声音で神子は祈りを口にする。
自分はどうなろうと構わない。だけど、子供達だけは、未来がある子供達だけはどうかお救いくださいと、そう何度も口にする。
飛鳥はそんな神子の言葉を受けても何も返せない。
覚悟はしたつもりだ。しかしいざこうして願われても、自分には何もできない。どうすればいいのかすらわからない。そんな情けない神擬きだ。
飛鳥は周りを起こさぬよう気遣いながら神子へと近付き、彼の肩へと手を当てムリヤリにでも頭を上げさせた。
窓から入る明かりだけが光源の中、うっすらと照らされた神子の表情は暗く、瞳には涙が浮かんでいた。しかしそのことにはあえて触れず、飛鳥は神子へと声をかける。
「聞きたいことがあるんですけど、答えてもらってもいいですか?」
「…………はい。なんなりと」
涙を拭い飛鳥の視線に応えるように神子は頷き、軽く頭を下げた。
そうして飛鳥と神子は場所を変え、話をし始める。
といっても外に出るのは危険なので、食事をとっていた場所まで移動しただけだ。
寝室にしている場所とさほど離れているわけではないが、それでも寝ている人間の隣で話し込むよりはマシだと思い足を運ぶ。
そして飛鳥に促され神子はポツリポツリと現状を話し始めた。
神子曰く、自分は元々神都の教会で神子という役割を担っていた。
世界が滅びの一途を辿っているのに役職も何もないとはいえ、神聖なものだからと神子という存在だけは絶えず継がれていた。
高い魔力を持っていることが神子になる条件ではあるが、もはや形式だけの存在である。多少の魔力があるのならば誰でもなれる状況だったそうだ。
そして当代の神子自身は魔力が高いわけではない。だが、彼の一族が神子の家系と言うことで、父親が死んだ時に継いだそうだ。
神子という存在がなんなのか飛鳥にはイマイチ理解しきれていない。しかし神子の話に口を挟む気もなかった飛鳥はそのまま彼の話を聞く。
明日の朝にでも炎陽に聞けばいいかと思いながら、神子の話に意識を戻した。
話の続きとしてはこうだ。
破滅に向かう世界の中、神子として勤めを果たしながら彼は日々を過ごしていた。
そうやってやり過ごしていたある日に転機は訪れる。それは今から二年程前のこと。
突如世界に光が差し込み、大地には緑が戻ってきた。そしてそれを見た人々は破滅を免れたと歓喜する。
しかしそれも長くは続かなかった。むしろ魔物が活性化し始めたせいか人々の恐怖の対象が破滅から魔物へと変わっただけだった。
人々は安全圏からまともに出ることも叶わず、少ない物資を奪い合い生きることになる。
疲れ切った人々に復興など夢のまた夢。
日々を生きていくだけで精一杯で余裕などない。
そしてそんな状況では親のいない子供など誰も助けはしないし、労働力にもならない子供はむしろ食料を食い潰していくだけの邪魔者とみなされて神都を追い出された。
安全圏である町から追い出すということは、それは遠回しに死ねと言っているようなもの。
それまで神子として唯一子供達の面倒を見ていた自分がなんとかせねばと、ともに町を出てこのボロ小屋を見つけ住んでいるとのことだ。
ここには小さいながらも燈火の樹もある。しかしこの樹の効力は見た目通り弱いのか、絶対的な安全は得られなかった。
ある日、神子が目を離したすきに、ここを離れてしまった幼子が二人、魔物に襲われ命を落とした。
自分のせいだ、自分が目を離したからだ、としきりに神子は己を責め立てる。
しかしそんな状況では仕方がないとも飛鳥は思う。
大人一人で複数人の子供を完全に見ていることなど不可能。貴方は自分にできることを懸命に果たしている。あまり自分を責めるものではない。などの慰めの言葉を飛鳥は口にする。
気休めにしかならないだろうが、それでも神子は感謝の言葉を飛鳥へと返す。
「ありがとうございます、大神様。少しだけ救われた気持ちです」
「ありきたりな言葉しか言えなくてすみません……」
「そのようなことは」
ふるふると小さく首を横に振る神子に、飛鳥は沈痛な面持ちを向ける。
別に飛鳥が神子に責められているわけではない。
しかし今の話を聞いた飛鳥にはまるで「お前のせいだ」と言われているような錯覚に陥った。
お前がもっと早く神としてしっかりしていたら幼子二人は死ななかった、と。
ただの勘違い、自意識過剰と言われればそうだが、飛鳥は勝手にそう受け取り拳を握る。
そして改めて決意を固めた。
子供らが寝ている方へと視線を向けた神子は、再度口を開く。
「ウィルは――」
「……」
「あの子は子供達の中でも一番歳が上だからと、昔から色々手伝ってくれているのです。申し訳ないと思いつつも手が足りていないのが現状で……私はいつも助けられてばかりいる……私が、助けてあげなければいけないのに……」
情けない話です。そういって神子は力なく微笑んだ。
「神子様――」
「様はおやめくださいませ。貴女はこの世で誰よりも尊い……そのような方に様付けで呼ばれるような人間ではありませぬゆえ」
「…………では、キールさん」
「敬称は不要です、そして敬語もおやめください。なにとぞ……」
頭を下げ懇願する神子を見ながら飛鳥は一度強く目を閉じ、ゆっくりと開く。
そして小さく息を吐いて口を開いた。
「キール。お前は良くやってる。それは私が認める」
「ありがたきお言葉」
「正直――まだ戸惑いがないと言えば嘘にはなる。でもお前の話を聞いて、みんなと過ごして私は決めたことがある」
「……」
神子は何も答えない。
それでも構わず飛鳥は口を開く。
「どこまでできるかは、やってみなきゃわからない。この世界全部を救ってやるなんて偉そうなことも言えない。でも、やれるだけのことはやろうと思う。そして、お前や子供らが飢えなくて済むように、安心して日々を暮らせるように、この手が届く範囲くらいは助けたいと、そう思う」
「――はい……」
神子にしてみたらなんの決意表明だと思われるかもしれない。こちらの事情なんて説明してないのだから、飛鳥が新米の神だということも知らないだろう。
いや、無知すぎる故うすうす勘づかれている気もするが……。
とにかくこれは飛鳥にしたら大事なことだ。自分の中だけで終わらせるのではなく、口に出してこの世界の人間に誓いを立てる。
「だから……もう少しだけ待っていてくれ。きっと、私がなんとかしてやるから」
「――はい……はいっ! 感謝、申し上げます……ッ!」
この瞬間飛鳥は地球への未練を断ち切った。
自分にしか出来ないのならやってやる。行けるところまで突っ走る。
できるできないじゃなく、やる。
なんとかしてやるなんて偉そうなことを言うと、少しばかり傲慢だとも思うが、かまわない。なぜならば自分はこの世界の神なのだ。神とは傲慢なものだろう。だからもういいのだ。
飛鳥はここで生きると、人々を救うと決めた。




