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8本目 小さなマナの樹の下で

 魔物との初戦闘を乗り越えた飛鳥は炎陽の案内の元、無事に川にたどり着いた。

 未だ森から抜けられてはいないものの、木々から差し込む陽の光が増えてきた事と視界が開けてきた事も合わさり飛鳥の気分も上がる。

 飲水としても問題はないと言う炎陽の説明を聞いた飛鳥は渇いた喉を潤した後、戦闘で汚れた顔や体を洗う。

 袖をまくり腕の乾いた血を洗い流していた飛鳥の隣を小さな影が通り抜けたと思ったら、すぐに水しぶきが飛鳥を襲った。

 ジト目で犯人を睨むがそんなことはお構いなしと、炎陽はバシャバシャと楽しそうに水遊び――ついでに汚れを落としているようだ――にふける。

 服をあまり濡らさないように洗っていた飛鳥だったが、炎陽のせいで無駄な努力と化したので気にせずこちらもバシャバシャと洗いだした。


 そして、炎陽が出した炎で――爆発無しでも出せるようになった――火を起こし濡れた服や体をある程度乾かし、いざ出発、と意気揚々と歩き出したところで不幸にも一匹の魔物と遭遇。

 一匹だけならとすぐさま武器を構えた飛鳥だったが、二匹、三匹と現れ始めたところで逃走を決意。

 瞬時に炎陽を拾い脱兎の如く逃げ出した飛鳥だが、そう上手く逃げられるはずもなく追いかけっこという名のデスゲームが開始された。


「くっそがああああああ!」


 道とも呼べないような道を飛鳥は炎陽を左肩に担ぎ必死に駆ける。


「あわわわわわわ! 主様お早く、お早く! 追いつかれますぞ!」


 黒い髪を振り乱しながら全力疾走をしていた飛鳥はいつの間にか森を抜け平地となった場所を走る。

 森の中より幾分か走りやすくはなったが、だからといって飛鳥の走るスピードが上がるわけでもない。

 後ろを振り返って様子を見る余裕がない飛鳥の代わりに、炎陽が――振り落とされないようにしっかりと飛鳥の肩へしがみ付きながらも――後方の様子を伝える。


「乗ってるだけのやつは黙ってろ! 焼肉にすんぞ!」

「その前にワタシたちがあやつらに生肉のまま食べられてしまいますー!」

「ふざけんな、いざとなったらこっちが食ってやる! つか尻尾が邪魔!」


 ギャアギャアと二人で喚き合いながらも決して足は止めずに逃亡を続ける飛鳥と炎陽の二人を追いかけるのは五匹の魔物。

 彼女たちの十メートル程の後方にいる魔物の群れは二人を今日の昼飯にするべく狙いを定め追いかける。

 魔物の姿は兎のようだが、額から一本角が生えており、大きさも標準的な地球の兎とは比にならないくらいに大きい。

 一メートルはあるであろうその巨体を揺らしながら追いかけてくるさまは、追いかけられる者からしたら恐怖でしかない。


 しかし一度修羅場を潜り抜けた飛鳥の胸の内は恐怖よりも怒りが勝っていた。


 朝起きたら訳の分からない連中の突拍子もない話を聞かされ、かと思えば突然見知らぬ森に着の身着のまま放り出された挙句、魔物という未知の危機に晒され、それを乗り越えたかと思ったらまた新たな危険が降り注ぐ。


 飛鳥自身も安全地帯にいたわけではないのを理解しているし、魔物と出会う可能性がまだまだ存在している事も理解している。

 理解はしているが朝からの怒涛の展開に、なぜ自分がこんな目に遭わなければならないのか、というぶつけようのない怒りが飛鳥の胸の内にふつふつと湧いてくるのも確かだった。


 それに太陽の位置的にはそろそろお昼頃だと推察した飛鳥の胸中にはもう一つの小さな怒り。

 さっさと帰って愛猫にご飯をあげるという大事なミッションがあるというのに、未だ帰れる兆しはないどころか、逃げ切れる目処も立たない。


 正直飛鳥自身がここまで魔物との追いかけっこを続けられているということに驚きを隠せないが、これが火事場の馬鹿力というものなのかとどこか冷静な自分が納得する。


 しかしこのままずっと逃げ続けられるわけではない。

 実際、飛鳥の息はかなり上がってきているし、確実に相手との距離は縮まっている。


「くっそ! もう、こーなったら、お前を囮にして、食われている間に逃げるしか……!」

「そんな事をしてみなされ! 必ずや、必ずや、道連れにしてみせます! 必ず!」

「圧が強ぇな! 主様の役に立てるんだから本望だろうが!」

「本望なものですかぁ! まだそんなに喋れるんなら余裕あるでしょう! 口じゃなく足を動かしてくだされ!」

「ぶっちゃけ、もう、限界!!」

「頑張ってくだされぇ!」


 後頭部をバシバシと叩いてくる炎陽を落ちないように空いている左手で抑えつつ飛鳥はわずかに思案する。


(こうなったら一か八か、やるっきゃないか……)


 ちらりと後方を確認し、先ほどより縮まった距離を見た飛鳥は覚悟を決め魔物へと向き直ろうとした。

 しかしその瞬間、飛鳥の耳に人の声のような音が届く。


 一瞬炎陽がなにかを言ったのかと思ったが、相変わらず飛鳥の後頭部を叩くことに執心しているようでその気配はなかった。

 気のせいかと意識を魔物へと向け直そうとした矢先に高い音が飛鳥の耳に届く。

 一度目よりはっきりと聞こえた声は遠くから聞こえるようで、飛鳥は走りながらもすばやく周囲を確認する。

 すると前方に木が一本ポツンと生えている場所があり、その木の下にいる誰かがこちらへと一生懸命に両手を振り合図を送っていた。

 こちらへ来い、という意味と捉えた飛鳥は、一目散にその場所に走る。

 近づくにつれ相手の姿が飛鳥の目にもハッキリと見えた。


「おねえさん! こっち!」


 手を振っていたのは子供だった。

 それもまだ十にも満たないであろう小さな子供が懸命に合図を送っていた。

 飛鳥は迷う。

 子供の周囲に大人の姿が見えない。

 小さな子供たった一人しかいないところへ魔物を引き連れた自分が素直に従って行ってもいいものか?


 しかし飛鳥を急かすように子供の声と動作は大きくなる。

後ろから魔物の群れが迫ってきてる上、体力も残り少ない以上このまま逃げきるのは無理だと判断した飛鳥は思い切って少年の元へ向かう。

 元々ダメ元で応戦しようとしていたのだし、もし魔物が子供の方へ行ったとしても近くにいれば守れるかもしれないからと考えて。


 小さな子を巻き込んでしまい心苦しくはあるが、止むを得ない。飛鳥は子供の元へ足を早めた。

 必死に足を動かし、目標にしていた木の地点まで辿り着いた飛鳥へ子供が駆け寄ってくる。


「良かった、もう大丈夫だよおねえさん!」

「ぜぇ……いや、いや、大丈夫じゃないだろ、まだ。とにかく、危ないからこいつと一緒に下がってて。炎陽、その子は任せたからな!」

「わわっ」


 いまだ窮地を脱していないにもかかわらず呑気にそう言いはなつ子供へと担いでいた炎陽を押し付けるように渡した飛鳥は、後ろへ迫っているであろう魔物に対し武器を構え迎撃体制をとる。


「おら、私が相手だ! 全員まとめてかかって…………って、ん?」

「おねえさん?」

「…………なんであいつらあんなに離れてんだ?」


 見れば魔物は飛鳥たちから十メートルほど離れた位置におり、こちらの様子を伺うようにウロウロと歩いていた。


「わりと前からあの距離ですぞ、主様」

「はぁ?」

「主様は走るのに夢中で気付いておられませんでしたが、この場所へ近づくにつれ魔物たちの足が減速し、あそこで完全に止まりましたな」

「気付いてたなら教えろよこのクソ狐! 無駄に走っただろ!」

「あ、また悪口を! 少々お口が過ぎるのではないですか!」

「あーはいはい。すんませんねぇ」


 子供の腕から抜け出し、飛鳥の肩へ飛び乗ってきた炎陽を雑に下した飛鳥は魔物の群れへと視線を向ける。

 そのまましばらく眺めていたが、どうやら飛鳥たちの方へ向かってくる気配はみえない。


 それどころか唸り声を響かせてはいるものの、魔物の群れは徐々に後退を始める始末。

 ものの一分もしないうちに魔物の群れは飛鳥たちを諦めたように元来た(森の)方へと去っていった。


 原理はわからないがどうやら助かったことに安堵する飛鳥。

 走り通した足が限界を訴えているが、もう少しだけ我慢するよう自制し、周囲の確認をすませる。

 安全を確保したと確信できたところでようやく倒れこむように飛鳥は寝転がった。


「はーーー。つっかれたぁ…………しばらく動きたくない」


 深いため息を付きつつ四肢を投げ出し空を見る。イラつくほどの快晴。

 呼吸を整えるようにしばらくそうしていた飛鳥の視界を遮るように別の(ブルー)が入ってきた。

 飛鳥の頭上から顔を覆うようにのぞき込んできた綺麗な空色の瞳には、その綺麗さに見合わないような疲労困憊の飛鳥の顔が映っていた。

 飛鳥の顔にかかるくすんだ金色の長い髪がくすぐったい。


 しばらくお互いに無言の時間が続いたが、飛鳥の様子を伺っていた子供が先に口を開いた。


「…………大丈夫?」

「…………大丈夫」

「よかった!」


 太陽のように元気な笑顔を浮かべる子供は飛鳥の無事を確認すると、次は炎陽の方へと向かい同じような問答を繰り広げていた。


 二人で何かを話しているのを横目に飛鳥は上半身を起こす。

 本当はまだまだ休んでいたいが巻き込んでしまった子供を放ったまま一人寝そべっているわけにもいかない。

 起き上がった飛鳥に気が付いた二人がおしゃべりを中断して近寄ってくる。


「もう平気なのですか主様」

「あぁ。それより、二人でなに話してたんだ?」

「助けてくださったお礼と、簡単な自己紹介をしておりました」

「そういやまだお礼言ってなかったな。助けてくれてありがとう」


 座った姿勢のまま飛鳥はぺこりと頭を下げる。


「いいえいいえ、そんな! 僕は何もしてないですから!」


 だから頭を上げてください、と慌てる子供の声に飛鳥は素直に頭を上げる。


「そんなことないよ。君が私を呼んでくれたからこうして話していられるわけだし。ほんとにありがとね。えーっと……」


 照れているのだろうか顔を赤らめもじもじと俯いていた子供は、言い淀んだ飛鳥の言葉にハッと顔を上げて答えた。


「あ、僕はウィルって言います!」

「ウィルくんか。改めて、ありがとうウィルくん。私は――」

「知ってます、です! 大神(おおかみ)様ですよね! エンヨウ様にお聞きしました!」

「ん?」

「ぼ、ぼく、神様にお会いできるなんて思ってなくて、夢みたいです……ふふっ!」


 両の手を自身の頬へ当て照れている様子を見せる子供――改めウィルの発言に飛鳥は驚いた顔を見せた後、静かに炎陽の名を呼んだ。

 ウィルに少し待っていてくれと伝えた飛鳥は炎陽と共にウィルから距離を取る。


 炎陽の高さに合わせるように飛鳥はしゃがみ、声を潜めながらも炎陽に詰めよった。


「お前、なんてこと言ってんだよ!」

「何がですか?」

「とぼけんじゃねぇ。あの子に私のこと神様って教えたんだろ、何勝手なことを」

「別にいいではありませぬか。本当の事でしょう?」

「だから、私は了承した覚えは――」

「――あなたが了承しても、していなくとも、あなたはこの世界の神として、今、ここに、存在している。それが事実なのです」

「――――ッ!」


 飛鳥の目をまっすぐに見つめ、ゆっくりと言い聞かせるように告げる炎陽の言葉に飛鳥は言い返すことができなかった。


「あなた様がこの世界へと実際に来た時に、すでにあなた様は神となっておられるのです。その神の力を上手く扱えるか扱えないかの差はあろうとも、あなた様が神である事実は揺るぎませぬ」

「……いや、でも、リーフェさんは選べる、って」

「実際にリーフェ様がそうおっしゃったので?」


 そうだ。と言おうとして飲み込む。

 思い返してみても、リーフェがそんなことを言った記憶はない。

 飛鳥の『神の代わりになってほしいんだろ』という問いに、間はあいたが『はい』と答えた。

 それを飛鳥が“選べる”と解釈しその後の会話を続けている。


 実際にリーフェは飛鳥が断りを入れた時とても取り乱していた。

 周りの反応も同様、驚きに満ちていた。

 あの時は大袈裟な反応だと思ったが、大袈裟ではなかったのかもしれない。

 すでに神として君臨している人物にその自覚がなく、やりたくない。代わりを探せ。などと急に言われては驚きもしよう。


 しかしそれは仕方がないのではないか?

 突然の出来事に現実味が持てなかった。説明が不十分だった。お互いの認識にずれがあった。そもそもこんな事になると知っていたなら、あんなゲーム買わなかった。などなど飛鳥は心の中で言い訳を並べるが口には出来なかった。


「……主様が嫌がっているのも重々承知しております。ですが、いつまでも逃げられていては困ります。あなた様にそのつもりがなくとも、あなた様はこの世界にすでに手を伸ばした。こちらもその手を握り返した。あとはあなた様が引っ張り上げてくださるのを待つばかりなのです」

「………………少し、時間くれ」


 飛鳥は立ち上がり大きく深呼吸をし空を見上げる。

 そのまま炎陽へ背を向けるように踵を返した飛鳥はウィルの元へと向かい、先ほどのことなど無かったかのように明るく振る舞う。


「待たせてごめんな。ちょっと炎陽に聞きたいことがあってさ」

「いえ、気にしないでください、です! お話は終わりましたですか?」

「うん終わったよ。それでさ、さっきの話なんだけど、私が神様って事は他の人には内緒にしてくれないかな?」

「え?」

「ダメかな?」

「い、いえ! ダメじゃない、です! 内緒にします!」

「……ありがとな」






 ウィルの頭を撫でる飛鳥の後ろ姿を炎陽が見つめる。


「エンヨウは信じて待っております。アスカ様」


 彼らの間を一陣の風が舞う。

 自らの主人の真似のように一度空を見上げた炎陽の視線の先では鳥が空を泳ぐように飛んでいた。

ちなみに猫の大福の世話は、飛鳥の留守中手探りですがメイドさんがしてるのでご安心ください。猫に危険はありません。

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