0本目 プロローグ
主人公まだ出てこないです。
神がお隠れになった。
それからどれ程の月日が経ったのかなど、もう誰にもわからない。
廃墟も同然となった荒れ果てた教会で一人の少年が神に祈るべく両手を組む。
天井の一部が崩れて空を覆う厚い雲がそこから顔を出す礼拝堂で、一人、神へ祈りを捧げている。
「……」
神が隠れてから少なくとも数百年。
この地に生きる人類はほぼ死に絶えている。
現在、生き残りたちは神の言葉を聞けるという神子と呼ばれる存在に救いを求め、この教会に集まり寄り添って生きてきた。
もしかしたら他の場所ではまだ生きながらえている者たちが居るのかもしれない。
だが、それは少年には知り得ないこと。いま自分たちが生きていくことだけで精一杯なのだ。
日に日に生き物が生きるには辛い環境になっていく世界。
大地は死に、水は枯れ、空気も僅かながら毒を含み汚染されたこの世界に希望はない。
神に祈ったところでこの状況が好転するはずもなく、自暴自棄に陥り自害したものも少なくはない。
そんな状況にあってもこの少年は祈ることをやめなかった。
毎日、毎日。ひたすらに祈り続けた。
周りの大人たちから馬鹿にされようとも、罵声を浴びせられようとも、時には目障りだと暴力を受けようとも、ただひたすらに己の両手を組み神へと祈りを捧げる日々。
人が信仰心を忘れてしまったから、敬わなくなってしまったから。だから神様は怒って隠れてしまわれたんだと、少年はそう信じていた。
今日も少年は一人、祈り続ける。
別の部屋では「もうだめだ!」などと男たちの叫ぶ声や、物が壊される音などが響きわたる。
だがそれさえも少年にとっては些事に等しい。
むしろ自らの祈りの邪魔だとさえ思っていた。
(神さま。どうかぼくたちをお救いください。ぼくたちを憐れだとお思いなら、じひをお恵みください……)
母親から教わった祈りの言葉を心の中で何度も唱える。
どのくらいそうしていただろう。
かなりの時間が過ぎていたのか別室での騒ぎは収束し、静かになっていた。
「……はぁ」
少年は小さく息を吐き、閉じていた目をあける。
そして今日もダメだったかと少年が顔を上げたとき、突如周囲の空気が変わった。
常にカビ臭かった空気が一転、新緑の香りへと変化した。爽やかな香りが少年の鼻腔を刺激する。
信じられないような気持ちで少年は肺いっぱいに空気を取り込んだ。
そして少年はさらに信じられない光景を目にする。
なんと崩れた天井から太陽の光が降り注いでいたのだ。
神が隠れてからこの数百年。一度も太陽など出たことは無かった。
この少年にとって空とは厚く黒い雲に覆われたものだったのだ。
少年は空を見上げる。
穴から覗く空には雲など一つもなく、心が震えそうになるほどの青い空が広がっていた。
少年は駆ける。
急いで礼拝堂から外へと飛び出し、大人たちの横を通り過ぎ、外へと繋がる扉をくぐる。
「……わぁ」
そこにはまるでお伽話でしか聞いた事のない景色が広がっていた。
周囲には緑が広がり、汚れた空気のせいでくすんでいた視界は、はっきりと遠くまで見渡す事ができる。
教会横に作られた小さな畑には新たにいくつもの作物が実り、動物たちの姿も確認できた。
感動に打ちひしがれる少年の後ろから、この異変に気付いた大人たちが次々と顔を出す。
そして眼前に広がる光景を目にし、皆一様に泣き崩れた。
未来なんてないと絶望しきっていた大人たちの瞳に生気が戻る。
そんな大人たちを眺める少年は涙を流しながらも満足げに笑った。
やはり神はいたのだと。ぼくたちは見放されてなどいなかったと。
少年はひとしきり泣いた後、涙を乱暴に拭い傍に生えていた花をいくつか摘み取る。
そうして教会の近くに作った母親の墓へと向かった。
ただ土を盛り上げただけの簡素な墓。その前に摘み取った花を供える。
「見える、お母さん。やっぱり神さまは居たんだよ……ぼくたち、を、たずげっ、う、ふぐっ……うわーん!」
こらえきれずに少年は大声を上げて泣いた。
その涙は嬉しさからか、それとも母が生きているうちにこの日を迎えられなかった悲しさからか。
母の墓へ縋りつき、少年はずっと涙を流し続けていた。
その日、死の運命を迎えていた世界は息を吹き返した。
あるものは歓喜した。地獄が終わったことに。
あるものは悲観した。自分だけが生き残ったことに。
新暦一年。
新しい神がこの世に誕生した。