九、ちいさな勇者
がたがたがたがた……
山猫の携帯電話が響きます。
「お電話ありがとうございます、WILDCAT HOUSE 山猫軒です。ご予約ですか、あいにく本日は、お店のほうはお休みをいただいておりまして……」
「あのフォーン、おもしろいバイブ音じゃのう。しかしここまで電波が届くとは、よほど性能がいいようじゃ」
「そんなこと言ってる場合じゃないって」
「はい? ……あ、なんだ、鶴か。店の客かと思ったぜ。どうした? ……あ? ……は、なんだとっ、浦ノ島が取り返されたっ? ……うん……、ああ……、うう、くそう、竜宮の亀め、今度会ったらただじゃおかん。……そうか、まあ仕方ない、ご苦労だった」
山猫は一度、電話を切ろうとしましたが……
「ああ、鶴。山猫軒の制服を新調したいんだが……、ああ、来月にはこっちのボスから休みをもらえるんで、店に戻れるんだ。せっかくだ、新しいのを織ってもらえないかと思って。報酬か、報酬はな、ボスのよりも断然うまい、エスカルゴ・ド・ブルゴーニュだ。……あ? ……ふ、大丈夫だ、ボスは上の部屋だからな、聞こえてやしねえよ。……ああ、よろしく頼むぜ。じゃあ、またな」
「エスカ……、なんじゃ、うまいのかのう?」
「俺、あんたの家の保冷庫で見たことあるけど」
「な……、まーた勝手に忍び込んだんか、このバクダンミミ野ウサギめ」
「ああ、痛い痛い……」
「待たせたな、食材ども。どうやら塩水が手に入らないようで、急遽、今ここでお前たちを調理して食すことになった」
「ひえっ……」
野ウサギは、おじいさんの背に隠れます。
「よし、野ウサギのほうはデザートにするとして、まずはこの、歳不相応にうまそうなじいさんからいただくとしよう。ふ、覚悟するんだなっ」
そういうと、山猫は大きく息を吸い込みます。そして……
「にゃあお、くゎあ、ごろごろーっ、金縛りにゃんっ……!」
「か……、身体が動かん……っ」
なんと、おじいさんの身体は宙に浮き、まるで磔にされたように動かなくなってしまいました。
「よし、少しあぶって食ってやろう。野ウサギよ、よく聞いておけ。わたしは器用な化け猫でな、なんにでも化けることができるのだ。いまから青い炎に化けて、じいさんの表面をあぶってやる。それも器用に、しみこませたレモンジュースが飛ばない程度になっ」
山猫はもう一度、大きく息を吸い込みます。そして……
「にゃあお、くゎあ、ごろごろーっ……」
「ちょっと待ったあ!」
野ウサギが、勇気をふりしぼって叫びました。
「うご……、にゃあおっと。……くそう、失敗しちまったぜ。なんだ野ウサギ、バクダンみてえな声出しやがって」
山猫の青い目玉に睨みつけらた野ウサギは、がたがたがたがたふるえながら、しぼりしぼった声で、言いました。
「俺のこと……、デザートにするって言ったよな」
「ああ、だったらなんだ」
「じゃ、じゃあ、今のうちに……、レモンジュースに浸しておいたほうがいいよな」
「さっき浸したじゃねえか」
「それが、な……」
そうです、野ウサギはチートアイテム「ジジイノオナカ」を使用したおかげで、ほとんどレモンジュースを皮膚に吸い込むことなく、プールを渡ってこられたのでした。
「な……、そうか、そういうことだったか」
「俺……、食材になるなんて思ってもいなかったから……、申し訳ない」
「そういうことなら、わたしがじいさんを食しているあいだに、もう一度プールへ入ってこい」
「ところがどっこい、そうはいかなくてな。俺、泳げないから、プールに入ったら二度と上がってこられないんだ」
「ふむ、そうか……」
そこですかさず、野ウサギは提案しました。
「あんた、なんにでも化けられる化け猫なんだろう。あんたがバケツになってくれりゃ、俺は自分でレモンジュースを汲んできて身体にかけるよ。そしたらあんたは山猫に戻って、竹取翁を調理すればいい」
「ふうむ、なるほどな。野ウサギってのはなかなか、かしこい食材だ。よしわかった、お前のいう通り、わたしはバケツに化けて……、ふ、バケツに化けつぇやろう」
こういうと山猫は、例のヘンテコな呪文を唱え、野ウサギの身体と同じくらいの大きさのステンレスのバケツに変身しました。
さて、こうなったらもう、野ウサギの思惑通りに事が運ぶよりほかありません。野ウサギはよいしょとバケツを持ち上げて、プールのふちへ行きますと、バケツをレモンジュースでいっぱいにして、プールの底へと沈めてしまいました。
金縛りが解けて自由になったおじいさんが、野ウサギのもとへかけよりました。
「おう、バクダン。お前の勇敢なイタズラゴコロのおかげで、わしゃあ命拾いをしたわい、ありがとうのう」
野ウサギは、おじいさんの笑顔を見るとほっとして、その腕の中へと倒れこみました。ちいさな野ウサギのちいさな額には、まぎれもない勇者の証がありました。
「おお、ひどい汗じゃ」
そういって、この善良なおじいさんは、優しくそれを拭きとって、いつもの臆病者の野ウサギへと戻してやったのでした。