十二、蟹カノン
「しかし、バクダン」
おじいさんは言いました。
「猿の残しおった言葉が、わしゃどうにも気になるんじゃがのう」
猿は去り際、「最強を誇るわが雇い主さまは、足首以外は無敵の衣でおおわれているんだからな」と言い残しました。
「ありゃあ、どう考えても不自然じゃ。猿があんなことを言いおったのは、どう考えてもわしらに情報を与えるためだとしか思えん。わしらはこの情報を、はたして信ずるべきなんかのう」
「信ずるべきだよ」
野ウサギは答えます。
「だってこれは、もはやネット小説かなにかじゃないか。とすれば、猿は俺たちの冒険を意図せずに手助けするっていう筋書きがもともとあって……、この種のものには、読者はそこまで展開にリアリティを求めていなくて、むしろゆるいところ、ツッコミどころを楽しみたいっていう思いのある人もいるからさ……、つまり、あれだ」
「ご都合主義っちゅうやつか」
野ウサギによる懇切丁寧なでまかせ説明に対して、おじいさんはあっさりと納得の意を示したのでした。
と、そこへやってきたのは……
「おい猿ッ! 出てきやがれッ! このカキクイザルめがッ!」
大きな赤い甲羅を持った蟹の集団でした。
「な、なんじゃありゃ。平家蟹かっ?!」
おじいさんが適当に知っている蟹の名前を挙げますと、一匹の蟹がギロリとおじいさんを睨みつけて、言いました。
「ああん、平家蟹だと? ナメてんのか、俺たちは世界最大の節足動物、タカアシガニだ」
それにつづき、インテリ風の眼鏡をかけた蟹が、いかにもテンプレートにのっとったキャラクター演出といった風情で眼鏡をずりあげるポーズをとりながら言いました。
「どうやらこのじいさん、『タカアシガニにあらずんば蟹にあらず』という言葉を知らんとみえるね」
ここで野ウサギが、例によってびくびくと震えながら、勇気をふりしぼって口を開きました。
「お前ら、猿をどうするつもりだっ」
すると、いきがった若いのが、「そんなの決まってんだろう、なんせあの猿の野郎、酒場でいきなりカキフライ定食を投げつけてきたんだからな、酔った勢いとはいえ、マナーっつうもんがあんだろう」というのを、しゃれた中折れ帽をかぶった白髪の蟹がたしなめて……
「いや悪いねえ、怖がらせちまって。ただ、今度のことは、わたしとしてもどうにも許せなくて、少々頭に血がのぼってるんだ。この連中もみんなそうだ。桃栗三年柿八年、牡蠣の恨みは二十四年ってな」
野ウサギはふたたび、勇気を出して言いました。
「た……、大正の偉い作家さんの小説にな、こんな言葉がある。『とにかく猿と戦ったが最後、蟹は必ず天下のために殺されることだけは事実である。』……、だから、な、その……」
野ウサギは、中折れ帽の蟹の頭から湯気が昇っているのに気がつき、みるみるうちに青ざめてしまいました。仲間の蟹でさえ、「うわ、親分がやべえ」「必殺蟹カノン、発動だっ」などと口々に言いながら逃げていきます。
「ターダーデースームートーオーモーウーナーヨー……ッ」
しかし突然、「ターラーラーラーラ……」と、バッハ作曲の『蟹のカノン』が流れはじめます。
すると、蟹の頭から発する湯気が、静かに消えていきました。蟹はしゃれたバッグの中から着信中の携帯電話を取り出し……
「こちらタカアシガニ組組長、ポローニアスでござります。これはこれは、亀さまで……、えっ、浦ノ島の歓待をせよと? これはまた、急でござりますなあ……、ええ……、ええ、ええ……、ええ、かしこまりましてござります。では急ぎ、そちらへ戻りますゆえ。ご心配にはおよびません、なにせわたしどもは、後ろ向きに歩むのが得意中の得意でござりますからなあ。……ええ、では後ほど」
ポローニアスこと白髪の蟹は、電話を切ると……
「悪いな、野ウサギ。あんたの遊び相手をしている暇はなくなった。……ところで、組のやつらはどこいったかな」
野ウサギはまた、勇気をふりしぼって答えました。
「あ、あっちでござります……」
「そうか、先に戻ったか。なかなか機敏な部下を持ったものだ」
そういうと、タカアシガニの組長は、後ろ向きのまま去っていったのでした。
「なんじゃ、わしらとは戦わんのか」
「ふう、そのほうが俺たちには……」
「そうじゃのう、ご都合がよい、ってなもんじゃ」




