幼馴染公爵の勲章
リーゼベルツ王国、王都にあるスフォルツァ邸にて―――
スフォルツァ公爵夫人レクサは目の前に横たわっている自分の夫を見て、あの時、彼に対してひどく罵った事を後悔していた。
(こんなことになるのなら――――)
寝ている彼の肌は尋常ではないくらい青白い。普段なら、職業柄か彼女に限らず人が来ることによって気づく彼も、今は全くの無反応だ。
(後悔しても、時すでに遅し、か)
古来より伝わる格言が今まさに、彼を追いやっている。彼の頬を優しく撫でた後、その場を後にした。
事の発端は、一週間前。
そもそも若き当主であるユリウスは、何もしていないはずなのに何故かイロイロと噂になりやすい人間であった。この日も、ユリウスが妻を持ちながらある伯爵令嬢にご執心だという噂をレクサはある侯爵夫人のお茶会で聞きつけた。もちろん、そんなことはでたらめであるという事を直感で感じ取っているレクサは聞き流していたが、周りの人間はそうもいかなかった。
「あなたもわざわざここまでやってきたのに、大変ね」
そう言ってきたのは、スフォルツァ公爵とは全く縁のない家の令嬢だった。茶会ではある程度の礼儀は守らなければならないが、それ以外は基本的に無法地帯と化す。公爵夫人に群がろうとする人は多く、決まりごとの多い夜会ではまだしも、基本的に決まりごとはそれぞれで異なってくる茶会――――特に、革新派貴族夫人が開く茶会では身分の低いものが多く話しかけてくる。もちろん、好意的に接してくるものもいるのだが、そうでないものの方が多い。レクサの目の前にいる女性は後者の一人だろう。口では同情めいたことを言っているが、表情がそれを裏切っている。だが、レクサはそこで逃げる女ではなかった。
「ええ、そうね。義姉上様がいてくださらなかったら、ここに来ることはなかったでしょう。幸い、公爵様は私の剣の腕を見込んで招聘してくださったのよ」
にこりと笑ってそう言うと、目の前の女は一瞬、どういった意味だろうと考えたが、『義姉上』の正体に思い当たると、返す言葉は見つけられなかったらしい。歯ぎしりしていそうな目でこちらを見て、
「あら、そうだったのですか。それは申し訳ありませんでした」
と言って、そそくさと逃げて行った。彼女が去って行った後、周りの人たちの様子を見たレクサはこれ以上、この茶会にいる時間はもったいない、と思い、屋敷に戻った。
「おかえり」
屋敷には昼間だというのに、珍しく夫であるユリウスの姿があった。勤務時間や勤務日が不規則な彼だが、どうやら、今日は勤務が少しの時間で済んだらしい。
「ただいま、ユリウスさん」
そう言うと、レクサは自室へ戻り、外出着から室内用のドレスに着替え、再びユリウスの待つ居間へ行った。
「どうしたの、そんな不機嫌そうな顔をして?」
ユリウスは座ったまま妻の腰を抱き寄せた。
「また、あなたのことを言われたのよ」
「今度は誰だった?」
レクサの言葉にユリウスは笑いながら尋ねる。
「ホーエンツェ伯爵よ」
彼女は聞いた女性の家を言うと、ユリウスはなるほどねぇと言う。隣国から二年前に嫁いできたばかりのレクサは気づいていなかったが、長年このリーゼベルツにいるユリウスはこれまでも含めて、自分の噂を流し続けたおおもとの貴族に、想像だけだが辿り着いていた。
「これからは少し忙しくなるな」
ユリウスはその正体をどう対処するか、決めかねていた。もちろん、王立騎士団副団長を拝命している以上、ある程度の権限はある。しかし、その正体の身分が貴族である以上、自分の権力だけでは廃すことはできない。それを計算したユリウスは小声でつぶやいたつもりだったが、レクサには十分聞こえるくらいの声の大きさだったみたいだ。え?とレクサは聞き返した。
「明日からしばらくの間、帰りが遅くなるかもしれないから」
ユリウスは何故遅くなるのか言わなかったが、レクサは素直にはい、と答えた。
そして、ユリウスが宣言したとおり、翌日から彼はスフォルツァ家に帰ってくる時間が遅くなり、屋敷でも彼と顔を合わせる日が少なくなった。結婚したとはいえ、いまだに子供のいないレクサは誰かの世話をする必要もなく、ただ、自分の好きなことをしている時間が多く(ちなみに、一種の政略結婚とはいえども『白い結婚』という訳ではない)、剣の稽古を侍女相手にしていることが多かった。
しかし、一週間ほど経ったある日。侍女が持ってきたレクサ宛の手紙を見て、彼女は驚いた。あのユリウスが手紙を出してきたのだ。どうやら、自分と話す機会が少なく、手紙だけでも出しておこうと考えたらしく、その手紙には、『明日の昼に噴水前通りの広場に来てほしい。話したいことがある』と書かれていた。
執事と侍女長に行ってもいいか尋ねると、二人ともに、ぜひとも行きなされ、と賛成された。
翌日、レクサは久しぶりに夫に会えると思うと、妙に気分が浮いて、実家では『剣術馬鹿』と言われ、『剣の稽古をしているくらいなら、化粧方法でも身につけろ』と伯父にでさえ呆れられた自分にしては、精一杯のドレスアップをした。ここに嫁いできてからも一応練習したものの、夫に会いに行くという事はなく、非常に緊張していた。
スカートの中に少し武器になりそうなものを忍ばせた後、レクサは自ら馬を駆った。義姉である王妃も今の立場になる前は、遠乗りに行くことが結構好きだったという事で、お供をしてみたいと言ったこともある。久しぶりに夫と会えるという事でわくわくした気分で広場に行くと、まだそこには夫の姿はなかった。馬を木陰に休ませ、自分は近くのベンチに座った。やがてしばらくたつと、街中の教会の鐘が鳴るのが聞こえ、もう一度辺りを見回した。すると、見慣れた姿があったので、声をかけようとすると、その人物は自分の知らない女性と共に行動しているのが分かった。しばらくすると、彼らは立ち止まり、普通の恋人のように、他人のことは視界に入らず、イチャイチャしていたのだ。レクサは今まで信じてきたことが無駄になったと理解した。
(やっぱり、私はただ隣国の長の姪だから、断れなかったのね)
いくら白い結婚ではない状態とはいえども、流石にかなり傷ついた。レクサは一発言って、そのあとは荷物をまとめて王宮に行こう、と思い、ユリウスたちの方へ向かった。
「やっぱりね」
レクサは自分が近づいてきても二人だけの世界に入り浸っている、ところへ声をかけた。妻の登場に、ユリウスも相手の女性も驚いていた。
「ねえ、白昼堂々、浮気なんて良い度胸しているわね。ユリウス様、あなたを信じておりましたのに」
そう彼に言いながら、普段ならば絶対にしないことだが、自分の実家を示すように胸元のペンダントを取り出した。ユリウスは何か言いたそうにしたが、レクサはそれを遮って、
「ご存知だと思いますけれど、私はスルグランの人間。でも、今のあなたよりは立場は上なのよ。どうなるかはわかっていますわね?」
と今度は、未だにユリウスにしなだれかかっている女に向かって言った。確か、彼女はある男爵家の娘だったのではなかったか。それだけ言うと、レクサは踵を返して、馬をつなげてあったひもを外して、背後から何かを叫んでいるユリウスを置き去りにして、スフォルツァ邸へ向かった。
(どういうこと、よ―――――)
馬を走らせていると、レクサはだいぶ落ち着き、あることを考え始めた。
(女と会うのを知らしめるために、自分をわざとあの広場に向かわせた?でも、普通ならば浮気は妻に隠れてするものよね?)
自分が見た光景は一体何の茶番だったのか。ユリウスの考えていることがわからなかった。
(でも、例えばあの手紙は、本当はユリウスが差し出したものではなかったら?)
その選択肢も考えられた。自分をはめるため?それとも――――――?
今のレクサにはその答えはわからなかった。でも、もう一度だけ、彼を信じたくなった。
「ただいま」
あわただしい女主人の帰宅に、侍女や執事は驚いていた。レクサは誰も来るな、と彼らに命令し、一人部屋に閉じこもった。二つの相反する思いが彼女の中で葛藤していた。しばらくたった後、ある事を考えたレクサは何も持たずにスフォルツァ家を出ようとしたが、玄関を出たところで止まらざるをえなかった。
「ちょうどよかった」
そう言ったのは、黒髪の男だった。レクサもこの二年で何度かあったことのある男で、セレネ伯爵と名乗っているが、元は王太子だった男だ。彼は乗馬もできるし、家自体も近くにあるはずだが、なぜか馬車で来ていた。彼は玄関の階段を上がったところまで来て、安心させるようにレクサの手を握る。その行動は、一瞬嫌な予感がした。案の定、セレネ伯爵の顔は暗い。
「レクサ姫、ユリウスが刺された」
伯爵の言葉に、レクサの顔から血の気が引いた。しかし、彼女も突っ立ているばかりではいけないと思い、思わず馬車の方へ駆けて行った。
(――――――――)
馬車の中にはユリウスが寝かされていた。腹部を刺されたらしく、服のそのあたりが血に染まっている。何も考えることが出来ないように気絶してしまいたいと思ってしまった。騒ぎを聞きつけた人びとの声が背後から聞こえた。それが誰なのか聞き分けることもできず、あまつさえ、女主人として指示することもできなかった。
そもそも彼女を支える人物さえも誰だか分からない状況になり、とうとうその人の腕の中に倒れこんだ。
レクサが次に目覚めたのは夜だった。どうやら、自室に寝かされたらしいが、一人きりではなく、自分を除いている金髪の女性の姿があった。
「あなたは――――」
レクサはそう呟くと、女性は静かに首を振った。
「何も考えないでください」
女性は優しく言うと、静かに外に出て行き、侍女を呼んできた。侍女によって、軽食を運ばれたレクサはそれをほおばりながら、どういう状況になっているのか尋ねた。
「まだ、スフォルツァ公爵様はまだ目を覚まされていないわ」
彼女はそう言った。どうやらそちらは伯爵の方がついているという。すべて食べ終わったレクサは伯爵夫人が止めるのを聞かずに、ユリウスの部屋に向かった。
「大丈夫か」
そこには伯爵夫人が言っていた通り、伯爵がついていた。彼はどうやらレクサの心配をしてくれたらしく、額に手を添えた。
「熱はないみたいだが、あまり無理しないでくれ」
本来ならば公爵夫人の方が立場的に上であるはずだが、彼にはどのように言われようとも気に留めていなかった。レクサが頷くと、伯爵は部屋から出た。
寝ている彼の顔は青白いが、身体は熱を持っていた。顔に傷かつかなくて良かったと思ったが、どういった状況でこの王都内で刺されたのだろうか。それを伯爵に聞くことはできたが、直接ユリウスに聞くべきだろう、と思って聞けなかった。
「ごめんなさい―――――」
レクサの声は宙に消えて行った。それに呼応する声もなく、ただ、レクサはユリウスの隣にい続けた。
二日後―――――
ユリウスの体の熱は正常なまでに引き、顔色もだいぶ落ち着いてきた。レクサは安心しながらも、早くユリウスが目を覚まさないことを心配していた。国王夫妻からもユリウスを心配する手紙が来ていたうえに、伯爵夫妻が再び手伝いに来てくれた。
夜。レクサは何度目になるかわからなかったが、ユリウスの頬を撫でた。すると、今までは全くの無反応だったが、その時は違い、くすぐったそうにした。
「ユリウス――――?」
レクサはかすかに希望を持って問いかけた。すると、ユリウスは瞬かせながらも、最終的にはきちんと目を開いた。
「レクサ――――」
妻の名前を呼び、彼女手をしっかりと握った。
「良かった―――――」
レクサは泣きながら夫の胸に顔を埋めた。
「ああ、レクサも無事でよかった」
力はあまり入っていなかったが、彼はレクサを抱きしめた。彼はレクサの名を呼び、もう一度寝たら、きちんと全てを話す、と言った。レクサはそれを信じることにした。
翌日。ベッドに起き上がれるくらいになったユリウスはレクサに事の次第を話した。
ユリウスの様々な噂はある特定の貴族によって、流されていた。
そして、その貴族と言うのは現国王をあまりよく思っておらず、その妃である王妃の弱点となるスフォルツァ家を追い落とそうとした。
さらに、ユリウスを貶めることにより、スルグランからの印象を悪くしようとしたらしい。
結局、全てに気づいたユリウスは国王夫妻に話し、利用される形で貴族側を油断させ、全てを逮捕に至ったという。
しかし、その時に飛び具を使った人間がいたらしく、躊躇った結果、急所を外したおかげで彼は腹部に傷を負ったという。
「でも、こんな傷を戦場でもないのに負われて―――」
レクサは、ユリウスがその傷と一生付き合っていかないと思うと気が重くなった。自分があの時声をかけなければ、彼は傷を負わずに済んだのだろう、と。しかし、ユリウスは否定した。
「どちらにしても怪我していたと思うよ、レクサ」
彼は再びレクサを抱えた。
「この怪我は君の社交界での立場を守れた勲章としてもらっておくさ」
彼はそう言い、レクサにキスした。レクサはそんなことを言うのは怪我したせいか、別人になったのかと迷い、彼の怪我の部分を触った。
「痛って―――」
触った瞬間に、彼はうずくまった。レクサは慌てて、どうしようかとワタワタしたが、その様子を見たユリウスはニヤリと笑った。
「大丈夫だよ」
そう彼女にだけ聞こえる大きさで、言った。
「もう、騎士団は辞める。これからはずっと一緒にいられるよ」
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ユリウス・スフォルツァはこの年に、王立騎士団をやめ、本格的に公爵領の経営に携わっていくこととなる。そして、その妻であるレクサは、のちに王妃の侍女となり、伯爵夫人の元で働くこととなるが、ある事件をきっかけに王妃のもとを去り、公爵領に戻ったという。その事件がどのようなものであるかは、今日までに伝えられえおらず、推測の域を出ないが、アラン王治世における晩年の領土縮小に関わってくるとされる。
(リゼントベルツ国史”リーゼベルツ国時代編”)
一番書きにくく、最後に回し、挙句には大変お時間をいただきました。
クロード、クリスティアン、マクシミリアンがアリアLOVEな立場であったため、シスコンではないユリウスを書くのは非常に苦労しました。(しかも、すでに奥さんは本編にちらっと出てきているし)
こんな感じで、この話を持ちましてそれぞれのキャラの後日談は終了です。
明日投稿予定の(リリス編を除く)この物語最終話は、今までとは違ったテイストのお話になるはずです。
※最初にお願いとお断りですが、最終話はハッピーエンドではないです。最後までハッピーエンドでいたいよ、と言う方は明日更新のお話はブラウザバックお願いします。





