猫にいたる病(2)
翌日から、私はアメショちゃんの飼い主探しを始めた。
小太郎さんには『何かのついででいい』と言われていたけど、放課後の猫ウォッチングはしばし休んで、その時間を捜索に当てることにした。
あんなに美人なアメショちゃんなら、飼い主さんも懸命に探しているだろうと思ったからだ。
首輪がないから名前がわからず、容姿以外の手がかりゼロという雲を掴むような状況だった。
実際、いつもの私の行動範囲――通学路周辺及び駅前通りにはそういった情報は見つからず、聞き込みをしても、ネットで検索しても手応えはなかった。そもそも近場で見つかるなら小太郎さんだって見つけていることだろう。
だけど捜索を始めて三日目、クラスの男子が思い出したように教えてくれた。
「そういや、こないだ寄ったコンビニに猫探してるってポスター貼ってあったよ」
「本当?」
「うん。里見さんが言ってるアメリカン……何とかって猫だった」
何でも予備校帰りにバスを逃して偶然立ち寄ったコンビニだそうで、場所を聞けばうちの高校からはちょっと距離があった。私はその子にお礼を言うと、放課後になるや否や学校を飛び出してバスに乗り、件のコンビニまで足を運んだ。
そして目当てのポスターを見つけた。
さがしています
アメリカンショートヘアの雌、二歳です
人懐っこくあまり鳴きません
そんな文章の下にはスナップ写真を切り取ったと思しき画像が印刷されていて、写っているのは確かにあのアメショちゃんだった。灰がかった毛色、背中のマーブル模様、ヘーゼルの瞳、そして何より顔立ちがそっくりそのままだ。
ポスターには連絡先も書かれていたから、まずは一報をとすぐに電話をかけてみた。もちろん拾ったのは私じゃないこと、今は駅近くのお店に預かってもらっていることを告げた上で見つけたことを伝えると、飼い主らしいおばあさんはとても喜んでくれた。
『まあまあ、ありがとうございます。あの子が無事だったなんて……』
電話越しにもほっとした様子がわかって、私まで嬉しくなった。
どこのお店で預かってもらってるかについては、迷ったけど言わなかった。外聞がどうの、と小太郎さんが言ってたからだ。
そちらのお宅では夕方以降なら誰かしらご在宅ということだったので、一旦小太郎さんの方にも連絡を取ってみることにした。今日行けたら一緒に届けに行けばいいし、小太郎さんの都合が悪ければ、都合のいい日を飼い主さんに知らせなくてはならない。
駅前まで戻ってきたのは午後五時過ぎだった。
それから電話をすると、小太郎さんは二コール目で出てくれた。
『お電話ありがとうございます、小太郎です』
この間会った時よりも少し高めの、明るい声だった。
「あ、小太郎さん? こないだの里見柚です」
『……何だ、女子高生かよ。何か用か』
でも私が名乗った途端、テンションが急降下したのが手に取るようにわかった。さっきのは何だ、営業用ボイスか。
むっとしたけど、とりあえず用件は伝える。アメショちゃんの飼い主さんが見つかったこと、ポスターの写真も確かめたので間違いないこと、向こうは夕方以降なら毎日家にいるから都合のいい時に届けに来て欲しいと言っていたこと。
「それで、小太郎さんの都合も聞こうと思って。今日って暇?」
『七時から仕事。けどもう店にいるし、あいつもここにいる』
「そうなんだ。じゃあ今からお店行っていい?」
『何言ってんだ、子供が来るような店じゃない』
私の問いに小太郎さんは咎めるような口調で答えた。
「でも、もうお店の前まで来てるんだけど」
駅近くの繁華街で、雑居ビルのエレベーターに乗り込みながら私は告げる。
『来てるって……ええ!?』
「エレベーター乗った。もうじき着くよ」
小太郎さんの勤務先『マッドティパーティ』はここの三階に入っているそうだ。ネットで調べたらすぐにわかった。
『馬鹿かお前、高校生がこんなとこ出入りすんな!』
小太郎さんが声を荒げたのとほぼ同時にエレベーターが止まり、私は三階の通路へ出る。
ビル自体が小さいからか三階には店舗が一つしかなく、エレベーターを降りてすぐのところに看板とドアが見えた。かぼちゃみたいなオレンジ色に紫の字で店名が書かれている。
「着いたみたい、マッドティパーティ」
そう言った途端に通話が打ち切られ、同時にお店の中からどたばたと物音がして、重そうなドアが勢いよく開く。
転がり出るように現れたのは、スーツを着た小太郎さんだった。
「本当に馬鹿か! つか何で来てんだ!」
この間と同じトビ柄ハチワレの顔で、細いひげをぷるぷる震わせている。鼻に皺を寄せていて、アンバーの瞳は瞳孔が開いてまんまるだ。どうやら怒っているらしい。
「アメショちゃんの飼い主見つかったからだよ」
「そうじゃなくて、こんなとこ来てんの知れたら補導だぞ!」
「開店前でしょ? お店は七時半オープンって書いてあったけど」
飲み屋に出入りするのは確かにまずい。でも開店前のお店に来たところでお酒が出てくるわけでなし。
「小太郎さんがどんなふうにお仕事してるか、見てみたかったんだ」
だから、飼い主探しついでにネットで調べた。このお店のサイトはなかったけど、クーポンサイトに名前があって住所も、画像とかも載ってた。ボーイズバーがどんなものかも何となく学んだ。
「お店が開く前からその格好なんだね、小太郎さん」
「何なんだお前の好奇心……お前が猫か!」
私の声が聞こえているのかいないのか、目の前の小太郎さんが広い肩をがっくり落とす。
すると開けっ放しだった店の戸口から、今度は別の顔がひょいと覗いた。
「あれえ、もしかして小太郎くんの彼女?」
そう言ったのは、人間の男の人だった。
顔立ちは人形みたいにきれいで、ワックスでふわふわにしたストロベリーブロンドで、瞳はカラコンなのかサファイアみたいに青い。でも間違いなく日本人だろうとわかる。
何より猫じゃない。小太郎さんとは違っていた。
「違いますよ店長、こいつ高校生なんですよ。ほら制服着てるし」
小太郎さんが鼻を鳴らしても、店長さんだという男の人はにこにこしている。
「知らなかった、小太郎くんJKと付き合ってんだあ。やるじゃん!」
「付き合ってないです!」
店長さんは声を張り上げる小太郎さんをスルーして、戸口からお店の外へやってきた。小太郎さんと同じようなスーツ姿のその人は、私に向かって青い目を細めた。
「はじめまして、店長でーす。いつも小太郎くんをこき使ってまーす」
「里見柚です。はじめまして、店長さん」
「あら可愛い。やっぱ現役女子高生はお肌の質が違うねえ」
店長さんは十分きれいな人なのに、何だかすごく羨ましそうにしている。
「まだ開店前だから僕はほぼノーメイクなんだ、みっともなくてごめんね」
「そんなこと、全然ないですよ」
ノーメイクということは、店長さんもメイクをしたら小太郎さんみたいになるんだろうか。
これだけ精巧な猫の顔、どうやって作るんだろう。
私が店長さんと小太郎さんの顔を見比べていると、小太郎さんはその視線から逃れるように店内へ取って返した。かと思うとすぐに戻ってきて、提げていたキャリーバッグを私に差し出す。
側面がメッシュになったキャリーの中では、あのアメショちゃんがおとなしく座っていた。
「飼い主に届けんだろ。ほら、持ってけ」
「小太郎さんは行かないの?」
私はキャリーを受け取りながら聞き返す。
飼い主さんはアメショちゃんを拾い、預かってくれていた人にとても感謝していて、是非お礼がしたいと言っていた。小太郎さんが届けに行ってあげたらさぞかし歓迎されるだろうし、感謝だってされるだろう。
「俺は仕事があんだよ」
小太郎さんはそう言ったけど、店長さんがにこにこして口を挟んだ。
「それなら気にしないで、タイムカード押しといたげるから」
「店長!? いや俺、別に行きたいとか言ってないんすけど」
「こんな可愛い子に夜道一人で歩けって、それは男としてクズじゃないの?」
店長さんに肘でつっつかれ、小太郎さんは耳を伏せながらキャリーを持ち直した。
「……行ってきます」
「はーい、行ってらっしゃい。柚ちゃんまたね!」
そして陽気な店長さんに見送られながら、私と小太郎さんはビルを後にした。
飼い主さんのおうちへ向かうのに、小太郎さんはそのままの姿でバスに乗り込んだ。
車内の視線を振り切るように最後部まで歩き、黙って座席に座る。
私もついていって、小太郎さんのすぐ隣に腰を下ろした。
アメショちゃんは小太郎さんの膝の上、キャリーの中にいる。
「よかったね、おうちに帰れるよ」
私はアメショちゃんに声をかけた。
バスに乗り慣れていないのか、彼女は落ち着かない様子できょろきょろしている。それでも鳴いたりしないのがおりこうさんだ。
小太郎さんはと言えば尻尾を左右にぱたぱた揺らしている。機嫌がよくないようだった。
「ね、聞いてもいい?」
バスに揺られる私が話を振ると、小太郎さんは警戒するようにひげを広げた。
「好きにしろよ。答えるとは限んないけどな」
「尻尾ってどうやって動かしてるの?」
お許しを貰ったので早速質問してみる。
小太郎さんは宣言通り、何も答えなかった。
「店長さんもお化粧したら、小太郎さんみたいになる?」
めげずに質問を続けたけど、やっぱり返事はない。
バスの車内は冷房が効いていて、小太郎さんのひげがその風に乗ってそよそよと揺れている。他のお客さんはさっきから、時々こちらを振り返っては小太郎さんを見ている。
「顎の下、もふもふしてみてもいい?」
「駄目に決まってんだろ」
今度は即答された。絶対答えないってわけじゃないらしい。
私はちょっと面白くなって、更に尋ねた。
「小太郎さんって歳いくつ?」
「お前よりは確実に年上。だから敬語使え」
「今更だよ。具体的には何歳なの?」
「いくつに見える?」
逆に聞き返されて、私は答えに詰まった。
見た目からじゃわからない。子猫ではないと思う、成人してないとああいうお店じゃ働けないはずだ。でも何歳か当てるのは難しかった。
「わかんないだろ」
小太郎さんは得意そうに、ひげをぴんと持ち上げた。
「わかんない。答えは?」
「秘密」
「あ、ずるい!」
「ずるくない。答えるとは限んないっつったろ」
こうして話している分には普通の男の人だ。顔は猫だけど。
バスが少し揺れ、小太郎さんと肩がぶつかった。小太郎さんはキャリーを落とさないよう、両手でしっかりと掴んだ。毛で覆われた真っ白な手。
「小太郎さんってハチワレ猫でしょ?」
「そうらしいな」
その答えは、どこか他人事みたいな響きだった。
「手足も白いよね」
「ああ」
「じゃあお腹も真っ白?」
すると小太郎さんは尻尾を縦に揺らした。そうすると尻尾が座席の背もたれに当たって、ぽふぽふと静かな音を立てた。
それから、まるでからかうような口調で言った。
「見せてやろうか?」
「いいの? 見たい!」
「おいおい……怖いもの知らずだな、女子高生」
自分から見せると言ったのに、今度は呆れたように首を竦める。
本当にからかわれただけなのかな、と思ったところで目的のバス停に着いた。
座席を立ち、通路を抜けてバスを降りるまでの間、他のお客さんも運転手さんも小太郎さんを無遠慮に凝視していた。小太郎さんはその視線を無視するみたいに、とっととバスを降りてしまった。
外はもう日が暮れていた。
「もうちょっとで着くよ。あとはこの道を真っ直ぐ行くだけみたい」
事前に聞いていた住所を元に、地図アプリで経路を確認しながら歩く。
そして目的地の一軒家が道の先に見えてきたところで、
「あっ、あの家じゃないかな」
私が声を上げた直後、小太郎さんが足を止めた。
「ここまで来れば大丈夫だな」
そう言うなり、ずっと提げてきたアメショちゃんのキャリーバッグを私に差し出す。
「あとはお前が一人で行ってくれ。俺、その辺で待ってるから」
「……何で?」
いきなりの提案に私は戸惑った。
せっかくここまで一緒に来たのに、小太郎さんが行かなくてどうするんだろう。飼い主さんだってただの橋渡し役に過ぎない私より、預かっていてくれた小太郎さんにこそお礼を言いたいはずだ。
でも小太郎さんは自分の、猫そっくりの顔を指差して言う。
「この顔じゃ行けないだろ。ふざけた野郎だって思われるだけだ」
ふざけているなんて私は思わないけど、他の人がどう思うかはわからない。
現にバスに乗り合わせた人達は、小太郎さんのことをすごく見ていた。
「だったら――」
反論しかけて、私はふと思い留まった。
だったら、どうしろっていうんだろう。
覆面を脱ぐ? メイクを落とす? どちらも違う気がしてならなかった。
まだ真相に行き着いたわけじゃない。だけど小太郎さんに関して、最初に会った時からずっと感じていたことがあった。
この人の仕種は、猫にそっくりだ。
見た目だけじゃない。耳や瞳孔、ひげ、尻尾に至るまで――猫好きの私が、彼の今の気分を察することができるくらいにそっくりだった。
「脱げないんだよね、きっと」
確認のつもりで告げた私に、小太郎さんは静かに頷く。
「そういうことだ。頼む」
「うん……」
私はキャリーバッグを受け取った。
アメショちゃんは、小太郎さんとの別れを惜しむみたいにバッグの中をかりかりしている。
「じゃあな。もう迷子になるんじゃないぞ」
小太郎さんも屈んで顔を近づけると、優しく声をかけていた。
それから背筋を伸ばして、私に向かってもう一度、
「頼む」
と言った。
私はキャリーバッグを提げ、飼い主さんのお宅を一人で訪ねた。
飼い主さんは私が一人きりで来たことに怪訝そうだったけど、拾ってくれた人が来られなかったこと、言付けがあれば間違いなく伝えることを告げたら安心していたようだった。
キャリーから出されたアメショちゃんは、きっと懐かしい家の匂いに気づいたんだろう。逃げることも戸惑うこともなく、飼い主であるおばあさんの腕の中に納まった。
「前より毛艶がいいんじゃない? きっと優しい人に面倒見てもらったのね」
飼い主さんのその言葉に、私はもちろん頷いた。
「優しい人です、とっても」
「じゃあその人と、連れてきてくれたあなたにお礼をさせてちょうだい」
そう言って、飼い主さんは私に菓子折りを二つ持たせてくれた。私もお礼を言って、それから飼い主さん宅を後にする。
外へ出ると、道の向こうの電信柱の陰に小太郎さんが立っていた。
街灯が点る夜道に、小太郎さんの影が伸びている。人の形によく似ているけど、頭の上についている二つの耳、それにゆらゆら揺れてる尻尾が人とは違う。
小太郎さんが私に気づいて、毛むくじゃらの手を挙げた。
「済んだか、意外と早かったな」
「うん」
私は菓子折り入りの紙袋を二つ抱えて、小太郎さんに駆け寄った。
「何か貰ってきたのか」
「お菓子の詰め合わせだって。二つあるから、片方は小太郎さんのね」
「俺はいい。お前、両方持って帰れよ」
「駄目だよ、私は何にもしてないもん」
「そんなことないだろ。ちゃんと働いたよ、お前は」
小太郎さんはそう言いながら、私の手から紙袋を二つとも受け取った。
「とりあえず持ってやる。忘れず持って帰れよ」
「……ありがとう」
私がお礼を言うと、小太郎さんは猫の顔で笑った。
「お前ん家どこだ? 遅くなったし、送ってってやるよ」
「私、電車で通ってるの。だからバス乗って駅まで戻りたいかな」
「じゃ、駅までな」
バス停までの道を、私達は並んで歩き出す。
歩きながら、小太郎さんに聞きたいことがあった。
それを小太郎さんが答えてくれるとは限らない。でもここまで来た以上、聞かずにいるのも不自然なはずだった。