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マリエ


 二人は顔を見合わせてからサチを目で追う。

 夕べは泣き明かしたのか、まぶたは真っ赤に腫れあがり、足取りはおぼつかない。

 誰とも言葉を交わすことなく席に着くと、机の一点を惚けたように眺めている。


 事情を知る周りはサチを遠巻きにした。

 もとより、空気が読めず突然脈絡のない話を始めるサチは、級友達から疎まれていた。真剣な話の間に平気で冗談を言ったり、相手が触れて欲しくないことに笑顔で切り込んだり。

 故意じゃない分タチが悪い。


 マリエ達に使いっぱしりとしてこき使われているのは誰しも知っていて、可哀想だとは思うが、下手に助けて懐かれても鬱陶しい。

 そんなサチが今『恋人が急逝した哀れなマリエの友達』という微妙な立場にあるのだから、なおのこと誰も触れようとしないのだ。


「サチ、てっきりマリエに付き添ってンのかと思ったのに」


 綸の言葉に英理も頷く。


 彼が救急車で運ばれたと聞き、飛び出していったマリエとレナ。ついていこうとして手酷く断られてしまったサチだったが、一時限目のあとこっそり早退していった。

 マリエ達の後を追ったことは間違いないが、ひとりこうしてやってきたサチを見るに、その後のことは容易に想像できる。

 ひな子に対しての怒りは収まらないが、サチの消え入りそうな背中から目が離せない。

 声をかけようかとも思うが、英理はサチに対して思うところがあった。


 この前、美也にオカタサマとやらを移そうとしたことだ。

 美也も英理もそんな与太話を信じていないし、信じていないのだから移されたところでどうということもない。

 けれど英理が引っかかっているのはそこではない。サチが信じているのかどうかだ。


 もしもサチがひな子ほどではないにしろ、ほんの少しでもオカタサマの呪いを信じているのなら。

 美也がまた他の誰かに移さなければ死んでしまうのだとほんの少しでも思っていて、その上で詳細も呪いの解き方も教えずに美也に移したのだとしたら。


 おおかたマリエかレナの差し金だとは思うが、とても許せる気にはなれなかった。

 綸も動く気配がない。英理と同じ思いでいるのかもしれない。

 とはいえ、目下サチはひとりきり、泣きはらした目でぽつんと座っている。自業自得と言ってしまえばそれまでだが、その姿はあまりにも痛々しい。


 ──こんな時、美也ならどうするだろう。


 英理はふとそんなことを考えた。

 美也のことだから、自分を陥れようとした(例えそれが不幸の手紙並みのくだらない迷信であっても)サチに、手を差し伸べてしまうのだろう。

 透明感のある美貌に穏やかな笑みをたたえて、落ち着いた声音で語りかけながら。


「あ」


 綸の声で美しい空想から醒めると、サチの横に誰かが立っている。サチも気付いてのろのろと顔を上げた。


「あ……安城さん」


 美也だった。

 美也はまだ血色の悪い顔を精一杯綻ばせ、


「おはよう、サチ」


 屈んで目の高さを合わせ話しかける。

 そこから、今まさに英理が思い描いた絵空事のように綺麗な光景が、現実となって展開していく。


「夕べはあまり眠れなかったみたいね……大丈夫?」


 サチは自分が美也にしたことを覚えていたのか、もしくは美也が自分に注いでくれる優しさで目が覚めたのか、バツが悪そうに下を向く。


「それでも今朝は遅刻しなかったのね、やるじゃない」


 元気づけるためワザとからかう美也に、サチはつられて笑顔を見せる。


「いつもは、マリエとレナの支度が終わるのを待ってるから」


 口にしてから、自分の言葉にハッとなってまた俯くサチ。その肩を白い手がそっと撫でる。


「……サチも昨日は大変だったでしょ。無理、しないでね」


 今朝の雨のように優しく、ふんわりと耳に届いたその言葉は、サチの胸深くへ染み渡る。

 つぶらな目に涙をいっぱいに溜めて、サチは美也の胸に縋りついた。


「ごめんね、安城さん……ごめんなぁさい、アタシ……!」


 美也は拒絶することなく受け止めて、サチの髪をゆっくりと撫でる。


「なんのこと? 忘れちゃった。今はなんにも気にしなくていいのよ」


「ごめんね、ごめんねぇ……」


 その光景を、級友達は相変わらず遠巻きにして眺めている。

 英理は綸と頷きあうと、二人の元に歩み寄った。


「なァによあんた達、朝っぱらから暑苦しいっつーの!」


 綸の明るい声をきっかけに、四人での雑談が始まる。当たり障りのない話題だけを口に乗せ、大袈裟な笑顔を貼りつけて。

 そうしているうちに、四人の声も周囲の喧騒の一部となっていく。


「やべ、今日何日? ……サイアク、ハゲ宮出席番号で当てるんだよねー」


「数学の小テスト、範囲どこまで?」


「…………、…………」


「一組の奴らは今夜全員で行くんだって」


「…………ます、」


「あ、お前も行く?」


「朝練ないと調子狂うわぁ」


 さんざめく生徒達の頭上で本鈴が鳴り渡る。


「じゃあ、席に戻るわね」


 サチの席を囲んでいた三人がその場を離れようとした時、ざわり空気が張り詰めた。

 顔をあげ、息を飲む級友達の視線の先を追ったところで、四人は凍りついた。


 マリエとレナが、ドアのところに立っていた。


 マリエが登校してきたこと自体驚きだが、なにより全員を驚愕させたのはマリエの姿だった。


 恐らく昨日出て行った時のままなのだろう。

 ファンデーションは乾いた泥のようにひび割れて固まり、その隙間からのぞく肌は土塊色。

 グロスは跡形もなく、マスカラは眼の下で隈となり、巻き髪は千々(ちぢ)にほつれて、波になぶられた海草のよう。

 そしてなにより強烈なのは、こそげ落としたようにげっそりと痩けた頬。

 童顔で可愛らしいマリエの面影はどこにもない。一晩のうちにマリエだけが十数年の時を経てしまった。そう思えてならないほど、すっかり変わり果てていた。

 おまけに傘もささずに来たのか、セーラー服はぐっしょりと濡れそぼり、淡いグリーンの下着がくっきりと透けてしまっている。けれどそれを気にかける様子は微塵もなかった。


 落ち窪んだ眼窩(がんか)の中で、血走った目玉が炯々として宙を見据えている。


 異様な様相に静まり返る教室。

 ややあってマリエと仲のいい男子が話しかけた。


「よ、よぉ……大丈夫かマリエ? 今日は無理しねぇで休んだ方が良かっ」


「サチは、どこ?」


 その言葉を遮って、マリエはしゃがれた喉から絞り出すように呟く。

 それまで固まっていたサチは弾かれたように立ち上がり、


「ま、マリエ……ちゃん。あ、あの、昨日はずっと心配してたんだよ? 電話出てくれないし、LINEはブロックされちゃうしで、アタシ、どうしていいかわか」


「サチ、サチぃ……アンタ、まだ、ついてんの?」


 サチの言葉も遮って、マリエはあらぬ方向を見つめたまま尋ねる。


「え、なに……?」


「だぁからぁ、あのクソ女憑いてンのかって訊いてんの」


「あ、お、オカタサマのこと? うん、それならあのまま誰にも移してないけど……」


「そう」


 そこでやっと、マリエはサチを見た。

 正確には、サチの右肩あたりを、見た。

 マリエの細い身体がふらり左右に揺らいだかと思うと、ひとっ飛びにサチに掴みかかる。

 勢いで周囲のイスや机が派手な音を立てて転がる。

 マリエは仰向けに倒れたサチに馬乗りになると、躊躇うことなくその首に手をかけた。


「マ……、ちゃん?」


「アンタにアンタにアンタにぃ! アンタに憑いてンだなぁサチぃ! ケンゴ殺したクソ女ぁあアンタに憑いてンだなあぁ!」


 口の端から泡を吹き散らしながら、マリエは指の先に力を込める。


「アンタが消えればクソ女も消えるケンゴ殺したクソ女も消えるっ! 今度ぉはアタシが殺してやンだ、ケンゴのか仇ぃケンゴのケンゴののおぉ……!」


 乱れた髪を振り乱し、呪詛の(ことば)を吼えるその様はまるで──


「……鬼かよ」


 誰かが呻いたその一言で、英理は正気を取り戻す。

 急いでマリエの背に回り込み、引き剥がそう試みる。けれど、華奢な身体のどこにこんな力があるのかと思うほど、マリエは少しも動じない。

 一瞬遅れて、美也と綸も我に返る。


「やめてマリエ、サチを離して! サチはなにもしてないじゃない!」


「おらァ男子ども! ボサッとしてんな、英理に加勢すんだよッ!」


 異常事態にさらされたとき、現実に立ち返るのは女子の方が早い。

 綸の怒号に、ようやく今すべきことを思い出した男子達は、マリエの手を腕を掴み押さえ込む。

 数人がかりでなんとかサチから離すと、マリエは自らを拘束する腕をがむしゃらに引っ掻き回す。


「離せ離せはなせはなぁせぇ! ヤるんだアタシが、ケンゴの仇討ってなにが悪い離せさわンなはなせおまえらもみィんなしんじまえぇぇ!」


 今まで教室の入り口で棒立ちになっていたレナが、マリエに駆け寄り取りすがった。見開いた目からぼろぼろと涙を落とし、錯乱するマリエの裾を握りしめる。


「もうやめなよ、マリエぇ……ねぇ帰ろう? アンタおかしいよぉ」


「はなせはなせはなせ」


「帰ろうよぉ、マリエぇ……怖いよ、今のアンタ、ウチ怖いよ。帰ろうマリエぇ」


「はなせはなせはなせ」


「……マリエぇ……」


 するとようやく騒ぎを聞きつけた教員達がやってきた。


「なにしてるお前達!」




 教員達は、暴れるマリエをどこかへ連れて行った。レナは静かに泣きながら、その後に従った。

 首を真っ赤にしたサチは保健室に連れて行かれようとしたが、マリエと同じ所へ連れて行かれると思ったのか、美也の腕にしがみつき頑なに離れようとしなかった。


「アタシ、そんなに悪いことしたの……? マリエちゃん、どうしちゃったの? オカタサマなんていないよね、いないよね? そうだよね安城さん……」


 怯えきったサチの肩を抱き、美也は何度も何度も繰り返す。


「大丈夫、大丈夫よ。そんなものいないわ、大丈夫」


 それを横目に倒れた机を直していると、いつの間にかひな子が後ろに立っていた。

 英理はすかさずその横っ面を張り倒してやりたい衝動に駆られたが、気付かぬフリを決め込んだ。

 それでも構わずひな子は英理に顔を寄せ囁く。


「……ね? わたしの言った通りだったでしょう? マリエ、ちっとも悲しそうじゃなかったわね」


 反吐がでる。

 英理は無視を貫いた。

 あんなに哀しい姿が他にあるものか。

 心の内でそう叫びながら。



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