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 英理は思わずひな子の顔を凝視した。

 それを熱視線ととってか、ひな子は気をよくして胸をそびやかす。


「オカタサマ、知ってるでしょ? 彼が死んだのはオカタサマの話を読んだ丸三日後。皆噂してるわ、彼はオカタサマに呪い殺されたんだって」


 生温かい吐息、しゃべるたび唇の内で(うごめ)く濡れた舌、腕に押しつけられた柔らかい胸。

 その全てが不快で、英理はひな子の身体を押し返す。


「まさか。そんなことがあるわけない」


「信じないの? 自分の目に映るものだけしか信じないのは狭量だわ。現に彼は死んだじゃない」


「偶然だよ」


「脳震盪って言われてたのに、容態が急変して死んだのが偶然? それもあの話を読んでちょうど三日経った時刻に死ぬのが偶然?」


「そうだよ、呪いなんてあるわけない」


 ひな子は憐れみに満ちた目で英理を見上げる。


「そう、そう思うの。ならそれでもいいわ。でも、マリエ達の話を聞いてオカタサマの話を読んじゃった子が何人もいてね、ホントに彼が死んじゃったものだから皆誰かに移そうと必死になってる。

 信じないなら、それでもいいけど。

 もしも英理君がオカタサマに憑かれてどうしようもなくなったら、わたしが助けてあげるからね。わたしの家が神社なの、知ってるでしょ?」


 鳥肌が立った。

 オカタサマの話ではなく、呪いというものを心底信じ、さも常識のように語ってくるひな子が得体の知れないものに感じた。


『じゃ、その時はお願いするよ』


 冗談めかしてでもそんな風に言ってやれば、ひな子は自尊心を満足させ離れていくだろう。けれどどうしても、彼女に頼るという意味合いの言葉を口にできない。

 すると美也がとうとうため息をつき手を止めた。


「ひな子。不謹慎よ」


 ひな子は、あらまだ居たのというように美也を見る。


「不謹慎? 単なる事実よ、皆言ってるわ」


「さっきからひな子の言う『皆』って誰?」


「おかしなこと訊くわね、皆は皆よ。クラスの皆。あぁ、安城サンはLINEのクラスのグループに入ってないから知らないのね」


 またひな子は憐れむ目をする。暗に美也がグループから弾かれているのだと言いたげだった。

 確かに、正義感が強く、そのためどうしても口うるさくなってしまいがちな美也を煙たがる級友もいる。けれど単に美也がLINEを利用していないだけだ。


「その噂をご家族やマリエが聞いたらどう思うと思ってるの?」


「諦めがつくんじゃないかしら」


「諦め?」


 激昂しそうになる自分を辛うじて押さえ込む美也に対して、ひな子は噛んで含めるように言う。 


「不幸で不運な偶然の事故よりも、怒りの鉾先を向ける対象がいてくれたほうが悲しみは薄まる、哀しいけど人間ってそういうものでしょ。そうは思わない?」


「いい加減にして! 自分の正当性を主張したいばっかりに、傷ついてる人を貶めるなんて!」


「貶めてなんてないわ、人間としてそう思ったっておかしくないって話」


「おかしいのはひな子、あなたよ」


「わたしに言わせればおかしいのは安城サンよ。その問題集、W高のでしょ? 英理君()スポーツ特待生として呼ばれてるんですってね、さすがよねぇ」


「……それが、なに?」


「ヘンよねぇ? 得意のバレーで特待生になれなかったあなたが、よ? W高は私立、しかもこの辺じゃ一番学費がかかることで有名なのに、どうしてナマポボッシーのあなたがW高の問題集なんて持ってるのかしら」


 美也の頬にサッと赤みが差す。

 その瞬間、英理は大きな手のひらで机を叩いた。バンと乾いた音がして、二人はびくっと肩を揺らす。

 最後にひな子が言った意味は分からなかったが、それでも英理の怒りを爆発させるには充分すぎる内容だった。

 ひな子の目を真っ直ぐ睨む。


「……ひな子、口がすぎるよ。もう行って」


 美也に謝って、と言わないのは、言ったところで謝るような子ではないと思ったからだ。

 お目当ての英理に叱られたひな子は、面白くなさそうに立ち上がる。


「そんなこと言うなら、チョコ作ってきてあげないから」


 あんたの手作りチョコにどれだけの価値があると?

 激しくつっこみたい衝動にかられたが、藪蛇だろう。英理は黙ってひな子が視界から消えるのを待った。


 気付けば、教室の中には登校してきた級友達が何人もいて、距離をとり英理達を見ていた。額を寄せ合い、ひそひそと囁き交わす。その表情から、英理達にとっていい内容でないことが窺える。

 英理が一睨みするとぴたり口を噤む。けれど視線を外した瞬間、また細波のようにざわざわと(さえず)りだすのだった。

 口さがない連中を威圧していても仕方がない。英理は美也に向き直る。


「ごめん美也、もっと早く止めればよかった」


 美也は目を合わせようとはせず、小さく(かぶり)を振る。


「ううん、ありがとう……ごめんね、ちょっとお手洗いに行ってくる」


「ひとりで平気?」


 気遣う英理を振りきって、美也は足早に廊下へ出て行く。

 ひとり視線のただなかに取り残された英理だったが、すぐに綸がやってきた。


「はよーっす! ん、なになに、なんかあった?」


 そもそも英理がひな子に対して遠慮する部分があったのは、ひとえに綸の友達だからだ。なのになにも知らずに呑気な綸が少し恨めしくなって、英理はぽつりと愚痴をこぼす。


「なんであんた、あの子と仲いいかね」


「んあ? 誰のことよ」


 友達にその友達のことを告げ口するようで迷ったが、あとでひな子の口から聞かされるよりはと、英理は事の顛末をかいつまんで話した。

 綸はあちゃあ、と額に手を当てる。


「ったたた……ったくあいつ、なんか色々こじらせちゃってんなァ。保育園の時からの腐れ縁でさ、ちょっと変わってるけど悪いヤツじゃなかったんだよ。

 今はなんつーか、中二病こじらせてるっつーか、恋に恋しすぎて頭ン中ラフレシアとか咲いてそうなお花畑になっちゃってるっつーか」


「ラフレシア……」


「で、美也は今どこにいんの?」


「トイレ」


「なんであんた、ついてかないの!」


「断られたんだよ」


「はぁー。美也、芯は強いけど繊細なトコあるからなァ……今頃トイレでぶっ倒れてなきゃいっけど」


 綸は廊下の奥を見やり頭を掻いた。そしてそのまま階段のある方へ首を巡らせる。


「……今日はマリエ、来ないだろうね」


 彼氏が亡くなって昨日の今日だ。恋人のいない二人でも、その悲しみは想像に難くない。

 案外信心深い綸がその場でそっと手を合わせたので、英理もそれにならった。綸が目を開けるのを待って、気になっていたことを尋ねてみる。


「ナマポボッシーって、どういう意味か知ってる?」


 綸は目尻が切れそうなほど大きく目をみはって、


「まさかソレ、ひな子が美也に?」


 英理が頷くとチッと舌打ちした。


「ちょっとどころじゃなく、マジ腐ってんなあいつ。あんたが意味知らなくてよかったわ、知ってたらひな子殴ってるトコだった」


 そう吐き捨てた横顔は、少しだけ哀しげに見えた。


「で、どういう意味?」


「知らなくていいよ」


「気になる」


「しょーもない悪口だよ」


「それはわかる」


 言いなよと何度もせっつくと、綸は言いにくそうに口ごもる。


「……その、だから……ナマポは生活保護、ボッシーは母子家庭、ってこと」


 再び怒りが沸点に達する。


「やっぱ殴ってくる」


「ちょっ、やめなって! ここで問題起こしゃ県大会出場停止になるって!」


「平手でひっぱたくくらいなら喧嘩で済む」


「やめやめマジでやめっ! 美也のおばさんが総合病院で婦長さんしてんのは誰だって知ってンよ、生活保護じゃないこともっ。それにあいつは今、殴るだけムダだって!」


 ドアに突進しようとする英理と、押し止めようとする綸とで揉み合っていると、サチがふらりと入ってきた。


 ひとりだった。




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