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事故


七月二一日



 バレー部の朝練を終え、制服に着替えた英理と綸は、例によって片付けに参加中の美也を待っていた。

 前に二人も美也にならって片付けようとしたことがあったが、一年生達に涙目で断られた。先輩に手伝わせるということは、後輩にとってやはり相当なプレッシャーであるらしい。


 コートから少し離れた銀杏の木陰に身を寄せ、風に吹かれていると、いくらか涼を得ることができる。


「そっかァ、美也もW高目指すんだ」


 綸は英理から昨日の話を聞き、「美也ならイケるね」と腕組みして頷く。

 胸の下で腕を組まれると、発育のいい綸の胸がこれでもかと強調され、同じ女子である英理でも目のやり場に困ってしまう。

 そうとは気付かない綸は口を尖らす。


「でもやっぱ寂しいや、二人と離れンの」


「綸はA商に行きたいんだよね」


 A商業高校はスポーツに力を入れていて、そこのバレー部もまた強い。


「行くよ」


 綸は間をあけずきっぱり答える。


「従姉があそこのチームにいるんだよ、前から一緒のチームでやりたいねっつってたんだよねェ。あんた達とはライバルになっちゃうけど、これもまた宿命ってヤツじゃん? なんか燃えないっ?」


「宿命って、また大袈裟な」


 興奮してふんふん鼻を鳴らす綸を、英理はまぁまぁと押しとどめる。

 すると、グラウンドを挟んだ向こうにある体育館の扉が開き、わらわらと人が溢れ出してきた。朝練を終えたバスケ部か卓球部だろうか。

 それにしてもやけに騒がしい。

 綸もそれに気付き、うーんと目を細める。


「うっさいなぁ、あれ男バスだよね? 男バスってなんであぁうっさい連中が集まってんだろ?」


「ん……でもなんか、様子が変だな」


 開かれたのは体育館の横にある幅の広い扉で、普段の出入りで使うことはない。

 すると遠くから救急車のサイレンが聞こえてきた。みるみる近づいてきたかと思うと、救急車は体育館脇の裏門をくぐり、開いた扉の前で停まった。


「うっそォ救急車! 救急車来たよ英理!」


「見えてる見えてる。怪我人でもでたのかな」


「朝からこの暑さだからなァ、熱中症もありえるよね。ひゃー、なんにせよカワイソー」


 可哀想とは言いながらも、綸は爪先立ちになって興味津々といった様子だ。嵐が来るとテンションがあがる、そういうタイプだった。

 けれど綸がいくら足掻いても、扉にぴたりと横付けされた白い車体に阻まれなにも見えない。

 しばらくすると、救急車がまたサイレンを鳴らし走り出す。裏門を抜けるとあっという間に見えなくなった。


「ねぇ、今さっき救急車来なかった?」


 美也がやってきた。二人は交互に口を開く。


「来た」


「多分男バスの誰かだよ運ばれたの!」


「そう、大きな怪我とかじゃなきゃいいけど」


 美也は心配そうに救急車が去った方角を見つめる。

 予鈴が鳴り、三人は大急ぎで校舎へ駆け込んだ。



 教室の中は、やはり先程の救急車の話で持ちきりだった。

 一体誰が運ばれたのか、怪我なのか病気なのか、あるいは、気性の荒い生徒が集まる男子バスケ部だから喧嘩でもあったんじゃないか……そんな憶測があちらこちらで飛び交っている。

 野次馬娘・綸は、情報を求め単身隣のクラスへ乗り込んで行ってしまった。残された二人は窓にもたれ、級友達の会話に耳をそばだてる。


「オレんトコの後輩が、担架に乗せられた男子見たってよ……やっぱバスケ部員らしい」


「卓球部の子が、救急車がくる前にドンって鈍い音聞いたんだって!」


「…………、……」


「なんだよ、じゃあ喧嘩か?」


「男バスだもんなぁ、ハデに後輩『可愛がっちゃった』んじゃねーの?」


「ありうるー」


「……、……さい」


「いやいや、さすがにソレはナイっしょ」


 綸ほどの興味はないにしろ、校内で起きたことが余所事とは思えない。

 とはいえ怪我人か急病人がでたというのに、面白半分でゲスな勘ぐりまでしだす会話にまざる気にはなれず、ただ聞き耳を立てるにとどまった。


 それでもなんら核心に迫る情報がないと知れると、美也は物憂げにため息をつく。


「練習中の事故なら、他人事じゃないわよね。うちも気をつけないと」


「……そうだね」


 相槌を打ちながら、英理は鼓膜を揺らすざわめきの中に、どこか違和感を感じていた。けれどそれがなにかわからず、美也に気取られないよう小さく息を吐く。


 すると、手ぶらのマリエとレナが教室に入ってきた。

 担任はまだ来ていないものの、本鈴はとっくに鳴っている。少し遅れて、カバンを三つ抱えたサチもやってきた。


「なによ、なんかあったん?」


 いつもと違うクラスの空気に、金髪のレナは手近な男子に声をかける。


「おぉ、今日も重役出勤じゃん。さっき学校に救急車来たんだぜ」


「へー」


 レナとマリエは生返事を返すと、サチの手から自分のカバンを乱暴にひったくった。当然礼の言葉はない。それでもサチはへらへらと笑みを浮かべている。


「あの二人、またやってる……!」


 見咎めた美也が二人のほうへ歩き出そうとしたとき、綸が物凄い形相で教室に駆け込んできた。勢いあまって、ドアのそばにいたマリエにぶつかる。


「いったぁ……気ぃつけろよ、この脳筋オンナ!」


 男好きのする童顔と、ゆるく巻いた栗毛の可愛らしい外見に反し、マリエは口汚く罵って綸を突き飛ばす。

 脳筋と揶揄されるほどバレー部で鍛えている綸だから、小柄なマリエに突き飛ばされたところで少しも揺らがなかった。それどころか鬼気迫る顔でマリエの肩を掴む。


「マリエ! 今朝体育館に救急車が来たの知ってる?」


「はぁ? それなら今聞いたけど……」


 その迫力に気圧され頷くマリエに、綸は一息に叫ぶ。


「その救急車で運ばれたの、あんたの彼氏だよ! 練習中に転んで頭打って、意識なくなったんだって!」


 マリエは五秒ほど黙りこくったかと思うと、


「……は……そんなまさか、ウソぉ!」


「ウソなもんか、女バスの子に聞いたから確かだよ!」


 小さな顔がみるみる色を失っていく。マリエはカバンをひっつかみドアへ向かう。


「マリエ、どこに行くの?」


 美也が呼び止めると、マリエは燃えるような目で振り返る。


「帰ンだよ! ケンゴの兄ちゃんに連絡して、運ばれた病院教えてもらう。ケンゴのトコ行く!」


「やめなさいよ、気持ちはわかるけど……マリエが行ってどうなるものでもないでしょ? 今はご家族だってバタバタしてるだろうし、かえってご迷惑になるわ」


 冷静に諭す美也に対して、マリエは明らかな侮蔑の色を示す。


「はぁ? ソレ本気で言ってんの? 彼氏が倒れたって聞かされたのに、進みもしねぇ授業受けろって? バカなの死ぬの? 薄情な優等生サマは黙ってな!」


「な……」


 啖呵を切ると、マリエは教室を飛び出していく。レナもすかさず駆け出し、


「マリエ、ウチも一緒に行くよ!」


「え、え? 待って~、アタシも……」


 サチも続こうとするが、


「お前はついてくんな!」


 マリエの怒声にびくっと肩を震わせ立ちすくむ。

 そこへ、ようやく担任の二宮がやってきた。すでに廊下の彼方へ走り去っているマリエとレナを見つけ、


「おーい、お前達どこへ行く! 戻れ戻れ、ホームルーム始めるぞ!」


「うっせーハゲ宮!」


 二人は意に介さず階段を下りていってしまった。

 二宮は「しょうがねぇな」と舌打ちして、後退止まぬ広いデコをさすると、生徒達を宥めすかす。


「ほら、座れ座れー! 皆もう知ってるようだが、今朝男バスの練習中に怪我人がでた。よって職員会議で、急遽夏休みまで全部活動朝練自粛と決まった」


 誰かが手を挙げる。


「センセー、運ばれた子の具合は?」


「現場に駆けつけた救急隊員の話では、軽い脳震盪だろうということだ。じきに目を覚ますだろう」


 その言葉に安堵の空気が広がる。


「夏休み前のこの時期はどうしてもたるみがちになるからな。お前達、最上級生としてしっかり気を引き締めるんだぞー」


「はーい」


 それから点呼が済むやいなや、一時限目の始まりを告げるチャイムが鳴り、二宮は慌ただしく出て行った。

 英理は斜め後ろの席の美也を振り返る。美也は俯き、机の上で組んだ指を見つめていた。


「美也……マリエが言ったこと、気にしないほうがいい」


「うん」


「彼氏が怪我して、気が立ってたんだ」


「……そうね」


 それでも美也はただ自らの指を見つめ続ける。予想以上にショックを受けているらしい美也に対して、英理はそれ以上かける言葉が見つからなかった。

 あいつムカつくよね、テンパりすぎだし、なんて、他者を安易に中傷してまで共感を示すことを、英理はよしとしない。美也も同じだ。

 代わりに、美也を肯定するようにその背に手を置く。ようやく美也は顔を上げ、


「ありがとう」


 桜色の唇にうっすらと笑みを浮かべた。


 事故の内容がわかり、当人の怪我もたいしたことがないと知れると、それ以上あれこれ想像する余地がなくなった生徒達はあっさりとその話題を切り捨てる。


「ヤベー、英語の宿題やった?」


「朝練自粛ってマジかよ! オレら夏休み入ってすぐ試合あんのに!」


「上島、今ツイてんだって」


「昨日送った動画観た?」


「その動画より元ネタの掲示板のが面白いよ」


「あちぃなぁ」


 さっきまで一つだった話題がバラけ、喧騒はまとまりのないものに変わる。そのベースラインとして常に油蝉の声が響き、不快感を掻き立てた。

 英理は変わり身の早い級友達についていけず、美也の背を撫でながら窓の外に視線を放った。


 絵の具を塗ったくったような一面の青い空。一匹の銀ヤンマが、その青を切り裂くように滑空していく。

 二宮の忠告空しく、また今日も緊張感のない一日が始まる。

 代わり映えのしない水槽の底で、刺激を求めながらも虚ろな瞳でただたゆたうばかりの魚達。それを思わせる級友達のざわめきを背に、英理はまた一つ息を吐いた。




 マリエの彼氏こと男バスのケンゴが息を引き取ったのは、その日の夕方のことだった。




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