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七月一九日



 期末試験が終わり、夏休みまであとすこし。

 授業は先へ進むでもなく、試験問題の解説や一学期の総ざらえを行うばかりで、クラスには気怠い空気が満ちている。

 加えて連日うだるような暑さ。耳障りな蝉の輪唱、じっとりと肌を包む湿気。

 誰もが不快感を抱いていた。

 花壇では、凌霄花(のうぜんかずら)が素知らぬ顔で、オレンジの(こうべ)を垂れている。


 そんな折。


 教室で英理(えいり)が同じ部の仲間と談笑していると、向かいに立つ美也(みや)の肩を誰かが叩いた。とんとん、と軽い調子で。


「なに?」


 話の腰を折られ、美也はやや鼻白んで振り返る。

 英理達も釣られて見ると、美也の後ろに帰宅部のサチが立っていた。

 もともと空気を読まない、というか読めないサチは、何度教師に呼び出されても外さないピアスを揺らし、黙ったままにこにこ笑う。


「だから、なぁに?」


 元々ギャルのグループと折り合いの悪い美也が苛立って訊くと、サチは八重歯をのぞかせ歌うように言った。


「こちらの肩をお勧めします。ですからどうぞお移りください」


「え?」


 美也当人だけじゃなく、英理達もきょとんとサチの顔を見つめた。

 わけが分からない上に、なんだか薄気味悪い言葉をかけられ、美也は色白の美貌を歪め不快感をあらわにする。


「ちょっと、いきなりなんなのサチ? 言いたいことがあるならハッキリ言ってくれる?」


 けれどサチはへらへら笑って、ぶりっこめいた仕草で手を合わせる。


「怒らないでよ~安城さん。ごめんね、アタシが助かるためなの」


「なんの話をしてるのよ」


 ……いけない、このままじゃ美也がキレる。

 美也とは幼稚園の頃からの親友である英理は、彼女の性格をよく心得ていた。

 生来まじめで正義感の強い美也は、道理や筋の通らないことが許せないタチだ。だから、堂々と校則違反を犯すサチ達のグループと度々衝突している。

 急いで二人の間に割って入り、


「どうしたのサチ、今の言葉はどういう意味?」


 なるべく声がささくれないようゆっくり声をかけると、サチは頭一つ分背の高い英理をほうっと見上げた。


「わぁ、高崎さんて近くで見るとホント背ぇ高いんだね~! さっすがバレー部のエース!」


「うーんと、そういう話じゃなくってさ」


 脈絡のないサチの話に困って、ショートに切りそろえた頭を掻く英理。するとなりゆきを見ていた(りん)が、そっと美也の袖を引く。


「……美也。さっきサチが言った言葉を復唱して、サチの肩二回叩いて」


「どういうこと?」


「いいから早くしなって、それできっと諦めるから」


「なんなのよ、もう……」


 美也は腑に落ちないながらも、とりとめのない話に根気よく付き合っている親友を奪還すべく、言われた通りサチの肩を叩く。


「えっと……『こちらの肩をお勧めします。ですからどうぞお移りください』……だっけ?」


 するとサチは目も口もまんまるに開き、


「あぁっ、ヤラれちゃったー! きゃー!」


 裏返った声をあげ、かかとの潰れた上履きをバタバタ鳴らし廊下へ走っていった。


「なんなのよ、あれ」


「さぁ……?」


 美也と英理が首を傾げあっていると、廊下からサチの甲高い声が響いてくる。


「キャー! キャー!」


「どうだったサチぃ?」


「上手くいったの?」


 声をかけているのは、サチと同じグループのマリエとレナのようだった。


「それがね~、移したんだけど、移し返されちゃって~……」


「はぁ? バッカお前マジ使えねーな」


「鈍臭ッ」


「ねぇ、怖いから一旦マリエに移させてよー!」


「イヤに決まってんじゃん」


「てか呼び捨てにすんなし。行こ行こ」


「あ、待ってよ~!」


 足音が連れだって遠ざかる。

 英理がため息混じりに美也を見ると、美也は居心地が悪そうに肩をすぼめる。


「そんな目で見ないでよ……わかってるわ、サチ自身に悪気がないってことは」


「別にどんな目もしてない」


「悪い子じゃないんだけど、ちょっと頭のネジが二、三本足りてないよね、あの子。マリエ達にいいように使われてるみたいだし……ちょっと心配」


 本当に心配なら、あんなに素っ気なく追い払わなくてもいいのに。

 その言葉を英理は喉の奥に飲み込み、頬に伝う汗を拭った。

 きっとこの暑さのせいだ。

 高すぎる湿度と相まって、まるで人肌のぬるま湯に浸かっているかのような感覚。

 こんな気候じゃ、誰だって沸点が下がる。普段はお人好しで、学級委員とバレー部のキャプテンを務めるしっかり者の美也でさえ例外じゃないんだと、英理は思った。


「綸、今のあれはなんなの? なにか知ってるんでしょ?」


 腰まで届く黒髪を揺らせ、美也は小首を傾げる。ほのかにシトラスの香りが舞った。

 よく日に焼けた綸は、白い歯を見せて苦笑する。


「知らない? なんだっけなァ、オカタサマだかオクビサマだか……名前はうろ覚えだけど、なんか怪談話」


 ざっくりすぎる説明に、英理も思わず苦笑いを返す。


「大雑把だなぁ。それと今のがどう関係あるのさ?」


「あたしもひな子からの又聞きだから、詳しくは知ンないけど」


 手芸部所属の級友の名を挙げ、そう前置きしてから綸は声を落とした。


「ネットの掲示板に載ってる怪談らしいんだけどさ。ホラ、よくあるじゃん。『読んだら呪われます』、『読むのは自己責任で』ってヤツ」


「よくあるものなんだ?」


 未だにガラケーを使用し、その手のことに疎い英理は美也に尋ねる。興味ないわと美也は小さく首を振った。


「そのテの話を、マリエとレナ、それにマリエの彼氏の三人で読んだんだって。

 その話を読むとオカタサマとかいうのにとり憑かれて、三日後に殺されちゃうっつー話でさ。死なないためには、他の人の肩を二回叩いて、さっきのセリフ言えばいいんだって」


「マリエ達はそんなことを本気にしてるの? ただの子供だましじゃない」


 呆れたと肩を竦める美也の横で、英理は宙を仰ぐ。


「読んだのは、マリエとその彼、それにレナだよね。だったら、なんでサチが?」


「それがメンドクサイ話でさァ!」


 綸はおばさんめいた仕草でパタパタと手を振った。

 要約するとこうだ。



『オカタサマ』


・オカタサマの話を読んだ者は、オカタサマに憑かれ呪われる


・憑かれたまま三日経つと殺される


・他の人の肩を叩き、『こちらの肩をお勧めします。ですからどうぞお移りください』と唱えると、オカタサマはその人へ移る


・移された者もまた誰かに移さないと、三日後に殺される


・オカタサマに憑かれることができるのは一人三度まで。四度目にはオカタサマが拒んで移ってくれない


・読まれることにより生じたオカタサマは、誰かの命を奪うことで消滅する



「なんだ、新手の不幸の手紙みたいなもんか」


「早い話がそういうこと! マリエ達がひな子達のグループや他のクラスの子に回したりして、結構広まってるみたいよォ?」


「くだらない」


 知らないうちにそんな戯れ事に巻き込まれていたと知り、美也は吐き捨てるように言って踵を返す。セーラーの襟が話を断ち切るように翻った。


「さ、バカな話はこれでおしまい。次の授業は多目的室だったわね、早く行きましょ」


「そうだった」


「待ってよー!」


「そうそう、昨日さ」


「えーなにソレ!」


 紺色のスカートの裾を捌いて、軽やかに廊下へ躍り出る。

 片側に窓が並ぶ廊下は、南天高くにある陽に晒され、白い床そのものが発光するように照っていた。その照り返しごと踏み散らし、三人は運動部員らしい明るさで噂話を蹴散らした。



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