グロリア
香ばしい匂いと共に漂ってくる食事の匂いが鼻腔を刺激する。なんともいえない美味しそうな匂いが、自然に瞼を持ち上げた。この匂いは、今日はコーヒーとスコーンかな。焼きたてさくさくのスコーンを想像して、思わず腹の虫が鳴ってしまった。まったく、この体になってどれだけ経とうとも精神的に腹は空くものだ。とうに飢えなどというものとは無縁になった体のはずなのに。癖って恐ろしい。思わず1人で苦笑すると、コンコン、と行儀の良いノックが聞こえて、それからメル様、と控えめに呼ぶソプラノが聞こえた。さあ、起きる時間だ。
「起きてるよ、ナナ。入っておいで」
「はい、失礼します。メル様、おはようございます。」
「おはよう、ナナ」
そろりと入ってきたメイドに微笑むと、慌てたように挨拶をする。ああもう可愛いなあ。黒髪を綺麗に眉毛と胸元で切り揃えた少女。まだ二十歳にも満たないあどけない顔。さらりとした黒髪とメイド服のスカートを揺らして綺麗に一礼した。その華奢な体は到底俺と同じ生き物とは思えない。とはいえ彼女は9年くらい前拾ってきた人間なのだけど、そこでは珍しい黒髪黒眼を気味悪がれて森に追い立てられた子供だった。まだ10歳にも満たないような子供を、獣の蔓延る夜の森に捨て置いたのだ。まったく、俺が言うのもあれだけど血も涙もないような人間だよ。こんなに普通の女の子なのに。ふわりと微笑むナナに満足して、ベッドから降りた。
「今日の朝ごはんは」
「コーヒーとスコーンです」
「焼き立てだよね。うわあ、ジャムはマーマレードがいーな」
「すぐ御用意します」
やっぱり、と自分の読みが当たったことに頬を緩ませてガウンを手に取った。せっかく気持ち良い朝だし、シャワーを浴びてからご飯を食べよう。背を向けたナナに微笑んでバスタブへと向かった。ああ、良い朝だ。
支度を終えてドアをあけると、ドアの横に佇んでいたナナが慌てて顔を上げた。
「メル様っ…支度ができたのならお声を掛けてくだされば…」
「あはは、いいよそれくらい。ドア開けるだけでしょ」
「ですが…」
「いーのいーの。さ、ご飯行こう」
ナナの手をゆるく引いて歩き出すと、こっちにまで伝わるくらいの動揺を感じた。握る手が握り返していいものかと躊躇う気配。ほんともう、そういうところが可愛いよね。黒い見た目とは全然ちがう、無垢なナナ。
「…っあ、のっ!メル、様…」
「ん?」
「手、あのっ…手を…」
「ああ、握り返してくれないの?」
「っ……!!」
「あはは、冗談冗談」
「メル様!」
ああ、幸せな朝だ。