7-7 あなたのことです
モモコの吐いた白い息は凍った空間にしばらくとどまった後、緩やかに消えて行った。
それを眺めながら今日を遡る事数日前、ガツクの執務室を訪れたあの日を思い出す。
「ふふ。」
と、あの時のガツクの苦々しい顔付きに、思わず苦笑が洩れる。
数日前。
ガツクの、まるで親の敵かの様な視線に怯みつつもモモコは笑顔を絶やさないよう表情筋に力を入れた。
ここはガツクの執務室、モモコはどデカイ執務机を挟んで座るガツクと対峙していた。
「クロックス・・・」
ガツクは充分モモコを睨みつけると、デスクに乗った何枚かの書類をコツコツと指で叩いた。
「来週行われる グラヴィエ山の登山訓練に同行取材したいと書かれている様に見える、この書類だが・・・」
「様に見えるんじゃなくて、そう書いてあるんです。」
ガツクの威圧溢れる視線を受けつつも、モモコはニッコリ笑って答えた。
が、反対にガツクは顔を最大に顰めると唸るような声で申請を却下する。
「駄目だ。」
「・・・・どうしてですか。」
「この時期のグラヴィエ山は天候が崩れやすく、毎年重軽傷者が出るほどの過酷な訓練となる。そんな所に足手纏いのお前を連れていくわけにはいかん。」
(むううぅう!やっぱり反対したな!・・・でも負けないぞ!)
モモコは笑顔を消すと、こちらも負けずに眉間に皺を寄せてキッとガツクを睨みつけると(それは的確にガツクを攻めた)、
「麓ではバギーで皆さんについてこれますし、スノーモービルも乗れるようになりました。その為の運転技術はダイスさんに認可も取れてます。登山の方も安全に気を配りますし、登れない所はヘリを使って付いて行きます。もちろんこれは隊士さん達の迷惑になるのであれば中止します。慎重に慎重を重ねて、決して訓練の邪魔はしないので許可して下さい。」
鬼のような顔で頑固に反対するガツクに食い下がった。
実はモモコの同行取材に軍部の許可は必要ない。
元々モモコの特別広報課は軍部を奥やその他の部、またはドミニオン国民に理解、もっと身近に感じてもらうために存在しているので、軍部に拒否権はないのである。逆を言えばモモコにもない。「我々の隊のこんな所を取材して欲しい」という軍部からの要望も世間一般の常識を超えていなければ取材する。
この日のこの時間に伺う旨の書類を提出すればいいので基本返事は要らないのだが、モモコはあえて責任者にアポイントを取り、事前に取材内容について説明して、相手に理解してもらってから取り組む事にしていた。そうした相互理解の元、今までは目立ったトラブルもなく良好な雰囲気で取材してきたのだが・・・・ガツクのモモコにはスリ傷ひとつ、突き指ひとつ負わせたくない超過保護な壁に 話しあいは難航していた。
「何と言おうと駄目だ。」
「ダメな理由を言ってみてくださいよ!」
「とにかく駄目だ。」
「ガツクさんのケチ!」
「俺はケチではない、慎重なだけだ。」
「ケチケチどケチ!」
「口を塞がれたいようだな。」
「ベーだッ!塞がれるのはガツクさんの方でしょ!この頑固者!」
「よく廻る口だな、縫いつけるぞ。」
「野蛮人!」
睨みあい、一歩も引かない2人を見てカインがため息をつきながら口を挟んだ。
「ガツクさん、素人のモモコちゃんを付帯させる懸念はあるでしょうが、俺からも同行を願います。」
「カインさん!」
「・・・・・。」
援軍にモモコの目は輝き、ガツクは訝しげに唯一の補佐官を見た。
ガツクがこちらを見た途端、死線に突然立たされたようにドキがムネムネ、いや、ムネがドキドキしながらもカインは続けた。
「モモコちゃんの「君の素顔に密着」コーナーは、」
「前々から思っていたのだがそのふざけた名は誰が思いついたんだ?ホクガンか?もう少しマシな」
「あたしが考えたんですけど!真剣にね!一瞬たりともふざけてませんが?ふざけて見えて悪かったですね!その名前に三日かけましたが何か!?」
「・・・・・・・・・・・・続けろ。」
ぎゃいぎゃい咬みつく子猫から思いっ切り顔を逸らせ大狼はカインを促した。
「え、えー、で、その素敵なコーナーですが、我々軍部の訓練の模様を取材したとても人気のある記事なんです。」
「知っている。だが、それと今回の訓練とどう繋がる。俄か隊士が取材出来るほど易しい場所ではない。」
ムカッ!
モモコはガツクの一々突っかかる言い方に腹が立ったが、事実その通りなのでせめて睨んだ。ガツクが「ん?何か間違っているか?」みたいに片眉を上げてモモコを見やるとその目つきはますます口惜しげに狭められる。(大人げない・・・・)カインは若干呆れながら我が上官を見る。
「・・・・まぁ、最後まで聞いて下さいよ。その記事に何故雷桜は出ないのかと、最近よく聞かれるんです。」
「はいはいはいっ!私も言われます!『雷桜隊は取材しないんですか』って!結構人気あるんですよ?雷桜隊。」
その桁外れに高い戦闘力に国内はもとより、他国にもその名を轟かせる戦闘集団『雷桜隊』。
怖いもの見たさも手伝っているのだろうが、その純粋に力のみを求められる隊は厳つく、強面の見た目に反して意外と人気があった。
「何故、といわれてもなんとも返答しづらいんで、そろそろモモコちゃんに取材を依頼しようとしていたんです。」
「モモコちゃんの安全は隊全体で気を配りますので」「自己責任でやり遂げて見せますから。念書でも書きます?」「ガツクさん、うら若き女性の記者から取材を受けると隊の士気が上がるんです、大将として何か考えるものありませんか」「何なら今から山登ってみせましょうか?一日で制覇してみせます」等とウザく迫る2人にガツクもとうとう折れ、漸くよーうやーく晴れてモモコの同行取材が決まった。
さて、季節は暖かい日があったり、凍える様な日があったりと冬から春へと移り変わるこの頃。
この頃になると毎年、軍校卒業予定の者等が卒業記念と称してのグラヴィエ山登山訓練が行われる。その軍校生等のサポートをするため軍部は持ち回りで面倒をみる事になっていた。今年の子守りは雷桜隊だ。
ガツクはカッと目を見開くと、目の前の整列した隊士達&軍校生達を睨みつけた。
見回りから帰って来てから不穏な雰囲気のガツクに、血も凍るような眼で睨みつけられた哀れな隊士達&軍校生は訳が分からないままに固まる。
今にもブレイドを振りまわして暴れそうなガツクを横目で見ながら、傍らに佇むモモコにカインはすぐさま問いかけた。
「モモコちゃん・・・・・何かした?」
モモコは自身も(ガツクさん機嫌悪いなぁ・・・なんかあったのかな)と思っていたので意外な事を問いかけられ驚いた。
「へっ!?あ、あたしですか!?・・・いや・・・何もしてないと思いますよ。ていうかガツクさんあた
しと口利いてくれませんもん・・・目も合わせてくれないし・・・」
勇気を出して一緒にお昼を誘ってみても素っ気なく断られ、モモコがガツクの側に来れば避けるように移動し目があっても逸らされる始末。さすがの能天気モモコも心が折れそうであった。
(もう・・・もう知り合いのレベルでさえないよ・・・あたしって・・・あたしってもしかしてウザい?うう・・・・・・)
しょんぼり肩を落としたモモコに同情しながらも、カインは苦笑を浮かべた。
ガツクのあの態度は自身の感情を揺るがさないため。だが、ただモモコを近寄らせないためではない。
標高2500Mを越す雄大なグラヴィエ山ならではのことだが、死亡者こそ出さないまでも難解な登山は毎年何人か怪我人が出る。ガツクがその中にモモコが加わる事がないよう、モモコにとって出来るだけ安全でかつ取材できるルートを密かに捜していたのをカインは知っていた。この訓練の総責任者として隊士達に指示を飛ばし、軍校生達に目を光らせながら忙しい合間を縫って見回っていたため、終始あちこちに居た結果、モモコを避ける形になっていた事も。まぁ狙った感じがしないでもないが。
んが。
見回りに行く前⇒挙動不審ながらも一応人っぽい
見回りから帰って来た後⇒人類世界最強種に変化。しかも何か激怒してる
カインは視線をモモコからガツクへ送り、更に先程までガツクと同行していたダイナンへと移した。
で、そのダイナンだが面白いほど顔色が白い。もう少しで足元の雪と区別できなくなるほど白い。
(見回りの時、確実に何かあったんだだろうな・・・・ダイナンさんに後で聞いてみよう)
カインの懸念は・・・・・・毎度のことながら当たっていた。
「モモコちゃーん!」
モモコはカメラのファインダーから顔を上げると声を掛けてきた人物に向き直った。が、その顔は若干引き攣っている。
「デュランさん、バートルさん、ゴルドーさんまで・・・どうかしましたか?」
名前を呼ばれた、今年卒業する若き軍校学生達はモモコに駆け寄ると軽い調子で話しかけてくる。
「モモコちゃんって彼氏いるの?」
「えっ・・・」
モモコは突然の質問に驚いてデュランを見上げた。
「・・・・・・あの・・・・ガツクさん?」
ダイナンは突然立ち止まり、固まったガツクに恐る恐る声を掛けた。
呼びかけられたガツクは木に手を付いたまま微動だにしない。
「だからー彼氏だよ、カ・レ・シ。モモコちゃん可愛いからさぁ、誰かいい人いるんじゃないかって。もしいないんだったら俺と付き合ってみない?」
「ええっ!」
モモコは面喰って声を上げた。
あおーぅおおーうぉおおおお!!!
ダイナンはガツクと見回り中、下の方から聞こえてきた能天気そのものの会話に、体中が激震するほどの恐怖を感じた。今すぐあの何も知らない仔羊たちの口を塞ぎたい!やめろお前達!明日の朝日を拝みたくはないのかぁあああぁあ!!
メキッ!
その時、ガツクが握っていた大の男の腕ほどもある太い枝に指が減り込んだ。枝は誰かの首でも絞め殺しているかの様にミシミシと嫌な音をさせている。
「・・・・・・・・・・・。」
ダイナンはその光景を青ざめて見つめるしかない。
「おい抜け駆けすんな!」「なにさりげなく口説いてんだ!」等とかしましく騒ぐガキ共の声も耳に入らない。
「そ、そんな・・・彼氏なんていません。けど・・・デュランさんとはお付き合いしないですよ。」
モモコは困惑しながらも、しっかりと断った。モモコの珍しさからかこの一週間、自己紹介した時から妙に構ってくるこの青年達にモモコは多少辟易している。これまで何度も誘われたりちょっかいを掛けられたりしていた。女っ気が少ない軍校だからか隊士達とは毛色の違うからか。今回もからかっているのだろうが、しっかりと言いたい事は言っておく。それにこちらはあくまで仕事で来ているのだ。いい加減な事は出来ない。
「ええー!フリーならいいじゃない。俺、けっこう評判いいよ?付き合って育む愛もあると思うよ?」
「お前もう黙れよ。モモコちゃんは俺みたいな真面目な男がいいってさ。」
「お前のどこが真面目だ。モモコさん、バカ達は放って向こうで景色でも眺めませんか。」
「バートル!」
「バートル、テメェ!」
バキッ!バキバキッッ!!
ガツクはとうとう枝をへし折ると今度は正拳突きを大木にぶっこみ、その人間離れした腕力から繰り出された衝撃に大木の半分ほどが抉れた。
「・・・・・・・・・・・。」
ダイナンはソレを涙目で震えながら見ていた。
(この人達ほんとにあたしより年上かな?確か22歳って言ってたよね。・・・・ホクガンより子供に見えるぞ)
大袈裟にショックを受けて見せるデュランや、やいやい騒ぐバートルとゴルドーに心の中で遠い目をしてからモモコは笑顔で答えた。
「そうではなくて・・・私、好きな人がいるんです。」
!!!
ガツクの体が強張り衝撃にフリーズした。
ドウッ!ズウゥンン・・・・
と、とうとうガツクの攻撃に屈した大木が真っ二つに折れ、上部が地面に転がった。轟音と雪煙りが舞い上がる。ガツクは酷いショックに顔が青ざめているが、ダイナンの方は青いを通り越して気を失いそうである。
(・・・好きな人だと?)
「何かすごい音しませんでした?」
「したね。そんな事より俺ショックだなー、モモコちゃんの好きな人ってどんな人?」
「そんな事も聞くんですか?」
「今後の参考にさ。モモコちゃんみたいなタイプはどんな男が好みかなーって。気になるよな?」
「気になる気になる」と頷く3人にモモコはうーんと首を傾げながらもガツクを思い浮かべた。
「私の好きな人は・・・・背がうんと高くて(大概の男はお前より高い)、眉間に皺がいっつも寄ってて(実は取れないんじゃないかと思った事もある)、眼つきが悪くて(悪いというか凄味がある)あんまりしゃべる事もなくて(他人と意思疎通を謀る事が面倒)しょっちゅう暴力の気配に包まれていて(攻撃専門部隊のボスだしな)、何かあるとすぐ(ホクガン)殴っちゃったり脅したり排除しようとしたりたまにおかしい事を言ったりしたりして(事実)、すごくビックリさせられる事が多いんだけど(日常)・・・優しくて照れ屋さん(・・・・は?)なところもあって。そういうギャップ?っていうのかな、そこが好き。」
てへっ
モモコは照れながら説明したがデュランは????となった。
それは彼らだけではなくガツクの32年来の親友のホクガンとダイスでさえも首を傾げるだろう。え?それ誰の事?優しくて照れ屋?まさかあのヤンデレ暴走魔王の事じゃないよね?みたいな。
モモコの好きはガツクに先入観が一切ない、まっさらな状態で見てガツクの恐怖を越えた彼方にある事というか、恋する乙女の何かもなぎ倒す力技がこう言わせてるんだろう。たぶん。わからんが。
そしてその本人はというと。
(何だと・・・・・そんなモモコ・・・俺よりもそんな奴が・・・・!!!!)
お前だ。
自分の事ではないと(どの口で言うんだろうねェ)激しく勘違いしたガツクは具体的に上げられた人物に憎悪を向けた。
「よくわかんないけど・・・その人大丈夫か?モモコちゃん騙されてない?」
「そんな事ないですよ、よく知ればいい人なんです。」
「・・・そう?モモコちゃんって変わってるよな。」
「そ、そんな事ないです!普通ですって!」
「まぁ、いいけどさー、あっ、集合の合図だ。行こうか、モモコちゃん。」
小型原子爆弾を落として彼らは去って行った。
暫く俯いていたガツクは、よろめきながらモモコ達とは違う方向に歩き出した。
その後ろをダイナンが恐々とついて来る。
(モモコ・・・いずれ・・・いずれはこの時が来ると思ってはいたが・・・結構早かったな・・・いやいや、モモコの事を思えばこれは喜ばしい事だ。・・・・俺以外の奴か・・・・・)
だからお前だって。
ガツクはピタッと足を止めた。ダイナンもビクッとして止まる。
(俺が願った事だ。・・・・・願った事だが・・・・・・・・・・殺したい・・・・)
ガツクから凶大な殺気がブワッと膨れ上がる。ダイナンは咄嗟に距離を取って避難した。
(・・・・落ち着け・・・・モモコの事を考えるんだ、己の事など二の次だ。)
ガツクは今にも憎き(そんなモノはいない)恋敵を抹殺すべく駆け出しそうな足を踏ん張り、(そんなモノはいない)恋敵を殴り殺したくてブルブルする腕をもう片手で抑えつけた。
(ク・・・・・ククク・・・ククク。うむ、この嫉妬と憎悪は我ながら凄まじい限りだ。俺の懸念が証明した証だな・・・・・・・・)
「・・・・・・コロシタイ。」
再び歩き出したガツクから零れ落ちた呟きに、ダイナンは目の前が真っ暗になった。
そして話は先程に戻る。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
お前だっつうの。
長くなったので分けました。