7-4 ここからがスタートです
モモコは呆然と目の前、いや遥か頭上から見下ろす、愛しくもあり恐れてもいる男を見上げた。
ガツクはそんなモモコに構わずしゃがむと、挫いた方の足をそっと手に取った。
「っ・・・う・・・」
ガツクは注意して触れているのだろうがモモコは呻き声を洩らさないように歯を食いしばった。
「・・・歩けるか。」
無理。
即座に思ったが、ガツクの望んでいる答えではない事は何となくわかったのでモモコは壁に手を付きながら何とか立ち上がろうとする。が、履きなれないヒールを履いている事もあり、ズルズルと体は滑った。
「もういい。」
ガツクはため息交じりに言うとモモコを有無を言わさず抱き上げた。そのまま歩き始める。
「あ・・・あの!」
「・・・・・・・。」
「あの、ガツクさん。」
「・・・・・・・。」
「あの・・・・何処に行くんですか・・・?」
「・・・・・・・。」
移動する振動に安定感を求めて、だが小さくガツクのコートの襟を掴んだモモコはガツクに話しかけた。が、何度話しかけてもガツクが無言でいるうちに諦めた。
(もう、話もしたくない・・・のかな)
モモコの眉が八の字に下がり、目も潤む。モモコは震える息を大きく吸って涙を堪えた。
顔は沈んだ気分そのままに俯く。だから知らなかった。
そんなモモコをチラリと見てガツクが顔を少し歪めたのを。
人目を避ける様にしてそのまま2、30分ほど歩いただろうか、ガツクがある建物の前で止まった。
(え?ここって・・・)
モモコが不思議がっているとガツクがドアノブに手を掛ける。
ドアは開かなかった。当然だ。診療時間はとっくに過ぎ、鍵が掛かっている。
「・・・・・・・。」
ガツクはもう一度ドアノブを引っ張った。
バキッ
(ええー!)
ガツクはドアを破か・・・いや少々強めに開けると中に入り、待合室を通って処置室に入るとベッドにモモコを寝かせた。サラサラとドレスの衣擦れの音がする。
ガツクはベッドの横に椅子を持ってきて座ると息を詰めるモモコに構わず、挫いた足を持ち、ゆっくりヒールを脱がせた。そして、
「破くぞ。」
一応断って(返事は聞かない)ストッキングを裂く。
ピリリ・・・
静かな室内にストッキングが裂かれる音がして、やがてガツクはモモコの白い脚を露わにした。
「・・・・・・・・。」
一拍置いて、モモコの片足を持ったまま大きな手で爪先をそっと握った。親指から小指まで丁寧に触る。
「っ!」
ドキン・・・・ドキンドキン・・・
「・・・あ、あの、」
モモコはガツクのなすがまま、呆然としていたがその光景とガツクの手の感触に心臓が高鳴りだす。
「痛むか?」
ガツクはモモコを見ない。低い声で聞いた。
「あ・・・いえ。」
「では・・・ここは?」
ガツクは指を滑らせ土踏まずをきゅっと押さえた。
ひくん
妙な感覚に体が動いてしまう。
「・・・んん・・・あっ、い、いえ、少し痛いような・・・」
声も変だ。じわっと頬に熱が集まり、手は何か縋る物を探して診察台のシーツを掴んだ。
(やだ・・・なんか変・・・ガツクさんは足を触っているだけなのに・・・)
「・・・・・もう少し上か。」
今度は包み込む様に足首を太い指が掴み探る様に動いた。ゆっくりと。
「ふっ・・・んんうっ・・・痛いっ。」
モモコは痛みと同時にお腹の底から沸き上がってくる熱い何かを抑えられず、高い声が出てしまう。が、ある部分を押されて鋭い痛みが奔った。痛かったがお陰で我に返り、慌てて手で口を覆うが。
「やはり足首を捻ったようだな・・・ここだと・・・。」
ガツクは更に上、モモコの脹脛に手を這わせる。痛みを宥める様に擦りながら上へ上へと向かう。暖慢な動作・・・モモコの肌を味わっているかのよう・・・・
「~~~~~~~っ!・・・ガツクさ、ん?・・・んっ」
手で抑えても洩れ出てしまう声に羞恥しながら困惑気味にガツクの名を呼ぶ。
「脛はどうだ?」
対称的にガツクは至極冷静にモモコに聞いてくる。だが・・・・少しだけ。ほんの少しだけ声が掠れて聞こえるのは・・・気のせいだろうか?
「い、いえ・・・・す、脛は大丈・・・」
ガツクはモモコの膝裏まで指を進めるとそろりと撫で上げた。
「ひゃう!」
敏感な場所への・・・まるで愛撫の様な指の動きにモモコから小さく叫び声が上がった。
壊れそうなほど高まる鼓動、頬は真っ赤に、目は潤んでいる。
なんで・・・あたし・・・変・・・だ。
フッ・・・・ン・・フッ・・・
小さな部屋にモモコの抑えた呼吸がやけに響く。
「・・・・・・・・。」
ガツクはモモコの足を放すと無言のままいきなり立ち上がり、狭い処置室の中を歩き回る。
ガツクが離れたからかモモコにひんやりとした感覚が来て少しだけ冷静になれた。
やがて氷水が入ったボウルや包帯やら冷湿布やらを集めたガツクは傍らのテーブルに置くと、再び座り、モモコの足を掴んだ。
ボウルに浸した布でそっと患部を覆う。何度か繰り返してから、さっきとはまるで違うテキパキとした動きでモモコの足首に冷湿布を貼り、器用に包帯を巻いた。手際がいいのは応急処置に馴れている軍人だからか。
ハァ・・・
ガツクは浅く息を吐き出すと白い包帯が巻かれた足を何枚にも丸めたタオルの上に置き、モモコの顔を一瞥だにせず背を向けると、デスクの上にあった電話の受話器を取った。
「・・・カイン、誰にも気付かれず奥西棟の第二診療室まで来い。」
それだけ言うと返事も聞かずに切る。
ガツクは再びため息を漏らすと髪を掻き上げ、そのまま手を首の後ろまで回すとモモコをチラリと見た。
それまでボーッとガツクの動きを目で追っていたモモコはハッとした。
(お礼!)
慌てて起き上がろうとしたがガツクに制される。
「起きるな。足は心臓より高い位置に置いた方がいい。」
あ・・・そうなんだ。
ガツクは低い声で捻挫の応急処置方をボソボソ話すと、処置室の壁に凭れ、両腕を組んで目を閉じた。
ガツクが目を瞑っているのを確かめるとモモコはガツクを盗み見る。
手櫛でざっと整えただけの黒い髪は幾筋かがはらりと落ち、目を閉じた眉間には少し皺が寄っている。一応夜会に出るつもりだったのか黒のタキシードだがリボンタイは外され、ドレスシャツの襟元は寛げられている。
モモコは気付かれぬようにそっと胸を片手で押えた。
きゅううと胸を締め付けるようなあの感覚。
ああ・・・ダメ・・・やっぱり・・・
あたしやっぱりガツクさんが好きなんだな・・・
どんなに無視されたって迷惑そうに見られたってやっぱりこの人が好きだ
だって
ガツクさんを見ているだけでこんなに胸が苦しい
ガツクさんのどんな小さな声も聞き逃したくない
ガツクさんに触られるとドキドキして体が熱い
こんな熱、知らない ガツクさん以外知らない
それ全部・・・・この人を、もうどうしようもないほど愛してるからだ
だから・・・もういい
ガツクさんに何とも思われなくても 嫌われてもいい 呆れられてもいい
あたしはあたしでいる ガツクさんを好きなあたしでいよう
だって、仕様がない
好きなんだもん
貴方が隣にいなくても
やっぱり好きなの
ストン
と戻ってきた気がした。
ガツクから否定され混乱し恐れ、どこか浮遊感すらあった心があるべき所に収まった気がした。
ああ・・・なんかすっきりした気がする。
開き直ったモモコは盗み見る事をやめ、首を傾けると堂々とガツクを見詰めた。
視線に気がついたのかガツクが俯けていた顔を上げ、モモコの方へ目を向けた。
と、モモコがこちらをじいっと見ているので驚き、わずかに身構える。
そんな動揺したようなガツクを余所に目が合ったモモコは
「ありがとうございました、ガツクさん。連絡機が入ったバックを会場に忘れて来ちゃって・・・とても困っていたんです。処置までしてくれて・・・ありがとう。」
少しはにかみながらもニッコリ笑ってお礼を言った。
ガツクは少し目を見開いたが・・・元の無表情に戻ると、
「誰でもそうする。」
淡々と返す。
感情を見せないガツクに落胆するも
(ちゃんと目を見て話せた。ちょっと前と比べたらスゴイ前進じゃん)
モモコはほろ苦い気持ちと嬉しい気持ちで微笑んだ。
ガツクはニコニコするモモコに訝しげな視線を送ったがまた元の体勢に戻った。
どれくらいの時間が経ったのか
「ガツクさん!」
表の方でカインの声がして、ガツクはフッと息を洩らすと足早にドアへと向かい開けてカインに声を掛けた。
表の方で2人が話す声が聞こえ、モモコは長かったような短かったような夢のような時間が終わった事を知る。
(でもこれが最後じゃないもんね。ガツクさんと話せる機会はまた来る!ううん!自分から作る!)
モモコは処置室の白い天井を見上げながら拳を作って気合を入れた。
「モモコちゃん、大丈夫?」
モモコが密かにガッツを入れているとカインがドアからヒョッコリ顔を出した。
「カインさん!はい、ガツクさんのお陰でだいぶ楽になりました。」
カインはモモコが横たわるベッドまで歩み寄る。
「家まで送るよ。起き上がれるかい?」
「ガツクさんは・・・・」
カインがちょっと困ったような顔になったのでモモコは察した。
「・・・・・帰ってしまわれたんですね。」
カインはまるで自分のせいかの様に頭を掻く。
「うん・・・・君を家まで送るようにと。」
「他にも何か言われませんでした?」
カインはバツが悪そうに「あー」とか「うー」とか言っているのをモモコは面白そうに見て、最初に疑問に思った事を話した。
「ガツクさんに連れられていた時に、意識して他に人に会わないようにしているのに気付いたんです。暗がりを選んで移動したりして・・・。カインさん、私の捻挫を手当てした事、誰にも言わないようにって言われませんでした?」
カインが観念したように頷くとモモコはやっぱりという様に苦笑した。
「わかります、ガツクさんの考えてる事。私とガツクさんが一緒にいる所を見られたら・・・また騒がしくなるかもしれない。」
「・・・モモコちゃん、」
カインが何か言おうとするのを手で制してからモモコは上体を起こした。
「私を誰かに任せてもよかったのに。医務室まで運んで、手当までしてくれて・・・・それだけで充分です。すごく嬉しい。」
モモコはガツクが手当てしてくれた部分をそっと撫でた。
「カインさん。」
モモコはカインを真っ直ぐ見た。その目には以前と同じ強い光が宿っている。カインは知らず息を飲んだ。
「私、やっぱりガツクさんが好きです。」
静かな部屋にモモコのきっぱりとした声が響く。
「モモコちゃん・・・君って子は。・・・・でもそれは・・・ガツクさん相手だと辛い事かも知れないよ?現に今だって」
「いいんです。ガツクさんにどんなに素っ気なくされても。だって・・・誰を好きでいようと私の自由だし。それはさすがのガツクさんにだって止められないもの。こっからですよ。ここからが私のスタートなんです。」
強いな。いや、強くなったのか。
カインは笑顔のモモコを眩しそうに見て思った。そして人の話を聞こうとしない上官を思い出して軽くため息が出る。
(どういう思考回路で今の状態になったか知らないけど・・・ガツクさん、あなたこのままだと後悔する事態になりますよ?・・・いい加減目を覚ましてもらいたいなぁ・・・)
「で、あの・・・こんな事今更カインさんに言うのって生意気だとは思うんですけど。」
さっきとは打って変わり、急に情けなさそうにモモコの眉が八の字に下がる。ガツクの無表情な顔を思い出していたカインはモモコの言いたい事がわかって微笑ましくなる。
「ガツクさんの事、よろしくお願いします。ガツクさん、体力あるばっかりに無理しちゃう時があるから・・・人の言う事聞くような人じゃないと思うんですけど。そこを何とか堪えてですね、あ、あの、こんな事とっくにわかってると思うんですけど!うう、もう何言っていいかわかんないですけど・・・ついて行ってあげて下さい!」
モモコは最後ペコリと頭を下げた。
「わかってるよ、モモコちゃん。心配しないで。ガツクさんのサポートはしっかりやるから。それに・・・今更だから。」
顔を上げたモモコはカインがため息をつくのを見て
「・・・ホント今更って感じですね・・・み、皆さん本当にお疲れ様です、アハハハ・・・・」
ガツクの鬼の様な仕事ぶりとそれに振り回されるカインや隊士達を思い出し・・・・乾いた笑いが出た。
冷たい外気の中、カインの苦労話やモモコの仕事の話をしながらおぶわれたモモコは家に帰った。カインは明日は病院に行く事、今ではモモコの保護者的役割をしているテンレイに伝えておく事を話すと最後に無理はしないように言って帰って行った。
モモコはベッドに座り窓から見える青白い月を見上げた。
「あれ?そういえば・・・あたし挫いたってガツクさんに言ったっけ?しかも右足だって。う~ん・・・言わなかったような・・・ガツクさんぐらいの軍人さんになるとパッと見てわかるもんなのかなぁ・・・・。」
モモコはふと思いついて疑問に思ったが、肩を竦めるとテンレイを待った。
物陰に隠れていた大きな影は、テンレイが急ぎ足でモモコの部屋へと入るのを気配を殺して見ていた。
しばらくして何やらモモコに言い含めながらテンレイが出てきて帰って行く。
やがてモモコの部屋の明かりが消える。影はそれを見届けたかのように静かにそこから離れた。
恋する乙女を舐めんなよ!