4-12 シスって誰?です
ゼレンの皇太子は自分の耳を疑った。
今、自国の軍人が喚き散らした言葉が信じられない。
こんな公の場で・・・なんて事を・・・
茫然としていると周りの他国の代表団、皆が自分を見ている事に気づく。
「あ、い、いや、これは。」
何とか言葉を紡ごうとするが何も思いつかない。
他のゼレン人も皆青ざめ、何とか逃げ道を捜すようにきょろきょろと辺りを見渡すが、怒りに満ちたドミニオン国民のうねるような熱気に気づくと一様に身を竦め俯いた。
どうするどうする・・・・
自分達の元は属国が、という傲慢な思いと急激に力をつけ今ではゼレンどころか、格上のべリアル帝国と肩を並べるまでにのし上がったドミニオンを恐れる気持ち。
蔑む気持ちと焦りや恐怖がない交ぜになった皇太子の背後から静かな声が聞こえた。
「ゼレンの皇太子殿。貴国の軍人は大変な事をしでかしてくれましたな・・・・・。」
皇太子が振り返ると、そこには不気味なほど無表情なホクガンが腕を後ろに組んで自分を見下ろしていた・・・・・・。
舞台上で初めてダイスと対峙したノーフェはその静かな青い目にゾクッとした。
自分は・・・何かとんでもない間違いを犯してしまったんではないだろうか。
その思いが形になる前にダイスの拳が顔面にまともに入った。
だがそのパンチはノーフェがよろける程度のものだ。
なんだ この程度のものか。大将と名乗った所で所詮は小国。やはりぬるいもんだ。
ノーフェは先程感じた危機感を気のせいだと思いダイスに向かう。
それがダイスの策だとも知らず。
ダイスは強弱をつけた攻撃の合間に、ノーフェをトランス状態に持っていく攻撃を与え続けた。
そして
「ほれ、どうした?お前の攻撃はちっともワシに当たっとらんぞ。どうした?もうお疲れか?女には効いても男には効かんようじゃのう。」
などとノーフェを煽り続けた。
それがどれくらい続いただろう。ノーフェに時間の感覚はとうに無い。
朦朧とした頭と今にも膝をついてしまいそうなガクガクと震える体。
意識を失ってしまいたいがそれを許さないダイスの煽る声と的確に入れられる拳や蹴り。
「口惜しかろうなぁ・・・・元は宗主国よ。お前は元は属国に無様にやられるんじゃ。どうじゃ?今の気分は?ワシは最高の気分じゃが。ん?もう電池切れかい。」
そう言って仕上げとばかりに掌打を叩き込んだ。
床に沈むノーフェ。
朦朧とした頭にいつも感じている劣等感とも焦りともつかない感情が浮かぶ。
こんな・・・なぜこんなに強い・・・属国のくせに・・・我らの方がお前達より上だったはずなのに・・・
勝ち誇ったように自分を見下ろすダイスに云い様のない憎悪が込み上げ、顔が憎しみに醜く歪んだ。
「何を!選ばれた民である我がゼレンに隷属していた愚民が!お情けで自治領国にしてやったのに調子に乗りやがって!元属国は元属国らしく厭らしく這い蹲っておればいいものをっ!」
口から血や唾を飛ばしながら憎々しげに大声でダイスを罵った。
もうどこが痛いのかわからない軋む体から滴る汗。ハアハアと息切れする口からは血と涎が垂れている。
と、やけに周りがシンとしている事に気がつく。
ノーフェは俯いていた顔を上げてハッとした。
レフェリーも警備をしているドミニオン軍部も、そして試合観戦しているドミニオン国民も皆ノーフェを見ていた。
自分は今何を・・・・何を口走った?
ノーフェは茫然としたままもう一度ダイスを見上げ、その恐ろしいまでに澄んだ濃い青い目に逃げ場はない事を知った。
「皇太子は確か・・・ゼレン国軍の総帥でしたな。」
ホクガンはゆっくりと青ざめた皇太子の前に廻ると
「我が国民の面前でのポートラム大佐の暴言、総帥として、ゼレン国代表としてどう責任をとるおつもりで?それともゼレン国軍、いやゼレン国は我がドミニオンをいつもあの様に評しているのですか?」
下手な言い訳など許さない絶対的統治者のそれで皇太子を追い詰める。
「い、いや、決してそのような・・・。」
暑くもないのに汗が滲み出てくる。
「では、この事をどう収めましょうかね。ポートラム大佐はあの通り」
ホクガンは舞台を振り返ってダイスに最後の拳を打たれ柱に激突し、気絶したノーフェを指した。
「意識がない状態です。国民の怒りは貴方方ゼレンの代表団に向けられるかと。いくら国主の私でもあの暴言は取り払い様もありません。どうしましょうかねぇ。」
「カイン、雷桜隊全員でゼレン国軍を一箇所に集め、包囲しておけ。一人も逃がすなよ。」
ガツクはカインに連絡を取ると今度は控えていたダイナンと共に救護室へと赴き、喚くモルディとまだ気絶したままのグリード、運ばれてきたノーフェを軍部内の施設に移すよう指揮した。
そして控室に戻り帰ってきたダイス、3人の大将と共にドミニオン国民が暴動を起こさない様会場に睨みを利かせた。
「旦那、ゼレン国軍はホクガン達を怒らしちまったみたいですね。」
ローはこの突発的に見える騒動を静観している赤毛の軍隊長に話しかけた。
「うむ。おそらく先刻喚いていた事と似た事だろう。」
ローはてきぱきと指示を飛ばしている3人の大将と指示をしながらも、貴賓席の方を見ているガツクとダイスに視線を移した。
「ばかな奴らですねぇ。もう忘れちまったんですかね、6年前の事を。」
6年前、ホクガンが国主を就任すると同時に開かれた国際会議の最中に、年若い新参者の国主とまだそれ程名の売れていなかったガツクとダイスに向かって、ドミニオンを侮蔑した数カ国の者達がいた。
その時は言われるままに黙っていたホクガン達だったがその数日後、侮蔑した者達の国々が一斉にホクガン達、ドミニオンに謝罪と賠償をとった。それも国王や首相達が直々に。
裏で何があったかは知らないが、今まさに目の前で行われている事を見れば想像がつくというものだ。
ワイズム国王は当時のホクガン達を、
「あの3人はドミニオンきっての逸材となるだろう。我がべリオルもおちおちしてはおられんぞ。先が楽しみだ。」
そう言って褒め称えた。
「どう収めさせるつもりなんですかね、とはいってもあの洒落者の皇太子がとる方法なんて一つしかないんですがね。」
「そうだ。そしてそれだけでは終わらない。」
ベントの言う通りである。
シスに敬意を拝して。
それはガツク達3人共通の敵に死よりも強烈な罰を与える符号である。
一瞬で終わる死などつまらない。
二度と同じ事ができないように脳裏に刻み込むまで知らしめる。
そしてそれは事が大きく後戻り出来ない程尚いい。
それは最終的に国対国の問題にまで持ち込む事だ。
60年前の様に力で押し切る時代は終わった。
未曾有の人命を失い、破壊された国土を残して終結した世界大戦は人々の傷跡となり急速に平和と倫理を尊ぶ世界へと傾かせた。
属国から自治領国となったドミニオンは復興を目指しながらも世界に働きかけ、ついに国際会議を開き二度と戦争などによって隷属国が作られない様提案。可決され、今に至る。
誰にも己らを従わせる事は出来ない
世界を相手にとっても折れない心を受け継いだホクガン達に、元がつくとはいえ属国と貶めたノーフェ達。
そしてその負の因習ともいえる事を許していたゼレン。
今彼らはそのツケを払わされようとしていた。
「この場を取りあえずじゃが、収める方法はある。」
いつまでたっても「いや、あの・・・」しか言えないゼレンの皇太子に呆れたように提案したのはべリアル帝国国王ワイズム。
「そ、それは何ですか!」
「ほう?」
藁をも縋る気持ちで乞う皇太子と意味ありげに片眉を跳ね上げワイズムを見やるホクガン。
わかっとるくせに。
ワイズムはため息をつきながらも皇太子に向かってこう言った。
「今すぐこの会場で謝罪するのだ、ゼレンの皇太子。ここにいるドミニオン国民に向かって誠意ある態度を示さねばならん。そしてただちに本国へ帰り父王に事の説明をして改めて正式に謝罪するのだ。」
それはプライドの高いゼレン国にとって到底受け入れがたい方法だった。
「そんな!ドミニオンにそんな・・・」
「ドミニオンに?・・・・・なんでしょう?」
静かにだが首に刀でも当てられてる様な鋭い声でホクガンが遮る。
皇太子はハッとしてホクガンを見上げる。
「皇太子は何もご存じないようだ。よろしいですか?今ゼレン国が謝罪をしないと国交断絶、今後は敵国と見なし我がドミニオン軍部が常時貴方方ゼレン国を見張る事でしょう。それにですねぇ・・・今このレセプションのために各国から取材が来ているのを忘れましたか?貴方方ゼレンの対応が世界中に見られているんですよ?それでもよろしいか?それともこれは予め仕組まれた事でしたかな?そうなると皇太子殿も知っていたのでは?」
「し、知らない!私は何も!」
「しかし・・・頑なに謝罪を拒めばそう疑わざるを得ません。」
ドミニオンが強いのは軍部だけではない。
海の民を名乗るだけあって造船技術は世界トップクラス。
卓越した航海術と生まれながらにして駆け引きのうまいセンスは世界中との貿易を盛んにし、いろいろな所、例えば上は王宮から下はアンダーグラウンドまで様々な伝手を築き上げてきた。
ゼレンもそのうちの一国であるがここでドミニオンと決別してしまえば。
世界中のほとんどの国からそっぽを向かれる事は必死。ゼレンはたちまち衰退するだろう。
皇太子はドミニオン軍部と聞いて会場に集結した5人の大将達を見た。
その中、ひと際異彩を放つ2人の大将が真っ直ぐ自分を見ている。
ダイスの氷の様な冴え冴えとした青い目とガツクの深淵とした黒い目。
ドミニオンに膝を折れ。さもなくば・・・・
遠く離れた場所にいた皇太子だが確かにそれを感じた。
「わかった・・・わかりました。」
皇太子は弱弱しくホクガンにいうとガックリと首を落とした。
ホクガンはマイクを用意するように指示すると皇太子と代表団を促して立たせた。
「この度は・・・我がゼレンの一軍人がドミニオン国民の皆様に・・・・・」
一斉にカメラのフラッシュがたかれる。今日にでもこのニュースは世界中に広まるだろう。
ノーフェが「属国だった国のたかが国主が」と吐き捨てた言葉からわずか数時間後。
ホクガンとガツク、ダイスの空恐ろしいまでの行動力と知恵、結束力はまた話題に上るだろう。
震えながら小さく声を出す皇太子を見下ろしながらホクガンはこれで俺達にうるさく付きまとうゼレンも当分は大人しくなるだろうと考えていた。
(前から様々な嫌がらせを受けていたがこれを機に全部片付けよう。暇だし。)
暇じゃないですよ!その真逆です!貴方は国主ですよ!と泣きながら抗議するレキオスの声が聞こえてきそうな事を思いながらホクガンは自国民を抑えに演説した。
事態を何とか収拾するとゼレンの代表団はそのまま軍部の施設内に連れて行かれ、ドミニオン国民から身を守るためという名目のもと、波桔梗隊ではなく雷桜隊と霧藤隊に周りを包囲されたまま一夜を過ごし、翌日自国へと帰っていった。
当然というか道々新聞やテレビ、口コミで事の次第を知ったドミニオン国民に睨まれ罵倒されながら。
「ウザいのが片付いたら純粋に試合を楽しむか。」
一時間ほど掛って武道会を再開し、戻ってきたホクガンの第一声。
「次はガツクじゃのう。モモコ・・・・大丈夫か?」
ダイスはガツクの腕の中で縮みこんでいるモモコに声を掛けた。
「どーした?」
「いや、モモコが。」
ホクガンも丸くなるモモコを見て眉を寄せた。
「腹でも痛いのか。」
ガツクがモモコを撫でる。と、ふるりとモモコが震えた。
「・・・・・・。」
ガツクは目の高さまでモモコを持ち上げた。モモコは嫌々をするように身を捩る。
「モモコ・・・・俺が怖いか?」
えっ!今さら!?
ホクガンとダイスが驚きの声を上げる。
「いや・・・俺達が怖いか?」
!
ホクガン達はモモコを見る。モモコはしょぼんと頭を落とした。
「・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・。」
ホクガンとダイスはモモコが全部聞いたり見ていた事を知っている。
自分達は他人から見たら恐ろしいのかもしれない。たった一言で国とまで闘う自分達。狂ってる。そう思われても・・・・仕方ないのかもしれない。
(だが仲間にそう思われるのは嫌なもんだな。つうか俺ってコイツの事結構気に入ってんだな。マジ意外)
(ショックなもんじゃな。モモコに嫌われとうないが、怖い思いさせたしのう)
「モモコ・・・・お前に怯えられても俺は構わん。」
えっ!
2人と一匹がガツクに注目した。
「お前が俺を厭おうと俺はお前を放さん。そういう時期はもう過ぎた。こんな俺もいる事に慣れた方がいいぞ・・・逃げたければ逃げてもいい・・・徒労に終わるだろうがな。」
(きたな)
ホクガンは目でダイスに語りかけた。
(きたの)
ダイスも目で返した。
(モモコを見てみい。固まっとる)
ホクガンはモモコに視線を移した。
ピンクの猫からがやがて白い猫に衣替えしそうだ。
(うーん。困ったな。これじゃあチームワークどころか日常関係もやべえ。)
2人が唸っていても時間は過ぎていく。
「二回戦第四試合を始めますので、トーレ選手とガツク選手、モモコ選手は舞台にお上がり下さい!」
雨牡丹のレフェリーの呼ぶ声がする。
「モモコ。」
モモコはガツクを見上げた。
いつものガツクだ。
だけど・・・・・
「行くぞ。」
短く言うとガツクはモモコを肩に乗せ舞台へと歩き出した。
ガツク達が”属国”に過剰反応するのはそれだけ当時の傷跡が深かったってこともあるんですが、個人的な事もあるんです。そのうち説明が入る予定です。