3-1 お別れです
サアァァァ・・・・・
ガツクは執務室の窓から雨が降るのを眺めた。
(モモコは雨が嫌いだったな・・・・。塞ぎこんでなければいいが・・・・。)
ガツクが仕事の手を止めてぼんやりするのをカインは心配そうに見やった。
「ガツクさん、この新たな訓練施設の概要ですが。」
カインが書類を差し出すと、
「後で目を通す。そこに置いてくれ。」
窓からデスクの書類に意識を戻したガツクはカインの方を見ずにペンで指し示した。
カインはため息をこらえてもう三つにもなる書類の塔に新たな書類を重ねた。
カインはガツクに代わるように窓を見る。どんよりした雲と細かな雨はあの日を思い起こさせた。
薄暗い玄関でガツクを待っていた小さなモモコの姿を。
あのクイズ対決から3週間が経っていた。
「さあさあさあ!!なんとここでガツクが追いついて来たぞォ!!これでガツク4ポイント!テンレイ4ポイントの同点だァ!!いよいよ次が泣いても笑ってもラストクエスチョン!最後のお題はこれだァァ!!!」
ホクガンが片手でスクリーンを指すと、ひと際派手な色彩で文字が点滅した。
[毎日の愛の積み重ね♥知ってて当然!大好物はアレよね?]
「猫の一番好きな食いモン当ててみろ!猫が選んだ方が真の飼い主だ!」
ホクガンの声にモモコは青ざめた。
テンレイは知っている。前にモモコにせがまれ与えた事があるからだ。
ガツクは知らない。モモコはチョコレートが好きな事を。
実はモモコ、自分が決めたダイエットの掟をできるものは頑なに守っていたのだ。できるだけ運動し、甘いモノはご飯のみ!を。ガツクは甘いモノは好まない、まして猫がチョコレートを食べるなど想像だにしない。ガツクの周囲に甘いモノがないのを幸いに我慢できていたのだ。お陰でウェストまわりは減りはしなかったが、増えてもいなかった。
モモコの頭が真っ白になっている間にも事態は着々と進行する。既に2人はそれぞれの補佐官に自分がこれ!といったモノを告げ、すぐさま器に入ったモノが用意された。
後はモモコが選ぶのみ。
「おい、大丈夫か?しっかりしろ。」
モモコが彫像のように微動だにしないでいるとホクガンが小声で囁く。
モモコがホクガンを見上げるとこの男にしては優しげな声で
「つらいだろうが頑張れ、必ず上手く行くから。あいつらを信じろ。」
謎の言葉を残し、そっとモモコをソファから降ろした。
モモコは遥か遠くにあるかのような器に目を向けた。震える息を吐き、中々進まない足を無理矢理踏み出す。
一歩一歩モモコが器に近づくのをダイスはたまらない気持で眺めた。
もうこの結末はダイスにはわかっている。
だがわかってはいてもそれで平静になれるかと言われれば決してそうではない。
むしろその逆だ。
ダイスは以前、仕事中のガツクに
「お前は毎日毎日、仕事仕事でよう飽きんのう。他に楽しみないんか。」
と聞いた事がある。その時奴に、
「今しているだろうが。」
と真顔で返され、ア然とした思い出があった。
(やっとアイツが見つけた拠り所なんじゃ。それを・・・・。テンレイにもなァ・・・荒療治すぎやせんか、ホクガンよ。)
ダイスはモモコからホクガンへと視線を移した。
ホクガンはじっとモモコを見ている。その目は真実を見極めようとするかの様に鋭い。
モモコは長かったのか短かったのかわからないくらいの感覚で器にたどり着くと、中身を覗いた。
テンレイの器には案の定チョコレートが一粒入っている。
ガツクの方は今となっては懐かしささえ感じる、レインボーフィッシュの煮魚がのっていた。
ガツクさんの所で初めて食べたのがこれだったっけ。
その前の生魚状態にはツッコミもいれた。
懐かしいなぁ。
モモコは切なくて切なくて涙が出ないのが不思議なくらいだ。
モモコはガツクを見上げた。
これもね、すごくおいしかったんだよ、ガツクさん。でもね、でも・・でも・・・やっぱり嘘はだめだよね。2人とも真剣に頑張ってくれたんだ。私も・・・・・。
ガツクが目を少し見開く。
モモコはぎゅっと目を瞑るとチョコレートをぱくっと食べた。
それは甘いはずだ。なのにモモコには今まで食べたどんなチョコより苦い味がした。
し・・んとした会場が次の瞬間、怒涛のような歓声に包みこまれる。
テンレイは飛び上がって喜んだ。
すぐにモモコに駆け寄り、そっと抱き上げると頬ずりした。
「ありがとう、コモモ。やっと帰って来てくれたわね。」
テンレイが嬉しそうにほほ笑む。モモコは、
「にゃーお。(心配かけてごめんね、テンレイさん)」
小さく鳴いて返した。
カインは信じられない思いでテンレイとモモコを見た。
(なぜ・・・・あんなにガツクさんに懐いていたのに。やはり最初の飼い主だからか?しかし・・・ハッ!ガツクさん!)
カインが急いでガツクを見るとガツクは席に着いたまま、手を組んでテンレイとモモコを見ていた。
それは普段のガツクとさほど変わらない様に見える。だが3年間補佐官として間近で接してきたカインや親友であるダイス、ホクガンにはそうとう無理をして平静を装っているのがわかった。
モモコにもわかったのだろう。たまらないようにテンレイの腕からガツクの席に飛び乗ると、ガツクの腕に前足を置いて、
「みゅーう。(ガツクさん)」
と鳴いた。
ガツクは力の入っていた手に一層力を加えると、
「行け。」
と一言囁くように言った。
「みゅー・・・。(ガツクさん・・・)」
「行け!!」
モモコは初めて聞いた ガツクの怒鳴り声にビクついたが、ガツクの顔を見上げて、
(そんな顔して怒られてもちっとも怖くなんかないよ。ガツクさん。)
ガツクの腕によじ登る。
何を。
ガツクと周りの者が目を見開いてモモコの行動を注視するなか、
モモコはガツクの頬にそっとキスをした。
ガツクの目が限界まで見開かれる。
(ありがとう ガツクさん。たぶんもう会えないと思うけど、たくさんの感謝に代えて。)
テンレイは今まで以上にモモコに気をつけるようになるだろう。
そして軍部とは仲が悪いうえ、奥から軍部は遠い。
まして勝負に負けたガツクがモモコに会いに来るとは到底考えられない。
短い間ではあったがモモコは正確にガツクのことがわかっていた。
だが しかし、
(あ~~あ。やってくれたな 猫よ。いや今はコモモか。トドメ刺しちゃって、まあ。これでお前は逃げられなくなったぜぇ?)
ホクガンは片眉を上げてため息を付いた。
(完璧じゃな。ワシらでもそこまでは予想してなかった。今から頭が痛いわい。)
ダイスは腕を組んで天を仰いだ。
モモコが知らなくて、ホクガンとダイスが知っている事。
それはもう少し先の事件
爆発する。
世にも珍しい固まったままのガツクを置いといて、ホクガンはテンレイを称え、祭りは幕を閉じた。
あれからガツクは自宅に帰っていない。
執務室の隣、応接室兼説教部屋にわずかな私物を持ち込み、寝泊まりしているのだ。
そしてモモコの事を忘れるように仕事漬けの毎日を送っていた。
三日 四日の徹夜は当たり前、手当たり次第に仕事を引き受け、限界まで働くと死んだようにソファに寝る。これの繰り返しであった。
カインはたまらずガツクに意見した。
「ガツクさん、これではいつか倒れますよ?それでなくても任務中ミスをするかもしれない。頼みますから少しだけ休んで下さい。3日、いえ1日でもいいですから。」
「馬鹿を言うな。この件は急ぎなんだぞ、俺以外に誰がやるというのだ。」
ガツクさんが急がせてるんです!とはカインは言わない。代わりに
「モモコちゃんの事ですが・・・・。」
思い切って切り出した。途端ガツクのペンを走らせる音がやみ、急速に執務室の温度が下がる。
「アレはもうテンレイのモノだ。モモコではない。」
底冷えする声音でガツクが遮る。
「しかし・・・!」
「もうアレと俺は関係ない。もう2度とアレの名を俺の前で出すな。」
「ガツクさん!」
「カイン、これは命令だ。」
「・・・・・・わかりました。」
カインの言いたい事はわかる。
俺の今の状態はひどいなんて物じゃないからな。
だがこうして自分を仕事に縛りつけていないと無理矢理奪いに行きかねん。
ガツクはあの時モモコがそっと触れた頬を指で押さえた。
なぜ こんなにお前が恋しいんだろうな。ただの猫だ そうだろう?
モモコ・・・・お前が居た部屋にいまだに入れんのだ。
今の俺をお前が見たらなんて言うだろうな。鼻に皺でも寄せて呆れるか?
モモコ・・・・
孤独を知らなかった男にそれを教えてくれた小さな生き物。
そのピンクの塊はここにはいない。
リアルの猫さんにチョコレートは上げないでね!