2-4 廊下を走ってはいけません
走ったり、泳いだり、洗われたり、激熱ミルクを飲んだりして
疲れきっていたモモコは昼ごろ、ようやく目を覚ました。
寝ぼけ眼で辺りを見回しギョっとしたが、昨夜の事を思い出し脱力した。
(あ~、そっか、そうだった。私ってほんとに・・・テンレイさん心配してるかな・・・。
ここどこら辺なんだろ。たぶん、いや完璧迷子だよね。)
モモコの行動範囲は、テンレイの私室とお茶会とかの往復に限られていたため、その辺りの事など全くといっていいほどわからずにいた。
もし把握できていたとしても、総所は広域で入り組んでいる。一人で戻るには無理があった。
(テンレイさん優しいからな。たぶん捜してくれてるんだろうけど・・・。いつまでかなぁ・・ふぅ。)
考えれば考えるほどマイナスな方向に傾いていく。のでモモコは考える事をやめた。
(なんとかなるだろ!大丈ー夫!やるぞ私!)
さて前向きになったところでモモコはこの家を探検する事に決めた。
あの大男の家でモモコのサイズでは探索より探検の方がふさわしい。
モモコはまず、ベッドから降りて正面にある掃き出し窓に近寄り外を見てみた。
どうやら庭のようではある。どことなく日本庭園にちかいような趣だ。
(う~ん。この世界はもとの所とびっくりするほど似てるモノが多いなぁ・・・私が捜してるのかな。無意識に。)
結構思い切りがいいというか、順応性が高いというか、馴染みすぎだろ自分と思わなくもないモモコだが、やはり時たまホームシックにもなる。死という究極の体験をした上、まるで見知らぬ世界に落ちてきたのだ。しかも猫の姿というおまけ付き。精神錯乱を起こしたとしても不思議ではない。
しかし、猫になっていた、という事が悪いように作用せず生まれ変わったのかもというよく言えば前向き、悪く言えば単細胞な考えが、モモコを楽にこの世界に馴染ませた。
寝室をぐるっと見渡して乱雑におかれたコートやスーツを見て顔をしかめる。
(ちゃんと掛けないとシワになるぞぉ。ナめんなよ。シワ。)
その側を通ろうとして、ふとコートに模様が入っているのが見えた。
前足でちょいちょいっと真っ直ぐにしたり、ひっくり返したりを繰り返してようやくそれがなんなのかわかった。それは横切る二つの雷に五つの桜が舞う図案だった。それが左の前身頃、胸あたりから肩に上り、背の中程まであった。コートの地が黒いので白青の雷と桃色の濃淡の桜はかなり目立つ。
(すごいな~なんだろなんかの応援団?あの人がんなわけないかぁ。コスプレ?しそうにもない。)
考えながらドアをくぐると居間に出た。
慎重にあたりを見渡す。人の気配がまるでしない。大男は留守のようだ。
(ふぃ~ 出くわしたらどうしようかと思った。とりあえず心の準備がいるよね・・知らない人だと)
ガツクの場合別の心の準備が必要になるのだがモモコはあえてスルーした。
ガツクのシンプルな家具を見て(あまりこだわりなさそう)と余計なお世話的感想をもらしながら歩いてゆくと二つの器があった。
(もしかして・・・・ご飯? か?)
モモコの疑問ももっともな なんかヘンな物体が乗っている。
(なんだあれ?キラキラしてる。)
恐る恐る近寄ってみると そこには・・・・
(こ、これは・・・・魚?)
まるっと魚が入っていた。しかもただの魚ではない。虹色に輝くドミニオン名物、その名も「レインボーフィッシュ」まんまだが。
体長2mを超す正に魚の王者。その身は生ではプリプリ、焼けばふっくら、煮れば蕩けるような巷では大絶賛!の食材だが、モモコからしてみれば、
(んなもん食えるかーっ!!)
罪のない魚に思わず両後ろ足でツッコミ、とび蹴りをかますシロモノでしかない。
ちょっと涙目に潤んで見えなくもない魚を無視し、もう一つの器に入っていたミルクを残らずたいらげ(今度は慎重に温度を確認)、モモコは探検を再開した。
結果、ある程度生活感はあるが全体的にシンプルで無駄な物はない感じである。
フリルやレースで飾られたテンレイの部屋とは対極でモモコには面白かった。
居間に戻り、モモコが時計を見ると時刻は2時半を過ぎていた。
(そんなに時間経ってない・・・暇だぁ~・・・本か雑誌ないかな・・・)
テーブルに乗ってみるとたくさんの書類があった。
(ん?ふんふん さっぱりわからないけど・・・)
鉄橋、増築、補強、不法侵入、陸橋、材質、ダイス・ラズ大将、サムズ出向、任務・・・
(これ・・なんか・・・気のせいかな・・間違っても奥じゃない・・・。もしかして。)
そして決定的な文字を見る。
軍部・承認・ガツク・コクサ大将・残る霧藤隊を代理統括。その顔写真。
そこには写真からでも威圧感ありまくりなあの大男がいた。
時間は少しさかのぼって12時ちょうど。
カインはこの日上官が機嫌がいいのを珍しいなと思いながら午前中を過ごした。そして、
「ガツクさん、昼食なににします?」
いつものように聞いた。すると 一瞬の沈黙の後いきなりガツクが立ち上がったので
思わずビビって身構えると、上官はドアに向かい出て行く寸前でこっちを振り返り、
「猫の好物はなんだ。」
と聞いてきた。
なんの脈絡もない質問にあっけにとられながらもカインは律義に返した。
「そうですね・・・一般的に猫の好物は魚だと思います。」
「わかった。」
それだけ言うとガツクは去った。
ガツクの駆けて行く足音を聞きながら、カインは嫌なすんごく嫌な予感がしてきた・・・。
(しまった。アレのメシを失念していた・・・。俺とした事が。)
ガツクは走りながら総所を抜け、一目散にドミニオンで一番の魚市場に行き、
ちょうど水揚げされたばかりのレインボーフィッシュを見つけた。
そう、まさに見つかってしまった。
(どうせ食べるのなら一番うまいやつがいいだろう。この大きさなら足りない事もあるまい。)
すぐさまお持ち帰りとなる。
「大将!後で届けますぜ?」
「いや、今すぐ食べるんだ。気にするな。」
「あいよ!毎度ありぃ!」
ガツクは市場を出ながら時計を確認した。12時24分。昼食時間も半分近い。ガツクは走った。
アレは腹が減ってあの奇妙なだが面白い声で泣いている事だろう。
(急ぐか。)
ガツクはさらに足を速めた。
その日、軍部に新たな伝説が誕生した。
今日、部内勤務だった彼らは自分の運命を呪った。
彼らは見てしまったのだ。
黒いコートを翻し、輝く虹色の魚を(2m)持って走る、彼らの大将を。
その速さ、尋常ではない。
運悪く魚やガツクに接触した者は弾き飛ばされて壁などに激突し、医務室に送られた。
理不尽である。しかし彼らは訴えない。なぜなら「これしきの事で医務室とは・・・鍛錬が足りていないようだな。」とか言って地獄という名のトレーニングを軍部全体でやる事になるからだ。
この喜劇?悲劇?いや大惨事を体験しなかった者は被害者から一連のことを聞き一様に「うっそぉーあのガツク大将がぁー?国主じゃなくて?」と疑ったが、後日それを上回る事件に遭遇するハメになる。
はしゃぎすぎだよねぇ。