いつかやらかすと言ったでしょ
数多くの作品から目に留めていただき、ありがとうございます。
「お陰様で誤解が解けました、ありがとうございました、アイリー様」
子爵令嬢のフランセスは深々と頭を下げた。
「仲直り出来て良かったですわ」
アイリーはホッとして微笑む。
ここは貴族の子女が十六歳になる年から十八歳まで三年間在学する王立学園、庭園の花壇にはアイリーが栽培している薔薇が咲き誇っている。丹精込めて育てた薔薇を見るのがなによりの楽しみなので、彼女はいつも庭園が望めるテラスで昼休みを過ごしている。今日は一学年上で一カ月後に卒業を控えたフランセスとその友人二人、四人でランチを済ませた。
ファンデン伯爵令嬢のアイリーは赤い髪に橙色の瞳の十七歳、成績は優秀で趣味は貴族令嬢らしからぬ園芸、学園内でも庭園の花々を世話していた。
この国では親の都合で幼い子供たちを政略的に婚約させることを禁じている。意に沿わぬ婚約をさせられた者が勝手に婚約破棄をして相手を傷つけたり、結婚してもすぐに離婚する事例が頻発したため、ある程度本人たちの意思を尊重し、自由恋愛を推奨するようになった。
幼少期に婚約を結ばれることは少なくなり、王立学園に通っている間に相手を見つけて婚約することが多くなった。フランセスとチャックもそうして結ばれたカップルだったが、卒業式を間近にちょっとした誤解から仲違いしていたのだ。
「彼が私の黒髪を嫌っているなんて誤解だったんです。私がコンプレックスを持っていただけで、外見など関係なく私自身を愛していると……」
フランセルは頬を赤らめる。
「お互いの気持ちを伝えあうことは大切です。つまらないことで婚約が解消されるなんて馬鹿げていますわ。愛する人と巡り合えた縁は大切にしなければなりませんものね」
たいていのことはちゃんと話し合いをすれば解決するものだ。まあ、それも話が通じれば、のことだが……。中には話が噛み合わない人もいるから苦労する。
アイリーがそう思っていると、やって来たのは……。
「あら、フランセス様、聞きましたよ、チャック様と仲直りされたのですって、良かったですわね、卒業間近に破談なんてことになれば大事故ですからね」
そう言ったベロニカにフランセスは苦笑を浮かべ、一緒にいた友人二人はあからさまに怪訝な表情を浮かべた。無理もない、ベロニカの勘違い発言が仲違いの原因だったのだから。
「それでは私たちは失礼致します」
三人はそそくさと去って行った。
アイリーと同い年の従妹クラーク伯爵令嬢のベロニカは、ふんわりしたプラチナブロンドにペリドットの瞳、透き通るような白い肌の可憐で庇護欲をそそる学園でも評判の美少女だ。
とあるパーティーでベロニカの美しい金髪をチャックが褒めた。それは社交辞令だったのだが、ベロニカは〝彼は私のような金髪がお好み、黒髪は魔女のようですものね〟と、わざわざフランセスに言った。もともと地味な黒髪にコンプレックスを持っていたフランセスは酷く傷付いた。
チャックは金髪が好きだなんて一言も言っていない、ましてやベロニカに気がある素振りなどしたつもりはなかったのに、そう思わせるような言い方をして誤解を生んだのだ。フランセスのコールマン子爵家はファンデン伯爵家と同じ派閥の寄り子なので、従妹がやらかしてしまった失態を放っていくわけにもいかず、アイリーは尻拭いに奔走した。これで何度目なのだろう。
「あら、もうランチは済んでしまったの? 私も誘ってほしかったわ」
自分がしたことに悪気がないベロニカは避けられたことにすら気付いていない。
彼女はアイリーの母親アナベル・ファンデン伯爵夫人の双子の妹イライザ・クラーク伯爵夫人の娘で、イライザは十年前に病で他界した。
『イライザとクラーク伯爵は大恋愛の末に結ばれたのに、イライザが亡くなって一年足らずで後妻を迎えるなんて信じられなかったわ。その上、嫡男が生まれた途端、イライザの忘れ形見のベロニカを蔑ろにするなんて許せない! 私がイライザの代わりにベロニカを護ってあげなければならないのよ』
それが事実か疑わしいが、アナベル曰く、〝後妻に虐められて可哀そうなベロニカ〟の面倒をファンデン家で見ることになったのは五年前だった。
その時から、アイリーは厄介な従妹の尻拭いをさせられることになった。
とにかく妄想交じりの余計な一言が多い、勘違いも甚だしいので話が噛み合わない。
「まあ! 咲いたのね!」
ベロニカは大輪の花を咲かせた薔薇を見て目を輝かせた。
「私が愛情を込めて水やりをしたからよね」
〝いやいや、あなたが水やりをしたのは何回なの? 毎日するものなのよ、それに水だけで薔薇は美しく咲かないのだけど〟とアイリーは心の中で突っ込んだ。
「品評会に出品するのでしょ、私たちの薔薇が表彰されるのが楽しみだわ」
〝えっ? 私たち?〟 アイリーが言葉にする前に、
「あら、クライド様だわ!」
ベロニカはクライド・オドネル公爵令息の姿を見つけると、慌ただしくそちらへ駆けて行った。
クライドはハニーブロンドに群青の瞳のキラキラした美丈夫で、加えて公爵令息と言う最高位貴族、ベロニカは彼にご執心でずっと追い回している。学園でも評判の美少女に言い寄られてクライドも満更ではない様子だったが、アイリーはまた厄介なことにならないかと危惧していた。
「相変わらずだな」
入れ替わりにリュシアンが現れた。
「二人で育てた気になってるなんて信じられないな、君が一人で栽培したんだろ」
「そうね、でも彼女は数回水やりをしただけで自分も参加している気になっているのよ、いつものことよ」
思いっ切り顔を歪めたリュシアンは隣国ルルーシュ王国から留学しているガードナー侯爵令息、アイリーより一歳年上の彼とは遠縁に当たる。祖父が従兄弟同士で仲が良く、幼い頃アイリーは休暇の度にガードナー家に遊びに行っていたので二人も仲が良い。
リュシアンは父方の親戚でベロニカは母方、ガードナー侯爵家とクラーク伯爵家の繋がりはない。しかしベロニカはオリーブの髪にエメラルドの瞳で精悍な顔つきの美男リュシアンを気に入っており、親戚で親しくしていると吹聴するのでリュシアンの方は嫌がって避けていた。
「どんな思考回路になっているのか理解できないよ。たちまち自分の都合のいいように話を作り変えてしまうんだからな。事実とは異なることを事実だと思い込んでしまうから、周囲の人が知る事実と齟齬が生じるんだよな」
「けどベロニカは自分が正しいと信じて疑わないから注意しても無駄、それにお母様が甘やかすから手の付けられない怪物に育っちゃったのよ。お母様にはいつかやらかして大事になるって言ってるんだけどね」
ベロニカの勘違い発言が周囲を混乱させる。入学以来、度々起こる些細なトラブルの原因が彼女であることを近しい者たちは気付いていた。
「お前の母上はベロニカを異常なほど可愛がっているようだけど、お前は離れたほうがいいと思うんだ。これ以上振り回されて嫌な思いをすることはない。前に言っていた留学の話、考えてみないか?」
一カ月後、卒業すれば母国へ戻るリュシアンは、アナベルが実の娘よりベロニカを溺愛して甘やかしていることにアイリーが傷付いていることを心配していた。それで留学を勧めているのだ。アイリーは家から、二人から離れたい気持ちもあるが、それよりも大切なことがあった。
「無理よ、アラン様と一年も離れる訳にいかないわ」
クランベル伯爵家の嫡男アランは一歳年上のアイリーの恋人だ。彼は今年卒業を迎えるので、卒業を機に正式な婚約を結び、一年後アイリーが卒業するのを待って結婚しようと二人の間で話をしていた。
「そうだよな、それが問題だよな、アランもこちらの大学に留学すればいいのにな」
「アラン様は嫡男だから伯爵家の領地経営をお父様から学ばれる予定なのよ」
「気楽な三男の俺とは違うか……。でも最近一緒にいることが少なくなったんじゃないか」
それはアイリーも気にしていたことだった。卒業に向けて色々と忙しいようだが、今までは週に二回は一緒に過ごしていた昼休みも、先週から一度も現れていなかった。
「他人の世話を焼いているより、お前もちゃんとアランと話をした方がいいんじゃないのか?」
言葉にはしないが、ベロニカが余計なことをしているんじゃないかとリュシアンは心配しているようだ。アイリーの胸にも不安が広がった。
* * *
「えっ? 今、なんと……」
アイリーはアランの言葉に耳を疑った。
「ジーン・ハミルトン侯爵令嬢と婚約することになった」
「ジーン様と……なぜ? なぜです! 卒業したら私と婚約するとおっしゃっていたのに、なぜ急に心変わりされたのです!」
「それはこちらのセリフだ、君は本命の彼との婚約が調ったんだろ?」
「あなたの他に本命なんかいません」
アイリーの言葉にアランは驚きの表情を向けた。
「そんな……俺は、君が婚約したと聞いたから……」
「誰がそんなことを……」
アイリーはハッとして蒼ざめた。
「まさかベロニカですか?」
「ああ、アイリーが想い人と婚約出来て喜んでいると言っていた。俺は愕然としたよ」
アラン以上にアイリーは愕然とした。
「リュシアン・ガードナー侯爵令息が本命で、俺は当て馬にされていたのかと怒りに震えた」
「私がリュシアンと? まさか」
「違うのか? ……婚約は」
「以前に説明しましたよね、リュシアンは親戚です。婚約などしていません。ベロニカは私とリュシアンが婚約したと言ったのですか?」
「……いや、でも俺たちはまだ正式に婚約していなから、婚約したと聞いたら別人だと思うだろ」
「ベロニカはきっと私とあなたが婚約したと早とちりしたのですわ、いつも思い込みや勘違いがはなはだしい人なのはあなたもよくご存じでしょ」
「あ、ああ、そうだった」
「なぜ確認してくれなかったのです? そうすればすぐに誤解は解けたのに」
「俺は君が婚約したと聞いて頭に血が上って、きっとリュシアンだと思って強烈な怒りに苛まれて気が変になりそうだった。でも、未練たらしく縋るわけにはいかないし、振られたのなら潔く身を引くのが男の美学だろ」
「アッサリ諦められる程度の気持ちだったのですね、私への愛はその程度のものだったのですね」
なぜその怒りをぶつけてくれなかったの? とアイリーは心の中で付け加えた。
「愛していたさ、だからこそ自暴自棄になったと言うか、君のことを早く忘れるためにジーンが卒業パーティーのエスコートを申し込んできた時、応じたんだ」
ジーン・ハミルトン侯爵令嬢とアランは入学前からの知り合いで、アランはジーンの初恋の人だとアイリーは聞いたことがあった。アイリーとアランが親しくしていても、諦めることなく健気にアプローチを続けていた。
「ジーンはダメもとで申し込んだと言っていた。卒業したらキッパリ諦めるつもりだったけど、俺がOKしたことに驚いていたよ、嬉し泣きされた。それに彼女の家と俺の家は同じ派閥で、昔から事業提携もしているし、双方の親も俺たちがパートナーになったことを喜んで、あっという間に婚約まで話が進んでしまったんだ」
確かに、家同士で話が進んだのであればもう引き返せない。
「ゴメン、本当にゴメン」
軽い、軽すぎる……、とアイリーは憮然とした。
アランは本当に申し訳なさそうな顔をしているものの、悲壮感は漂っていない。アイリーは胸が抉られる痛みに耐えながら、必死で立っていると言うのに……。
ゴメンで済むような、自分たちの関係はそんなに軽いモノだったのかと、アイリーは打ちひしがれた。
* * *
と言う顛末をアイリーはリュシアンに報告した。
「はあ? なんでそんなことになるんだ? お前たちが会わなくなってせいぜい十日ってとこだろ?」
「アラン様はショックで自棄になって暴走してしまったと……まさかリュシアンと婚約したと思ったなんて、最初から親戚だと言っていたのに信じてもらえなかったのは私の不徳よ」
「でも、ベロニカが紛らわしいことを言わなければ誤解されなかっただろ、その言い方、わざとじゃないだろうな」
「それはないと思う、悪気が無いから手に負えないのよ。あの子はいつも自分が正しいことをしていると信じているのよ」
「でもお前はそれでいいのか?」
「ベロニカの紛らわしい言葉一つで壊れてしまうような仲だった、信頼関係が薄かったのよ」
「アランのこと好きだったんだろ?」
「ええ、好きだったわ。でも簡単に壊れてしまった……」
他人の世話を焼いている場合ではなかった、もっと早くアランの変化に気付いていれば誤解を解くことも出来たのに……とアイリーは後悔したがすべては後の祭りだ。
アランとアイリーの出会いは一年程前、アイリーが一年生の終わり頃だった。
教師に花壇の使用許可を申請している時、偶然居合わせたアランが話しかけてきた。『花を育てたいなんて、貴族令嬢の趣味としては珍しいね』そうだろう、庭師が育てた花を愛でることはあっても、自分の手で栽培する令嬢はいない。
そんなアイリーに興味を持ったのか、アランは庭園にいるアイリーを見つけては話しかけてきた。そしてゆっくり親睦を深めていった。
燃え上がるような恋ではなかった。穏やかに、でも確実に育んできた関係だった。彼とならこの先もお互いを尊重しながら共に歩んで行けるとアイリーは信じていた。
「本当に愛していたのなら、なにも言わずに身を引く選択などしなかったはずよ」
アイリーに問いただしたはずだ。
「それに私だって彼に縋ることはしなかった。ジーン様を傷つけることになっても取り戻そうとはしなかった。……彼が好きだったわ、穏やかで優しくて、彼となら温かい家庭を築けると思っていたけど、どうしても彼じゃないとダメだと思うような身を焦がす恋じゃなかったのよ」
アイリーは自分自身に言い聞かすように言った。
アイリーが強がっていることがわかるリュシアンは彼女の頭にポンと手を置いた。
「もう子供じゃないんだから」
子供の頃はいつもそうやって慰めてくれたリュシアンの手はあの頃と違ってとても大きくて温かい。
「わかってる、お前は立派な淑女だよ、でも、辛いときは泣いてもいいんだぞ」
堪えていた涙が溢れだした。
「リュシアンのせいよ」
「そうだな」
アイリーは溢れる涙を止められずにリュシアンの胸に顔をうずめた。
ひとしきり泣いた。
「ゴメン、鼻水が……」
リュシアンの胸元を涙と鼻水で濡らしてしまい恥ずかしさに顔を上げられない。
リュシアンはアイリーの震える肩を抱きしめたい衝動に駆られながらも、グッと堪えて見下ろした。大切なアイリーを傷つけて悲しませたアランに憤り、そして元凶のベロニカに激しい怒りを覚えた。
「いいよ、これくらい、それでご両親にはどう説明するんだ?」
「真実を打ち明けるわ」
* * *
アランとの関係が破綻した理由を話すと、父親のファンデン伯爵は絶句し、兄のテイラーは、
「なんてことをしてくれたんだ、あの女は!」
拳を握り締めた。
五歳年上の次期伯爵であるテイラーは、普段は領地の本邸で妻子と共に生活して、既に現伯爵の代わりに領地運営をしている。今はたまたま用があって王都のタウンハウスに滞在していた。
「ベロニカに悪気はなかったのよ、勘違いしたアラン様が悪いのよ。そんな浅慮な人だとわかって良かったじゃない。これが将来社会に出て商談とか契約とかの話になれば、勘違いでは済まないわよ」
アナベルだけは姪のベロニカを庇った。
「ご縁がなかったのよ。大丈夫、あなたは美人なんだから、すぐに次が見つかるわよ」
その言葉は薄っぺらかった。アイリーが傷心していることは少しも気にしていないようだった。
そこへ学園帰りに寄り道をしていたベロニカがいつもより遅い帰宅をした。
「聞いてちょうだい! クライド様に卒業パーティーのエスコートを申し込まれたのよ!」
歓喜の声をあげながらリビングに飛び込んで、沈んでいた空気を吹き飛ばした。
卒業パーティーには在校生も参加する、ベロニカはまだ婚約者が決まっていないクライドのパートナーの座を狙ってアプローチをし続けていた。
「まあ! クライド様ってオドネル公爵令息の? 光栄じゃないの!」
無邪気に喜ぶベロニカにアナベルは笑顔を向け、フェンデン伯爵は諦めの目を向け、テイラーは冷ややかな視線を突き刺した。しかしベロニカは微妙な雰囲気に気付かない。
「ええ、今日はその話で呼び出されたの。ビックリしちゃった。さしあげたハンカチの刺繍が見事だと褒めてくださったの、だからお礼にエスコートすると」
声を弾ませるベロニカの言葉を聞いてアイリーはハッとした。
「そのハンカチって……」
「ああ、アイリーの部屋からちょっと借りたのよ、クライド様は私の作品だと勘違いされて」
「騙したの?」
「そんな、言いそびれただけよ」
「そもそも私の部屋から盗んだ物をプレゼントするなんて信じられないわ!」
ベロニカは何度言っても無断でアイリーの部屋に入って勝手にアイリーの物を持ち出す。両親にドアにカギを付けてほしいと訴えたが、従妹を泥棒扱いするなんてよくないとアナベルに却下された。
「盗んだなんて! ちょっと借りただけよ」
「アイリー、そんな言い方はよくないわ、あなたたちは姉妹も同然、持ち物を共有するのは当然のことじゃない」
当然ではない、ハンカチ一枚でも泥棒には違いない。なにより、自分の部屋に勝手に入られること自体が不快だ。ベロニカを自分の娘のように可愛がっているアナベルは、姉妹のようなものだから部屋の出入りくらいかまわないだろうと言う。アナベルとイライザの双子はなんでも共用していたから、アイリーとベロニカもそうして当然だと思っているようだ。
『可哀そうな子なのよ、後妻に疎まれて居場所を失くしたんだから、優しく接してあげなさい』とアナベルはいつも言い、ベロニカを気遣って、なんでも譲ることをアイリーは強要されてきた。ドレスも、宝石も、学園での課題レポートも、家での居場所も、そして母親の愛情も。
「姉妹じゃないわ」
アイリーは冷ややかに言った。
「酷い! 私はアイリーのこと実のお姉様だと思っているのに」
ベロニカはすぐさま大粒の涙をポロポロと零した。
アナベルは泣き出したベロニカの肩を優しく抱いた。
「アイリーはあなたが公爵令息にエスコートされると聞いて妬んでいるのよ、許してあげて。さあ、涙を拭いて、綺麗なお顔が台無しだわ」
自分はいったいなにを見せられているのだろうとアイリーの心がスーッと冷えていった。
「でもね、まだ正式な婚約者じゃないからドレスは贈れないんですって、だから」
「こちらで用意しなければ、公爵令息のパートナーに相応しいドレスを仕立てなきゃ、間に合うかしら? ギリギリね」
二人ははしゃぎながら部屋から出て行った。
ベロニカのテンションに呆気に取られて、アイリーとアランの仲を裂くことになった原因をベロニカに追及することは有耶無耶になり、ファンデン伯爵は頭を抱えた。
「娘の一大事だと言うのに母上はなにを考えているんだ! これじゃ、どっちが実の娘かわからないじゃないか」
テイラーは置き去りにされた妹の肩を抱き寄せた。
「もう慣れたわ。お母様は自分に似ているベロニカが可愛いのよ」
「父上! なんとか言ってくださいよ」
「そう言われてもな……お互い分身のように仲が良かった双子なのは知っていたし、ベロニカは亡くなったイライザの代わりなんだよ、引き離すのは無理だと思う」
「またドレスを誂えるつもりだろ、ベロニカが来てから何着目ですか? アイリーには必要最低限なのに。今度は公爵令息の隣に相応しいドレスをと言っていますが、いくらかかるんですか! 今度こそクラーク伯爵家に請求書を回すんでしょうね」
「そ、それは……」
息子に責め立てられても気弱なファンデン伯爵は妻の尻に敷かれがちで暴走を止めることは出来ない。そんな父の様子を見て、自分が引き継ぐ時、この家はどうなっているんだろうとテイラーは伯爵家の将来に危機感を覚えた。
「あのぉ、それより、私、お願いがあるんだけど」
アイリーはこの時、決意した。
「ルルーシュ王国へ留学させてください。リュシアンが帰る時、一緒に発ちたいわ」
母親とベロニカから離れようと。
ファンデン伯爵もテイラーも反対はしなかった。テイラーは少し寂しそうな顔をしたが、五年間、母親の言動を諫められなかった自分たちにも責任があると思い、アイリーの希望を叶えることにした。
リュシアンがついていれば、アイリーの傷ついた心を癒してくれるだろうと信じて。
結局、アイリーとアランが破局したことさえベロニカは知らないままになった。アナベルとベロニカは公爵令息クライドにエスコートされる栄誉に舞い上がり、準備に日々忙しく駆け回り、アイリーのことなど気にする様子もなかった。
その間にアイリーはテイラーとリュシアンの協力で留学の手続きを進め、隣国ルルーシュ王国へ渡る準備を済ませた。
* * *
そうして迎えた卒業パーティー当日。
ファーストダンスが終わり、婚約発表をして周囲から祝福の言葉を受けているアランとジーンの前にベロニカが躍り出た。
「どう言うことです、酷いですわアラン様! アイリーを裏切ってジーン様と婚約するなんて!」
甲高い声が会場に響き渡った。
少し離れたところからその様子を見たアイリーとリュシアンは、今頃気付いたのか? と呆れた。
アランはジーンと共に華々しく入場したし、アイリーはリュシアンのエスコートで入場している。しかしその時は、アナベルと共に選んだ豪華なドレスに身を包み、有頂天になって公爵令息クライドの腕にぶら下っていたベロニカは、舞い上がりすぎて周りが見えていなかったのだろう。
そしてファーストダンスが終わり、落ち着いたところで違和感に気付いたようだ。
結局、アナベルはベロニカにアランとアイリーの婚約が流れたことを言わなかったようだ。この一カ月、あれだけ一緒に過ごしていたのにそのことに一切触れなかったのかとアイリーは憤った。ベロニカは自分の間違った発言でアランが勘違いしたことも聞かされていないのだ。
「アイリーはあなたとの婚約を喜んでいたのですよ、それなのに乗り換えるなんて残酷です! 鬼畜の所業ですわ! 姉妹同然のアイリーが蔑ろにされるのを黙って見てはいられませんわ!」
ベロニカの中ではアイリーとアランが婚約したことになっていたので、彼が裏切ったと思い、正義感を振りかざすように叫ぶ。
隣のクライドはなにが起きているかわからず呆気に取られた。
若いうちはまだいろいろな女性と付き合って吟味したいと考えていたクライドはあえて婚約者を決めなかった。晴れの卒業パーティーは学園でも評判の美少女をアクセサリーとしてエスコートしてやろうと、軽い気持ちで選んだに過ぎなかったのだが、まるで婚約者になったような振る舞いに、少々ウザいと思い始めていたところへこの騒ぎだ。
しかし勘違いしているベロニカにとっては、彼の存在が強気の元になっていた。公爵令息の彼が横に控えていてくれている、侯爵令嬢相手でも怯むことはないと。
「ジーン様は地位を利用してアラン様をアイリーから奪ったのですね! 酷いです! 自分勝手にも程があります!」
ペリドットの瞳に涙を浮かべながら、従姉のために声を上げるベロニカは自分に酔いしれていた。
「なにをおっしゃっているの、この方は」
ジーンは訳がわからず苛ついている。彼女はアランが勘違いをしてアイリーとの婚約を諦めたことを知らない。
「おい、ハミルトン侯爵令嬢に向かってそんな言い方は」
クライドは慌ててやめさせようとしたがベロニカは止まらない。
「だって許せることじゃありませんわ、侯爵家の権力を笠に着てアイリーとの婚約を破棄させるなんて我儘が過ぎます」
「俺とアイリーが婚約した事実はない」
アランがやっと口を開いたが、
「嘘! 事実を葬り去ろうとしているのね」
「もとはと言えば君が!」
思わずアイリーが他の人と婚約したような紛らわしいことを言ったから勘違いして、自棄になってジーンと婚約したと口走りそうになったが、思い止まってアランは唇を噛んだ。自分の勘違いでアイリーを傷つけてしまった。その上、なにも知らないジーンまで傷つけることは出来ない。
アイリーは騒然としはじめた場内を見ながら、そっとテラスに出た。
「参加しなくていいのか?」
リュシアンが心配そうに後を追う。
「もう、ベロニカの尻拭いはしないわ」
アイリーは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
晴れた夜空には星が煌めいている。
ベロニカのキンキン声が小さく聞こえるが、テラスの端まで進むと虫の声にそれも紛れた。
「結局お母様はベロニカに悪気はなかったのだからと、間違いを正すことなく放置した。だから、こんなことになる予感はあったから、アラン様とは事前に話を擦り合わせてあるわ。それに、アラン様を溺愛しているジーン様が付いてるんですもの、ベロニカをコテンパンにやっつけてくれるはずよ」
アナベルがちゃんとベロニカに説明していればこんな事態は避けられたはずだ。アナベルの責任なのだから、自分が巻き込まれる筋合いはないとアイリーは無関係を決め込んだ。
「彼女の破滅を見なくてもいいのか?」
「私の姿を見つけたら巻き込もうとするのでしょ、ダンスも終わったし、もう引き揚げましょうよ。会場に戻らず庭園から出られるし」
「そうだな、明日の準備もあるし」
二人は明日、出国する予定だった。アイリーはあれ以来母親と話をしていないので、恐らく留学することさえ知らないだろう。ファンデン伯爵とテイラーも、舞い上がっているアナベルとベロニカの間に入れずに放置していた。
〝母は驚くだろうか? 寂しがる? いいえ、私がどこへ行こうと気にしないでしょうね〟そう思うとアイリーの心に冷たい風が吹き抜けた。
「お前が来たら母上は喜ぶだろうな、うちは男ばかりの四兄弟だから、娘が欲しいといつも言っていたから」
「私もおば様に会うのが楽しみだわ」
会場ではいつの間にか音楽の演奏も止まり、口論だけがホールの天井にこだまする。
「私が権力を振りかざして無理やり婚約したですって? そうなのアラン」
ベロニカがトラブルメーカーだと言う噂を耳にしたことがあったジーンは呆れたようにアランに問いかけた。
「そんな訳ないだろ、俺は長年俺だけを思い続けてくれた君の心に絆されたんだ」
「それでアイリーを捨てたの!」
ベロニカがすかさず口を挟む。
「君はさっきから俺とアイリーが婚約したと勘違いしているようだけど、誰からそんなことを聞いたんだ?」
「アイリーに決まっているじゃない」
「なぜ、そんな嘘を吐く」
「嘘なんかじゃないわ、アイリーは」
「ルルーシュ王国へ行くんだ」
アランはアイリーから母親とベロニカから離れるためにルルーシュ王国へ留学することを聞かされていた。そして、さっきはつい感情的になってしまったが、ベロニカが絡んで来た時のために準備していた対応を思い出した。
「植物学を学ぶための留学が決まっている、そしていつ戻るかわからない。俺は彼女の希望を尊重して別々の道を歩むことに決めた。円満に別れたんだ。俺は嫡男だから伯爵家を継ぐ予定だし、この国から離れられない、だから傍にいて支えてくれるジーンを選んだ。それはアイリーも納得済みだ、そんな彼女が俺と婚約したなんて言うはずないだろ」
「え……留学?」
寝耳に水のベロニカは愕然とした。
「なに? その顔は知らなかったようね、姉妹同然の大切な人はあなたに進路を報告していなかったの? 変じゃない?」
「ああ、変なんだよ、この令嬢は。話が通じないといつもアイリーが言っていた」
「そうですわ、妄言癖があるのです」
フランセスが人混みをかき分けて出てきた。
「誰も言っていないことをさぞ言ったように作り上げて話すのです、まともに取り合うと混乱しますわ」
あの時の恨みを晴らそうとばかりに参戦し、チャックと友人たちも大きく頷いている。
「私も少し前、酷い目に遭いましたもの、ハミルトン侯爵令嬢様とクランベル伯爵令息様も絡まれて災難ですわね」
「まあっ、そんな人が学園にいるなんて問題じゃないの? だいたい許可もなく私の名前を口にした上、言いがかりをつけるなんて正気の沙汰とは思えないし、排除したほうがいいかしら?」
ジーンの言葉に室内の温度が急降下した。なぜなら、彼女なら本当に排除…人間一人を消し去ることが容易に出来るからだ。
「ベロニカ、早く謝るんだ」
慌てて膝をついて頭を垂れたクライドが促すようにベロニカの手を引っ張った。しかしベロニカはそれを振り払い、
「なぜ公爵家のアラン様が頭を下げているのです?! 格下じゃないですか」
言い放った。
会場が一瞬、水を打ったように沈黙した。
みんなベロニカの言葉に信じられないと言った目を向けている。
「まさか君、知らないのか? 彼女は王家の血を引く方だぞ」
クライドが愕然と呟いた。
ジーンの祖母は元第三王女で、父親のハミルトン侯爵と現国王は従兄弟に当たる。ジーンに王位継承権はないものの王家の血を引く令嬢で国王夫妻にも可愛がられている。アランのこともハミルトン侯爵家から正式に婚約を打診すればクランベル伯爵家は断れない。しかしジーンはそうはせず正々堂々とアランの心を手に入れるために正面から向き合ったし、アイリーに圧力をかけることもしなかった高潔な心の持ち主だ。
「王家の血を引く?」
自分のこと以外に興味がないベロニカは、友人がいなかったせいもあり知らなかったのだ。
「ハミルトン侯爵令嬢は身分をひけらかす方ではないが、高位貴族なら知っていて当然、君は伯爵家じゃなかった? 知らなかったでは済まされない無礼を働いたんだぞ」
ここへきてようやくベロニカは自分がやらかしたことの重大さに気付いた。
* * *
卒業式の翌朝に母国を発ち、アイリーとリュシアンがルルーシュ王国に到着して二週間が過ぎようとしていた。
あの日、ベロニカは取り乱しながら帰宅し、ファンデン伯爵夫妻は要領を得ない話をしながら泣くベロニカを夜遅くまで宥めていたので翌朝は起きられなかった。アイリーたちの出発は早朝だったので、見送ったのはテイラーと使用人たちだけだった。
アナベルやベロニカと顔を合わせずに済み、晴れの門出にケチが付かなくてアイリーはホッとした。
「誰から?」
アイリーがテラスでお茶しながら手紙を読んでいると、見つけたリュシアンがピタリと横に座ったのでアイリーはドキッとした。こちらに来てからは妙に距離が近いと感じていたが、嫌ではないし拒絶する理由もない。
「兄様からよ、その後の様子を知らせてくれたの。あの後やっぱり大変だったみたいだわ。ハミルトン侯爵家は娘が侮辱されたと、オドネル公爵家とクランベル伯爵家からも息子が恥をかかされたと抗議文が届いて、お父様は慌てて謝罪に行ったそうよ。ファンデン伯爵家の娘じゃなくても預かっている以上責任はあるからね。学園からも苦情が来たらしいわ」
ファンデン伯爵家の評判は地に落ちるだろう。挽回するには当主交代しかないので、近いうちにテイラーが家督を継いで、恐らく現伯爵夫妻は領地の片隅ある別荘に引っ込むことになるだろうとアイリーは予想した。
「夫人は?」
「まだ寝込んでいるそうよ。二度と社交界へ出られなくなったことがショックみたい」
「ベロニカの処分は?」
「学園を退学してクラーク家に戻されたわ。向こうは今更返されても迷惑でしょうけど、拒否するわけにもいかないでしょ。その後、どうするかは知らないけど、あの不祥事ではまともな嫁ぎ先は見つからないでしょうね」
「だろうな」
「お母様は今更寂しくなったから私を戻せと言っているらしいわ」
「勝手だな」
「兄様がキッパリ断ってくれたわ。留学は一年の予定だけどそれは言わずに、お母様の仕打ちでアイリーは傷付いているから二度と戻らないだろうと言ったらしいわ。それにベロニカは私のせいでこんなことになった、自分は嵌められたと訳のわからないことを言って逆恨みしているから、危険だから当分は戻らないほうがいいと書いてある」
「戻る必要はないよ、アイリーはずっとここに居ればいい、学園を卒業しても大学があるし」
「そうね、ここは居心地がいいし」
この二週間、あの二人から離れられて息がしやすくなったとアイリーは生き返ったような気分だった。
「アイリー、母上が応接室に来てくれって」
リュシアンの弟のリュカオンが呼びに来た。
「あら、なんの用かしら?」
「仕立て屋を呼んだみたいだ、アイリーのドレスを誂えるんだって張り切っているよ」
「そんなぁ、ドレスなんか持ってきたもので十分なのに」
「いいじゃないか、母上の楽しみなんだし」
アイリーが困った顔をしながら応接室に向かうのを見送りながら、
「進学じゃなくて、俺の嫁になれ、とは言わないんだな」
「聞いてたのか」
リュシアンはリュカオンに茶化されてムッとした。
リュシアンは幼い頃からアイリーに心を寄せていた。リュシアンが留学した理由は、彼女を婚約者としてルルーシュ王国に連れ帰ることだった。自分を仲のいい親戚としか認識していないアイリーに恋愛対象として意識してもらいたかったが、一足遅く、アイリーはアランと出会ってしまっていた。
彼女を悩ませるようなことをしたくなかったので、親戚のお兄さんに徹して彼女の幸せを見守ることにした。涙を呑んで彼女を諦めようとしていた矢先の出来事だった。
「あんな女だけどベロニカには感謝なんだよな、アイツが二人の間をぶっ壊してくれたお陰でアイリーを連れ帰ることが出来たんだからな」
傷心のアイリーに付け込むようなことはしたくないので、ゆっくり関係を詰めていくつもりだが、
「学園で変な虫が付かないようにしっかり見張っててくれよな」
リュカオンはアイリーと同い年で、同じ学園に通う予定だ。
「了解、でも見返りは要求するよ」
「がめつい奴」
リュシアンは決意していた。これからデロデロに甘やかして、必ずアイリーの心を手に入れると。
おしまい
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