第七話「猫と陰陽師の攻防」
実俊の来訪から、数日が経った。
我が名は玄丸。真白の屋敷で暮らす、元魔導王の黒猫だ。そして、あの陰陽師見習いは、予想通り、再び現れた。
しかも、今度は、我を試すつもりらしい。
*
朝。
実俊が屋敷を訪れたのは、真白が庭で歌の稽古をしている時だった。
「失礼いたします、真白殿」
実俊が丁寧に頭を下げる。
「実俊様、いらっしゃいませ」
真白が嬉しそうに微笑む。
その笑顔を見て、我は、何故か不機嫌になった。
我は真白の足元にいた。膝の上ではなく、足元。何故か、実俊がいると、真白に甘えるのが躊躇われるのだ。
「本日は、お願いがありまして」
実俊が真面目な顔で言う。
「その猫、玄丸殿を、少しお借りできませんでしょうか」
は?
我を、借りる?
何を言っているのだ、この男は。
「まあ、玄丸を?」
真白も驚いたようだ。
「はい。実は、陰陽の術を試したいのです」
実俊が我を見る。
その目には、明らかな疑念がある。
「猫は、霊的な存在を感知する能力があると言われています。玄丸殿が、どの程度その力を持っているか、試させていただきたいのです」
それは、建前だな。
本当は、我の正体を暴きたいのだろう。ただの猫ではない、と確信しているのだ。
「玄丸は、そのような」
真白が困惑した顔をする。
「大丈夫です。危害を加えるつもりはありません」
実俊が保証する。
「ただ、少し術を試させていただくだけです」
真白は、我を見た。
「玄丸、あなたは」
我は「にゃあ」と鳴いた。
構わない。
この男が何を企んでいるのか、見てやろうではないか。我は元魔導王だ。陰陽師見習いごときに、遅れを取るつもりはない。
「……玄丸は、大丈夫だと言っているみたいですわ」
真白が微笑む。
「では、お願いいたします。でも、乱暴はしないでくださいね」
「承知いたしました」
実俊が頷く。
そして、我を見て、小さく笑った。
挑戦的な笑みだ。
いいだろう、陰陽師見習い。受けて立とうではないか。
*
庭に、実俊と我が向かい合っていた。
真白は縁側から、心配そうに見守っている。
「では、始めます」
実俊が懐から、符を取り出した。
黄色い紙に、何やら文字が書かれている。陰陽の符、だ。
実俊が符を空中に投げる。
すると、符が宙に浮いた。そして、ゆっくりと回転し始める。
「この符は、霊的な存在を感知するものです」
実俊が説明する。
「もし玄丸殿が、何か特別な力を持っているなら、この符が反応するはずです」
我は、じっと符を見つめた。
符からは、微かな陰陽の気配がする。だが、大した力ではない。初級の術だ。
符が、我の周りを回り始めた。
そして、我の頭上で止まった。
符が、微かに光る。
「……やはり」
実俊が呟く。
「普通の猫ではありませんね」
実俊が我を見る。その目は、鋭い。
「この符は、霊的な力を持つ存在に反応します。玄丸殿からは、確かに、何か特別な気配を感じます」
我は、しまった、と思った。
符に反応してしまった。魔力を完全に隠しきれなかったのだ。
「ですが」
実俊が続ける。
「それが何なのか、まではわかりません」
実俊が符を手に取る。
「妖怪なのか、それとも、別の何かなのか」
実俊が我をじっと見つめる。
「玄丸殿、あなたは一体、何者なのですか?」
我は、黙っていた。
答えようがない。言葉が話せないのだから。
だが、もし話せたとしても、答えなかっただろう。
我の正体を、簡単に明かすわけにはいかない。
「まあ、いいでしょう」
実俊が笑った。
「いずれ、分かることです」
実俊が次の符を取り出す。
「次は、もう少し強い術を試させていただきます」
その符は、先ほどのものより大きく、文字も複雑だった。
実俊が符を空中に投げる。
符が光り、そこから、小さな鳥のような形が現れた。
式神、か。
紙で作られた鳥が、我の周りを飛び回る。
「この式神は、敵意を持つ存在に反応します」
実俊が説明する。
「もし玄丸殿が、真白殿に危害を加えるつもりがあるなら、この式神が攻撃します」
式神が、我の目の前に降りてきた。
そして、我をじっと見つめる。
我も、式神を見つめ返した。
式神は、しばらく我を観察していたが、やがて、実俊の元へ戻っていった。
「……良かった」
実俊が安堵の息をつく。
「玄丸殿には、悪意はないようです」
実俊が我を見る。
「むしろ、真白殿を守ろうとする意志を感じます」
当然だ。
我は、真白を守るためにここにいる。
真白に危害を加えるなど、あり得ない。
「実俊様、玄丸は大丈夫ですか?」
真白が心配そうに尋ねる。
「はい。玄丸殿は、真白殿を守る良い猫です」
実俊が微笑む。
「少し、特別な力を持っているようですが、それは真白殿を守るために使われるでしょう」
真白が、ほっとした表情を浮かべる。
「良かった」
真白が我を抱き上げる。
「玄丸、怖かったでしょう。ごめんなさい」
我は「にゃあ」と鳴いた。
怖くはなかった。ただ、少し面倒だっただけだ。
*
実俊が帰る前に、真白が茶を出した。
我は真白の膝の上で、実俊を見ていた。
「実俊様、玄丸のこと、どう思われますか?」
真白が尋ねる。
「不思議な猫ですね」
実俊が正直に答える。
「普通の猫ではありません。何か、特別な存在だと思います」
実俊が我を見る。
「ですが、真白殿を守ろうとする気持ちは、本物です」
実俊が微笑む。
「それだけで、十分ではないでしょうか」
真白が、優しく我を撫でる。
「そうですわね。玄丸は、私の大切な家族ですもの」
その言葉を聞いて、我の胸が温かくなった。
「ただ」
実俊が真剣な顔になる。
「もし、何か異変があったら、すぐに教えてください」
実俊が真白を見る。
「玄丸殿が特別な存在であるということは、何か危険に巻き込まれる可能性もあるということです」
真白が、少し不安そうな顔をする。
「分かりました。何かあったら、すぐにご連絡いたします」
「お願いします」
実俊が頭を下げる。
そして、我を見た。
「玄丸殿、真白殿を頼みます」
我は「にゃあ」と鳴いた。
任せろ。
真白は、我が守る。
*
実俊が帰った後。
真白が我を抱きしめた。
「玄丸、今日は大変だったわね」
真白の声が、優しく響く。
「でも、実俊様はいい人よ。あなたのことを心配してくれているの」
真白が微笑む。
「私も、あなたのことが心配」
真白が我を見つめる。
「あなた、本当は何者なの?」
その言葉に、我は驚いた。
真白も、気づいているのか。我が、ただの猫ではないことを。
「でも」
真白が続ける。
「それが何であっても、あなたは私の大切な家族」
真白が我を抱きしめる。
「ずっと、一緒にいてね」
その言葉を聞いて、我は、誓った。
ああ、そうだ。
我は、ずっと真白の傍にいる。何があっても。
*
夜。
我は窓辺に座り、月を見ていた。
今日の出来事を振り返る。
実俊に、正体を探られた。だが、完全には暴かれなかった。
実俊は、我が特別な存在だと知っている。だが、それが何なのかまでは、分かっていない。
それで、いい。
我の正体を知る必要はない。ただ、真白を守る者同士として、認め合えればいい。
庭に、人の気配がした。
見ると、実俊が塀の外に立っている。
我と目が合った。
実俊が、小さく頷いた。
我も、頷き返した。
言葉は交わさない。だが、通じ合っている。
真白を守る、という想い。
それだけで、十分だ。
実俊が、何かを呟く。
また、結界を張っているのだろう。屋敷を守るために。
我は「にゃあ」と小さく鳴いた。
ありがとう、陰陽師見習い。
だが、勘違いするな。真白を一番守るのは、我だ。お前は、二番目だ。
実俊が、声を出して笑った。
「ふふ、分かった。お前が一番だ」
実俊が認めてくれた。
「だが、もし何かあったら、頼むぞ」
実俊が去っていく。
その背中を見送りながら、我は思った。
実俊という男性。敵ではない。だが、ライバルだ。
真白を守る者として、互いに、認め合う関係。悪くない。
だが、真白の膝の上にいられるのは、我だけだ。それだけは、譲らない。




