第五話「月見の宴」
秋も深まり、夜が長くなってきた。
真白の屋敷では、今宵、月見の宴が開かれるという。
我が名は玄丸。猫として暮らす元魔導王だ。宴というものに参加するのは、この姿になってからは初めてだ。どんなものになるのか。少し、興味がある。
*
宴の準備が始まったのは、昼過ぎからだった。
使用人たちが慌ただしく動き回り、庭に台を設置し、料理を運び込んでいる。我は縁側から、その様子を眺めていた。
「玄丸、今日は特別な日なのよ」
真白が、我を抱き上げる。
「お客様がいらっしゃるの。都の貴族の方々が、月を愛でに来てくださるのよ」
貴族、か。
我がいた世界にも、階級というものはあった。だが、それは力による序列だった。魔力が強い者が上に立ち、弱い者が従う。
この世界の貴族は、血筋と家柄による序列らしい。
興味深い。
「あなたも一緒にいていいわ。でも、お客様を驚かせないようにね」
真白が我の頭を撫でる。
「きっと、皆あなたを可愛がってくれるわ」
可愛がる、だと。
我を? 魔導王を?
まあ、今は猫だから仕方あるまい。
我は諦めて、真白の腕の中で大人しくしていた。
*
日が暮れると、客が到着し始めた。
まず現れたのは、中年の男性だった。立派な烏帽子を被り、青い狩衣を着ている。
「藤原殿、お招きありがとうございます」
男性が真白の父、いや、この屋敷の主人に挨拶する。
我は初めて、真白の父を見た。
五十歳前後だろうか。穏やかな顔立ちで、物腰が柔らかい。いかにも平安貴族、という雰囲気だ。
「ようこそおいでくださいました」
主人が客を迎え入れる。
次々と、客が到着する。
貴族たちは皆、華やかな装束を纏っている。男性は狩衣や直衣、女性は美しい色の小袖と袴。我がいた世界の宮廷とは、趣が全く異なる。
あちらは威圧的で、力を誇示する場だった。だが、ここは、優雅だ。力ではなく、美を競い合う場。興味深い。
「まあ、可愛らしい猫」
若い女性が、我を見つけて声を上げた。
「真白様、この子は?」
「玄丸と申します。最近、拾った子なのですが」
真白が我を抱いたまま、答える。
「まあ、なんて賢そうな目をしているのでしょう」
女性が我に手を伸ばす。
その手が、我の頭を撫でた。
くすぐったい。だが、悪い気はしない。
「この猫、本当に賢そうですわ。まるで、人の言葉が分かるみたい」
女性が笑う。
分かっている。完全に、分かっている。だが、それを示すわけにはいかない。
我は、ただの猫として振る舞わねばならない。
*
月が昇った。
満月に近い、丸く大きな月だ。
その光が、庭を照らしている。白い砂利が月光を反射して、幻想的な光景を作り出している。
客たちは、台の前に座っていた。その上には、月見団子や果物、酒が並んでいる。
「それでは、月を愛でましょう」
主人が言う。
貴族たちが、月を見上げる。
その瞬間、庭が静寂に包まれた。
誰も、声を出さない。ただ、月を見つめている。我も、真白の膝の上から、月を見た。美しい、と思った。
我がいた世界でも、月はあった。だが、こんな風に、ただ美しさを愛でるために月を見たことは、なかった。全ては、目的のために存在していた。月は、魔力を回復させるための光源。星は、航法のための目印。
だが、ここでは違う。月は、ただ美しいから、見る。それだけで、価値がある。この世界の価値観は、やはり、我には新鮮だ。
「月影に 黒き猫の 影ひとつ 静かに寄り添う 秋の夜長を」
真白が、歌を詠んだ。
その瞬間、我は、何かを感じた。
空気が、微かに震えた。
これは、魔力、ではない。だが、それに近い何か。
言霊、か。
真白の言葉には、力が宿っている。それが、周囲の気を動かしたのだ。
他の客たちも、真白の歌に感嘆の声を上げている。
「見事な歌ですな」
「真白様は、本当に才がおありだ」
真白が恥ずかしそうに微笑む。
我は、真白の膝の上で、思った。
真白の言霊の力は、思いのほか強い。まだ自覚していないようだが、いずれ、この力は大きく開花するだろう。
そして、その力は、恐らく、我の魔法と共鳴する。
興味深い。実に、興味深い。
*
宴が進むにつれ、客たちは次々と歌を詠んだ。
月を讃える歌、秋を惜しむ歌、恋を詠んだ歌。
どれも、美しい言葉で綴られている。
我がいた世界では、言葉は呪文だった。正確に発音し、正確な意味を込めることで、魔法が発動する。
だが、ここでは、言葉は芸術だ。美しく、感情を込めて、心を伝えるために使われる。
そして、その言葉が、気を動かす。
魔法とは違う形で、世界に影響を与える。
これが、言霊の力、か。
我は、この世界に来て、初めて理解した。
言葉には、力がある。それは、呪文としてではなく、心を伝える手段として。
そして、その心が、世界を動かすのだ。
「玄丸」
真白が、我を見つめる。
「あなた、今の歌を聞いていたの?」
我は「にゃあ」と鳴いた。
聞いていた。全て、聞いていた。
「ふふ、やっぱりあなたは特別ね」
真白が微笑む。
「まるで、人のように、理解しているみたい」
理解している。完全に、理解している。
だが、それを示すわけにはいかない。
我は、ただの猫として、真白の膝の上にいる。
それで、いい。
*
宴も終盤になると、一人の老人が立ち上がった。
「皆様、お聞きください」
老人が、厳かな声で言う。
「最近、都の北部で、妙な噂があります」
その言葉に、客たちが耳を傾ける。
「夜な夜な、奇妙な風が吹くと。そして、人が夢に魘されると」
妙な風、夢に魘される。
我は、耳を立てた。
それは、妖怪の仕業、か?
「陰陽師たちが調査しているそうですが、まだ正体は掴めていないとのこと」
老人が続ける。
「皆様も、夜の外出は控えられた方がよろしいでしょう」
その言葉に、客たちがざわめく。
我は、思った。
妖怪が、真白に危害を加えようとするなら、我は、戦わねばならない。
真白を守るために。
「玄丸、怖い話だったわね」
真白が我を抱きしめる。
「でも、大丈夫。あなたがいてくれるから」
その言葉を聞いて、我は、決意した。
ああ、そうだ。
我は、真白を守る。
どんな妖怪が現れようとも。
*
宴が終わり、客たちが帰った後。
我と真白は、部屋で月を見ていた。
「綺麗な月ね」
真白が呟く。
「今日は、楽しかったわ」
真白が我を見る。
「玄丸も、楽しかった?」
我は「にゃあ」と鳴いた。
楽しかった、というか、興味深かった、というか。
この世界の文化を、少し理解できた気がする。
言霊の力、美を愛でる心、そして、優雅な時間の使い方。
全てが、我がいた世界とは違う。
だが、悪くない。
むしろ、心地よい。
「玄丸」
真白が、我を抱きしめる。
「これからも、一緒にいてね」
その言葉を聞いて、我は、思った。
ああ、そうだ。
我は、ずっと真白の傍にいよう。
月を見る時も、歌を詠む時も、宴の時も。
いつも、真白の傍に。
それが、今の我の、生き方だ。
窓から、月の光が差し込んでいる。
その光を浴びながら、我は、微かに魔力が回復するのを感じた。
月光は、魔力の源だ。我にとって、必要なもの。
だが、今夜の月は、それだけではなかった。
確かに美しく、心を癒してくれた。
真白が詠んでくれた歌も、心に残っている。
「月影に 黒き猫の 影ひとつ」
真白が、自分の歌を口ずさむ。
「あなたがいてくれて、本当に嬉しいわ」
その言葉を聞いて、我の胸が、温かくなった。
我も、だ。
真白。
お前がいてくれて、本当に、嬉しい。
言葉にはできないが、そう、思っている。
「おやすみなさい、玄丸」
真白が、我を抱きしめる。
その腕の中で、我は、幸せを感じていた。
今宵も、真白と共に。
月の光の下で。




