琥珀色の涙
砂利を踏む彼の足音が、夜の闇に吸い込まれて消えていく。
その音が完全に聞こえなくなってからも、私はしばらくの間、鳥居の下から動くことができなかった。
「……行っちゃった」
ぽつりとこぼれた声は、夜気に溶けて消えた。
急に訪れた静寂が、私の身体を冷たく包み込む。けれど、繋いでいた右手のひらだけが、火傷をしたように熱かった。
私は、鳥居の柱に背中を預け、ずるずるとその場に座り込んだ。
膝を抱え、小さく息を吐く。
どっと、疲れが押し寄せてきた。妖力を使ったからではない。五百年もの間、誰にも――そう、慕っている翠風のおじさんにさえ――見せられなかった心の奥底を、たった十七歳の少年にさらけ出してしまったことへの、心地よい虚脱感だった。
――『炎には、見えません』
彼の言葉が、耳の奥で何度もリフレインする。
――『暖かくて、どこか懐かしくて……暗闇を照らしてくれる、綺麗な色です』
「……ふふっ」
私は、膝に顔を埋めたまま、低く笑った。
喜びだけではない。昏い愉悦が、腹の底から湧き上がってくる。
ねえ、聞いてる? クソ親父。
あんなことを言う人間が、現れたのよ。
あなたが「業火だ」「穢れている」と吐き捨て、私の顔を見るたびに目を背けたこの琥珀色を、彼は「美しい」と言った。全てを焼き尽くす炎ではなく、闇を照らす光だと、そう断言した。
ざまあみろ。
あなたの目は節穴だったのよ。あなたが忌み嫌い、遠ざけたこの娘を、あなたが最も憎んでいる「人間」が見つけ出し、肯定した。
これは、私の勝ちよ。
私はもう、あなたに愛されなくても生きていける。あの子が、この色を愛してくれたから。
その事実だけで、私がこの五百年間、一人で抱えてきた孤独も、自己嫌悪も、全てが報われたような気がした。
胸の奥に深く刺さっていた父という名の呪いが、彼の一言で砕け散っていく。
けれど。
同時に、どうしようもない恐怖が、心臓を鷲掴みにする。
――『一晩、時間をください』
彼の誠実さは、残酷だ。
もし、彼が明日、「やはり受け入れられない」と言ったら。
「先生の過去は重すぎる」と、拒絶されたら。
一度、光を知ってしまった私は、もう二度と、あの孤独な闇の中には戻れない気がする。心が壊れてしまうかもしれない。
「……怖いなあ」
夜空を見上げる。
滲んだ月が、優しく私を見下ろしていた。
頬に、温かい雫がつたう。
それは、悲しみの涙ではなかった。父への勝利感と、彼に出会えた喜びと、明日への不安。そして何より、溢れ出して止まらない愛おしさが混ざり合った、名前のない涙だった。
「お母さん……」
私は、夜空に向かって、祈るように両手を組んだ。
「私、賭けに勝てるかしら」
明日の放課後。
彼がどんな答えを出そうとも、私はそれを受け入れなければならない。
たとえそれが、別れの言葉であったとしても。
でも、もし許されるなら。
どうか、彼が私の手を、もう一度握ってくれますように。
琥珀色の涙が、月の光を受けて、きらりと足元に落ちた。
その時だった。 ふわり、と。 背後から、優しく温かい夜風が吹き抜け、私の背中をそっと押した。 それはまるで、見えない誰かが「大丈夫よ」と囁いてくれたかのような、力強い風だった。
五百年の時を経て、私の止まっていた時間が、今、大きく動き出そうとしている。
長い、長い夜が始まる。




