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放課後、君は月夜に啼く  作者: 藤風大地


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第5章 凛と妖怪横丁 (前編)

結局、あの「校内デート」の後、俺は凛先生に半ば引きずられるようにして、学校を後にしていた。

向かう先は、もう聞き慣れてしまった、いつもの場所。

――御饌神神社。

「……あの、先生。なんで、また神社に?」

もう何度目になるかわからない質問を、半ば呆れながら投げかける。

校内デートで散々振り回されたせいで、体力も精神力も、とっくに底をついている。

「ん? なんでって?」

俺の腕を掴んだまま、機嫌よく前を歩いていた凛が、きょとんと振り返った。

「決まってるじゃない。そこが、私の『家』だからよ」

「……は?」

予想外の答えに、思わず足が止まる。

「家って……。いや、確かに、ここは狐を祀ってる神社だって知ってましたけど……え、もしかして、先生が祀られてる場所だったりするんですか!?」

「はあ!? 祀られてなんかないわよ、失礼ね!」

凛は、心底不愉快だというように、ぷんすかと頬を膨らませた。

「祀られてるのは、ウチの爺さまとか、あのクソ親父とか……あと、お母さん、とか……」

最後の言葉だけが、ふっと消え入るような、優しい響きを帯びていた。

(……今、お母さんって言ったか?)

家族関係に、何か複雑な事情がありそうだ。

だが、その地雷を踏み抜いた瞬間に、今度こそ妖術で消し炭にされそうな気がして、俺は賢明にも、口を閉ざすことを選んだ。 「と、とにかく! あの神社は、私の家であり、あっちの世界への『入口』なのよ!」

「入口……」

その言葉の意味を、俺はまだ、正しく理解できていなかった。

.

やがて、見慣れた鳥居の前に着く。

夕暮れの御饌神神社は、いつもと変わらず、静かで、穏やかな空気に満ちていた。

ここは、俺にとって唯一の聖域だったはずだ。それなのに、今はまるで、未知のダンジョンの入り口のように見えてしまう。

「よーし、着いた!」

凛は、鳥居をくぐるなり、「んーっ!」と、猫のように大きく伸びをした。

その姿は、教師の威厳など、どこにもない。

「そうだわ。あれ、どこにやったかしら……」

そう呟くと、彼女は、俺がいつもは近寄らない、本殿の賽銭箱の脇にある扉へと、ずかずかと入っていった。

「え、ちょっ、先生!? そこ、入っていいんですか!?」

俺の静止も聞かず、彼女は奥へと消えていく。数秒後、何やらごそごそと物音を立てたかと思うと、一つの面を手に、ひょこりと顔を出した。

「はい、藤原くん。これ、つけて」

渡されたのは、精巧な作りの、白い狐の面だった。

「……これは?」

「いいから、早くつけて。今から行くのは、あなたたちの言う『現世うつしよ』じゃない。私たち、あやかしが住まう、『妖怪の世界』よ」

――妖怪の、世界。

その言葉の重みに、ごくりと喉が鳴った。

「あなたが、人間の姿のまま行ったら、色々と厄介なことになるの。でも、その面をつけていれば、周りからは、私と同じ、妖狐の子供に見えるから」

凛は、真剣な目で、俺をじっと見つめた。

「いい? 向こうに着いても、私がいいって言うまで、絶対にその面を外しちゃダメよ」

「わ、わかりました……」

俺が、おそるおそるその面を顔に当て、紐を結ぶと、凛は満足そうに頷いた。

そして、本殿の前に立つと、すぅ、と深く息を吸い込む。

「さあ! 行くわよ!」

凛が、高らかに宣言する。

「――『妖術展開・黄泉戸よみど開け』!」

彼女がそう唱えた瞬間、何もないはずの空間が、ぐにゃり、と歪んだ。

夕暮れの神社の風景が、水面に落ちた絵の具のように溶け合い、やがて、そこには、赤黒い、不気味な光を放つ、巨大な『門』が出現していた。

「……これが、入口」

狐の面越しに見るその光景は、あまりにも、非現実的だった。

赤黒く歪む『門』を前に、俺は完全に足がすくんでいた。

妖怪の世界。その言葉が、現実味を持って目の前に迫ってくる。

「……怖いの?」

俺の葛藤を見透かしたように、凛が、楽しそうに俺の顔を覗き込んできた。

「……怖く、ないですよ」

「ふーん。まあいいわ。しっかり、私のそばを離れないことね」

そう言うと、凛は俺の手を掴むでもなく、一人、さっさとその歪みの中へと足を踏み入れた。

一瞬、彼女の姿がぐにゃりと歪み――消えた。

ここで引き返すという選択肢はない。俺は意を決し、狐の面がずれないよう、片手で押さえながら、その不気味な門の中へと飛び込んだ。

.

――世界が、反転した。

まるで、冷たい水の中に全身を浸されたかのような、奇妙な浮遊感。

次に目を開いた時、そこに御饌神神社の姿はなかった。

「……ここが……」

目の前に広がっていたのは、黄昏時のような、淡い光に包まれた世界だった。

石畳の敷かれた、どこか懐かしい通り。その両脇には、木造の建物が所狭しと立ち並び、軒先には無数の提灯が吊るされ、柔らかな光を放っている 。

だが、何よりも異様だったのは、俺の目の前に立つ、凛先生の姿だった。

「ふぅ……。やっぱり、スーツは堅苦しくて嫌い。こっちの方が、性に合ってるわ」

彼女は、先ほどまでの教師のスーツではなく、月光を編み込んだかのような、美しい白地の浴衣を身に纏っていた 。

艶やかな黒髪は、いつもより長く、そして、頭上からは、ぴんと張った琥珀色の狐の耳が覗いている。

腰からは、あの美しい尻尾が、楽しそうに揺れていた 。

身長も、俺が見上げるほどに高くなっている 。

それは、人間としての「琥珀凛」ではなく、妖狐としての「月夜」の、真の姿に近いのかもしれない。人間と妖が、完璧なバランスで融合した、神々しいまでの「半獣人」の姿。その美しさに、俺は言葉を失っていた。

「……先生。その格好……。なんで……」

「なんでって? こっちが私の普通よ。――それより、そういうあなたも、随分と変わってるじゃない?」

凛に言われ、俺は慌てて自分の身体を見下ろした。

「……え?」

そこに、見慣れた学生服はなかった。

代わりに、小さな、子供用の着物を身につけている。そして、手には、琥珀色の体毛が生え、小さな尻尾まで生えている 。

凛の身長が高くなったのではない。この面の影響で、俺自身が、子供の妖狐の姿に縮んでしまっていたのだ 。

「……なっ!?」

「ふふっ、可愛いわね。藤原くん」

凛は、心底楽しそうに、俺の頭をぽんぽんと撫でた。完全に、子供扱いだ。

「さて! 藤原くんが、さっき学校を案内してくれたから、今度は、私がこの『妖怪横丁』を案内してあげるわね」

その言葉に、俺は、はっと我に返って周りを見渡した。

そこは、まさに、地獄絵図……いや、妖怪図鑑そのものだった。

頭の皿に水を乗せた河童が、キュウリを片手に談笑し、山伏姿の天狗が、大きな羽を休めて団子を食べている 。三つ目の鬼が酒を酌み交わし、顔のないのっぺらぼうが、呉服屋の店先を眺めている 。空を見上げれば、白い反物がひらひらと飛んでいき(あれが、一旦木綿か)、遠くには、建物を遥かに見下ろす、巨大な骸骨がしゃどくろだ…の影まで見える 。

「あら? もしかして、怖いの?」

凛が、俺の顔を覗き込み、意地の悪い笑みを浮かべる。

「こ、怖くなんて、ない、ですよ……」

嘘だ 。

ワクワクする気持ちがないわけではないが、それ以上に、現実離れした光景に、腰が抜けそうだった 。

「ふーん。まあ、いいわ」

凛は、俺の強がりを鼻で笑うと、今度は、しっかりと俺の小さな手を握った。

彼女に手を引かれ、俺は、あやかしの世界、「妖怪横丁」の喧騒の中へと、足を踏み入れた。

店先には、埃をかぶったゼンマイ仕掛けの玩具や、今はもう使われなくなった黒電話など、人間界では骨董品として扱われるような、懐かしい品々が並べられていた 。

ここは、人間の「忘れた」モノたちが、集まる場所なのかもしれない。

何もかもが、俺の日常から、かけ離れていた。

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