琥珀色の戦略
屈辱。
琥珀凛――否、月夜の五百年以上の生の中で、これほどまでにこの言葉を痛感した日はなかった。
知的攻撃は、博識で返された。
物理的な罠は、常識(?)で無視された。
妖術による姑息な嫌がらせは、合理性で無力化された。
三度の攻撃、三度の完敗。私のプライドは、もはやズタズタだった。
(なんなのよ、一体……あの人間は……)
自室のベッドに倒れ込み、月夜は天井を睨みつけた。
これまでのやり方は、すべて間違っていた。力ずくではダメ。小手先の技も通用しない。藤原大和という少年は、私がこれまで出会ってきた、どの人間とも根本的に異なっている。
彼は、私のことを「妖」だと認識していながら、それを「恐怖」や「畏怖」の対象として見ていない。ただ、そこにある「事実」として、淡々と受け入れている。
だから、私の脅しも、妖術も、彼にとっては「ああ、そういうものなんだ」で終わってしまうのだ。彼のあの凪いだ心には、さざ波一つ立たない。
(……ならば)
月夜は、ゆっくりと身体を起こした。
瞳の奥に、新たな闘志の火が灯る。
(彼の心を乱すには、もっと別の角度から攻めなければ)
それからの数日間、私は直接的な攻撃を一切やめ、ひたすら「観察」に徹することにした。
狩りとは、本来そういうものだ。獲物の習性を知り、弱点を見抜き、必殺の一撃を放つ機会を、静かに待つ。
私は、藤原大和という人間を、徹底的に分析した。
彼は、常に冷静だ。物事を合理的に判断し、感情に流されることが少ない。
彼は、孤独を好む。だが、それは孤立ではない。彼自身が、その静かな環境を望んでいる。
彼は、他人に興味がないように見えて、その実、誰よりも周りをよく見ている。
そして、見つけた。
たった一つだけ、彼がまだ経験したことのないであろう、弱点を。
それは、「妖」としてではなく、一人の「女」として、彼の領域に踏み込むこと。
彼がこれまで無力化してきた私の攻撃は、すべて「外部」からのものだった。
だが、今度の攻撃は違う。
彼の「内側」に、直接、毒を流し込む。
彼の五感に、思考に、私の存在を、決して無視できない「楔」として打ち込むのだ。
そのための、最高の舞台が整った。
――大掃除の時間。
騒がしい教室の中、一人、黙々と黒板を掃除する彼の背中を見ながら、私は勝利を確信した。
ゆっくりと、優雅に、私は教壇へと歩み寄る。
わざと、彼のすぐ真横に立つ。私の甘い香りが、彼の鼻腔をくすぐるように。
「貸してごらんなさい。私がやってあげる」
そして、彼が差し出した黒板消しを、ただ受け取るのではない。
彼の手に、自分の手を、そっと重ねる。
ほんの一瞬、彼の肩が、ぴくりと震えたのを、私は見逃さなかった。
彼の体温が、私の冷たい指先に伝わってくる。
(……かかったわね)
これまでの攻撃とは、訳が違う。
この、肌と肌が触れ合った感触は、彼がどれだけ合理的に思考しようとも、決して「なかったこと」にはできない。
彼の脳裏に、私の指先の感触を、焼き付けてやったのだ。
振り返った時、私の口元には、自然と、愉悦の笑みが浮かんでいた。
見たか。これが、五百年を生きてきた妖狐の、本当の「イタズラ」よ。
さあ、第二幕の始まりだわ。
この毒が、あなたのその鉄壁の心を、これからどう蝕んでいくのか。
楽しみで、仕方がない。




