琥珀色の追跡
午前中の授業が終わるチャイムが鳴り響く。
解放感に沸き立つ教室の中で、琥珀凛――否、月夜は、一人だけ違う種類の昂りを覚えていた。
教壇から、見つけた。弁当を手に、静かに席を立つ、あの忌々しくも興味深い少年の背中を。
(……逃がさないわよ、藤原くん)
他の生徒や教師に気づかれぬよう、完璧な笑顔で挨拶を交わしながら、凛はそっと教室を出る。廊下の角から、彼の姿が人混みに消えていくのを視界に捉えた。
ここから先は、狩りの時間だ。
妖としての本能が、五感をとぎすませる。
気配を消し、音を殺し、まるで影になったかのように、凛は大和の後を追った。人間には到底真似のできない、五百年以上の時が培った追跡術。彼が一度も振り返らないのをいいことに、わざと数メートルまで距離を詰めては、くすくすと喉の奥で笑ってみせる。
(本当に、気づかないのね。朴念仁なのか、ただ鈍いだけなのか……)
心の中で、朝の空き教室での屈辱が蘇る。
――『その脅し方、正直、ちょっとイタイですよ』
思い出すだけで、腹の底がむかむかしてくる。
イタイ? この私が? 幾多の人間どもを恐怖の底に叩き込んできた、我が妖術が?
あの時、反射的に殺気を放たなかった自分を褒めてやりたい。もし、あと数秒でもあの言葉を反芻していたら、教室の壁に人間一人分のアートを完成させていたところだった。
(それに、授業中のあの態度……)
私が、わざわざ彼一人のために仕掛けた、あの甘美な心理戦。
他の生徒たちが私の話術に感心している中、彼だけは、まるで物語の登場人物でも分析するかのように、冷静にこちらを観察していた。
普通、あんな視線を向けられたら、動揺したり、あるいは照れたりするものではないのか。
全くもって、可愛げがない。
だが、と凛は思う。
だからこそ、面白い。
なぜ、彼はいつも一人なのだろう。
なぜ、私の正体を知っても、平然としていられるのだろう。
なぜ、あの神社の、私の聖域に、毎日通ってくるのだろう。
知りたい。彼の、あの凪いだ瞳の奥を、覗いてみたい。
ぐちゃぐちゃに掻き乱して、焦らせて、泣かせてみたい。
そんなことを考えているうちに、大和は校舎の裏手にある、小さな中庭へと足を踏み入れた。
あら、と凛は少し感心する。こんな場所があったなんて。まるで、彼のためだけに用意されたかのような、静かで美しい場所。
(……決めた)
物陰から彼の様子を窺いながら、凛は今日の「仕返し」の筋書きを組み立てた。
脅しがダメなら、次は、甘い罠。
ミステリアスで、少し寂しげな美貌の女教師が、偶然を装って、孤独な少年の前に現れる。そして、彼の心を解きほぐすように、優しく語りかけるのだ。
他の男子生徒たちのように、一瞬で骨抜きにしてやる。
そして、彼が少しでも心を許した瞬間に、思い切り突き放してやるのだ。
(ふふっ……いい筋書きだわ)
完璧なシナリオに、凛は一人悦に入る。
大和がベンチに座り、弁当を広げ始めた。
今だ。最高のタイミングで、舞台の幕を開けよう。
凛は、そっと物陰から姿を現し、女優のように完璧な微笑みを浮かべると、彼の背中に向かって、鈴の鳴るような声をかけた。
「――つまらない授業で、悪かったわね」
さあ、どんな顔で驚いてくれるのかしら。
美しき妖狐の、ささやかな復讐劇の第二幕が、今、静かに始まった。




