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オホーツク・ブルー

作者: 久遠 睦
掲載日:2025/11/23

第一章 北の果てのセイコーマート


八月の終わりだというのに、窓を開けて入ってくる風は秋のように冷たかった。  レンタカーの軽自動車は、オホーツク海を右手に臨む国道238号線をひた走る。網走監獄を見学した後、私は特に目的もなく稚内を目指していた。 「信号、全然ないなぁ」  独り言が車内に吸い込まれる。地平線まで続くような直線の道。大阪の雑踏が嘘みたいな静けさと、どこまでも広がる青い空。就職活動で張り詰めていた神経が、一本ずつほぐれていくようだった。

二時間ほど走っただろうか。トイレ休憩を兼ねて、北海道でお馴染みのオレンジ色の看板、「セイコーマート」に車を滑り込ませた。  ホットシェフのおにぎりを買い、店の前の駐車場で海を眺めながら頬張る。 「……あれ、なにわナンバー」  ふと隣に停まっていたシルバーのコンパクトカーを見ると、見慣れた地名のナンバープレートが付いている。レンタカーじゃなくて、自家用車? 「珍しいやろ? フェリーで舞鶴から来てん」  突然声をかけられて振り返ると、背の高い男性がコーヒーを片手に立っていた。日焼けした肌に、人懐っこい笑顔。 「あ、すいません、ジロジロ見てしまって。私、大阪から飛行機で来たんで、つい懐かしくて」 「やんなぁ。ここらへん『わ』ナンバーばっかりやし。学生さん?」 「はい、四回生です。就活終わったんで、卒業旅行の先取りみたいな感じで」 「おー、お疲れさん。俺は社会人二年目。遅めの夏休みで一人旅中」  彼はコウヘイと名乗った。私より二つ上の二十四歳。住んでいる場所も私の実家から電車で二十分ほどの距離だと分かり、一気に親近感が湧いた。  北の最果てのコンビニで、コテコテの関西弁が飛び交う奇妙な状況。私たちは旅のルートや美味しかった海鮮丼の話でひとしきり盛り上がり、別れ際に連絡先を交換した。 「気ぃつけてな。夜道は鹿が出るから」 「コウヘイさんも。良い旅を」  手を振って別れた彼の車が、北へと走り去っていく。その背中を見送った時、冷たい風の中に少しだけ温かいものが混じった気がした。


第二章 梅田の喧騒


大阪に戻ると、湿った熱気が容赦なく体にまとわりついた。  北海道の余韻に浸りながら残りの夏休みを消化していた九月半ば、スマホが震えた。コウヘイさんからだった。 『久しぶり。大阪戻ってる? もし良かったら、北海道の反省会でもせえへん?』

週末の梅田、東通り商店街の居酒屋は、若者やサラリーマンでごった返していた。 「乾杯!」  ジョッキを合わせると、彼はあの日と同じ、屈託のない笑顔を見せた。 「ほんま稚内の風強かったわぁ。宗谷岬で写真撮ろうとしたら髪の毛爆発したし」 「俺なんか利尻島行こうとしたけどフェリー欠航やったからな。リベンジせなあかん」  旅の話は尽きなかった。共通の景色を見たというだけで、話はいくらでも転がった。  話題は次第に、互いの日常へと移っていった。 「社会人って、どうですか?」 「んー、まあ大変なこともあるけどな。でも、自分の稼いだ金で好きなもん食えるんは最高やで。お前も来年からやろ? 最初はしんどいかもしれんけど、なんとかなるって」  彼は仕事の愚痴を言う時も、どこか明るかった。営業職だという彼は、誠実で、前向きで、話していると私がこれから進む社会という場所が、そんなに怖いものではないように思えてくる。 (こんな素敵な人、彼女おるやろうな……)  ふと、そんな思いが頭をよぎる。左手の薬指に指輪はない。でも、この明るさと気遣い。いない方が不思議だ。  あえて彼女の有無は聞かなかった。聞いてしまって、「いるよ」と言われるのが怖かったからかもしれない。

それから、私たちは月に一度くらいのペースで会うようになった。  映画を観たり、美味しいランチを食べに行ったり。彼はいつも私の話をうんうんと聞いてくれて、的確なアドバイスをくれたり、ただ一緒に笑ってくれたりした。  会うたびに、彼への気持ちが募っていくのが分かった。でも、この心地よい距離感を壊す勇気は、私にはなかった。


第三章 魔法の夜


季節は巡り、三月。私は大学の卒業式を終えた。 「卒業おめでとう。お祝いに、どっか行きたいとこある?」  彼からのLINEに、私は思い切って『ユニバ行きたいです』と返した。

春休みのUSJは混雑していたけれど、待ち時間さえも楽しかった。アトラクションで叫んで、チュロスを食べて、たくさん笑った。  日が暮れて、パークがオレンジ色の街灯に照らされる頃。私たちはラグーンのほとりのベンチに座っていた。 「とうとう四月から社会人かぁ。早かったな」 「はい。コウヘイさんに色々話聞いてもらったおかげで、なんとなく心の準備はできました」 「そら良かった。……俺もな、お前と会って話すん、楽しかったで」  彼は少し照れくさそうに鼻をこすった。  夜風が少し冷たい。あの北海道の風を思い出す。  今しかない、と思った。社会人になったら、きっと忙しくて会えなくなるかもしれない。この関係が自然消滅してしまうのは嫌だった。 「あの……コウヘイさんって、彼女さん、いらっしゃらないんですか?」  心臓が早鐘を打つ。彼は少し驚いた顔をして、それから苦笑いを浮かべた。 「おらんよ。……っていうか、去年の夏にな、振られてん」 「えっ」 「北海道行ったんも、傷心旅行やってん実は」  彼は遠くのライトアップされたアトラクションを見つめながら語り始めた。 「仕事が忙しくてな。彼女のこと大事にしたかったんやけど、余裕なくて。向こうは寂しかったんやと思う。『もう耐えられへん』って言われてもうて」 「そう……だったんですか」 「仕事も彼女も大事やったけど、上手く伝えられへんかった。不器用やんな、俺」  彼は自嘲気味に笑った。その横顔が、今まで見たどの表情よりも愛おしく感じた。  この人の誠実さを、私は知っている。不器用かもしれないけれど、誰よりも真剣に向き合おうとする人だ。  私はスカートの裾をぎゅっと握りしめ、彼の方を向いた。 「私……コウヘイさんのこと、もっと知りたいです」 「え?」 「私なら、仕事頑張ってるコウヘイさんのこと、ちゃんと応援できます。寂しい思いなんかさせません。……だから、私と付き合ってください」  言い切った瞬間、顔から火が出るかと思った。  沈黙が流れる。パークのBGMが遠くに聞こえる。  恐る恐る顔を上げると、彼は驚いた顔のまま私を見ていて、やがて、あのコンビニで見た時のような、くしゃっとした満面の笑みを浮かべた。 「……こちらこそ。こんな俺で良ければ、よろしくお願いします」


エピローグ


「あー、また焼けたわ。日焼け止め塗ったのに」 「そら、こんだけオープンカーで走ってたら焼けるで」  二年後の夏。  私たちは再び、オホーツク海沿いの道を走っていた。  あれから私は社会人になり、慣れない仕事に泣きたくなる夜もあったけれど、隣にはいつもコウヘイさんがいた。彼の言った通り、大変だけど楽しいこともたくさんあった。 「次、どっか停まろうか。お腹減ったわ」 「あ、あそこにセイコーマートある!」 「お、ホットシェフあるかな」  運転席の彼がウィンカーを出す。  二年前に出会ったあの場所へ、今度は二人で。  窓から入ってくる風は相変わらず冷たかったけれど、繋いだ手はとても温かかった。


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