表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/34

<第二十四話>病院船の信念

 昭和十八年五月二一日。大本営は国民に対し、連合艦隊司令長官、山本五十六の戦死を公表した。その日はちょうど、長官の遺骨が祖国に無言の帰還を果たした日であり、戦死の公表はそれに時を合わせてのものだった。翌月には盛大な国葬が営まれ、彼の名は元帥府に列せられた。


 山本長官の戦死が公に知らされた日、各地の海軍艦艇は揃って半旗を掲げた。それは、任務を終え、横須賀にて船体を休めていた「氷川丸」も例外ではなかった。


 ラジオを通して伝えられる長官の死。既知の事実であるとはいえ、落胆の色は隠せない。その日ばかりは、「氷川丸」の純白の船体も心なしか陰って見えた。


 しかし、いつまでも悲嘆に暮れているわけにはいかなかった。戦いはこちらが涙を拭くまで待ってくれない。新たに長官の座に就いた古賀(こが)峯一(みねいち)大将の下、「氷川丸」は無心に任務に明け暮れた。


 そうすること数ヶ月。気づけば、季節は秋口に差し掛かっていた。


 この頃になると、日本に限らず枢軸国側の劣性は明らかになっていた。年明け、日本がガダルカナル島から撤退した頃、大陸ではソ連に侵攻したドイツ軍がスターリングラードの戦いで大敗し、十万人にのぼる捕虜を出した。九月三日には連合国軍がイタリア本土への上陸を開始し、同国はたちまち無条件降伏した。


 今や、日本とドイツは世界のほとんどを相手に二カ国で戦っている状態であった。


 けれども、それらの事柄は前線で戦う将兵には関係の無い事だった。全体の状況が如何なるものであろうとも、戦争の最前線に立つ彼らはただ銃を持って戦うしかない。ならば、「氷川丸」もまた、ただ傷ついた者を助け、失われる命が一つでも少なくなるよう力を尽くすしかなかった。


 血肉の臭いに堪え、内地と激戦続くラバウルを往復する日々。そんな折、「氷川丸」は久しぶりに都巡りを命じられた。


 華やかな街や名所旧跡の多い西南諸島を回る都巡りは、病院船の乗組員に人気がある。前回「氷川丸」が行った時も、乗組員に大好評だった。


 二度目となる都巡りに、一同は心を躍らせる。まだ残暑厳しい中、期待を胸に秘めて船は横須賀港をあとにした。


 だが、今回の都巡りは以前のような気楽な旅ではなかった。戦局の悪化に伴い、西南諸島方面にも米軍の魔手が忍び寄っていたからだ。潜水艦による通商破壊が深刻化し、多くの輸送船やタンカーが沈められていた。潜水艦だけでなく、港湾に敷設された機雷も脅威だった。


 「氷川丸」にとっては、どちらかといえば機雷の方が怖かった。潜水艦などは赤十字灯を目にすれば、こちらが病院船だと認識して攻撃を控えてくれるが、機雷はそうはいかない。敷設された機雷は、触れたら最後、病院船だろうと何だろうと問答無用で爆発する。いくら船体の赤十字を誇示しようと、機械仕掛けの機雷には効果が無い。ある意味、一番の天敵であった。そのため、港に入港する際は事前に現地部隊に掃海の確認をとるなどして、安全確保に務めた。


 危険が増したせいか、乗組員の間にも前回ほどの陽気な雰囲気は無い。上陸すれば相変わらず安い値段で甘味や娯楽を楽しめるが、どうにも手放しで楽しめなかった。


 上陸した先に駐屯する現地部隊の兵士の間にも、ぴりぴりとした空気が垣間見られた。常に前線にいる彼らは、情勢の変化を肌身に感じて知っている。戦況に対する危機意識はかなり強い。そのため、彼らとの間に問題が起こる事もあった。


 とある港に入港した時のこと。停泊する「氷川丸」に、一人の海軍士官がやって来た。その時ちょうど舷門の当直であった雄人は、その士官を敬礼で迎えた。


 「ようこそ氷川丸へ。ご用件は何でしょうか?」


 「院長はどこにいる」


 雄人の問いに、士官は高圧的な口調で答える。それを見た氷川丸が雄人にそっと耳打ちする。


 「なんだか、感じの悪い人ですね」


 言って、氷川丸は相手の襟章を確認する。中佐だ。


 「自分は第二十四根拠地隊の参謀だ。院長に会いたい。案内しろ」


 「病院長なら、院長室です。ですが、医薬品の補充なら、先任伍長室が受付に・・・」


 「こちらの用事はそんな事ではない。早くしろ」


 「・・・一応、ご用件を伺ってもよろしいですか?」


 「それは院長に直接伝える。ここで言う必要は無い」


 「・・・・・・」


 取り付く島の無い物言いに、雄人は相手がここで用件を口にする気が無いことを悟る。仕方なく、雄人はその参謀を院長室まで案内した。


 「副長。この方が、病院長に会いたいと」


 男の相手を副長に引き継ぎ、雄人は役目を終える。再び舷門の当直に戻ろうとした雄人の肩を、氷川丸が叩く。


 「私、中で話を聞いてきます。あの人が何を言うつもりなのか、確かめたいんです」


 「うん。分かった」


 頷き、雄人は当直に戻る。氷川丸は、副長が男と共に院長室に入るのに乗じて、室内に潜り込んだ。


 病院長の居室は、かつての一等特別室をそのまま使用している。特別室には寝室の他に応接室と浴室が備えられており、船内に一室しかない。貨客船時代には、イギリス国王ジョージ六世の戴冠式にご出席され、お帰りになる秩父宮ご夫妻がご使用になられた名誉ある部屋である。


 その特別室、もとい院長室の応接間では、本間病院長と副官、そして訪問者の参謀が対面して座っていた。参謀は自己紹介を済ますや否や、早速要件を伝えた。


 「単刀直入に申し上げる。この船に対空砲を積み、次の寄港地であるクーパンまで運んでもらいたい」


 「なっ・・・!?」


 参謀の言葉に、院長の横に立って話を聞いていた氷川丸は絶句した。視線を振ると、院長と副長も驚きの表情を浮かべている。


 「・・・残念ながら、その申し出は承諾できません。病院船は、ジュネーブ条約によって国際的に保護される代わりに、一切の戦闘補助行為を行ってはならないと固く定められています。武器を運べば、条約違反となり、撃沈されても文句は言えません」


 本間院長が、努めて丁寧な言い方で参謀の要求を断る。しかし、相手は簡単には退かなかった。


 「ばれなければ、どうという事はあるまい」


 「万が一、臨検されたら一大事です。できません」


 「そのような事態が起こる可能性は低いだろう?」


 「可能性はゼロではありません。現に、日本海軍もオランダの病院船を一隻拿捕し、自軍で使用しています。本船も、米軍の潜水艦に追尾された事があります。この船が臨検され、武器の密輸送が発覚した時、どうなるか分かりません」


 「どうしても、できないと言うのか」


 「はい。できません」


 武器の積載を頑なに拒み続ける院長に、参謀が凄む。だが、院長は動じる事なくきっぱりと否定する。


 業を煮やした根拠地隊の参謀は、机を叩き怒声を上げた。


 「貴様、それでも日本国民か!」


 小さな部屋中に響く怒号に、院長と副長は一瞬、肩を震わせる。氷川丸も思わず身を竦めた。


 「敵の手が迫りつつある中で、防衛力を強化するのがどれだけ重要か、分からんはずがあるまい! だが、輸送船で運んだのでは敵に見つかって沈められてしまう。だから、敵の攻撃を受けないこの船が必要なのだ」


 「先に言った通り、病院船の安全は条約を遵守してこそ保証されます。それを破れば、病院船とて普通の商船と同じです。簡単に沈められます」


 「だから、それと悟られなければ問題はないだろう!」


 「見破られないという保証はどこにもありません。発覚した場合、ただでは済まないでしょう。万が一の事態を考え、申し出を承諾する事はできません」


 「我が身かわいさに、祖国の危急を蔑ろにするのか! この非国民め!」


 椅子から立ち上がり、参謀は軍刀の柄に手をかける。


 「非国民」という言葉に、院長と副長は一瞬、言葉を詰まらせる。しかし、その言葉は同時に、氷川丸の逆鱗にも触れた。


 「誰が非国民ですって!!」


 滅多に見せない気色(けしき)ばんだ表情を浮かべ、氷川丸は声を荒げる。彼女は瞳に怒気を一杯にはらませ、参謀を睨みつける。


 参謀の「非国民」という言葉は、氷川丸の怒りの導火線に火を点けた。彼女にとって、彼の発言は自分はもちろん、この船の乗員すべてを貶す言葉に思えたからだ。


 救わなければならない命を救おうと、日々全力を尽くして患者を看病する乗組員の姿を、氷川丸はよく知っている。条約を遵守するのも、患者の安全を守るためである。決して、我が身かわいさなどでは無い。


 そんな彼らの努力を踏みにじるような参謀の言葉は、断じて聞き捨てならないものだった。特に、自らが思いを寄せる相手を非国民と罵られた事は絶対に許せなかった。


 「国際法に則り、敵味方を問わず傷ついた人たちを助けるのが、病院船の使命。それを蔑ろにし、患者の皆さんを危険に晒すような真似は、絶対にできません! この船に乗っている数百人の患者の命と大砲、どちらが大事だと思っているんですか!」


 艦魂が見えない者にその声は聞こえないが、彼女たちの意思は乗組員の心理に影響を与える。氷川丸の激情が影響したのか、一瞬、相手の迫力に呑まれかけた院長は澱みない口調で断言した。


 「何と言われようと、できません。我々には、患者の命を守る義務があります。それほどまでに仰るならば、連合艦隊司令部に可否を尋ねてみましょう」


 院長は、副長に武器輸送の可否を問う司令部宛電信の発信を命じる。暫くして、連合艦隊司令部からの返信が届けられた。


 「発、連合艦隊司令部。宛、病院船氷川丸。病院船への禁制品積載は、断固これを禁ずる。赤十字条約を遵守するべし・・・これが、司令部からの返答です」


 返信の内容が書き記された紙を見せ、院長が言う。


 連合艦隊司令部じきじきの通達を前にしては、相手も引き下がる他になかった。要求を撤回し、参謀は部隊に帰っていった。


 「・・・正直、気が気でなかったよ。司令部がこちらが望んだ通りの返事をしてくれて良かった」


 参謀が帰った後、本間病院長は安堵の息をついた。副長もそれに同意する。


 「まったくです。しかし、あれだけの剣幕で迫られていながら、毅然と言い返すとは。流石です」


 「実を言うと、自分でも驚いている。本当は一瞬、相手の勢いに流されかけた。だが、俺の胸の内にあるものが、それを潔しとしなかった。言うなれば、病院船の院長としての信念といったところか」


 「病院船の信念、ですか・・・」


 「ああ。俺たちは病院船の乗組員だ。俺たちの任務は、他の船ではできない、特別なものだ。それに対する誇りを、この船の奴らは皆、持っている。副長、君もそうであるはずだ」


 「ええ。もちろんです」


 「この船・・・『氷川丸』も、きっとそうだろう。もしかしたら、さっき俺が真っ向から反論する事ができたのは、『氷川丸』が力を貸してくれたからかも知れないな」


 「『氷川丸』が、ですか?」


 「ああ。・・・副長、君は聞いたことは無いか? あらゆる船には、艦魂と呼ばれる守り神が宿っているという話を」


 「さあ・・・。自分は初耳です」


 「そうか。まあ、一部にはそういう伝説もあるんだ。俺は会ったことは無いが、実際に見た奴もいるらしい。ひょっとすると、今も『氷川丸』の艦魂が俺たちの会話を聞いているかも知れないぞ?」


 「ははっ。だとしたら、力を貸してくれたお礼をしないといけませんね」


 「そうだな。礼を言うぞ、氷川丸」


 「・・・っ」


 感謝の言葉を口にする院長の顔は、氷川丸が立つ位置とは違う方向を向いていた。しかし、彼の温かみのある言葉は、氷川丸の胸をくすぐり、彼女をなんともこそばゆい気持ちにさせた。


 「こちらこそ、ありがとうございます。私の気持ちに応えてくれて」


 はにかんだ表情を浮かべながら、氷川丸はお礼を返す。


 くるりと背を向けた氷川丸は、転移の光に包まれて院長室をあとにした。

青葉「今回のこの参謀さんは……こりゃまた強情な人だねぇ……」

作者「多少、強調した感はあるかも知れないけどね。でも、武器を積むよう要求する現地部隊とそれを拒否する病院船側の口論は実際に何度も起きてるよ。相手も物凄い剣幕だったそうだし、あながち間違ってないかも」

青葉「へぇ……。大変だったんだね」

作者「まあ、現地の部隊も切迫した状況だったからね。病院船に物資の輸送を頼むのも分からなくはないけど。さて、それじゃ今回はこの辺で終わりにしようか」

氷川丸「その前に、一つお知らせがあるんじゃなかったですか?」

青葉「お知らせ?」

作者「そうでした。以前、夏頃に受験のために更新が不定期になると後書きで報告しましたが、このたび進路が決まりました。ですので、最低でも月一回の更新ペースに復帰します」

青葉「おっ、良かったじゃん! といっても、受験中でも前とそんなに更新ペース変わらなかった気も……」

氷川丸「そこは言わない約束よ、青葉。何はともあれ、おめでとうございます、作者さん」

作者「ありがとう、二人とも。これからはもう少し更新速度も上げていきたいと思っているので、読者の皆さんには、引き続きよろしくお願いします。それでは、いつもの挨拶を」

氷川丸「この作品を読んでくださる読者の皆様に、心からの感謝を申し上げます。ありがとうございます」

青葉「意見・感想もよろしくね!」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ