<第十九話>再会、そして今生の別れ
ガダルカナルの攻防戦が始まってから、「氷川丸」は定期便のように南洋諸島と日本本土を往復するようになった。横須賀からトラック、ラバウルまでの所要日数は約一週間。かつて就航していたシアトル航路より遙かに短いその航路を、遙かに忙しく「氷川丸」は行き来する。彼女が頻繁に両地を往復する光景は、それだけガダルカナル島の戦いが厳しさを増している事を意味していた。
度重なる援軍にも関わらず、日本軍はガダルカナル島を奪還できずにいた。逐次送られてくる兵力で突撃を繰り返しては返り討ちに遭う。その繰り返しであった。そうして手を拱いている内に米軍は飛行場の整備を急ピッチで進め、制空権を確立していく。島の奪取は、日を追うごとに難しくなった。
島での戦闘が過酷を極めていくのに比例して、海での戦いも激化の一途を辿った。米軍の上陸直後に発生した第一次ソロモン海戦を皮切りに、ガダルカナル島周辺では幾度も両軍の艦艇がぶつかり合った。
最初に起こったのは、八月二四日から翌日にかけて行われた「第二次ソロモン海戦」である。陸軍輸送船団の脅威となる敵機動部隊を撃破する事を目的としたこの海戦で、日本海軍は米空母「エンタープライズ」に損害を与えた。しかし、味方も軽空母の「龍驤」を失い、陸軍部隊の揚陸にも失敗した。
日本海軍はラバウルの陸上航空部隊なども用いてガダルカナル島の制圧を試みたが、ラバウルからガダルカナルまでは片道千キロもあり、長大な航続距離を誇る零戦でもギリギリの距離であった。この長距離行は操縦士にも負担を強いるものであり、被害に比して戦果は少ないものだった。陸上基地からの航空攻撃での飛行場制圧が困難だと知った連合艦隊司令部は、水上艦艇による飛行場の砲撃を計画。夜陰に乗じて島に近づき砲撃を加えるというこの作戦には、第一次ソロモン海戦で大戦果を挙げた第六戦隊が選ばれた。
ところが、出撃した第六戦隊は警戒にあたっていた米艦隊と遭遇、「サボ島沖海戦」が発生した。重巡「古鷹」沈没、「青葉」大破などの被害を受けた第六戦隊は飛行場砲撃を断念。しかし、その二日後に今度は戦艦「金剛」「榛名」から成る部隊がガダルカナル島に殴り込みをかけ、飛行場に砲弾の雨を降らせた。これにより、ガダルカナルの飛行場は一時的に使用不能に陥る。
それから二週間ほど後の十月二六日。陸軍の総攻撃と呼応する形で「南太平洋海戦」が勃発。空母「翔鶴」「瑞鶴」を中核とする機動部隊と米海軍機動部隊が矛を交えた。日本軍は空母「ホーネット」を撃沈、「エンタープライズ」(突貫工事により第二次ソロモン海戦の損傷から復帰)を損傷させたが、正規空母「翔鶴」、軽空母「瑞鳳」が被弾した。連合艦隊はミッドウェー海戦での雪辱を晴らす事に成功したが搭乗員の消耗は大きく、同時に行われた陸軍の総攻撃も失敗に終わった。
米軍がガダルカナルに上陸した際、軍上層部はこれを単なる威力偵察だと判断し、すぐに撃退できるものと考えた。しかし、その予想は外れ、戦況は消耗戦の様相を呈してきた。海戦の結果だけを見れば、彼我の損害の程度はほぼ同じように思える。しかし、国力に劣る日本は一度失った戦力を回復するのに時間がかかる。戦いの長期化は、そのまま日本の不利につながる。
にも関わらず、戦闘は一向に終わる気配を見せない。互いに決定打を与える事ができないまま、日米の戦争は泥沼の戦いへもつれ込んでいった――。
◆ ◆ ◆
十一月初旬。「氷川丸」はトラックにその船体を浮かべていた。内地では紅葉が見頃を迎え、日光などの景勝地に多くの観光客が訪れる季節だが、常夏のトラックでは今日も椰子の木が青々とした葉を風に揺らしている。
すっかり馴染みのものとなったその景色を、氷川丸は船橋の見張り台から眺めていた。船橋の脇からはみ出すようにして設けられているこの見張り台は、後付けではなく、「氷川丸」に元からある物だ。見張り台であるため、当然の如く眺めは良い。貨客船時代から船の目として運航を支えてきたこの場所は、氷川丸のお気に入りの一つだった。
この場に雄人の姿はない。彼は現在、島の海軍部隊に医薬品を届けに行っている。氷川丸がここで景色を見ているのは、雄人が帰って来た時にすぐ出迎えられるようにという意味もあった。
南洋の風に三つ編みを揺らしながら、氷川丸は雄人が帰って来るまでの時間を過ごす。と、氷川丸は自分の船体に別の船の艦魂が降り立つ気配を感じた。
気配を頼りに氷川丸は来訪者の姿を探す。船首に目をやると、一番ハッチの所に長身の女性が立っていた。
「比叡さん!」
氷川丸の呼びかけに相手は軽く手を挙げて応える。相手の反応を見るより早く、氷川丸は船首部分に転移した。
「お久しぶりです。年明け以来ですね」
久方ぶりの再会に、氷川丸の声に喜色が混じる。対する妙齢の女性――比叡も、口元を緩めて答える。
「一別以来だな。達者であったか?」
「はい」
互いに挨拶を済ませたところで、比叡が尋ねる。
「今日はあの青年はおらぬのか?」
「雄人さんの事ですか?」
氷川丸の問いに、比叡は頷く。
「雄人さんなら、今は陸に上がってます。島の部隊から医薬品の補充要請があったので、届けに行ってるところです」
「それならば、先方から出向いてくるのが道理ではないのか? よもや、全員が病で伏せっている訳ではあるまい」
「ええ。でも、部隊から島民の検疫も一緒に頼むと言われて・・・。それで、医薬品を届けた足で住民の健康診断も行うことになったんです」
「ふむ、成程な。彼の顔も見ておきたかったのだが、残念だ」
「でしたら、雄人さんが帰ってくるまで待っていてはどうですか? 部屋の中なら空調も効いていますし」
「そうか。では、世話になるとしよう」
比叡が頷くのを見ると、氷川丸は彼女の手をとった。
「それでは、いきますね」
「ああ、待て」
転移しようとする氷川丸を比叡が制止する。
「転移はしなくていい。それよりも、船の中を案内してもらえないか? お主の働きぶりを、この目で見てみたい」
「分かりました。まだ患者さんはいないので病室は空ですけど、いいですか?」
「ああ、構わぬ」
比叡の同意を受けて、氷川丸は歩き出す。扉を開けて船内に入ると、薬品の臭いが鼻をついた。今回の航海ではまだ患者の収容を行っていないため、内部には船内消毒に使用した薬品の臭いが強く残っている。
露天甲板と同じ段に位置するここはBデッキと呼ばれ、貨客船時代は一等の客室と食堂が置かれていた場所だ。今は、士官用病室や病院船の士官の居室として使用されている。
「ここは元々、一等客室だった部屋で、今は士官用の病室として使われています」
舷側に沿って並ぶ部屋の一つの扉を開け、氷川丸が説明する。一部屋につき二つのベッドが置かれている室内は、病院船に改造される前とほとんど変わっていない。ゆったりとくつろげる一等の個室は、士官用の部屋としては最適であったため、手を加える必要が無かったのだ。
「いい部屋だな」
室内を眺める比叡が感想を述べる。
「うちの水兵たちが見たら、涙を流すぞ」
「そんな大げさな・・・」
苦笑する氷川丸に比叡が言う。
「過言ではない。奴等は普段、兎小屋のような部屋の中で、吊り床に揺られて寝ているのだからな。柔らかな寝床で眠るなど夢のまた夢だ」
「水兵さんの生活って、大変なんですね・・・」
「ああ。だが、姉上や山城に比べれば私などまだ優しい方だ。何せ、あの二人は『鬼の金剛、地獄の山城』と呼ばれ、東西で恐怖の代名詞となっているほどだ。新兵にとっては、最も乗りたくない艦だろうよ」
「なんだか、聞いただけで背筋が凍る気がします・・・」
顔を青くする氷川丸を見て、比叡が快活な笑い声を上げる。
「ハ、ハ。そうだろうな。なに、心配するな。姉上も山城も普段は温厚な人柄だ。そう恐がる必要はない」
「そう、ですか・・・」
まだ少し恐怖を拭えていない氷川丸に比叡が言う。
「姉上に会う機会があったら茶を淹れてもらうといい。姉上は英国の生まれだからな、紅茶に対する造詣は帝国海軍一だ。私は茶に無学ゆえ分からぬが、お主ならば話も弾もう」
「あっ、いいですね。金剛さんの淹れる紅茶、私も飲んでみたいです。比叡さんと妹さんたちも一緒に、今度みんなでお茶会しましょうよ。一等ラウンジを空けておきますから」
わくわくした様子で氷川丸が提案する。氷川丸は比叡も二言返事で賛同してくれると思ったが、比叡からは返答の代わりに小さな呟きが返ってきた。
「みんな、か・・・」
氷川丸の言葉の一部を繰り返すと、比叡はそのまま物思いに耽るように黙ってしまった。奇妙な沈黙に、氷川丸は訝しげな表情を浮かべる。
「比叡さん・・・?」
氷川丸が声をかけると、比叡は我に返った様子で言った。
「・・・ん、あぁ。そうだな。皆で集まるもの良いかも知れぬ。あの青年も呼んで一緒にやろう」
そして、「他の部屋も見せてくれないか?」と氷川丸に船内案内の続きを促した。比叡の言動に氷川丸は違和感を覚えたが、聞いても答えてくれないだろうと思い、追及する事はやめた。
「それでは、次は一つ下のCデッキを案内しますね。ここの階段を降りるとCデッキで、すぐそこにあるのが配膳室です。それから――」
氷川丸は機関室や貨物室として使われている船倉などを除く主要な区画をすべて比叡に紹介した。何層にも重ねられた甲板を上下し、広大な船内を見て回るのは容易ではなく、氷川丸の自室に戻ってきた頃には日が西の海に接し始めていた。
「これで、全部です」
「手間をかけたな。礼を言うぞ」
案内を終えた氷川丸に比叡が礼を述べる。と、そこへ折よく島での仕事を終えた雄人が帰ってきた。
「ただいま、氷川丸」
「あ、雄人さん。お帰りなさい」
「暫くぶりだな、青年」
「お久しぶりです。比叡さんも来ていたんですね」
部屋の扉の前で三人は立ち話を交わす。
「ちょうど雄人さんも帰ってきた事ですし、三人でお話ししませんか? 私はお茶の用意をしてきますから、お二人はくつろいでいて下さい」
二人を部屋に誘導し、氷川丸は司厨室に向かう。数分後、トレーを手にした氷川丸が戻ってきた。
「お待たせしました」
「ありがとう、氷川丸」
氷川丸も席についたところで、雄人が話を始める。
「この間は、南太平洋海戦の参加、お疲れ様です。ホーネットを撃沈したそうですね」
「ああ。とはいえ、やったのは空母の連中だがな。翔鶴と瑞鶴・・・開戦時はヒヨっ子だったが、奴等も今や一人前の戦士だ。ミッドウェー以来、機動部隊の中核としてよく頑張っている」
「これで、ガダルカナルの戦いも変わるでしょうか?」
氷川丸の問いに、比叡は首を左右に振る。
「分からん。だからこそ、私が駄目押しに行く」
「えっ・・・?」
予期せぬ比叡の言葉に氷川丸が驚きの声を上げる。
「それって、どういう事ですか?」
「ガダルカナルの米軍飛行場に、艦砲射撃を行う。前に姉上と榛名がやった事の再演だ」
「前回は確か、敵飛行場にかなりの打撃を与えましたよね」
雄人の確認に比叡は首肯する。
「でも、米軍も馬鹿ではないはずです。同じことを二度やるのは危険では?」
「無論だ。上層部の方では楽観視しているようだが、恐らく、今回は米軍も何かしらの手は打ってくる。この前の様に無傷の勝利とはいかぬだろう」
「大丈夫・・・なんですか?」
瞳に不安の色を湛える氷川丸が聞く。比叡は微笑し、氷川丸の頭に手を置く。
「案ずるな。斯様な所でくたばるつもりなど、毛頭無い。情報によると、周辺海域に展開する敵艦艇は巡洋艦程度だという。巡洋艦相手に不覚は取らぬ。それに、そもそも我ら姉妹は巡洋戦艦。味方の先頭に立ち突撃をかけるのが使命だ。今回の様な任務は、むしろ本分だ」
「そうですか・・・でも、くれぐれも気をつけて下さいね?」
「ああ。心得た」
「それで、出撃はいつですか?」
雄人が聞くと、比叡は即答した。
「明日だ。今日ここを訪ねたのも、お主らに出陣前の挨拶をしておこうと思ったのだ」
「僚艦は誰が?」
「霧島、それに四戦隊の高雄と愛宕だ。霧島は末の妹ではあるが、なかなか剛の者だ。仮に敵の戦艦が現れても遅れは取るまい」
一頻り話し込んだ後、比叡は席を立った。
「さて、私はそろそろ戻るとしよう。二人とも、世話になったな」
別れの挨拶を済ませた後、淡い光と共に比叡は自艦に転移した。部屋に舞う光の粒を眺めていると、夕食の時間を知らせるラッパが鳴り響いた。
「おっと、もうそんな時間か。氷川丸、また後でね」
「あっ、待って下さい、雄人さん!」
部屋を出ていこうとする雄人を、氷川丸が呼び止める。
「なに、氷川丸?」
ドアノブに手をかけた状態の雄人が顧みると、氷川丸は机の引き出しから一枚の布を取り出して言った。
「雄人さんに、ひとつお願いがあります――」
◆ ◆ ◆
翌日、十一月九日。南太平洋最大の日本海軍の根拠地であるトラックは高揚した気分に包まれていた。
戦艦「比叡」を旗艦とし、姉妹艦「霧島」、重巡洋艦「高雄」「愛宕」などから成る挺身攻撃隊がトラック環礁を今まさに出撃せんとする。夜陰に乗じてガダルカナル島に殴り込みを敢行する艦隊は、挺身の文字通り、捨て身の覚悟で作戦に臨む。彼らを送り出す港内の艦艇には帽振れをする兵士が山鳴りになり、白い帽子が波のようにうねっている。
勇壮な軍艦マーチが島々に木霊する中、見送る艦艇に向けて比叡は主砲塔の天蓋から敬礼を返す。その時、「比叡」の艦橋の根本で光が生まれた。瞬時に別の船の艦魂が転移してきた事を悟った比叡はその場所へと移動した。
「氷川丸、どうしたのだ?」
目の前に立つ三つ編みの少女を見て、比叡が問う。氷川丸は両手で大切そうに抱えた白い布を比叡に手渡した。
「これは・・・?」
「千人針です」
尋ねる比叡に氷川丸が答える。
「・・・といっても、千人には程遠いんですけどね」
そう言って、氷川丸は恥ずかしそうに苦笑する。縫い目の細かさに大きなばらつきのある布を眺めながら、比叡は尋ねる。
「確かに、一針ずつ別の人間が通しているようだが・・・如何にして、これを作ったのだ? お主が頼んで回ろうにも艦魂が見える人間は限られているだろうに」
「はい。だから、雄人さんに協力してもらいました」
隣に立つ青年を見上げながら氷川丸が答える。
「雄人さんに、乗組員の方々に千人針を通してくれるように頼んでもらったんです。全部で二三九針。全員から貰いました」
「そうなのか?」
「ええ。どうしてこんな娘みたいな事を、と変な目で見られもしましたが。何とか集められました」
比叡の問いかけを受けた雄人が肯定の返事を返す。因みに、三人がいるのは「比叡」の第二主砲塔と艦橋基部の間の狭い空間である。そのため、「比叡」の乗員でない雄人が立っていても目立つ事はなかった。
「そうか・・・。二人とも、礼を言うぞ。感謝する」
「「どういたしまして」」
期せずして息が合い、雄人と氷川丸は心なしか気恥ずかしそうにする。そんな二人の様子を比叡は微笑ましそうに眺める。と、在泊艦艇に別れを告げる「比叡」の汽笛が大きく響いた。
「おっと、もう戻った方が良いようだな。これ以上離れると自分の船に転移できなくなるぞ」
「そうですね。雄人さん、戻りましょう」
「うん。分かった」
氷川丸の手をとる雄人に、比叡が呼びかける。
「暫し待て、青年」
振り返る雄人へ、比叡は懐から金時計を取り出した。
「千人針の駄賃だ。受け取れ」
雄人は一度氷川丸と手を離し、比叡の傍へ向かう。雄人が金時計を受け取る瞬間、比叡は彼にしか聞こえない声で低く言った。
「これから戦いはますます辛く、厳しくなる。その中で氷川丸を支えてやれるのはお前だけだ。頼むぞ」
「えっ?」
雄人は聞き返すが、比叡は何事も無かったような顔をする。そして、「ほら、早く戻れ」と彼の背中を押す。
「達者でな、氷川丸。貴船の航海に幸多からん事を」
「はい。比叡さんも、御武運の長久をお祈りします」
直後、氷川丸の身体から淡い蛍光が生まれ、それはたちまち彼女と雄人の姿を覆い隠す。そして二人の人影が完全に見えなくなった瞬間、光は弾けて消滅した。
人のいた気配の残らない空間を見詰めながら、比叡は独り呟く。
「悪いな、氷川丸。お主との茶会の約束は、果たせそうにない――」
そして、狭い主砲塔と艦橋の谷間から第二主砲塔の上に転移する。
「かくなる上は、せめて存分に勇を奮い、後生に名を残そうぞ」
軍刀の柄を握り締め、比叡は決意を固めた。
◆ ◆ ◆
「比叡」以下の挺身攻撃隊が出撃した後、「氷川丸」も患者収容のためにトラックを出港した。ラバウルとガダルカナル島の中間地点にあるブーゲンビル島の対岸に位置するショートランドまで赴き、負傷者を入院させた。収容した患者は、戦闘による負傷者よりもマラリアをはじめとする疫病患者の方が多かった。
ラバウルに戻った「氷川丸」は現地部隊にマラリア用の薬を提供し、十一月十三日に同地を出港した。
薄い煙を噴き上げる花吹山を右手に眺め、「氷川丸」はゆっくりとラバウルを離れる。プロムナードデッキから景色を楽しむ雄人の手には、比叡から渡された金時計が握られていた。
「花吹山は今日も綺麗だなあ。故郷の山を思い出すぜ」
雄人が付き添いをしている患者が郷愁を滲ませた声で言う。
「そうですね。でも、三月に来たときは火山灰が酷くて楽しめたものではありませんでしたよ」
「そうなのか? 俺は最近来たばっかりだから知らなかったぜ。・・・お、あんた、いい時計持ってるな」
「これですか? 知人に貰ったんです」
患者の言葉に、雄人はあながち嘘でもない返答をする。
「一兵卒の俺じゃあ、こんなの買うのは夢のまた夢だぜ・・・。なあ、ちょっとでいいから見せてもらえないか?」
「ええ。いいですよ」
雄人が金時計を手渡すと、患者は「おおっ」と歓声を上げる。だが、彼が蓋を開けた瞬間、文字盤を覆っていたガラスがピシッと音を立てて砕けた。
「おわっ!」
「大丈夫ですか!?」
怪我の有無を尋ねる雄人に、患者は無傷である事を伝える。彼は時計を雄人に返すと申し訳無さそうに言った。
「悪い、大事な時計に傷つけちまって。すまねえ・・・」
「いえ、気にしないで下さい。それよりも、怪我が無くて良かったです」
答えつつも、雄人は胸に不吉なものを感じていた。時計を渡した時に比叡が言っていた言葉が、雄人の脳裏をよぎる。
――氷川丸を支えてやれるのはお前だけだ。頼むぞ――
雄人は急に、その言葉が遺言めいて感じられた。覆いが割れ、動きを止めてしまった時計の針が、その思いに拍車をかける。
「まさか・・・」
そう口にするも、心の内に生まれた不安はどんどん濃さを増していく。やがてそれは、確信ともいえる強さとなった。
そして、雄人が胸騒ぎを覚えていた頃、一隻の軍艦がソロモン海の水底へ沈んでいった。その艦の名は、「比叡」。ガダルカナル島砲撃のため出撃した本艦は途中、米巡洋艦部隊と遭遇。「比叡」は探照灯を照射して敵艦に巨砲の釣瓶撃ちを浴びせかけた。しかし、探照灯を使用した「比叡」は格好の標的となり敵艦の攻撃が集中。八十発にも及ぶ砲弾を受け、操舵不能に陥った「比叡」はその後、米軍機の雷撃を受けて被害が拡大、航行不能となり自沈した。時に昭和十七年十一月十三日。日露戦争での「八島」「初瀬」以来三十八年ぶりの、そして太平洋戦争初の戦艦喪失であった。
その二日後、再度の突入を敢行した「霧島」も米海軍の最新鋭戦艦「ワシントン」、「サウスダコタ」との砲撃戦の末に沈没。のちに「第三次ソロモン海戦」と呼ばれるこの戦いで、日本は貴重な高速戦艦二隻を失い、これ以後ガダルカナル島への戦艦投入を断念する事となった。
作者「更新頻度の目安の一か月を超えて更新が遅れてしまいました。すみません」
氷川丸「……とりあえず、理由を聞きましょうか」
作者「期末試験と検定試験が重なって、時間が取れませんでした。中間試験から一か月後に期末試験があって、その間に検定試験も入ってきたんです」
氷川丸「そうですか……。そういう理由でしたら、仕方ありませんね」
作者「その埋め合わせという訳ではありませんが、短編を一作投稿しました。ドイツ海軍の『プリンツ・オイゲン』という巡洋艦を主人公とした小説です。良かったら、こちらもご覧下さい」
青葉「宣伝乙ー」
氷川丸「こらっ、青葉。そういうこと言わない!」
作者「それともう一つ、重要なお知らせがあります。実は私、受験生でして……夏以降、受験が本格的になるため、夏からは受験が落ち着くまで更新頻度が不安定になるかと思われます。読者の皆様には申し訳ありませんが、ご承知下さるようお願いします」
氷川丸「最初に更新遅延を謝って、次は更新の不定期化を予告して……何だか、今回はあまり良いことがありませんね」
青葉「確かに……。まあ、それを言っても仕方ないし、作者に受験を頑張ってもらって、早く落ち着いてもらうしかないね」
氷川丸「青葉の言う通りね。作者さん、私たちのためにも受験、頑張って下さい」
作者「うん、分かったよ」
氷川丸「では、今回はこの辺で終わりにしましょう。青葉?」
青葉「はいはい! この作品を読んでくれる読者のみんなに感謝の言葉を。ありがとう!」
氷川丸「ご意見・ご感想もお待ちしております」