その男、車持皇子
「うわあぁぁぁぁぁあん!」
自室。かぐやは媼の膝でみっともなく泣いていた。そんなかぐやの頭を媼は優しく撫でる。
「よしよし。あいつはちょっとギャップについていけなかっただけだぁよ。かぐやがあんまりきれいなもんだから、びっくりしたんだろうねぇ」
「うっ。ぐずっ。どぢゅうまでいい感じだっだのにぃ」
「まぁまぁ。結婚したらいずれガサツな性格もばれるだろうから、それがはやかっただけさ。まだ四人いるんだし、ラッキーだと思えば良か」
媼の優しい言葉がかぐやの心に沁みる。それと同時に、中身は三十路近いのにこんな子供っぽい自分に呆れる。泣きじゃくっておばあちゃんに抱き着く。これではお子様と同じではないか。なにが月の最高権力者だ。お山のガキ大将もいいところだ。自分が惨めで、哀れで、また泣けてくる。
「うっ、うぅぅぅう……」
媼は何も言わずに頭を撫でてくれる。その優しさがかぐやの心にとって嬉しくもあり、突き刺すような痛みでもあった。
「……私、変わりたい」
かぐやは言った。
「こんな惨めな自分から、変わりたい。誰もが羨むようないい女になりたい……!」
静かに呟くようにかぐやは言ったが、媼の耳にはちゃんと届いていた。
「ばっちゃ、私どうしたらいいかな」
顔をあげてまっすぐ媼の顔をみた。その目は涙とは違うもので輝いている。
「そうねぇ、やっぱいい女アピールかねぇ。相手のことを身になって考えてあげることで、女に磨きがかかるもの」
「わかった! 私、いい女になる!」
「……失礼します」
次に襖を開けたのは、明らかに思い詰めている様子の車持皇子だった。かぐやの姿を見もせずに、明後日の方向を向いてはうつむいている。
翁と媼は例のごとく、障子から様子を窺っていた。
「どうぞ、お座りください」
先ほどと同じように畳に手を添え、座布団へと着席を促した。今度は失敗しない。気合に満ちているかぐやは緊張もせず、自分の思ういい女になりきっていた。落ち着いた雰囲気で、掴みどころのない、大人の女性。イメージは完璧だ。
「…………」
「……どうしたの?」
「いえ、なんでもありません。さ、まずは自己紹介からですね。私は――」
「待って。そんな割り切ったように話さなくてもいいわ。あんな何かを諦めようとしている表情、ほっとけないじゃない……」
「っ⁉ そんなことは……」
「本当かしら? 私はあなたがなにかを自分に言い聞かせているように見えたわ。まるで、ふてくされた子どものように、ね」
「…………」
「ふふっ。図星かしら?」
「……おみそれいった。噂にきいた麗人であるにも関わらず、中々鋭い」
「それは褒められているのかしらね」
「ふっ。御冗談を……」
「…………」
「…………」
「ねぇ、聞かせてくれるかしら? あなたがなぜ、そんな顔をしなければならない理由を。そんな顔をさせている、悪魔の正体を……」
「……あなたには非常に申し上げにくいことではあるが、そこまで心を見透かされては仕方ない」
「私の虜になってしまった?」
「ふふっ。あやつより先に会っていればそうなっていただろう」
「……あやつ?」
「ええ。私には、生涯を共にすると決めた者がいまして。その者と結ばれることを約束いたしました」
「ふぅん?」
「ですが、我が愚弄なる父に邪魔をされました。このような貧相な娘など妃に寄越すなと一蹴され、今回の縁談を無理矢理受けさせられた憐れな私であります」
「…………」
「どうか憐れな私めをお笑いください。滑稽だと笑っていただいたほうが――」
「いとあはれ」
「え?」
「いとあはれ。あなたはその人のことをとても大切に思っているのね。このような偏狭な地へと赴いても、彼女のことばかりが頭の中に溢れてくる。――どうしても諦めきれない。さっきのはそういった表情だったのね」
「っ⁉」
「あら? もしかして自分の気持ちにすら気づいていなかったのかしら?」
「……敬服致す。私は、諦めて父の言いなりとかす木偶人形になるしかないのかと考えていた。踊らされているだけの自分が、憐れで滑稽だと……」
「あっはっは。それこそ滑稽だわ。自分の気持ちと向き合わずに大切なものを失いかけていただなんて」
「まったく、その通りですな」
「……こんなところで油を売っていていいのかしら?」
「かたじけない」
そういって車持は立ち上がりこの場を去ろうとする。襖に手をかけると、動きが止まった。
「これはただの独り言。もしあやつに出会っていなければ、私の運命はここで決まっていただろう」
背中越しに聞こえたその声は、かぐやの胸を貫いた。
「失礼する」
襖が閉じきる直前、かぐやは叫んだ。
「待って!」
十センチほど開いたままで、襖はぴたりと止まる。
「……幸せにね」
一瞬の沈黙の後、襖は小気味いい音を立てて完全に閉まった。
車持皇子に偶さかに訪れた運命の好機。彼とその妻の行方を知るものはいない。