第86話 初回
球場に響くアナウンスの後、俺たちはベンチを飛び出し、一塁側のダグアウトから次々と打席へ向かう。
1番、猫宮先輩。
小柄な体格を活かした俊足のリードオフマン──その姿がバッターボックスにすっと立つだけで、相手の守備陣がざわついたように見えた。
初球。相手の先発は右のサイドスロー、シュート回転の多い速球派だ。
外角低め、ギリギリのコース。
猫宮先輩はバットを振らずに見送る。
「ボール!」
……静かな立ち上がり。
二球目。今度はインコースへ食い込む球。
その瞬間、猫宮先輩のバットが鋭く走った。
バシンッ!と乾いた音。
打球は三塁線ギリギリを抜け、レフト前へ転がった。
「よっしゃ! 出た!」
ベンチが沸く。俺も立ち上がって声を張った。
──一番が出塁した。それだけで流れがウチに傾く気がする。
二番はバントの構え。相手バッテリーも分かっているだろうが、猫宮先輩の足なら二塁は十分狙える。
そして──案の定、きっちり送った。
ピッチャー前、絶妙な位置。
「1番足速すぎるだろ!?」
相手の動揺をよそに、二番打者は一塁アウトとなるが、その間に猫宮先輩は悠々と二塁へ。
一死二塁。三番、山岡先輩。
ベンチ前で軽く素振りをしてから、深呼吸ひとつ。
「風間、攻撃は任せろ」
そんな言葉を俺にだけ残し、バッターボックスへ。
初球、外角のスライダー──
迷いなく、振り抜いた。
打球は高く舞い上がり、センターの頭上を越えた。
「回せ! 回せ猫宮!」
センターが後逸気味に追いかける間に、猫宮先輩は三塁を蹴ってホームイン!
「一点先制!」
ベンチが爆発する。
山岡先輩は二塁ベースを踏み、ベンチに向かってガッツポーズを送った。
──1-0。
そして、打席には四番・神宮寺先輩が入る。
相手バッテリーは警戒している。明らかに球筋を散らし、簡単に勝負はしない構え。
けれど、それでも──神宮寺先輩は一球、一球を無駄にしなかった。
カウント2-1、外角のストレート。
その一球をしっかりと捉えた。
低い弾道で一二塁間を破る鋭い打球。
二塁から山岡先輩が帰ってきて、さらに1点追加!
「2-0!」
神宮寺先輩は軽くヘルメットを取り、スタンドに一礼する。
──四番の重み。背負うものの大きさと、それを打ち返す強さ。
そして、続く五番・金城先輩。
相手バッテリーは、完全に動揺していた。
変化球が高めに浮く。ストライク。
二球目──ストレート、ど真ん中。
金城先輩のスイングは、鋭かった。
打球はぐんぐんと伸び、ライトフェンス直撃のツーベース!
「神宮寺、三塁回った! ホーム突っ込むぞ!」
クロスプレー。──が、間に合った!
「セーフ!」
──これで、3-0。
試合開始からわずか十分足らずで、早実が3点を先制。
ベンチに戻ってくる金城先輩と神宮寺先輩の背中が、信じられないほど頼もしく見えた。
(……この流れ、絶対に手放さない)
俺はスパイクの紐を締め直し、次の回、マウンドへ向かう準備を始めた。




