第195話 二回の守備
金城先輩がマウンドに立つと、球場全体の空気がピリッと張りつめた。
甲子園特有の湿った熱気の中でも、あの人の背中だけは、まるで炎の芯みたいに揺るがない。
――ストレート勝負で行きます!
佐野先輩の短いサイン。
金城先輩は軽くうなずくと、グラブを口元に添え、ゆっくりと息を整える。
足を高く上げた――と思った瞬間、――ズバンッ! という破裂音がミットに吸い込まれた。
「ストライクッ!」
審判の声が響く。
初球から150キロを超える速球。
あの音、あの球筋。練習の時に見るよりずっと重く、速い。
(……これが先輩の本気ってやつか)
ベンチの前列で俺は思わず膝を乗り出していた。
春日はキャッチャーとしての目線で冷静に見ている。
「やっぱ、金城先輩の球、伸びエグいな」
「あぁ。低めの制球が神がかってる。キャッチャーが構えた通りに来てる」
春日の声は小さいけど、どこか興奮を隠しきれていない。
打者が2球目のカーブにバットを空振りした瞬間、俺たちは同時に顔を見合わせた。
「今の……カーブ?」
「そうだな。落ちるってより、沈む軌道でストレートが速いから余計に見極められない」
三球目――内角を突くストレート。
打者のバットは動けないまま、空を切った。
「バッターアウト!」
球審が右手を上げる。
佐野先輩が軽く頷きながらマスク越しに微笑む。
それを見て金城先輩も、唇の端をわずかに上げた。
あの無言のやりとりに、二人の信頼が詰まってる気がした。
二人目の打者も、スクリューを混ぜながら完璧に打ち取る。
内野ゴロを猫宮先輩が素早くさばいて一塁へ――スリーアウトチェンジ。
スタンドの歓声がひときわ大きくなる中、ベンチに戻ってきた金城先輩が帽子を取って汗を拭った。
その横顔には、まだ一滴の焦りもない。
ただ、静かな闘志だけがあった。
「佐野先輩、ヤバいな……。あの球、キャッチするだけでも一苦労だぞ」
春日がぽつりと呟く。
そんな声を聞いたコーチの1人が笑った。
「お前らも、いずれこうなるんだよ」
冗談とも本気とも取れない声。
でもその言葉が、俺の胸の奥に火をつけた。
(――“いずれこうなる”)
そう言われて、本気でそうなりたいと思った。
この人みたいに、甲子園のど真ん中で、誰も打てない球を投げてみたい。
そのためには、まだまだ足りない。
技術も、心も。
「なぁ春日」
「ん?」
「ブルペンで肩作る時、いつも以上に厳しく見てくれないか?」
俺がそう言うと、春日は少しだけ驚いた顔をして、それからニヤリと笑った。
「任せろ。お前の球、誰よりも知ってるんだからな」
甲子園二回の守備――
まだスコアは動かない。
けれど、チームの鼓動は確かに熱を帯びていた。




