ザ・ラストオーダー
夜。とある小さな居酒屋の暖簾をくぐった一人の男。
店内をチラッと見渡すと客は男性が一人だけ。どうやらもう営業終了の時間のよう。彼のその予想は当たり、従業員の女が彼に向かって「あ、すみませんお客さん。ラストオーダーで!」と、明るく声をかけた。
彼は微笑み頷くと適当な席へ座り、メニュー表を眺める。
「……うっし、これにしよ。すみま、ん?」
と、手を上げようとした時、ふと視線に気づいた。それは離れた席に座るもう一人の客の男からのもの。
「……あの、なにか?」
「ああ、いや、別に……」
「そうすっか……あ、先、注文ですか? どうぞ」
「いい、いや、いいんで! どうぞ!」
「そ、そうすっか……」
と視線を外したがどうも釈然とせず、彼は上げかけた手を下ろした。そしてまたチラと見ると、その男はこちらをジッと見つめていた。さすがに少し気分が悪い。
「いや、あの、なんすか?」
「ああ、いえ別に……いや、これはもう言ったほうがいいか……」
と、その男はブツブツ言うなり席から立ち上がると、彼の方へ近づいてきた。彼は身構え、男を見上げる。
「いや、あのですね、お願いがありまして……」
「お願い……?」
「ええ、と言うのも、ラストオーダーを僕に譲っていただけないかと」
「えっと……はい?」
「ああ、わかりますわかります! その反応は。でも、何卒……」
「えっと、それは俺に注文するなって事?」
「いえいえいえいえ! 注文はしてくださって結構! もうジャンジャンしてください!」
「それは店の迷惑では……」
「ああ、確かに、と、とにかくですね。えっと僕が最後に注文したいんですよ。……ちゃんの最後は僕がいいんで……へへ……」
と、声小さく身をくねらせ笑う男に対し、彼は眉を顰め、ため息。
「あーはい、まあよくはわからないけど、言うとおりにするんで、もうあっち行ってて」
「ああ、ありがとうございます!」
「ふぅー……まったく。あ、すみませーん!」
「はーい!」
「えっとじゃあ、スパイシーポテト一つで」
「はーい!」
注文を終えた彼がチラと男のほうを見ると、男は親指を立てニッと笑った。顔を顰める彼。そして男は意気揚々と手を上げた。
「よっし! すみませーん! ポテトサラダ一つお願いしまーす!」
「はーい!」
「……あ、すみませーん。金目鯛のかぶと焼き一つ」
「いやちょっとおおおぉぉぉ!?」
「うわっ、びっくりした」
「え、なん、なんなんですかあなた!? 約束が違うじゃないですか!」
「え、いや、でも思ったより腹が減ってたなぁって、後から思って……」
「だからって約束破ってまですることですかぁ!? コンビニでいいでしょコンビニでぇ! あんたとんだ詐欺師だよ! ろくでなしだよ!」
「はぁ、すみません……いや、でもなんで」
「まったく……よし、わかりました。じゃあ、ちゃんと説明するんで今の注文は取り消してくださいね」
「え?」
「ちょっと待ってくださいね……よし、この店に来てから僕が注文したものを、この紙に書いたので見てください」
「はぁ」
【サケの白子のポン酢和え】
【さっぱりひややっこ】
【タコ唐揚げ】
【とんかつ】
【カシスオレンジ】
【ポテトサラダ】
「どうです? わかりましたか?」
「いや、なんも」
「かぁーにぶいなぁ、もぉー縦読みですよ縦読み」
「縦読み? さ、さ、た」
「ああ、ははは! 違う違うぅ! あえての二文字目からですよっ。あれ? って思わせといて、インパクトあるやつぅ!」
「ん、ああ。けっ、こ、ん」
「ストップゥ! ……それは、僕の口から言うべきセリフです」
「うざぁ……」
「つまりですね、ふふふ、ユミちゃん。あ、さっきの店員さんなんですけどね、僕、彼女にふふふ、今夜告白しようかと思いまして」
「えっ! いや、え? プロポーズ? じゃあ、まさかあんた、あの可愛い子の彼氏……」
「ん、ふふぅ、いえいえ、まったく接点ないですよ。常連客と店員の関係以外では。ま、それも今夜までですがね」
「え、えぇ……でもいきなりプロポーズとは……」
「あぁはっはぁ! ふふっ、僕もバカじゃないんでね。そう上手く行くとは思いませんよ。
しかしですねぇ、間違いなく、反応はあるはずです。わーすごーい! とかね。そうなればもうこっちのものですよ。
結婚と行かなくとも交際に。最低でも友達にはなれるはずです。そう、最初の要求を大きく。これぞ、僕の恋愛心理テクニックです!」
「恋愛テクを語れるような見た目はしていないがなぁ……」とドンと胸を張る男に彼は呆れるようにそう言った。
「で、この作戦を実行するにはやはり、最後の客になる必要があるわけなんですね。
ラストオーダーのラストゲスト。会計時にさり気なく、レシートを見せて言うんです。
『ねぇ、何か気づかない?』ふふふふふっ、それはつまり君への想い、くぅぅ。
さ、説明はしました。わかったならさっきの注文を急いでキャンセルしてください。恐らく通ってますから。さ、早く……ん?」
「すみませーん、大根サラダ一つ!」
「は、はぁぁぁぁぁ!? いや、何してるんですか! は、は、話を聞いてましたかぁ!?」
「……ああ、聞いてたよ。で……正直いいなとも思った」
「お、おお。じゃあ――」
「だからそのアイディア、俺が貰う」
「は、はぁぁ!? しょ、正気か!? えっと、スパイシーポテト、金目鯛のかぶと焼き、で、大根サラダ……あ!」
「好きだ。ユミちゃん……」
「なぁ! 詐欺師かと思ったらとんだ泥棒野郎じゃないですか! クソッ……あ、すみませーん! サクサクフライドポテト一つ!」
「なに? じゃあ、すみませーん、あと揚げ物三種盛一つ!」
「こっちはおだし染みこむトロトロ煮卵を一つ!」
「イカの唐揚げ一つ!」
「おさしみ盛り合わせ!」
「塩つくね!」
「サイコロステーキ!」
「手羽先!」
「えっとこっちは」
「おっと、待てよ。そのメモ、よく見てみな」
「え?」
【サケの白子のポン酢和え】
【さっぱりひややっこ】
【タコ唐揚げ】
【とんかつ】
【カシスオレンジ】
【ポテトサラダ】
【サクサクフライドポテト】
【おだし染みこむトロトロ煮卵】
【おさしみ盛り合わせ】
【サイコロステーキ】
「お前の恋愛方程式はすでに完成されている!」
「く、クソッ!」
「それ以上は蛇足。俺はこれでフィニッシュだ。ルッコラとトマトのサラダ。【好きだ、愛してる】……ラストオーダー、ごちそうさん」
「僕の、僕がぁぁぁ……あ、店長さん」
「ん、どうしたんすか?」
「……お客さん。デミグラスハンバーグ。金目鯛のかぶと焼き。ンムクジプットゥルー」
「ん? ああ、もう今夜はそれしか材料がないすか? いや、でも、はははっ。ンムクジなんたらって店のメニューにないじゃないですか」
「そうですよそうですよ、怖い顔してぇ冗談を……あ、これって……」