表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/29

1―2:フックを殴った

 私は愉快でちっちゃなクレーンオペレーター。

 婚活敗者で人生敗者の痛いオバサン


 池中いけなかまりあ 43歳 独身。


 今日のお仕事は、廃工場解体現場。

 愛機のラフタークレーン【吉野号】で、地下室の搬入口から【膜分離式活性汚泥処理装置】の【水神8号】を吊り上げて、産業廃棄物引き取りのトレーラーに載せること。


 解体工事は何処でも突貫。

 今日吊り上げる装置はコレだけじゃないので、愛機を巧みに操り安全第一でテキパキ仕事をがんばるぞー。


「おい若いの。何をしとる」

 

 地下室に降りてきたガンさんが、【水神8号】のケーシングを磨く私達に呆れた口調一言。


「なんかこう、未使用のまま捨てられる装置を見ていたたまれなくなったので、拭き掃除をしていました」

「すみません。新卒入社時に関わった装置が新品同様で残っていたので、つい昔話が弾みました」


「何をしとるか! トレーラーが待っとるんだぞ!」

「ごめんなさい!」


 常識的に怒号を飛ばすのは、今の私の勤め先【有限会社 吉野起重機】の社長のガンさん。

 とっさに謝る私達。


 普段優しいガンさんは、仕事には厳しい職人気質の70代。

 ちなみに他の社員は、同じく70代のゴンさんとゲンさん。

 高齢で体力も筋力も落ちているけど、三人で息を合わせて敷鉄板やワイヤーを運び安全なクレーン作業を支える。

 とても頼もしい働くおじいちゃん達。


 通称【古い三連星】。

 

 ちなみに三人とも老眼が進んで運転免許を返納しているので、彼等を運ぶ運転全般は私の仕事。


「これだから最近の若いもんは……」


 いや、最近の若いもんじゃないです。二人とも40代ですよ。

 確かに子供みたいなことしているけど。


 工事現場で余計なことをしてはいけないとは分かってる。

 でも、この【水神8号】の生き残りは、私が前の職場で働いた数少ない痕跡。私の人生の軌跡。

 その最期は大切にしたいと思ってしまう。


 私は6年前に退職するまであの会社で16年間働いた。

 主に事務員として業務改善は沢山してきたけれど、5年前の基幹システム入替で行われた【全社業務統合整備計画】で会社の組織や業務は一新された。

 それによりグローバル企業への変革を果たして企業規模は拡大したけど、私がのこした成果や痕跡は会社から全部消えた。


 仕事はやりがいがあった。

 誰もが嫌がるクレーム対応も、体力勝負の深夜残業も進んで引き受けた。

 休日も自宅で仕事の勉強をして、資格取得もがんばった。


 だけど、役職も給料も後輩に追い越されて、貯金もそんなに増えず、気が付けば婚期も逃し、そうまでしてがんばった仕事も、成果はどこにも残らない。


「この装置に乗ったら、イケメンの王子様が待ってるファンタスティックワールドに連れて行ってくれないかなぁ」

「最近流行りの異世界転生モノか。でも【熊殺し】が降臨したらその世界が滅茶苦茶にならないか?」


「その呼び方ヤメテ。現実世界では結婚も家庭も叶わないんだから、ファンタスティックに夢ぐらい見てもいいじゃない」

「……まぁ、人並みに結婚したとしても、必ず幸せになれるわけじゃないんだぞ。どう転んでも現実からは逃げられんからな。でも【不死身】級の強運持ちの池中なら、現実逃避なんてしなくても何らかの形で幸せを掴むことはできるんじゃないか?」


 既婚者でいろいろ苦労の多い田中の言葉はそれなりに重い。

 まぁ、がんばろうかなという気にさせてくれる。


「この【水神8号】の形見とかもらえないかなぁ。なんかお守りになりそうな気がする」

「じゃぁ付属品のこの【バルブ開閉札】はどうだ。【開】の札だから運命を切り開いてくれるかもしれんぞ」


 田中がバルブから外した【開】の【バルブ開閉札】。

 【開】の文字が大きく刻印されたカードサイズのブラスチック板に、ネックレスぐらいのチェーンが付いた、整備作業用の補助アイテム。


「ありがとう。もらっておくわ」

 【バルブ開閉札】にしては中途半端にチェーンが長い気がするけど、ありがたく頂くことにした。


「秘密にしておいてくれよ。廃棄予定の装置とはいえ、お客様の所有物だからな」


 余計な作業に怒りながらも、そんな私たちを生暖かい目で見守るガンさん。


「まぁ、どちらにしろわしらが玉掛け済まさんと吊れんし。重量屋は前の現場が押しとる。今は多少はゆっくりできるか。ゲンとゴンがフック持ってくるまで好きなだけ掃除してやれ」


 やっぱりガンさんは優しい。


「キレイな身体のまま生涯を終えるんだ。せめて綺麗に【死化粧】してやれ」


 ぐぎゃぁぁぁぁぁぁ


…………


 【水神8号】の形見を受け取り、気が済むまで磨いた後で吊上作業に移る。

 私は地下室で【水神8号】に最後の別れを告げて、今の愛機、ラフタークレーン【吉野号】の操縦席に到着。


 座席から伝わる心地よい振動とエンジン音。

 我が愛機は今日も快調。


 操縦席からは地下室の【水神8号】は見えない。

 だから、搬入口近くにいるゴンさんの合図に従って、地下室にフックを降ろす。


 【吉野号】は【有限会社 吉野起重機】の唯一の機材で、22年モノの20t吊りラフタークレーン。

 来月点検期限が切れて、それに伴い【有限会社 吉野起重機】は廃業するので、これがこの会社の最後の仕事。

 【古い三連星】は引退するけど、私は別のクレーン会社から誘われてる。

 他にやりたい仕事も無いので、そっちに再就職するつもり。


 地下室の様子はここから見えないので、ゴンさんを見て合図を待つ。


 吊り上げ開始の合図。


 ゴンさんの合図に従い、ゆっくり巻上操作。

 【水神8号】は【吉野号】から見れば軽い荷物だ。クレーンの据付場所の地盤もいい。

 一つ一つの操作を確実に行えば難しい仕事じゃない。


 ガゴン バァン


 衝撃、突発音。

 同時に操縦席が揺れる。


 地下室からクレーンのフックが垂直に飛びあがったのが見えた。

 空に飛びあがったフックの先端には、破断した【水神8号】の上部フレームが繋がっている。


 それを見て19年前の記憶がフラッシュバックした。

 【水神8号】の初期型のリコール内容。


 【クレーン吊り金具の強度不足】


 分離膜モジュール装填状態では吊り金具の強度が不足する。

 分離膜モジュールの装填は据付後なので、据え付け時に問題は発生しない。

 しかし、撤去時や移動時に分離膜モジュール装填状態で吊り上げを行うと、吊り金具破断の可能性があり危険。


 出荷済み装置を全数改修する予定だった。

 現地改造用の部品【水神改修キット】を必要数製造し、皆で現場出張を繰り替えして、お客様に謝りながら現地改造で修正した。

 でも、一台だけ行方が分からなくて、捜索を断念した本体があった。


 【製造番号13号】


 捜索を断念した時、余剰品となった【水神改修キット】一台分を廃棄したのは私だ。


 地下室入口近くのゴンさんを見る。

 腰を抜かしているが、怪我している様子は無い。

 地下室の様子は分からないが、地切り前に破断したので吊り荷は墜落していないはず。


 跳ね上げられたフックと吊り金具はどこだ。

 操縦席から上を見ると太陽の光の中に、何かが見える。

 重量150kgのクレーンのフックが、私の居る操縦席に向かって一直線に飛んできている。


 冗談じゃない。


 シートベルトを外してドアから脱出しようとしたら、腰のあたりに何かが引っ掛かり、バランスを崩して座席の上に引き戻された。

 さっき作業服のズボンのポケットに入れた【バルブ開閉札】のチェーンが、シートベルトに引っかかって私を拘束している。


 クレーンのフックは頭上から目前に迫る。


 脱出は間に合わない。

 とっさに立ち上がり左拳を構える。


 「万能のこぶし!」 ドバキッ


 操縦席の窓ガラスを破って私に迫るフックを、こぶしで迎撃。左手の骨が折れる感触。

 150kgの鉄塊相手に何をやっているんだ私は。


 速度を緩めず左腕を押しのけながら私に飛び込んでくるフック。

 そして、意識が遠くなる。


…………


「居たぞ! 【聖女】召喚成功だ!」

「何! 何処に落ちた!」

「ゴミ箱です! 既に【手袋】が付いています!」


 気が付いたら、仰向けで金属製の床に転がっていた。

●オマケ解説●


 ラフタークレーンは、ラフテレーンクレーンの略。そこそこ荒れた地形でも作業が出来るように作られているからそう呼ばれるとか。

 名前を知らない人は多いかもしれないけど、見たことが無い人は居ないと思う。やたらでかいタイヤが4本付いた、【ザ・クレーン車】みたいなアレ。

 街中で見るクレーン車は大概コイツだと思って間違い無い。


 そして、仕事に生きて婚期を逃し、気付けばアラフォーという女性。

 男女ともに未婚のままアラフォーを越えると、おおむね生涯独身な人生になる。

 まぁ、ライフプランが多様化している今の時代、そんな生き方も自由だ。


 男は別段問題ない。

 獣の世界では、子孫を残せるオスはごく一部。大半のオスは淘汰されることで種の存続に貢献する。

 だから、男は【弱男】と罵られ孤独な最期を遂げたとしても、オスの役割を全うした自らの死を誇ることができる。

 独身男は、生命として与えられた自らの役割をきちんと果たしているのである。


 対して女はどうか。

 メスはオスから求められ、その中から残す種を選ぶのが役割。

 オスから見向きもされないメスなんて、自然界じゃぁあり得ない。

 そんな生き方想定外。んだ後、どう生きればいいのかなんて分からない。

 

 女に生まれながらも、選ぶことも選ばれることもなく、子孫を残せずに人生がむ【アラフォー喪独女】は、5億6千万年を超える地球生命の有性生殖の歴史の中で、最下位に位置する存在だ。


 えて言おう。ミジンコ以下であると!


※この物語はフィクションです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
とあるスジからフルボッコにされそうな「オマケ解説」。。(^^;)
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ