番外編:肉食女子の独白
私の名前はナスターシャ。フレディ王子の妻として、夫を陰で支える主婦をしております。
実は、私には過去に捨てた名前があります。
私がナスターシャとなる前の名前はヘイリー。
農業大臣の娘で、【聖女】の候補でした。
ヘイリーは小さい頃から身体が弱く、1年の大半を病床で過ごす日々を送っていました。
両親は看病こそしてくれましたが、家督も継げず、嫁にも行けないヘイリーにあまり関心を持ちませんでした。
だからその頃は、幼馴染のフレディ様がたまにお見舞いに来てくれる事が唯一の楽しみでした。
ヘイリーが13歳の時に、【根源領域技術】の適性を見出されました。
その際、両親は王からの要求に従い、次代の【聖女】の候補としてヘイリーの身柄を王宮に引き渡しました。
当然、私は【聖女】の役割を知っていました。
身体が弱く、余命の短いヘイリーは確かに適任であると、泣く泣く納得しました。
でも、幼馴染のフレディ様は、【命を粗末にするな。なんとかしてやる。生きろ】と言って、励ましてくれました。
どうにもならないことは分かっていましたが、生きろと言ってくれたのは嬉しかったものです。
いつしか、ヘイリーの心はフレディ様でいっぱいになっていました。
15歳の冬に、風邪をこじらせて肺を痛めてしまい、寝たきりになってしまいました。
【聖女】候補が役割を果たす前に死亡しては一大事と、国内の医療技術を結集して治療に当たってくれましたが、なかなか快復しませんでした。
【儀式】を前倒しで実施する準備が進む中で、フレディ様が夜中にこっそりと病室に会いに来てくれました。
何故か会うことを禁止されていて寂しかったので、すごく嬉しかったです。
その時、フレディ様は【薬】をくださいました。
これを飲めば【聖女】も【病弱】も何とかなると。強い身体が手に入ると。
大好きなフレディ様が望みを叶えてくれるのが嬉しくて、言われたとおりにその【薬】を服用しました。
それから、肺の病気は急速に悪化しまして。
2日後に、ヘイリーは皆の見守る病床で息を引き取りました。
でも、怖くはありませんでした。
息を引き取る直前に、病室の隅で満足そうな表情をしているフレディ様が見えましたから。
次に目を覚ました時は、【研究室】の地下手術室でした。
無尽蔵のエネルギー源を組み込んだ、肺呼吸不要な身体。
【根源領域技術】の適性を組み合わせれば、無限の可能性が得られる新しい【命】。
ナスターシャという新しい名前を与えられ、山のふもとの農園でしばらく隠居生活を送ることになりました。
私を救ってくれたフレディ様には感謝していましたが、あの頃は寂しかったです。
誰にも会うことが許されず、フレディ様も忙しくてあまり会いに来てくれませんでした。
とにかく、一人で居るのが寂しかった。
冷却用のプールの中で毎晩泣いていました。
名前を捨て、【聖女】候補という肩書を失い、家族とも離れてしまった。
生まれつき病弱で、何も成せないまま一度死に、このような形で蘇った私。
私は一体何なのか。何のために産まれて、何のために生きるのか。
私は【存在意義】が欲しくなりました。
そんな中で出会ったのが、【クマさん】でした。
山の中で出会った、黒くて大きな【クマさん】。
その体長は、マリア様より小さかった当時の私の2倍以上。
腰が抜けてその場でへたり込む私を一瞥して、悠々と去っていく巨体を見た時、私の中で強い衝動が芽生えました。
【喰いたい】
あの【クマさん】を仕留めて私の一部にすることができれば、私は弱くて何もできなかったヘイリーと決別して、本当の意味でナスターシャに生まれ変わることができる。
確固たる【存在意義】を手に入れることができる。
何故そう考えたのか理由は分かりません。
でも、その瞬間から、それが私の全てになりました。
フレディ様から頂いた機材を持って挑みました。
腕の一振りで吹っ飛ばされて、致命傷を負いました。
フレディ様から頂いた強い身体は、負傷の回復も早かったです。
冷却さえできれば半日で復活できることが分かりました。
再度挑みました。
鋭い爪で心臓を貫かれました。
真っ赤に染まった冷却用プールの底で、心臓を修復しながら考えました。
この身体は細胞一つ一つに無尽蔵のエネルギー源があり、呼吸が不要。血液はただの【冷却水】。
身体の冷却さえできれば、心臓が無くても死なないことが分かりました。
冷却さえできれば、身体が半壊しても闘える。
そう気づいた私は、気温の低い雨の日に再度挑みました。
死闘でした。
小さい身体の肺を抉られ、心臓を貫かれ、両脚を潰されながらも、【クマさん】の頭に齧りつき、両腕で首にしがみつきました。
そしてついに、振りほどこうと暴れる【クマさん】の頸椎を仕留めました。
仕留めた瞬間、私は息絶える【クマさん】の【魂】から、【存在意義】を授かりました。
【究極の捕食者】
この世界における【神】に次ぐ存在。
森羅万象を捕食して糧とすることを許された、【食物連鎖の頂点】。
【存在意義】を確立した私は、かつて適性を発揮した【根源領域技術】を使いこなせるようになりました。
【想い】の力により物理現象を操作する能力。まさに、【神】に次ぐ力。
強くなりたいという【想い】の力で、私は【クマさん】の一部を身体に取り込みました。
人間を超越する強靭な筋肉と骨。
どんな【獲物】も噛み砕く鋭い【牙】。
強くなった身体で、初めての獲物の血肉を一晩中堪能しました。
美味しかった。嬉しかった。
私は肉が大好きになりました。ステーキも好きですが、臓物を生で貪るのも好きです。
もちろん、人前ではしませんが。
そして、今の【歯並び】は、【淑女の秘密】です。
私の大切な【存在意義】。
でも、フレディ様はそれを理解してくれていなかったのは悲しかったです。
あの【結婚式】の日。
自宅の掃除をしていたら突然フレディ様が現れて、寝室に連れ込まれて【既成事実】をされました。
そしてその後の【結婚式場】での【プロポーズ】。
皆の前で、自ら退路を断つかのように宣言してくれたのは良かったのです。
【既成事実】は痛かったのですが、それが【最高】だったとマリア様の前で褒めてもらえたのも嬉しかったのです。
だけど、【仕留めてやったぜ】と言われたのは悲しかったです。
【捕食者】は【獲物】ではありません。
【究極の捕食者】という【存在意義】を命懸けで手に入れた私を、大勢の人間の前で【獲物】扱いするなんて。
あまりにひどい扱いをされたので、つい【どちらが獲物か理解させる行動】に出てしまいましたが、その時にマリア様から教わった【獲物を育てる】という概念で真理を悟りました。
【捕食者】は【獲物】ではありませんが、私にも分かっているのです。
私の心は、ヘイリーだった頃からフレディ様でいっぱいでした。
【既成事実】よりもずっと前から、私はフレディ様に仕留められていたのです。
でも、【究極の捕食者】を仕留めることが許されるのは【神】だけ。
だから、フレディ様は【神】に匹敵する存在でなくてはなりません。
私を仕留めたフレディ様なら、そのぐらいできるはずです。
できないなら、生かしておくわけにはいきません。
これは自然の摂理です。
………………
…………
……
気温がだんだん上がってきた春先の夜。
愛おしいフレディ様の上で身体を冷やしながら、寝息と鼓動を堪能しています。
もう少し気温が上がってきたら、フレディ様の身体だけでは冷却が追いつかなくなります。
そうなったら、私は冷却用プールで一人で寝ることになります。
愛おしい人を抱きしめながら眠る悦びも、夏の間はお預けです。
私は肉が大好きです。
今この瞬間にでも、フレディ様の首筋に牙を立てて【捕食】してしまいたい気持ちもあります。
だけど、それは我慢です。
フレディ様が【神】に匹敵する存在に育つまで我慢です。
【獲物】は最高に美味しくなった瞬間に狩るものです。
あと、子供が欲しいというのもあります。
私の【体質】を継承した子供達。
3人生まれたら、それぞれに【キャズム王国】【リーセス国】【ローカス大帝国】を【獲物】として与えるのが私の夢です。
その時のために、【獲物】を大きく美味しく育てておかなくてはなりません。
フレディ様にはそのための仕事をしっかりとがんばってもらいます。
私は肉がとても大好きです。
でも、肉しか食べられないというわけでもないのです。
むしろ、甘い物は大好きなんです。
ですが、【体質】の問題があってあまりたくさん食べてはいけないのです。
マリア様曰く、私の身体のエネルギー源は【常温核融合】。
呼吸無しで無尽蔵のエネルギーを得られる反面、【糖】や【油】を消費することができません。
消費できないということは、そういうことです。
私が【大きく】なると、フレディ様は喜んでくれます。
だけど、限度があります。
私にだって維持したいバランスや、越えたくない一線はあります。
気にしているのです。だから、我慢しているのです。
甘いものは、マリア様とお茶する時だけ、と。
そして、その時も自重を、と。
そう、気をつけていたのですが、前回のお茶会ではつい……。
「……うーん。ヘイリー……」
私の腕の中で眠るフレディ様が、寝言でしょうか?
でも、その名前は呼んではいけませんわ。
ヘイリーはもう居ません。私はナスターシャです。
「……【重く】なったか?」
ゴキッ
●オマケ解説●
フレディ王子は翌朝王城に救急搬送。
肋骨4本骨折。右股関節脱臼。両脚大腿骨骨折。
国王が外泊で不在だったため、やむなく【副反応】込みであの【手当て】を受けて回復。
【刻の涙】を見たかどうかは定かでは無いが、寝言で隙が出るようでは【世界一の男】は遠い。
それでも【骨盤】が無事でよかったね。そこは自重してくれたんだね。
【死者蘇生】は何処の世界でも禁忌です。
禁忌たる由縁の一つは、死を超えた人間の心は世界の理を脅かす脅威となり得るから。
人間は身体も心も1回しか死ねません。
【死者蘇生】ダメ。ゼッタイ。
死を乗り越えて覚醒してしまったナスターシャと対等に渡り合えるのは、世界を越えた【年の功】を持つ池中まりあ唯一人。
なにもかも【捕食】しようとする嫁から、世界の平和と息子の命を守るための姑の戦いが始まる?。