1―1:クレーンのお仕事
池中まりあ 43歳 独身。
年齢と等しい喪女歴を持つ私は現在、山奥の廃工場地下室にて同世代の男と二人きり。
相手の男は既婚で子持ちの田中課長。前の職場に新卒入社したときの同期。
「まだキレイなのに、もったいないな」
「こんなところで再会できるなんてね」
思わせぶりな会話をしているが、禁断の密会というわけじゃない。
仕事だ。
年度末が近い晴れた日の午後。
地下室に据え付けされた機械の撤去工事にクレーンオペレーターとして参加している。
そこで旧友の田中に再会したのも意外だったが、もっと意外なモノにも再会して、先程の会話に繋がる。
「20年前に製造された【水神8号】とこんなところで再会するとはな」
「解体の仕事で懐かしい装置に再会するのは珍しくないんだけど、この旧型機が未使用で残ってるのは初めて見たわ」
目の前にある装置【水神8号】は【膜分離式活性汚泥処理装置】というもので、生物処理と膜分離を組み合わせてパッケージ化した排水処理装置。
私の前職は機械メーカーの事務員。
そしてこの装置は前の職場の製品。
当時新入社員だった私も開発に関わっており、この装置の発売直前には田中と一緒に何日も深夜残業した。
そんな思い出の詰まった製品だ。
「懐かしいなぁ。俺達コレの発売のために必死だったよなぁ」
「そうねぇ」
懐かしい思いと、まぁ、これからクレーンで吊り上げるための確認も兼ねて、二人で装置のあちこちを確認する。
湿気で錆びている箇所は何か所かあるが、運転された形跡は無い。
「銘板あった。製造番号13号。初期型ね。でもなんで未使用?」
「あー、この工場な。建設中に近隣で土砂崩れがあって計画変更になったんだ。工場は別の場所に建つことになったけど、据え付けが終わっていた一部の装置が取り残されたそうだ」
「それで未使用のまま残されたのね。それで今になって撤去工事になったと」
「まぁ、この土地を手放すためには、建設途中の残骸を片づけないといけないとか、そういう理由で渋々解体予算を付けたらしい」
経緯はどうあれ、仕事がもらえるのはありがたい。
昨日のうちに重量屋さんが地上に繋がる垂直搬入口の真下まで装置を動かしてくれていたので、吊上前の確認をしたのち、玉掛をして吊り上げるだけだ。
地上には私が操作を担当するラフタークレーンと、産廃処理業者の手配した低床トレーラーが待機している。
「そういえば、この装置の初期型は何かリコール出したよね」
「確か何か欠陥があってリコール出したな。当時大騒ぎだったけど内容忘れた。何だったかなぁ。でも廃棄するんだから関係ないだろう」
「それもそうね」
リコールの件でちょっと何か引っかかったけど、解体工事はいつでもどこでも突貫だ。懐かしいものに再会したからと言って、ゆっくりしているわけにはいかない。
搬出する装置はこれだけじゃない。
重量屋さんが帰ってくる前に搬出口を空けておかないといけない。
作業服姿の中年男女が、二人で装置の周りでごそごそ作業。
クレーンで吊り上げ中に空中分解などされてはたまらないので、私はフレームのボルトを増し締め。
元設計担当の田中は、当時の設計資料と照合しながら吊上時に落ちそうなものが無いか装置各所を確認。
「池中さん。装置中央のフレームのボルト増し締めいけるか? 普通の人じゃ入れないあの場所」
「あー初期型だから、アレか。まぁ、いけるでしょ」
私は身長144cmのチビだ。しかも貧乳。
だから、装置の隙間から奥に潜り込んで作業するのは得意だ。
この装置を開発する時も試作機の組み立て手伝いで、装置奥のボルト締めや配管組み立てで活躍した。
数少ないチビのメリットと当時は喜んだものだけど、そうやって私が頑張りすぎた結果、工場にチビが居ないと組み立てができないとんでもない設計に仕上がってしまった。
田中を含む当時の設計チームは工場長から大目玉を喰らい、私は組み立て作業手伝いを禁止された。
当然すぐに改良されたので、この初期型の製造台数は少ない。
「相変わらず器用だね」
装置の隙間に入り込み奥のボルトを締める私を見て、田中が一言。
楽しかった20年前を思い出す。
事務員として新卒入社したけど、設計業務支援で現場作業も手伝っていたら総合職に抜擢された。
男女共同参画のモデルケースとしてもてはやされたりしたし、仕事の種類も増えて毎日が楽しかった。
だけど、勤続10年でも役職はつかなかった。
面倒を見ていた4年後輩の男性社員が先に主任に昇進した時、なんかキャリアに限界を感じた。
気が付けば同期入社の事務職は大半が子持ち。
寿退職組も多かった。
【奨学金】の繰上返還をやり遂げて32歳になった時、いろいろ考えて婚活を始めてみた。
でも、遅すぎた。
【結婚相談所】のアドバイザーに現実を聞いて愕然した。
紹介された男性と何度もお見合いをした。
派遣社員や、40代バツイチとか。
贅沢言えないのは分かっていたし、話してみると大半はいい人達だったけど、彼等と家庭を築く未来が想像できなかった。
誰かが言っていた。
【結婚相談所】は【ブローの無いボイラ】だと。
結婚出来る男女はさっさと蒸発し、蒸発できない残りカスだけが缶体底に蓄積し続ける。
彼等も私も残りカスだった。
仲間意識は芽生えたけど、先は無かった。
半ば自暴自棄になってクレーンの免許を取得。そこで重機操作が面白いことを知った。興味本位で近所のクレーン屋さんに遊びに行ったら、そこの社長に気に入られて勢いで転職。
70代のおじいちゃん達と一緒に【有限会社 吉野起重機】のメインオペレータとなり今に至る。
私は今43歳。結婚出産育児のライフプランはとっくに消滅。
子供どころか男性経験もナシ。
嗚呼素晴らしきかな喪女人生。
「池中さん。制御ボックス下に発送品の薬剤箱あったけど、これも処分頼めるのか?」
「あー。化学品の処理は無理。悪いけど薬剤だけ持って帰ってそっちで処理してくれる?」
「わかった。中身確認して薬剤は引き取るよ」
「助かるわ。薬剤以外は何とかするから。吊り上げ時に落ちない場所にでもいれておいて」
「了解だ。ついでに装置内に変なものが入ってないか見ておくよ」
朽ちかけた段ボール箱を開封する田中。
「うわ。種菌剤もあった。19年前に期限切れ。腐ってるだろうなぁ」
田中はそんなことを言いながら、段ボール箱からいくつかの薬剤を取り出してエコバックに入れた。そして、装置梯子を上って反応槽を覗く。
薬剤以外の付属品は反応槽に落とすのかな。
「コイツの腹も、種入れられるのも待っていただろうになぁ。待っている間に種も腐って、腹も錆びて」
腹って【反応槽】のことよね。種って【種菌剤】よね。
試運転時に【反応槽】に水張りして【種菌剤】入れて【馴養】するのは知ってる。
でもその言い方ヤメテ。
「反応槽に分離膜も装填されているか。汚れを知らない【新品膜】だな」
その業界用語。訳を変えたら【処女膜】だ。
そんな微妙なセクハラも若い頃は笑えたけれど、43歳で未だにそれ【装備中】の今の私は笑えない。
「運転条件注意しないと【膜】が破れるんだけど、この装置との付き合いは膜が破れてからが勝負ってところもあるからなぁ」
膜は反応槽に装填された分離膜モジュールの事よね。
付き合いってのは運転条件の調整の事よね。
元同僚だから。元設計メンバーだから。この装置のこと知ってるから。
条件の調整が難しくて運転中に破れた膜の補修が大変なのは知ってる。
だけど、その言い方ヤメテ。お願い。
「【膜破れ】も【経験】せず、一度も【腹】に【種】を入れられることもなく生涯を終えるか。ある意味長生きだけはしてるんだけど、残念な結末だったなぁ」
ぐぎゃぁぁぁぁぁ
●オマケ解説●
作中の【水神8号】は架空の装置だけど、【膜分離式活性汚泥処理装置】というのは実在する。ちなみに略称は【MBR】。
【活性汚泥法】を基にした排水処理装置の一種で、曝気装置と【分離膜】を入れた反応槽にて好気性微生物の力で汚れ成分を分解すると同時に、【分離膜】で汚泥と水を分離。
通常の【活性汚泥法】は沈殿で水と汚泥を分離するのに対しMBRでは【分離膜】を使うため、処理時間が短く装置が小型化できるうえに、沈降性の悪い汚泥が生成しても支障なく運転ができるというメリットがある。
【MBR】の中でも装置形態はいろいろあるけれど【水神8号】は比較的小容量の全体がパッケージ化された装置というイメージ。
興味がある方は【MBR 活性汚泥 パッケージ化】とかで検索するとなんとなくそれっぽいものが見えるかも。
ちなみに、新品の【分離膜】の呼び方【新品膜】は業界用語。横文字を直訳したら微妙に危険なセクハラに早変わり。
それ以外でも、マテリアル関連で新品材料を示す【バージン材】と呼んだりするし、スーパーの食用油コーナーには【エクストラバージンオイル】なんて【危険物】もあったりする。
誰からも選ばれなかったアラフォー喪独女にとっては、生きにくい社会なのかもしれない。