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夕日に染まる道を歩いて帰る。
遼太くんも積み木凄く嬉しそうだったな。朝緋に早く教えてあげたい。「そうか」って素っ気ない反応をするんだろうけど、きっと喜ぶと思うんだよね。
急いで帰ろうと歩くスピードを早める。と、前から集団が歩いてくるのが見えて、私は慌てて近くの木の影に隠れた。
なんだろう。ここを通る人なんて黒斗以外初めて見た。それにこの先は林か朝緋の家しかないのに。
「ハハハッ、ざまあねぇな」
楽しそうな高笑い。この声、知ってる。
見つからないよう顔だけ覗かして様子を伺う。歩いてくるのは5人。4人を引き連れるようにしてふんぞり返っている。
「いやぁ。流石寛太さん。あんな事思いつくなんて寛太さんだけっすよ」
「でも良かったんすか? 反応見ずに帰って」
「いいんだよ。あいつの歪んだ顔を見るのもいいが、今懲らしめてやりたいのは別の奴だからさ」
そう言って寛太はニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべる。そんな彼に周りは「流石!」と持ち上げるように口々に言いながら町の方へ歩いていった。
嫌な予感がする。この先には林と朝緋の家しかない。そして、寛太はあいつの歪んだ顔って言っていた。それって……
家へと走って帰る。着いた時には息が上がって苦しかったけど、体に鞭打って中へ入る。
「っ!!」
壊された家具、ぐちゃぐちゃにされた食器や道具。私はハッとして奥の工房へ走る。開いたままの扉にサッと血の気が引く。中を見て、私はその場にへたりこんだ。
乱雑に散らばった道具、割られた木の板や壊された作りかけの物が木くずになって床一面に散らばっている。
これをやったのは寛太とさっきの取り巻きたちだろう。何でこんなことを、とは思わない。こうなったのは私のせいだ。歯向かった私に寛太が嫌がらせするためにやったんだろう。
近くの板を手に取る。綺麗な彫刻、これは毎日朝緋が丹精込めて作ってきたものなのに。
何で私が朝緋の所にいるって分かったんだろう。もしかして、さっきの美紀ちゃんとのやり取りを見て私と朝緋を結びつけたんだろうか。
そうだとしても、何で私に嫌がらせするのに朝緋を巻き込んだの。私一人に報復すればいいのに。
ふと振り返ると、朝緋が立ち尽くしていた。俯いていて表情は見えない。
私は立ち上がって朝緋へ頭を下げる。
「ごめんなさい」
顔をあげないままぎゅっと木を抱きしめる。
「帰りに寛太とすれ違ったの。私、今日寛太ともめて、だから多分その嫌がらせで」
「……」
「ごめんなさい。私のせいで家めちゃくちゃにされちゃった。朝緋が作ってた物まで……」
返事はない。私は俯いたままもう一度小さく謝った。
しばらく沈黙が続く。
「……くれ」
顔を上げる。朝緋は少し顔を上げていた。見えた瞳は私も、感情も何も映していない。
「あさ……」
「一人にしてくれ」
小さく、だけど重く言われた言葉に、私は何も言えなくて、朝緋の横を抜けて逃げるように外へ駆け出した。
外は雨が降っていた。だけど構わずがむしゃらに道を走る。頬を濡らすのは雨なのか涙なのか。構う余裕なくただ暗い道を走った。
♢ ♢ ♢
扉が開いて黒斗が顔を出す。私の姿を見て驚いたように目を見開いた。
「ど、どうしたの?! こんな時間になんで。というかびしょ濡れじゃないか」
慌てる黒斗に私は俯いたまま返事を返せなかった。声を出したら、泣いてしまいそうだったから。私が泣く権利なんてないのに。
歯を食いしばって胸に抱えた板を強く抱きしめる私に、黒斗はふっと微笑んだ。
「取り敢えず風呂に入って。その後ゆっくり話聞くからさ」
そう言いながら差し伸べられた手を握り返すことは出来なかった。
♢ ♢ ♢
「はい、どうぞ」
お風呂を貸してもらった後、黒斗は自分の部屋に案内してくれて私をベットに座らせて自分は椅子を持ち込んで対面するように座った。
渡されたお茶を受け取って一口飲む。温かさが喉を伝って体に染み込んでいく。
「落ち着いた?」
「うん」
頷いた私に黒斗は安心したように笑った。
自分もコップに口をつけながら、木の板を差し出してきた。
「これって朝緋が作った物だよね?」
私は受け取ってコクリと頷く。
「何があったの? 喧嘩したってわけじゃないよね?」
私は木の板をぎゅっと抱きしめる。言葉を出そうとしたら泣きそうになったけど、一度グッと堪えて黒斗を真っ直ぐ見る。
「今日寛太と色々あってもめちゃったの」
「あぁその話は聞いてる。美紀を助けてくれたんでしょ?」
「うん。だけど、帰り道で朝緋の家の方向から歩いてくる寛太とすれ違って、帰ってみたら家の中全部荒らされてたの。これも…… 朝緋は一人にして欲しいって」
彫刻をそっと撫でる。無惨な工房を思い出してグッと歯を食いしばる。
「なるほどね」
黒斗はポリポリと頭を搔いた。
「美紀から話を聞いて、大丈夫かなって心配だったけど、まさかその日のうちに行動を起こすとは思わなかったな」
ごめん、と言ってきた黒斗に私はブンブンと首を振る。
違う、黒斗が謝ることなんて何もない。だってそもそも。
「私のせいなの」
「え?」
「私のせいで朝緋に迷惑かけちゃった。朝緋を傷つけちゃった」
泣き出しそうなのを口を結んで堪える。
私の言葉を聞いて、黒斗は慌てたように立ち上がった。
「いやいや何言ってるんだよ。明日香が悪い事なんて何一つないでしょ」
「でも、だって……」
全部私が関わったせいだ。だって私は不幸体質で、家族だってどんどん不幸になってしまった。両親は事故で死んでしまって、お兄ちゃんも何度も死にそうな目にあった。全部全部私と関わったから。
なのに2人と過ごす日々が心地よくて、無意識に考えないようにしてしまっていた。だけどそんなことしちゃいけなかった。私は不幸を撒き散らす。自分にも、他人にも。
ぎゅっと拳を握って俯く。そんな私に黒斗は力が抜けたように座り、ハァとため息をついた。
「明日香」
呼ばれて恐る恐る顔を上げる。合った目は私を真っ直ぐ見つめていた。
「美紀の事助けたこと後悔してる?」
私は首を振った。
「寛太に嫌がらせしろって頼んだ?」
首を振る。
「朝緋を傷つけようと思ってる?」
強く首を振る。全部違う、思ってない。
「じゃあ明日香は何も悪くないさ」
そう笑って黒斗は私の頭を撫でた。
「明日香は美紀を助けようとしただけだ。朝緋を傷つけようとしたわけじゃないんだ。なら何も悪くない」
だからと大丈夫、と黒斗は微笑んだ。
黒斗の言葉でがんじがらめになっていた心が解けていったように感じる。ここで泣いたら美紀ちゃんを助けたことを後悔していない自分を裏切ってしまいそうだったから、目を擦って黒斗に向けて精一杯笑った。
そうな私に黒斗は微笑んで頷いた。
「ま、今回のことで明日香が背負うことはひとつもない。朝緋の様子がおかしくなったのは、まぁあいつにも色々とあって、さ」
そう言いながら悲しそうに笑う。またこの顔と色々、だ。
「ねぇ前にもそう言ったよね。一体朝緋に何があったの? その色々には寛太も関係してるの?」
朝緋が何故町外れでひっそり暮らしているのか、彼の造った物を自分の名前で売ることが出来ないのか、その全ての理由が『色々』に隠されている。
ジッと黒斗を見つめた。彼は困ったように頭を搔く。
「昔のこと、だよ。だけどここまできたらもう無関係だなんて言えないな」
♢ ♢ ♢
黒斗は少し考え込んで、気分を切り替えるように一度お茶を飲んでから口を開いた。
「朝緋と僕はさ幼馴染なんだ。家が近所で小さい頃は一緒に毎日遊んでた。朝緋の親父さんは腕のいい職人で、皆に信頼されてて僕たちの憧れだったんだ。工房を覗きに行ってよく叱られたっけ」
黒斗は楽しそうに笑った。本当に幸せな思い出なんだろう。だけど、黒斗の表情にふっと影が落ちる。
「けど、5年前に商会の会長が変わって、全てが変わっちゃったんだ。資材の値段を上げたり、ジオの商品は安く買い取って王都からの商品を優先的に安く売るように手回しをしたり圧政を働き始めたんだ。そんな会長に町のみんな反発して対抗しようとしたけど、まぁ結果は今と同じ。職人として仕事が出来ないようにされてしまって表立って会長に刃向かうやつは居なくなった。その代わりに表面化でジオでの悪行を王都へ知らせる準備を朝緋の親父さんを筆頭に進めてたんだ」
「どうして王都へ?」
「各町の商会の管理をしているのは王都の商会本部なんだ。基本的には各町が自分たちで管理しろって放りっぱなしだけど、何か問題があれば動く仕組みになってる。だから本部が動くよう秘密裏に証拠を集めていたみたいなんだ。だけど」
黒斗は言葉を切って膝に置いた手を握り締めた。
「ある日、僕らが通りを歩いていたら店先に寛太が居たんだ。あいつは並んだ商品に時代遅れだの労力の無駄だの言いたい放題言ってた。その中には朝緋の親父さんのもあってさ。朝緋は怒って寛太に突っかかっちゃったんだよ。馬鹿にするなっ、てさ」
この先は何となく想像出来た。けど私は黙ったまま黒斗の言葉を待った。そんな私の考えに気づいたのか、黒斗こくりと頷く。
「この先は想像通り。寛太は親父に馬鹿にされたって泣きついて、それを聞いたあいつは朝緋の家族に対して嫌がらせをし始めた。親父さんには資材を回さなかったり、無理な量の仕事を押し付けたりしてきた。その他にも朝緋の家族を助けようとすれば、この町で職人としてやっていけなくすると脅しをかけて、誰も朝緋達を助けられない状況をつくったんだ」
商会を敵に回せばここではやっていけなくなる、というのは遼太くん達のことを知ってるから理解出来た。町の人も助けたくても、自分達も道ずれになってしまうのが怖くて何も出来なくなってしまったんだろう。
「それでも助けようとしたんだ。だけど親父さん真面目な人でさ、自分で何とか出来るから心配ないって言って回された仕事全部一人でこなしてたんだ。朝緋達も支えるために寝食削って頑張ってた。けど、それは長くは続かなかった。親父さんが過労で倒れてそのまま死んで、母親は心を病んで自殺してしまって」
ゴクリと唾を飲み込む。一人で住んでて家族はどうしたんだろう、と思ってたけどまさか二人とも亡くなってたなんて。それも理不尽な嫌がらせのせいで。
「あの頃の朝緋、見てらんなかったな。自分が寛太に突っかかったせいで両親が死んだ、自分が殺しちゃったんだってずっと自分を責めてた。そんなあいつに、五郎は追い打ちをかけるみたいに商会からの永久追放と禁忌の湖の守り人に朝緋を指名したんだ」
「禁忌の湖の守り人?」
「林と湖の監視役の事さ。守り人は林の近くで生活して、その場から離れることを禁じられている。もう何代も守り人なんて就いてなくて、もう消えた役職だったのに、朝緋を町から追い出すために引っ張り出してきたんだ」
あぁだから朝緋はあの家に住んでいるんだ。人の輪から隔絶され、あの場から離れることなくずっと一人で暮らしている。
「どうしてそこまで? 流石にやりすぎじゃ」
「そうだね。おそらく息子が侮辱されたから、なんてのは建前で、逆らえばこうなるんだって朝緋達家族を見せしめにしたんだろう。効果あって商会に楯突こうなんてやつはいなくなったから」
「ひどい」
「結局朝緋は町を出ていった。何も言わなかったけど、もう人と関わらないつもりなんだって思って、僕は守り人の付き人に立候補した」
「付き人って?」
「林から離れられない守り人の為に手を貸す役職の事だ。食料を運んだりだとかさ」
私は少し目を見開いた。黒斗が朝緋の家へ来る理由は、ただ友人として心配でってだけじゃなくて、そんな役割があったからなんだ。今は私が居るからあまり来ていないけど、本来なら週に何度も通っていたんだろう。
「あいつも親父さんに似て真面目なやつでさ。別に守り人の役目なんてあってないようなものなのに、律儀にあそこから離れず、毎日魔物のいる林へ警戒に回って。何度怪我して戻ってきたことか」
毎日夕方決まった時間に出ていってたのは林へ行っていたからなんだ。私を助けてくれた時も、丁度その時だったってわけだ。
「最初の頃は寝て、食べて、林へ行って、寝ての繰り返しでさ。まるで魂のない人形みたいで見てらんなかった。けど道具と材料持ち込んでやったら物造るようになったり、林に遊びに来てた子供の相手してやったりでちょっとはマシになったんだ。それでもやっぱり自分から他人に関わろうとはしなかった」
だから、と言葉を切って私を見る。
「君が来てからあいつは凄く変わったんだ。君と関わってくうちに、本来のあいつに戻ってきた。よく喋るようになったし、遼太達の為に贈り物まで作ってさ。二人からその話聞いた時は嬉しかったなぁ」
泣き笑いするように言う黒斗。ずっと朝緋の様子を見てきて、ずっとずっと彼のことを心配していたんだろう。私は立ち上がってそっと黒斗の手に触れる。彼は驚いたように目を丸くして、クシャッと笑った。
「ごめん、長くなったな。明日香が落ち着くまでここにいていいからさ、でも出来れば……」
「ううん。明日には帰るよ。片付けに戻らなきゃ。きっと朝緋のやつろくに片付けもしないで壊されたの作り直してるだろうからさ。あ、ご飯も食べてないだろう美味しいもの作ってあげられるようにいっぱい買い込まなきゃ。手伝ってくれる?」
ニコッと微笑みを向ける。黒斗はパチパチと目を瞬かせた後「やっぱり君で良かった」と呟いて笑った。




