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ルグニカに来てから5日が経った。すっかり体調も戻って今日から朝緋の仕事の手伝いをする為に、黒斗と共に町に行くことになっている。
やっと着慣れた服に袖を通す。この世界の服は洋服と和服を合わせたものみたいで、上着の丈は腰までで、襟を前で合わせて腰紐を結ぶ。下は膝丈くらいの緩めのズボンだ。用意したのは黒斗でこれが平民の普段着らしい。
紐で髪を後ろで1つに結んで、部屋を出て台所へ向かう。
台所に到着したら、袖を紐で邪魔にならないように縛ってかまどに火をつける。棚から卵を出してフライパンに3つ落として焼く。いい頃合いで火から上げて用意していたお皿にそれぞれ盛り付けていく。空いた場所には手でちぎった野菜を添えて、大皿にいくつかパンを乗せれば朝食の完成だ。
「お、いい匂いだね」
丁度いいタイミングで黒斗が部屋に入ってきた。彼は匂いを嗅いで頬を緩ませている。
「おはよう、黒斗」
「おはよう明日香。もう運んじゃって大丈夫?」
「うん、お願い」
黒斗はお皿を取ってテーブルへと持っていった。私は飲み物とコップを出してその後を追う。
「いやぁ毎日僕の分まで悪いね」
「ううん。別に大丈夫だけど、黒斗こそ朝早くに来て大丈夫なの?」
「1人だと朝ご飯なんて適当済ませちゃうんだけど、ここへ来れば美味しい飯にありつけるだろ? すっかり味をしめちゃったんだ」
そう言ってハハハと笑う。
大したことはしてないけど、こんなに喜んでくれるのならやりがいがあるってものだ。
それに、毎日通って話をしてくれるお陰ですっかり黒斗とは打ち解けることが出来た。
「お前また来てるのか」
並べ終わったところで、朝緋が現れた。彼はガシガシと頭を掻きながら黒斗を見て眉をひそめた。
「おはよう朝緋。そんな嫌そうに言うなよ。友人が訪ねて来たんだろ」
「朝っぱらじゃなければな。それももう5日」
「まぁ細かい事はいいじゃないか」
カラカラと笑う黒斗に、朝緋は溜息をつきながら席に着いた。
「おはよう」
「おう」
挨拶をすれば目を少し合わせて短い返事が返ってくる。視線は直ぐに外され、食べ始めてしまう。
素っ気ない対応だけど彼はこれが普通、ということは短い間だけどもう理解した。それに言葉は少なくてもご飯は残さず食べてくれるのだ。
「今日から町だけど調子は大丈夫?」
「うん。もうバッチリ」
「そっか。朝緋、何かいるものは?」
「いつもと同じで」
「了解」
後片付けを終わらせていよいよ出発することに。
私はウキウキした気持ちで鞄を肩にかけた。
「じゃあ行ってきます」
振り返って朝緋に言うと、彼は片手を上げて家の中に引っ込んでしまった。
「さて、じゃあ行きますか」
パンっと手を叩いて黒斗が歩き出す。
ふと後ろを向いて家を見る。林の間近に建つ家は、1人で住むには少し大きい。家の横には木製のベンチとブランコがある。住み始めてから、子供が遊んでいる様子はなかったが、なんであるんだろう。朝緋は基本日中は工房にこもって、夕方頃にしばらく家を空ける。外に出てる間何をしているかは分からない、けど流石に彼が使っているってわけじゃないと思うけど。
「あすかー何してるの? 置いてくよー」
いつの間にか離れていた黒斗が声をかけてきたので我に返り、急いで彼を追って走った。
町は朝緋の家から10分ほど歩く距離らしい。道中はたまに木が生えているだけで、振り返れば重々しい林がまるで別世界のように見えた。
「朝緋の家から町って遠いんだね」
「ん? あぁ、あの家は町外れにあるからね。もう少し行かないと人は住んでないんだ」
「どうしてそんな所に1人で……」
住んでいるのか、と尋ねようとしたが、黒斗の困った表情に言葉を飲み込んだ。
「そういえば、この辺りの事とか国の事は詳しく説明してなかったよね」
「あ、え、うん……」
あからさまに話題を逸らされたが、あまり聞いてはいけない話なんだろう。気にはなったけど、掘り返さず黒斗の話題に頭を切り替える。
「ここはルグニカ国っていうんだよね」
「そ。今から行くのは国の最南端のジグって町。この世界は1つのケイル大陸にルグニカ、アクリア、シルツ、ギルダの4つの国があるんだ」
「他に大陸はなの?」
「大陸の周りは海で囲まれてる。あの林の向こうも海なんだよ。あとは神の国があるって言われてるけど、言い伝えなだけだから本当にあるかどうかは」
「海の先には?」
「他の世界に繋がってるって言われてる。流人は海から来るからね。もしかしたら明日香の世界と繋がってるのかもしれないけど」
繋がってることを期待して船で帰れるか試すのは無謀だ、というのは言われなくても分かった。
「と、基本的な事はこんな感じかな」
「言葉とかは国ごとに違ったりするの?」
「いいやケイル語だけだよ。明日香の世界では違うの?」
「うん……」
私の世界、と聞かれてズキリと胸が傷んだ。お兄ちゃんや結の顔が思い浮かぶ。急激に変化した環境に慣れようと必死だったから、元の世界のことに気が回らなかった。ううん、考えないようにしてたんだ。考えてしまったら、その場から動けなくなってしまいそうだから。
黙った私に、黒斗はハッとした顔をする。
「あっ、ほら町が見えてきたよ。さぁ行こう!」
明るい声でそう言って駆け出した。私に気を使ってわざと明るく言ってくれてる。それが分かったから、私は心の中で自分に喝を入れて、ニコッと笑って後を追いかけた。
町へ入ると、建物は2階建ての木造の家が並び、2階から道の向かいの家へ紐が渡されていて洗濯物などが吊るされている。その下では店や露店が並び食材や木製の雑貨や家具などが売られており、客寄せの声や走り回る子供の笑い声で活気に溢れていた。
「うわぁ」
目を大きく開けて辺りを見回す私に、黒斗はクスリと笑った。
「ここは町で1番栄えてる場所なんだ」
「賑やかだね」
「ここだけね。脇にそれれば工房ばっかりだからびっくりするくらい静かなんだよ」
「工房って売られてる雑貨とかの?」
「うんそうだよ」
立ち止まって近くの露店に並ぶ商品を見てみる。並ぶ雑貨は全てが装飾が繊細だ。手に取ってみた木馬のおもちゃも触り心地は滑らかで、たてがみは風になびいている様子が分かるほど細かい。
「ジオ製の雑貨や家具は大陸で知らない人がいないくらい人気で有名なんだ」
自慢げに言う黒斗。ここまで美しい物ばかりなのだ、人気なのは納得出来る。
「さ、色々見て回る前に取り敢えず用事を済ませちゃおう。荷物を持ったままじゃ動きずらいしね」
「うん」
立ち上がって鞄を背負い直して進む黒斗の後を追った。
黒斗が向かったのは並びの服屋で、中に入ると棚や壁に服が並んでいた。白色ばかりで、色物は端の方に追いやられるようにあるだけだ。
「白ばっかり」
「ここは職人の町だからね。どうせ汚れるからってみんな白ばかり着ていたら、職人の服は白って定着しちゃったんだ」
「なるほど」
そういえば私の服も、黒斗も朝緋も町の人もみんな白を着ていた。それがこの国の当たり前だって思ってたけど、そういうことだったのか。
近くで見ようと棚の方へ向かう。黒斗はついてこずに店の奥に向かって声をかけた。
「佳奈子さーん」
店に黒斗の声が響く。直ぐにパタパタと駆けてくる足音がした。
「ごめんなさいね。いらっしゃい」
少しふくよかな女の人が笑みを浮かべながら現れた。
「あら黒斗じゃないか。今日も女物をご要望かい?」
佳奈子さんはからかうように笑いながら言った。
「残念ながら今日は仕事出来たんですよ。ご注文の品をお持ちしました」
「あら! 出来たのねっ」
目を輝かせた佳奈子さん。そんな彼女を見て黒斗は微笑みながら取り出した小包を渡した。受け取った佳奈子さんはすぐさま包みを開く。中身は両手サイズの小箱で、蓋には花と蝶の模様が刻まれている。遠くて見えにくいけど、凄く細かくて綺麗な模様だ。
「まぁ相変わらず綺麗ね。朝緋また腕を上げたんじゃない」
「そうなんですよ。俺なんてもう足元にも及びませんよ」
「あらそんなことないわよ。じゃあ次は黒斗に壁掛けの棚をお願いしようかしら」
「おっ、ご注文ありがとうございます」
会話がひと段落して、佳奈子さんがふと端の方でやり取りを見ていた私に気づいた。
「あらやだ。ごめんなさい、お客様がいたのに話し込んじゃって」
「あ、大丈夫ですよ。彼女は俺の連れですから」
「あら、じゃあこの間買っていった服はこの子の?」
そう言いながらこちらへ近づいてくる。
「サイズは大丈夫みたいね。自己紹介が遅くなってしまったけど、私は佳奈子見ての通り服屋の女主人だよ」
「あっ、明日香です。今は朝緋と黒斗にお世話になっていて」
「あぁ朝緋もなんだね。あの子分かりづらい所があるけど、本当にいい子だから。仲良くしてやってね」
分かりづらい、確かに朝緋は寡黙で何を考えているのか分からない事が多い。けれど、見ず知らずの私を救ってくれたり、細かい所を気遣ってくれていたりと、優しい人だってちゃんと分かってる。なので、私は笑って頷きを返した。
「良かった。朝緋には今回も素敵な物をありがとうって伝えておいておくれ」
♢ ♢ ♢
佳奈子さんの店を出た後、黒斗は様々な店で朝緋の造った物を売ったり、新たな注文を受けたりとして鞄の中は直ぐに空っぽになった。
「よし、これで終わり」
身軽になった黒斗は唸りながら伸びをする。それに対し、私はモヤモヤした気分だった。そんな私に黒斗は、どうしたのかと尋ねてくる。
「ねぇ、どうして佳奈子さんのところ以外では黒斗の名前で物を売っていたの?」
黒斗は佳奈子さんとのやり取り以降、朝緋の雑貨を黒斗が造った物として売り、注文を受けていた。 特に顔色を変えずにやり取りをしていく彼に、その場では口を挟めなくてここまで口を噤んでいたのだ。
「あっ、ごめん説明してなかったね。安心して。別に朝緋の手柄を自分のに、なんて考えてる訳じゃないから」
黒斗は慌てて首を振った。本人の口からしっかりと否定をされ、ほっと胸を撫で下ろす。
たけど、じゃあ尚更何故あんな事をしていたのかが気になる。
じっと黒斗を見つめていると、彼は困った様に頭を掻く。
「ちょっと事情があって、朝緋の名前で大っぴらに取引が出来ないんだ。だけど、あれが朝緋が造った物だってのは皆分かってるし、注文してくれてるのも朝緋に頼みたいからしてくれてるんだよ」
そう言い黒斗は来る時と同じ様な表情をした。多分これも朝緋が町外れに住む理由と絡んでいるのだろう、という事は明白だけどこれ以上は聞くべきではないと思って、私は疑問を飲み込んだ。
その後は町の散策や買い物をしていたため、家に帰りついた時には日がおちようとしている時間になっていた。
私は両手に抱えて持っていた買い物の袋をテーブルに置いて一息つく。
家の中は静かで、木を削る音もしない。朝緋は出かけていないようだ。いつもの通りであれば日が落ちきってから帰ってくるはずなので、それまでに夕飯を作ってしまおう、と袋から野菜を手に取った。
♢ ♢ ♢
ガチャリと扉が開く音がして振り返る。
「おかえりなさい」
入ってきた朝緋に微笑むと、彼は少し目を丸くし、あぁとだけ返事をして奥へ行ってしまった。素っ気ないけど、特に気にすることも無く、完成した料理を器に盛り付けていく。
「よしっ」
並び終わった料理を見て、腰に手を当てて頷く。我ながらいい出来だ。達成感が半端ない。
朝緋はまだ来ないけど、木を削る音がするので何処にいるかは分かるから迎えにいくことにした。
「朝緋ご飯出来たんだけ、ど」
そっと中を覗き込む。朝緋はいつもの場所に座り黙々と木を削っていた。その背中だけで集中しているのが分かる。微かに見える手元では、角張っていたであろう木の板が朝緋の手で美しい曲線に生まれ変わっていっている。
私は話しかけるのも忘れて朝緋の姿に見惚れた。
どうしてか、初めて見た時から時々朝緋から目が離せなくなる時がある。それは風に揺れる髪だったり、真っ赤に燃える瞳だったり、真剣な後ろ姿だったり。その度にドキドキして逃げ出したくなるのに、目が離せない。それに時々懐かしい感じもするし、何でなんだろう。彼とは会ったことないはずなのに。
ギュッと胸の前で手を握った。
ふと朝緋が手を止め振り返る。私はビクリと肩を振るわせた。
「どうした?」
「あ、あのご飯出来たから」
「あぁ」
朝緋は手に持っていた物を置き立ち上がって明日香に近寄った。そんな彼を私は止まったまま見つめる。
「なんだ行くんじゃないのか?」
「あっ、えっと」
目の前で怪訝そうな顔をする朝緋。惚けていた私は、我に返ったけど頭の中が真っ白になってしまっていた。
「あ、朝緋って目と髪の色同じだよね!」
いきなり大きな声で言われた突拍子のない言葉に、朝緋は面食らったように目を瞬かせた。
何言ってんだ私ぃ。絶対今言うことじゃない。ずっと気になってたけど今じゃないよ!
「あのっ、えっと。町へ行った時に同じ色の人って居なくて、もしかして珍しいのかなぁ、なんて……」
段々と声は小さくなり、それと同じに肩も縮める。朝緋は私が黙るまで何も言わず、言い終わった後もしばらく何も言わない。
「お前もだろ」
「え?あ……」
自分の髪に触れる。1度も染めたことのない黒髪と黒い瞳、確かに私も同じだけど元の世界ではさして珍しいものではなかった。
「なぁ、同じ色は不吉だって言われてるんだぞ」
「え?」
小さく呟いた朝緋の言葉に私は顔を上げる。すると朝緋はそれを阻止するように私の頭を撫でるように押さえた。
「飯なんだろ。早く行くぞ」
離して部屋を出た朝緋に、私は触れられた頭に触れる。
今頭触られたよね。
カッと頬が熱くなる。別に頭を触られるくらいなんてことないはず。なのに恥ずかしくてしばらくその場で身悶えてしまった。
♢ ♢ ♢
「これはなんだ?」
並んだ料理を見て朝緋は怪訝そうに眉を顰めつつ席についた。
私はパタパタと顔の熱さを手で仰いで抑えつつ自分の席に座る。
「ハンバーグていうの。似ている食材があったから作ってみたんだ」
「肉の塊にしかし見えないが」
「まぁ間違ってはいないけど……」
一向に食べようとしない朝緋。それもそうか。目の前には見たことのない料理がいきなり出されれば、食べるのを躊躇するのは当たり前だ。
ひき肉を見つけて作れるんじゃないかって思って作っちゃったけど、作っちゃったけど、配慮が足りなかったな。でも、ソースも有り合わせでハンバーグに合うように作ってみたりと頑張って作ったから出来れば食べて欲しい。
私は黙ったまま朝緋の動向を見守った。
朝緋は少しして覚悟を決めたように息を吐いた後、恐る恐る口へ運んで一口。
「ん、美味いな」
驚いたように目を見開いた後、次々と口へ運んでいく。
そんな朝緋の反応に私はほっと頬を緩め自分も食べ始める。
「今日ね、黒斗と町へ行ったの。表の通りは凄く賑やかなのに、1歩外れたら木を削る音しかしなくて、別の場所に迷い込んだのかと思ったんだ。最初は加奈子さんのお店に行って……あっ、加奈子さんがありがとうって言ってたよ。すっごく喜んでたなぁ。その後はね、色んな所を回って、八百屋さんに行ったんだけど、見たことない野菜ばっかりで私はしゃいじゃって……」
ハッと我に返る。朝緋が料理を美味しそうに食べてくれた嬉しさと、今日の話をしたくてうずうずしていたのもあって、1人で話し続けてしまっていた。
前の様子を伺う。朝緋は黙ったまま食べ続けていた。特に嫌そうな顔はしてなくて、むしろ表情は柔らかく楽しんでいるように見える。
見つめられているのに気づき、朝緋は顔を上げて、なんだ、というように眉を顰めた。
そんな彼に私は頬を緩めつつ首を振る。
「なんでもない。でね、はしゃいじゃった私を見て八百屋のおじさんが……」
私の話は食事が終わっても止まらなかったけど、朝緋は私が満足するまで付き合ってくれた。




