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ピチピチと鳥の鳴き声が聞こえて目が覚める。体を起こすと昨日までの倦怠感は消え、腕や足は少し痛むものの動くには問題ない。
軽くベットを整えて部屋を出る。話し声がする部屋の方へ行くと、大きめのテーブルに黒斗さんと赤髪の男の人が座って談笑していた。といっても黒斗さんが話して、男の人は時折相槌を返している。
「やぁおはよう。もう動いても大丈夫なんだね」
「おはようございます。お陰様で」
黒斗さんが笑みを向けてきた。そして男の人も私に気づいて目が合う。が、思わず視線を逸らしてしまった。
昨夜は何とかトイレの場所だけ聞いて逃げるように部屋を出てしまったから、すごく気まずい。
「立ってないで入っておいでよ。お腹は空いてる?」
「はい」
「じゃあ直ぐに持ってきてあげるから座ってな」
そう言って黒斗さんは奥の台所の方へ行ってしまった。つっ立ってるままじゃいけないと、空いていたイスに恐る恐る座る。
チラッと男の人の方を見るが、彼はもう私の 方を見ずに頬杖をついて黙り込んでいる。さっき目を逸らしてしまった手前、話しかけることも出来ず明日香も黙ったまま俯いて黒斗さんの帰りを待った。
「お待たせ、って雰囲気暗いよ。朝緋が無愛想だから明日香ちゃんが萎縮しちゃってるじゃないか」
お盆を持って戻ってきた黒斗さんは、やれやれという風に各人の場所に食事を並べた。お皿に乗っているのはパンとリンゴに似た物。パンは見たことがない形だけどパンっぽいし、リンゴは赤いが少し小さい。コップの中身は白く、牛乳なのだろうか。
戸惑っている私を他所に2人が食べ始めていたので、意を決して白い飲み物を飲んでみる。
甘い、牛乳ともヨーグルトとも違う味だ。けど美味しい。グビグビと飲み干して、他にも手をつける。どれも少し知っている味とは違ったけど、美味しかったので残さず平らげた。
「ご馳走様でした」
「食欲は大丈夫そうだね。はい食後のお茶ね」
「ありがとうございます」
コップを受け取り飲んでみる。これは紅茶っぽい味だ。見た目は緑茶みたいだけど。
「改めて自己紹介をしようか。僕は黒斗、でこっちの無愛想なのは幼馴染の朝緋。君を助けたのは朝緋なんだ」
「柊明日香です。助けていただいてありがとうございました」
「柊? 名前明日香じゃ」
「え、柊は苗字ですよ?」
「みょうじ?」
黒斗さんは首を傾げて、聞いたことの無い言葉のように言う。
苗字を知らない……?
知らない場所に知らない食べ物、おまけに常識まで違う。
これは夢? それとも、まさか本当に異世界に?
怖くて考えないようにしていたけど、一度考えが浮かんでしまうと思考が加速してしまう。
「あ、あの私今の状況につていけてなくて。ここはどこですか? 日本、ですよね?」
恐る恐る尋ねてみると、黒斗さんと朝緋さんは顔を合わせ、黒斗さんが困ったように眉を下げる。
「ここはルグニカ国だよ。にほんって聞いたことがないな。朝緋は?」
「ない」
沈黙が流れる。
考えるように腕を組んでいた黒斗さんが「あっ」と小さく呟いた。
「もしかして明日香ちゃんは流人なのかな」
「るじん?」
聞きなれない言葉に首を傾げる。
「こことは別の世界から来た人のことだよ。といっても、そんなに来ることはないし、大抵は海から来るんだ。ここは海からかなり距離があるんだけど、明日香はここまでどうやって?」
「えっと……」
一旦落ち着け私。確かいつも通り学校へ行ったら結が……
「願いが叶うって噂を聞いて、その噂の湖で願い事をしていたら何かに水の中に引っ張りこまれて、気が付いたら湖の畔で倒れていたんです。そしたらオークに襲われて林の中を逃げていた所を助けてもらって」
「湖ってもしかして中央に木のある?」
「はいそうです」
「目を覚ます前に別の所に居たとかは?」
「ないです。目を覚ます前は友達と一緒に居たから」
「そっか……」と黒斗さんは困ったような表情を浮かべる。
何かまずいことでも言っちゃったのかな。ゴクリと唾を飲み込む。
「なぁ朝緋、どう思う?」
「どうもこうも、俺らじゃ判断出来ねぇだろ」
「そうだよね……」
困り顔をする黒斗さん。置いてけぼりで進む話に、どう反応していいのか分からなくて汗の滲む手をテーブルの下で握りしめた。
「お前」
朝緋さんに呼ばれてビクリと体が震える。
「は、はい」
「今の話、俺ら以外にした事は?」
「ないです。ここでは他の人には会ってませんから」
「この話は簡単に誰かにするな」
「え、どうして……?」
確かに話した内容な頭がおかしくなったのでは、と思われてしまってもおかしくない。というか、そう思われたのだろうか。
気持ちが落ち込み俯く。と、黒斗さんが慌てたように首を振った。
「明日香ちゃん顔を上げて。別に君の話が信じられないから言うなってわけじゃないんだ」
「え?」
「ごめんよ、コイツの言い方が悪くて。だけど、湖っていうのがちょっと問題があってさ」
「問題?」
「君が倒れてたって湖は『禁忌の湖』って場所なんだけど、神の国への入り口だって言われてるんだ」
「か、神の国?」
なんだかファンタジーな響きだな。まぁこの状況全部がもはやファンタジーみたいなものではあるんだけど。
「そして言い伝えがあるんだ。“ 破神を封ずる流人の巫女、禁忌の湖に現る”ってね」
「破神?」
「世界に混沌をもたらすって言われている神様だよ。ただの言い伝えだって言われてたけど、最近魔物の動きが活発になっていてね、加えて禁忌の湖に流人が現れたってなれば……」
「騒ぎが起きちゃうってことですね」
言葉の続きを返すと、黒斗さんは意外そうに目を丸くした。
「随分落ち着いてるね」
「あー、と。十分驚いてますよ。まだ頭がついていけてないって感じで」
不幸体質のせいでいきなり思いもしない事が起こるのには普通の人よりも慣れてしまっていた。それに、こういう訳が分からない事が起きた時は、まず落ち着くことが大切、ということは長年の経験から骨身にしみている。
「その言い伝えってもっと詳しく分かりますか?」
もし言い伝えの流人の巫女っていうのが私なのだとしたら、元の世界に戻る術が言い伝えにあるかもしれない。
「詳しくは王都の占者に聞くのが良いね」
「王都へはどうやったら行けますか?」
「ここからは馬車で3日はかかるし、町からは月に1度しか出ないんだ。今月のはもう出ちゃってて……て、まさか1人で行こうと思ってる?」
「はい」
「だ、ダメだよ! まだ本調子じゃないだろう? それに、さっきも言ったように魔物の動きが活発になってるんだ。1人で行くなんて危なすぎる」
「でも……」
「そうだ、次の馬車が来るまでここに居ればいいよ。部屋は余ってるんだし、いいよな朝緋」
名案だという風に朝緋さんの方へ言う黒斗さんに、私は慌てて立ち上がって首を振る。
「い、いえ! そんな迷惑になるような事はっ」
と、朝緋さんと目が合った。彼は赤い目でじっとこちらを見る。昨日と同じで目が離せない。
しばらく見つめ合ったら、朝緋さんが視線を逸らしてお茶を飲んだ。
「お前家事は?」
「へ?」
「家事はできるのか?」
「あ、えっと、基本的な事はそれなりに。料理も人並みには出来ます」
「なら、家事と仕事の手伝いをするならいいぞ」
「え……」
戸惑って黒斗さんの方を見ると、微笑んでコクリと頷いた。
ここに居ていいってこと、なのかな。
涙が出そうになったのをグッと我慢して、2人に向かって頭を下げる。
「すみません。お世話になります」
私の言葉に、黒斗さんは「よろしく」と言い、朝緋さんはこちらを向かずもう一度お茶を飲んだ。




