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花束を君に  作者: アレン
序章
2/18

はじまり

「危ない!」

「え?」


 声をかけられ振り返った瞬間、横切った車が上げた水しぶきを全身に浴びる。


「だ、大丈夫ですか?!」


 先程危険を知らせてくれた女性が顔を真っ青にさせて駆け寄ってきた。周りの人も不憫そうな目でこちらを見ている。

 けれど、私は動じることなくスっと自分の鞄のチャックを開く。


「大丈夫です。こういうことがあろうかとタオルと着替え一式持ち歩いてるので」


 スっとタオルを取り出すと心配げに見ていた人達はポカンと驚いた顔をした。



         ♢ ♢ ♢



 ガラガラと戸を開け賑やかな教室に入る。クラスメイトと挨拶を交わしながら席に着くと、ポニーテールを揺らしながら少女が駆け寄った。


「おはよー。今日も無事に辿りつかなかったのか」


 笑みを浮かべていた結は私の湿った髪とジャージ姿に口元を引き攣らせた。


「今日は何が?」

「車の水はね被っただけだよ」

「うわっ、マジか」

「だけどタオルも着替えも常備してるから大丈夫だよ」


 鼻を鳴らしながらドヤ顔をすると、結がはぁと溜息をついた。


「そんなの常備してる女子高生は居ないのよ。明日香」


 私、柊明日香はいわゆる不幸体質というやつだ。記憶しているかぎり何もなかった1日などないほどの。

 もう不幸なのは慣れっこで、クラスメイトも日常だと変に騒ぎ立てずに流してくれているのだが、呆れ顔をしている近藤結は未だに心配し続けてくれている。


「そうだ! 昨日テレビで幸運になる方法って特集やってたのよ。メモしたから今日から試してみましょうよ」


 メモを受け取って見てみると風水だとか心を落ち着かせるストレッチだとかが書いてある。不幸体質を何とかしようとしていて、幸運に関する事を知れば何でも試そうとしてくるのだ。


「それと今日の夜用事は?」

「ないけど」

「なら学校裏の湖に行くわよ。夜あそこで願い事をすると叶うんだって噂を聞いたの。行って明日香の不幸体質が治るようお願いしましょ」

「え、いやっ」


 別にいいと言おうとしたが、始業のチャイムが鳴り結はじゃあと自分の席に戻ってしまった。

 結の気遣いは有難い、有難いのだがこのままじゃいつか高額の変な壺とか買ってくるんじゃないかとヒヤヒヤしていて、どうやって諦めさせようか、というのが最近の私の悩みである。


 先生が入ってきて授業が始まり、教室内は先生の声とノートをとるペンの音だけが響く。黒板の板書をノートに書き写していたが、ふと自分の手に目を向ける。

 いつも通りの手。握ろうとすれば思った通りに握れるし、感覚もきちんとある。

 今朝見た夢、自分が死ぬ夢。夢と思うにはリアル過ぎて、現実だと思うには現実味がない。

 それに、私のことを抱きかかえていた人。顔はあまりハッキリ見えなかったけど、多分会ったことのない人だった。なのに何だか懐かしくて、胸がキュッと締め付けられる。

 一体なんだったんだろう。まさか正夢とかじゃないよね。いくら不幸体質とはいえ、自分が死ぬ正夢を見るとか冗談じゃない。

 ハハハ、と乾いた笑いが零れる。と隣の席の男子が怪訝な目を向けてきて、私は慌てて咳払いをして板書に集中し直した。



         ♢ ♢ ♢



 帰る時間になり、湖に行くのは止めようと言おうとしたが、直ぐにバイトだからと言って、結は「8時に学校前で」と言い残して教室から出ていってしまった。

 結局断ることが出来ず、はぁと息を吐いて、取り敢えず家に帰ろうと鞄を背負った。


「ただいまぁ」


 ドアを開けると美味しそうな匂いがした。リビングへ行くと、キッチンで鼻歌も聞こえてくる。


「ただいま、涼お兄ちゃん」

「ん? おかえり明日香」


 私の帰りに気づいたお兄ちゃんは振り返ってニコリと微笑んだ。


「今日は早かったんだね」

「おう。午後からの授業が休講になったんだよ。おかげで今日の夕飯は豪華に出来たぞ」

「やった」


 ガッツポーズをしつつ、壁脇の棚の方へ行く。


「ただいま、お父さんお母さん」


 仲が良さそうに寄り添っている両親の写真へ微笑む。


 荷物を置いて料理を手伝い、テーブルいっぱいになった夕飯に呆れ笑いをする。


「これ絶対2人じゃ食べきれないでしょ」

「うーん。ちょっと張り切りすぎたかなぁ。まぁ残ったら弁当とかにしたら大丈夫だろ」


 ということは、明日のお弁当は豪華かつ大量になるんだろうな。

 2人一緒に手を合わせて食事を始める。


「あ、私この後ちょっと出かけるね」

「今からか? 危ないだろ。明日じゃだめなのか?」

「えっと、友達との約束があって」

「危ない。だめだ」


 お兄ちゃんは絶対に許さない、という風に首を振った。

 まぁ予想通りの反応だ。女子高生に向かってまるで子供のような対応なのだが、小さい頃から私の不幸体質のあれやこれを間近でずっと見てきたから、私が何かする際には過剰なくらい心配するようになってしまったのだ。


「大丈夫だよ。最近はそんなに危ない目には合ってないから。今日だってちょっと水はねで濡れたくらいで」

「それでも何かには合ってるじゃないか。あぁ、少しでもお前の不幸を被ってやれればいいのに」


 そう言って涼は右手で目を覆う。その手には手の甲から肘にかけて傷跡がある。これは5歳の時に落下してきた大木から私を庇った時に出来た傷だ。

 お兄ちゃんはずっと私のことを守ってくれている。そのせいで彼も危ない目に合って数え切れないほど怪我をしてきた。なのに文句一つ言わずに「妹を守るのは兄の務めだ」と言ってくれる。それを有言実行するように、学校が被っていた時は可能な限り傍にいて、今は大学友達と遊んだり、サークルに参加したりだとか何もせずに私優先に行動している。

 ずっと守ってもらっていて本当に感謝しているけど、そろそろ自分の為に生きてほしい。


「お兄ちゃん、私ももう子供じゃないから自分の身は自分で守れる。だからそんなに思い悩まないで」

「いや、だけど」

「大丈夫! 今日だってすぐに帰ってくるからさ。ね?」


 大丈夫だ、と伝わるよう笑って胸を叩く。お兄ちゃんは納得していない様子で眉間に皺を寄せているが、渋々と頷いてくれた。


準備して靴を履いている履いている間も、お兄ちゃんは着いてきてソワソワしながら貧乏ゆすりをする。


「用事が済んだらすぐ帰ってくるんだぞ」

「分かってるよ」

「友達と合流した時と、帰る時に連絡を入れろ。迎えに行くから」

「連絡は入れるけど迎えにこなくて大丈夫だって。お兄ちゃんレポートの提出近いんでしょ? 自分のことに集中してよ」

「いや、迎えには行く。じゃないと心配でレポートなんて手につかない」

「……。分かった。じゃあ洗い物とか帰ったら私がするからそのままにしといて」


 早く帰ってこいよ、と見送るお兄ちゃんに苦笑しつつ手を振る。

 この過保護は私のせいではあるのだけれど、ドの付く程のシスコンっぷりに果たしてお兄ちゃんは結婚とかちゃんと出来るのか本気で不安だ。

 今日行く湖の噂、それがもし本当ならお兄ちゃんが私優先じゃなくなって、自分の幸せにも目を向けてくれるようになるかな。

 あんまり乗り気じゃなかったけど、少し真剣にお願いをしてみようかと思いだした。



         ♢ ♢ ♢



 結と校門で合流して湖に向かう。学校の裏山には一応道があり苦労せず着くことができた。

 湖の広さは向こう岸が見える程で、中央に大きな木が立っている。何の変哲もない湖だけど、木だけはなんだか違って見え、あの周りだけが別の空気が漂っているように感じた。


「で、噂ってどういうのなの?」


 なんだかここに長く居たらだめな気がして、急かすように結に尋ねた。


「湖に自分の顔を映すの。そのまま願い事をして、最後に水をかいて自分の顔を消したら終わり」

「よし。じゃあサッとやってしまおう」

「どうしたの、いきなりやる気満々じゃん。近くはぬかるんでて危ないらしいから気をつけて進みなよ」


 結の言う通り湖に向かう。

湖に近づくにつれて足場がぬかるんで足を取られてしまう。一体誰がこんな噂し始めたのよ。どうせなら見えるところで願ったら終わり、みたいな感じにしてくれれば良かったのに。

 なんて心の中で悪態をつきながらなんとか湖の畔に着いて、その場にしゃがんだ。


「ちゃんと不幸体質を治して下さいってお願いするのよ!」


 振り返ると結はぬかるみに足を取られてふらついていた。


「分かった。私だけやればいいから、結は危ないし戻ってて」

「うぅごめんね」


 申し訳なさそうに眉を下げる結に笑みで返し、身を乗り出して水に映る自分と目を合わせる。


「私の不幸体質がせめて周りに影響が出ないようになりますように。私の大切な人が危ない目に合いませんように」


 えっと、あとは水をかけば。手を伸ばして水に触れようとした時。


『やっと見つけた』


 声がした瞬間、腕を何かに掴まれた感触がし、強い力で引っ張られる。身構えていなかった体は呆気なく地面から離れた。


「明日香?!」


 結の悲鳴は水しぶきの音でかき消されてしまう。

 完全に水の中に入っても力は緩まずどんどん底へと引っ張られていく。何とか浮き上がろうともがくが、腕は水をかくだけで力から逃れられない。

 もう一度後ろを見てみると、湖の底に光が見えた。


 あそこに連れていかれようとしてる? 一体あれは何?


 湖の底に光があるなんて有り得ない光景に、恐怖が湧き上がる。自分は一体どこへ連れていかれようとしているのだろうか。そもそも、私を連れて行こうとしているのはなんなのだろうか。

 ゾクリと背筋に悪寒が走る。だけど、そんな不安を無視して体はどんどん光へ近づいていく。


 と、光の中に人影が現れた。

 影はこちらに近づいてきて、その姿がハッキリしていく。


 女の子……?


 和服を身にまとった少女。彼女の姿を見て目を疑った。

 真っ黒な肩まで伸びた髪、真っ黒な瞳、鼻や口…… 全てが私と瓜二つで、まるで鏡を見ているようだ。

 だけど、身の前の少女は自分ではないと断言出来る。何故なら彼女は私を見て泣いているのだ。瞳に涙を溜め、苦しげに表情を歪ませている。

 なんでそんな顔をしてるの? 私そっくりなこの子は一体誰なの?

 そんな疑問を他所に彼女は更に近づいてきて、手が頬に触れた。


『お願い。あの人を止めて』


 そう聞こえた瞬間、彼女は光に溶けて消えた。


 え、止めてって何を……


 そう思ったのも束の間、グイッと更に力を加えられ光の先へと放り投げられた。






『もう逃がさないよ。あすか』


 最後に耳元で先程の声がそう言ってきた。 

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