それが罪で罰が欲しくて。
Side:Y
サヨウナラを言おう。
サヨウナラを。
明日には。
明日には。
明日には。
そう思い続けた想いが重しになって
暗くて深くて寒い心臓の底に
澱のようにたまっていく。
ごぼごぼと沈んで
底から見る水面のような場所には
かすかな、そして儚い光が射しているような気がするのだ。
目が覚めた時、右側の肩口から二の腕までがポカポカと温かかった。
覚醒する意識が
悲鳴のような想いを一緒に掴んで引き上げてくるような気がしたけれど
全部無視する。
陽だまりに触れたようなこの「部分」だけが
自分の中に「幸せ」を確かに思わせる。
日々、絞首刑の足場がなくなる瞬間のような
冷え切った気分が常にあって
自分を苦しめ続けるこの想いが自分は正常じゃないんだと
取調室のライトのように責め立てる。
「・・・ん。」
「ごめん。・・・起こした?」
低く、かすれたうめき声のようなソレに
自分の腹の底が熱を持つ。
久志の覚醒はいつも僕より遅い。
・・・気がする。
ゆっくりと、確実に。
そんな覚醒をしている気がする。
聞いたことがないから分からないのだけれど。
「今、何時だ?」
「もうすぐ六時。帰る?」
「・・・お前は?」
「久志が帰るなら帰るよ。」
「・・・ふぅん。」
もう人気の少なくなった校舎の
二人ぼっちの空き教室。
気のない返事をして
さっきよりぐっと僕の肩に身を預ける。
久志の髪の毛の先っちょが首筋をなぞる。
・・・その感覚をバレないように喜ぶ。
瞬間、反対側の首筋に刃物をあてられた気分になる。
ソレガ オマエノ シアワセカ
問いかける声を聞く。
脳内が中華鍋をひっくり返して打ち叩いたようになり
あっという間にまた心臓が冷えて縮む。
コレハ シアワセ ジャナイ
スッと鼻で息を吸い、目を閉じて
まじないのように身体全体に行きわたらせる。
コレハ ボクノ シアワセ ジャナイ
だからどうか許して欲しい。
だからどうか・・・許して欲しい。
「どう・・・したの?」
閉じていた目を開け、正面を見ると
左の頬に視線を感じた。
久志が僕を見ている。
そのままそっちを向くと
あんまり近くて取り乱す自信があったので
視線を遠く。
正面の壁を突き破ってもっとその向こうを見るつもりで意識を集中する。
そうして久志を見ないようにして
なんでもないような音で訊ねる。
「・・・いや。」
恐ろしい事に
やっぱり久志の目にとらえられた僕は
瞬きすら許されず
ゆっくりと口を開いた彼の口が
ゆっくり閉じるまでを
正面の壁と見つめあったままで過ごした。
時間にしてたぶん数秒。
「帰る。」
やはり低く、まだ少しかすれた声で言う。
ゆっくりと瞬きをする久志を
瞬きせずに見続ける。
標本の蝶は
美しいままでいる。
あの目は
流れる時間を映すだろうか。
そんな事を考えつくと
自然とまぶたが降りた。
そうだ、僕の目は
美しくなんかない。
正面の足元に視線を移し、うなずく。
帰り支度はもう済んでいる。
行きに持ってきた荷物を
何も考えずに帰りにまた詰め込む。
そうして膨れ上がったカバンを持って帰るだけだ。
同じものを入れているだけなはずなのに
帰りの方が膨らんでいるのは
何故なのだろう。
上手くないから・・・だろうか。
後始末の何もかもが
一つも上手く出来ないから・・・だろうか。
「帰る」宣言から少しして
何も言わずに立ち上がった久志は
椅子を律儀に綺麗に戻し
振りかえらずに教室の扉まで歩いて行く。
少し気だるそうなのに
大柄で大股の彼は
数歩でたどり着いてしまう。
その後ろ姿を見ながら、わざとゆっくり椅子を戻して
そっと音をたてないようについて行く。
彼が開けたままにした扉を、僕が閉める。
ソレハ シアワセカ
しっかりと閉じて、追いかけながら唱える。
カンガエタクアリマセン
彼を追いかけて、問いかけからは逃げ続ける。
縮まる距離。
彼の背中と僕の胸の間に膨張し続ける警告。
時限爆弾のように膨らむ風船は
パァンとはじけるのを今か今かと待っている。
ウソヲツイテハ イケマセン
まだ残っている生徒の
疲労と充実とやっかみと歓喜の声がこだまする。
校舎には
暮れた日を惜しむように暗闇がのしかかる。
コレハ ウソデハアリマセン
「本当に考えたくないんです。」
「・・・どうした?」
背中はもう目の前だった・・・
「のに」なのか
「から」なのか
声に出していたらしい。
久志の匂いが鼻をくすぐる。
「・・・帰るだろ?」
「・・・帰るよ。行こう。」
この薄暗さは、とても心地よくて
とても怖い。
本当に自分の手さえ見えない暗闇になったら
きっと
もっと心地よくて
もっともっと恐ろしい気分を味わえるのだろう。
遮光率99%のカーテンを引いた
僕の部屋で迎える夜みたいに。
僕たちの帰る場所は
同じドアをくぐって靴を脱ぐ
隣り合わせた
違う部屋。
学校の狭い廊下より広くなった帰り道で
「隣」より少し距離をあけて歩く。
久志の歩調にあわせてずらし
かみ合わない感じを作りだす。
ほら、僕らはこんなに「アワナイ」と
自分に言い聞かせる。
目をつぶったって出来る「不協和音」は
わざとなのに
わざとだと感じなくなる位
慣れてしまった。
今日も僕は
本当の真っ暗に見える
カーテンを引いた自分の部屋で
ベットに入り
見えない指先を見続ける夜を過ごすんだろう。
隣の部屋の寝息を聞きたいと
ときおり
寝返りも打つだろう。
そうしてまた明日には
有罪判決の決まった裁判を受け
罪を罪と認めたくないと黒板に向かって
いつ足元が無くなるかヒヤヒヤしながら
「シアワセ ナンカ イリマセン」
と
「シアワセニ ナンカ ナリマセン」
と言って
許しを乞うのだ。
教壇から振りかえる教師の視線を
断罪の剣にするのだ。
イイコニ ナレナクテ ゴメンナサイ
と言って、英単語を訳すだろう。
イイコデ イラレナクテ ゴメンナサイ
そう言って、校庭を走るのだ。