推すか推さないかで迷う前に、推し過ぎで推しに心配されるくらい推し続けろ
好きなものがある人もない人も、素敵な何かに出会えますように。
現在、夜の十時半。
ここ最近、ブラックコーヒーの苦みも、エナジードリンクのチャージも、目覚ましのツボ押しも、もう全然効果が効かない所まできた。
先輩が京都土産で買ってきた辛すぎて涙が止まらなくなる香辛料もあるが、本題である仕事が進まなくなるので使えない。
眠気覚ましも兼ねて、オフィスの窓の方へ行き、外を見た。
気象予報士が言っていた通り、明日の朝には足が埋まるぐらいには雪が積もりそうだ。
スマホの画面を見た。
今日は十二月二十二日水曜日。
そう、待ちに待った推しのクリスマスイベントまであと三日だ。
本当に長かった。
でも、ついにここまできた。
それを思うと、体へ力が戻る。
首をコキコキとならし、自席へ戻りPCとのにらめっこを再開した。
さて、早く終わらせるか。
***
彼女に出会ったのは二年半前になる。
地方ローカルグループアイドルとして、地元の商店街のイベントで彼女の初ステージをたまたま見かけたのがきっかけだ。
正直、顔がめちゃくちゃ可愛かったわけではないし、スタイルがそんなにいいわけでもない。
歌唱力なんて残念な方だし、ダンスはぎこちない。
ただ、彼女は本当に一生懸命だった。
全然人も集まっていないようなステージだったのに、一生懸命体を動かし、自分にできる最大限のパフォーマンスをしていた。
命を燃やし、心を燃やし、生きる火の玉のような熱量でステージを端から端まで駆けている。
それが楽しそうで、羨ましくて、格好良くて、なんとなく気になってしまった。
その日は前日に仕事で大ポカをしてしまっていて、テンションが低く何かの憂さ晴らしを探していた。そもそも好きでもない仕事だし、俺にはこの仕事向いていないから、これを機に転職しようかとすら考えていた。
いい大人がそんな子供みたいなすね方をしていた。
そんな俺の琴線に少し触れた。
ちょっとのつもりがなんだか魅入られて、気が付いたら俺は最後までそのトークを交えたステージを見ていた。約三十分程だったか。
物珍しさもあって、普段は全くしないが何人かの観客と同じようにスマホでダンスやトークを動画で撮っていた。
ステージ終了後、俺は早速そのローカルグループアイドルを調べた。
どうも彼女の在籍するグループは六人組で、基本的には県や市のイベントに出て盛り上げているらしい。それと会場を借りて月に一、二回程ライブやイベントも行っているらしい。
ネットで今後の活動予定が書かれていた。
今度の週末も小さな交通安全イベントに参加するそうだ。すぐに自分のスケジュール帳に打ち込んだ。
俺は何事にもすぐに飽きやすい典型的な三日坊主タイプだと思っていた。
何か資格を取ろうとして勉強してはやめ、英語を勉強しようとしてはやめ、健康のためにジョギングをしてはやめ、小説なんてものを書いてみようとしてはやめ、やめ、やめ、やめ。
だから、今回の事もいつものように流れていくなと思っていた。
だが、この子の事に関していつもと違った。
彼女の所属グループの公式サイトをたまに巡回。
彼女のSNSをフォローして、携帯をいじるたびに確認してしまう。
彼女たちの曲はワイヤレスのイヤフォンからいつも流れてる。
俺自身が無意識に鼻歌を歌っている事もあった。
そんな日が一週間、二週間、一ヶ月、半年と続いた。
その頃には俺は推しにどっぷりハマっていた。
当初、顔はそんなに可愛くないと思っていた自分をふっ飛ばしてやりたい。
見ろ、この愛らしい一重。眠たそうでこっちの父性を刺激する瞳。大好きな焼肉を食べる時の蕩けそうな表情。そして何よりもみんなを元気にする笑顔!
それだけじゃない。
あのダンスのたどたどしい動きも、高音を上手く歌えきれない残念さも、すべて愛おしい。
ひたすらに応援した。
声が掠れるまで声援を送り、次の日に腕が上がらなくぐらい振り付けを踊った。
少しでも彼女に届くように体の中にあるエネルギーを全て使って。
もちろん分かっている。
メンバーが6人もいると他と比べられる。
見た目やスタイル他のメンバーの方が映えるだろう。
歌やダンスは他のメンバーの方が上手いだろう。
そんなことは彼女が誰よりも分かっている。
だからこそ他の誰よりも歯を食いしばり、もがきながら、ステージという戦場で戦っている。
そんな健気で必死に踏ん張っている彼女を推したい、推さずにはいられない。
なんだこれ、すげぇ楽しいじゃねぇか。
大げさと思うかもしれないが、俺はこの瞬間こそ、真に生きていると感じられた。
この瞬間が永遠に続いてくれと。
こんな風に人生を楽しんでいるとなぜだか仕事も上手くいった。
今までダラダラしていた事をテキパキとやるようになったし、時間や生活にメリハリが出てきて、なぜだか最近変ったなと言われる事が増えた。
出不精だったが、推しは美味しいものを食べることが大好きらしいので、紹介された店にも行って外出も多くなった。
シンプルなことなんだが、意識して時間の使い方を変えた。理由は簡単。
早く帰って推し関連の事に時間を使いたいからだ。
だから、推し以外の事はさっさと終わらせる。
数分数秒でも俺の時間を推しに使いたい。
それに推しは健康的な人が良いと言っていたから、深酒もタバコもやめた。睡眠もちゃんと取るようにした。
しっかり夜に寝る事でこんなにも生活が変わるとは思わなかった。
不思議な事に、俺の生活態度が向上にするにつれて、なぜか推しのグループも人気が出てきた。
ファンも増えてきて、段々とイベント出演が増えてきたようだ。
そうして、テレビでも取り上げられるようになり、一気に知名度が上がって忙しいようだ。
自分が幸せで、推しも推しのグループも人気になって、勝手に運命を感じていた。
幸せスパイラル。みんなで最高になろうぜ!と。
このまま勢いに乗って今度は全国回るぞなんて冗談も、冗談ではなくなる日も近いような気がしていた。
最高で幸せで熱くてなんでもできる気がしていた。
そんな時に。そんな幸せの中で。
メンバーの一人が事故を起こした。
交通事故。しかも飲酒運転。未成年メンバーの。
あまりの事態に一瞬頭が真っ白になった。
ニュースを見ながら俺は固まった。
すぐにはニュースキャスターの言っていることが理解できなかった。
何が起きたの、というか、なんで、と誰に向けた何の気持ちか分からないものが体の中を駆け巡った。現実なのか。
神様を呪った。
なんで、なんで今なのと、拝むように頭を抱えた。
メンバー自体を責める気はしなかった。
ただ、なんで、こんなことが起きたんだと認めなく気持ちと今後どうなるのかという不安が一気に脳内を駆け巡った。
気が落ち、俺の視界はブラックアウトした。
すぐに本人と公式が謝罪と火消しに走ったが、この時代はそんなものでは止まらない。
飢えたメディアがすぐに噛みつき、その鋭すぎる牙で獲物をズタズタにする。
事故自体は不幸中の幸いではあるが、誰かに怪我を負わせることはなかったが、飲酒運転と未成年という過ちは本当に大きく、全国で報道されている。
……程なくそのメンバーがグループを辞めた。
事故を起こしたメンバーだけではなく、他のメンバーにも匿名の悪意が襲い掛かる。
悪口、誹謗中傷、嘘、暴露、ありとあらゆる悪意が降りかかる。
愛情が憎悪に変わる瞬間を見た。
いや、愛情なんてものは無かったのかもしれない。元々、大勢に楽しみを与えていた彼女たちは、歌や踊りや活動の代わりに、ゴシップという本人たちが望まない形で娯楽を与えていた。
昨日の友は、今日の意識希薄な殺人鬼。
見えない所から人を痛めつけている。いや、無意識か。傷つけている意識すら無い透明な刃は確実に相手を切り刻む。
そんな刃物のような悪意が次に獲物を定めた。
推しだ。
事故を起こしたメンバーとは一番仲が良かった推し。
そこから様々な邪推が生まれる。悪い噂。実は推しがすべて仕組んだという陰謀説。グループ不仲説。
怖い事に、この世で大事なことは物事の真偽ではない。より多くの人がその事を信じているかどうかだ。なぜなら真偽を知ることができないからだ。だから、より多くの人が信じる事が正しいのである。
推しのSNSは何を書こうとも反発され、暴言を吐かれていた。
彼女を庇う人もいるが、庇った人が次に潰される。
庇う人、寄り添う人がいなくなる。
SNSは更新されなくなる。
人が怖くなる。
つらい。
そして月一、二回か行っていたライブはしばらく延期と公式が発表した。
どうなっちまったんだと、何かが手のひらからこぼれ無くなってしまったような虚無感が俺を蝕む。
元々俺とはかけ離れた存在だし、俺がどうこうできることではない。結局はそういう関係。
心が灰色に染まる。
何もかもやる気が無くなった。仕事もぼーっとしていることが多く、色々な人から怒られた。
ただ、心は何も感じない。どんな飯を食べても美味しくない。そもそも何を食べたかすら覚えていない。
……人生、くそつまらねぇな。
完全に推しに会う前の自分に戻ってしまった。
何もかもがつまらない。すべてのものがつまらない。
ネットで見たいものもなくて、テレビもつまらない。
食いたいものもなければ、やりたいスマホゲーもない。
ただの習慣、といか依存症のように無意識にスマホを触る。
やることがなさ過ぎて、保存しているデータを見てみた。
しょうもない写真ばっかりある。
その中に、だいぶ時間が長い動画を見つけた。
なんの動画か覚えていないが、暇つぶしには丁度いいし、要らないなら削除しよう。容量を無駄に取られては困る。
動画はガヤガヤと人や町の喧騒から始まっていた。
直後、聴きなれた声が聞こえた。
『それでは、新曲を披露します! 皆さん聞いていってください!』
推しだ!
これは、初めて推しに出会ったときの動画という事にすぐ気が付いた。
周りの雰囲気に合わせて撮っていたものだが、その時からもう半年も過ぎていて、撮った事自体忘れていた。
動画の中で推しは一生懸命踊り、初ステージの緊張で一杯一杯なはずなのに、しっかりと俺たちに楽しんでもらえるようにできることを精一杯していた。
よく見ると歌詞は間違えていたし、振り付けも間違えている。
あの当時は分からず気が付いなかったが、合いの手のタイミングやメンバーの振り付けを覚えた今では
間違いにも気づけた。
急に何かが頬を伝う感覚に気が付く。
涙だ。俺は今泣いている。
段々色々な感情が蘇ってくる。
失敗して辛かったこと。推しに初めて会った時に心に湧き出たもの。彼女から与えてもらったこと。
その瞬間、ハッとなって自信を見下ろしてみた。
急に目が覚めた気分になった。
毛穴がブワッと開き、体中がゾクゾクした。
『おい、俺! 何やってんだ! 推しが困っているんだぞ』
俺の推しが困っているのにお前は何をしているんだ、と内側から俺が俺を揺さぶってくる。
俺が辛い時に助けてくれたのは誰だったんだ。自分も大変な状況なのに、周りに笑顔で元気を届けてくれたのは誰だ。
ああああああぁぁぁぁ!推しぃぃぃ!
俺しかいない!
推しを推すのは俺しかいないんだ!
俺が推さずに誰が推すんだ!
俺は世界中のどんな奴よりも推しを推す事に決めた。
絶対にやってやる!
だが、何をすればいいのか分からない。
俺は推しに元気になって欲しい、ただそれだけの事が難しい。
SNSは更新の痕跡無し。
ライブは開催予定無し。
分からない。おかしい。俺はSNSや何かしらのイベントが無いと推しを推せないのか。
人に何かをしてあげるのはこんなに難しいことだっただろうか。
何かしてあげられないだろうか。
そこで急に頭に浮かんだ。推しは食べることが大好きだ。
定期的に美味しいお店を紹介されているのをメモに取っておいた。そのメモを探す。いくつものメモの中からその店を見つけ出した。
『ラーメン六宮』
これは推しが一番好きだったラーメン屋さんで、家族とよく通っていた店だ。
ただ、二年前ぐらいに店主のおっちゃんが腰を悪くしたのをきっかけに店を閉めてしまい、もうここのラーメンは食べることができないとイベントの時に話をしていた。
推しの一番のおススメは『醬油ラーメンとチャーハンセット』とというシンプルなセットらしく、ここに来るたびによく頼んでいたとメモに書いてある。
これだ。
この醬油ラーメンとチャーハンセット!
大好きだったものを食べればきっと元気になるはず。なんとか交渉して、ラーメンとチャーハンを届けてあげよう。それで推しに少しでも元気にしてあげられるはず。
俺はラーメンとチャーハンを食べさせてあげたい一心で動き始めた。
まずはこのラーメン屋があった場所に行ってみた。
来る前に情報はあったが、建物はもう更地になっていて実際に見てみると手がかりが無くなって落ち込む。
が、そんな事を言ってはいられない。勇気を出して近所の人にラーメン屋がどうなったか聞いてみた。
「ああ、六宮さんの? そうねー、お店辞めるからって息子夫婦さんと住んでいるらしいわよ。 確かここの近くだったはず。 あなたあの店のファンだったの? あのお店美味しかったわよね。 私結構常連だったのよ」
無駄に長いおばさんの世間話に付き合ったおかげで、だいぶ欲しい情報が集まった。
ちなみに『六宮』というのは店主さんの苗字だった。
さすがに話好きなおばさんだからって家の場所まで聞くわけにはいかなかったが、だいぶ良い情報を得た。その元店主は朝ここから近くの公園を健康のために散歩するらしい。
ネットで店主の顔は調べて分かっている。
……なんか、俺、やばいことやってないか。もちろん悪い事をしているわけではないが、なんか罪悪感が。
推しのためにやりきると決めたのだ、後戻りはしない。
次の土曜日、朝早くに元店主が散歩する公園に来ていた。
しかし、上手く声を掛ける方法が固まっていなかった。それはそうだろう。どこぞのアイドルのために、ラーメンとチャーハンを作ってくれと頼みに来た初対面の男。
なんかの詐欺か、不審者か、どう転んでも警察を呼ばれそうな未来しか思い浮かばない。
そんな風にいい声掛けの方法に悩んでいると、前方の方から年配のおじさんが歩いてきた。
それはネットで顔を見た、まさしくラーメン六宮の元店主、その人だった。
結局いい方法なんて思い浮かばなかったが、奇跡的なこのチャンスを逃すわけにはいかない。
若干、たどたどしくはあるが声掛け説明をしていた。
話の途中は俺への怪訝な眼差しと距離を感じる対応だったが、ラーメン六宮が大好きだった推しのためにどうしてもラーメンとチャーハンを作ってくれないと話をしたん相手の反応が変わった。
なぜか推しについて詳しく教えてくれと言われ、歌っている時の動画を見せたりした。
おじさん、六宮さんは空を見上げて、
「この子はよくうちの店にきて、ラーメンとチャーハンセットを頼んで食べていたよ。 でもこんな風にアイドルなんてやっているなんてなぁ」
と、驚いているのか、関心しているのか感嘆の声をあげていた。
それで彼女のことを色々聞かれていたので、彼女の活躍や努力、それにいかに俺が助けてもらったを語った。六宮さんがもういいよというまで話続けてしまった。
「それで今は元気にやっているのか?」
と聞かれ、俺は正直に現状を話した。これからという時の事故と世間からのバッシング。想像でしかないが、推しがつらい状況にあること。
そして六宮さんのラーメンとチャーハンを食べさせたくてここに来たと改めて説明した。
それを聞いて六宮さんは腕を組んで目をつぶった。
何かを考えているのか、数分間ずっとその体勢を崩さなかった。
それから少し経って、ふと急に目を開いたかと思うと、
「なぁ、そこまで想っているんだったら、お前さんが作らねぇか、ラーメンとチャーハン」
と言ってきた。
つい、口から驚きの声が出た。
想像もしていなかった提案をされて驚いた。俺が作る? ラーメンとチャーハンを? 推しのために?
さすがに六宮さんの意図が分からなかったから聞いてみると、
「いや、お前さんはさぁ、本気であの子の事を想っているんだろ。 今日初めて会ってまだ俺はお前さんの事はよくわからんけどよ、こうやって好きな子のために面識のねぇ俺の所まできたんだろ。 それにさっきは俺が止めるまでずっとあの子の事話し続けてたじゃねぇか。
俺は金もねぇし、ラーメン作るしか才はねぇんだがよ、人を見る目だけは自信があるんだ。
その俺がお前なら結構いいもんが作れると思ってよ。
それによぉ、俺はもうラーメンは作らないと決めたんだ。 だが、人に教えないとは決めてねぇから、丁度いいんだよ。 まぁ、さくっと教えてやっから。そんな不安そうか顔すんな。
大丈夫だ、お前ならできる。 必ずできるからやってみろ」
人にこんなにも強く推してもらった事があっただろうか。
信じて応援してくれる人がいるとこんなにも体に力が溢れてくるもなのか。
そこまで言ってくれるのなら、やるしかないだろ。
俺は六宮さんからラーメンとチャーハン作りを教わる事にした。
その時から俺の生活は一変した。
会社が終わると食材を持って、六宮さんと仲のいい定食屋さん、南風さんで練習させてもらっている。
どうも六宮さんの弟分らしく、ちょっと憎まれ口を叩きつつ気持ち良く場所を貸してくれた。
今まで大して料理なんてしていなかった。作るのは面倒だし、買ってきたら楽で美味しいものが食べられる。作るのは何十分何時間もかかるのに、食べるのは一瞬。
むしろ、料理をするのは時間を無駄にしているとすら思っていた。
ところがどうだ。食べさせたい人がいるだけで全てが変わる。
材料の下処理が、具材を一つ一つ均一に切る事が、美味しく食べるためのひと手間がとても大切に思える。
推しに美味しいものを食べて欲しい。
特訓を始めてすぐ気づいたが、六宮さんは厳しい。
『遅い』、『下手くそ』、『まずい』、『やり直せ』は言われ過ぎて、発声する直前の口の形でどの言葉が出てくるか分かるようになった。
「何度もいってんだろうが、炒め過ぎなんだよ。 なにちんたらチョコチョコやってんだ!」
「アクは綺麗に取れ、そこは沸騰させるな!」
「茹ですぎだ、触感が台無しになる!」
チャーハンとラーメンの麺とスープ自体はもう作り方を覚えた。作り方だけは。
しかし俺の作ったものと六宮さんのとは全然違う。
最初頼み込んで、一度六宮さんにチャーハンとチャーハンを作ってもらい食べさせてもらった。
これは本当に美味しかった。
俺が何度も作っても、その味には全然近づけない。
それでもずっと繰り返し作り続けた。
少しずつスープの味を変えて、麺の練り方を色々変えて、強火でさっと炒める加減を覚えた。
最初は頭で覚えた工程を一つ一つ思い出して作っていた。
だが、一日、一週間、半月、一か月と続けていくと体が覚えていく。
指先が、腕が、鼻が、口が、目が自然と作り上げたいものへ体を導いて動かしていくような感覚が芽生え始めていた。
ある日、味見をしてくれる六宮さんから、
「ちったぁ慣れてきたようだな、でもお前さん、作る時は何を考えている。 レシピや慣れでも料理はできる。 でもそれだけじゃだめなんだよ。 料理っつうのは食べる相手がいる。 そいつが喜ぶ顔を考えてやらなきゃ、オイシイもんは作れねぇんだよ。 料理は作業じゃねぇんだ。 そこを勘違いすんなよ」
推しの事を忘れていた日は無かった。ただ、作るという事だけに意識しかけていた俺を元の道に戻してくれたような気がした。
六宮さんに謝る。
「俺に謝る必要なんてねぇよ。 それに集中していることはいい事だ。 だから、大事なもんとか、お前さんが本当にやりたいことは忘れんな」
俺は気を引き締めた。
そうして練習を始めてから一年経った。
六宮さん、場所を貸してくれている南風さん、その南風さんの高校生の一人娘で看板娘の遥ちゃん。
皆に協力して、辛くてダメになりそうな時も続けられた。
だから、俺は諦めない。
今日も呼吸を行うように、でも推しが美味しく食べてくれて喜ぶ顔を見れるように、チャーハンとラーメンを作った。
そうして、初めて、六宮さんに、
「……うめぇじゃねぇか。 これは俺が作ってきたラーメン六宮の味だよ」
その言葉に涙が出てきた。
俺の中の色々な感情があふれ出して、その場で声を出さずに泣いた。その複雑な感情の中で、最後に残ったのは単純な嬉しさ。
続けて良かった。みんなに感謝してお礼をした。
あとは、これを届ける!
料理作りとは別に、推しのグループは少し前から活動を再開しているみたいだ。
ただ推しはまだ活動を休止している。
そんな状況のなかで料理を食べてもらうにはどうすればいいかと悩んでいる俺に遥ちゃんが、
「やっぱりいきなりチャーハンとかラーメンを持って行ってもビックリさせちゃうと思うんですよ。 だから、ちゃんと素直にお話するのがいいのかなって思いました。 その芸能事務所?会社?に推しさんに届けたいって手紙で伝えてみてはどうですか?」
確かに悩んでいてもしょうがないから、まずは遥ちゃんの方法でやってみることにした。しかし、なぜ手紙なのか聞いてみると、
「やっぱり、手紙ってその人の気持ちとか、熱意みたいなのがちゃんと伝わりやすいじゃないですか。 メールとかメッセだと本当に気持ち入っているのかわからないし。 それに、私は手紙もらうのって好きなんですよ。 だから、いいかなって」
もしかしたら本人に読まれないかもしれない。けれど、一つ一つ俺の言葉で俺の文字で伝えたい。
追加のアドバイスで、六宮さん、南風さん、遥ちゃん、俺の4人の写真も送ることにした。
南風さんのお店の店内で写真を撮って同封した。
送ってから十日が経っていた。俺は悶々とした日々を送っていた。推しの所属会社から一向に返信はこない。
そもそもこういうものは一切返事が返ってこないかもしれない。
どうしようと悩んでいたら、一通の電話がかかってきた。
電話にでると、
「お世話になっております。 私、NGTHS株式会社の佐藤と申します。 こちらは有栖川様のご連絡先で間違いないでしょうか」
推しの所属会社からである。
なんと俺のあの手紙を受けて、推しにラーメンとチャーハンを食べさせてたいので、どうか作ってくれないかという依頼だった。
もちろんすぐにOKし、お忍びでお店に来てもらうということで話をした。
お店で食べることも出前することも南風さんには事前に許可とっているので、日時以外は決めることができた。
急いで南風さんと六宮さんに連絡を取る。
南風さんは太っ腹に、
「店に来るなら貸し切りにしていいぞ。 細かいことはお前は気にしなくていいから、作ることだけに集中しろ」
本当にこの人たちの優しさには頭が上がらない。俺は絶対に何らかの形で返すことを心に決めた。
そうして、お店を一時的に貸し切りにしてもらい推しにお店に来てもらうことにした。
予定の日、時間になると一台の車が店の駐車場に止まった。
そこから、スーツの女性と小柄でよく見たことのある女性、推しがでてきた。
二人が店に入ってくる。
店全体を張り詰める緊張感。
スーツ姿の女性がまず、挨拶した。
「私はNGTHS株式会社の社員で佐藤と申します。 小春川桜子が所属するグループのマネージャーをやっております」
小春川桜子、推しの名前だ。
推しは紹介に合わせてわずかに頭を下げただけで、静かに佇んでいる。
活動休止してから、久しぶりに見る彼女は少し瘦せているようだった。
会う前はあんなに、会った時の会話をどうしようと考えていたのに、彼女の表情や雰囲気を見て何もしゃべれなくなってしまった。
完全に動かなくなってしまった俺を見かねてか、六宮さんが推しに声を掛けた。
「おう、久しぶりだな。 覚えているか。 ラーメン六宮の元店主だ。 俺はお前さんが小さいことから良く店に来てくれてたこと覚えているよ。 おっきくなったな。 今日は俺が認めたアイツがうめぇラーメンとチャーハンを作ってくれるからたくさん食べてけ」
俺を親指で指しながら、そう言ってくれた。
そうだ、俺はこの日のために、推しのために頑張ってきたんだ。
俺も頭を下げ、厨房で料理を開始し始めた。
どんなに緊張していても、繰り返し繰り返し何度も反復したことが体に染みついているから、ちゃんと作れる。繰り返し練習してきて良かった。
あと六宮さんからのアドバイス、一番重要なこと、推しが笑顔になってくれるように想いを込めて。
自分ができる最高の料理ができた。推しの前に料理を届ける。
推しは小さい声でいただきますと呟いた後、ゆっくりと食べ始めた。
極少ない量をゆっくりと食べる推し。
口に含みしっかり味わうと推しの表情が変わった。
そこから段々と食べるスピードと量が変わっていた。
早食いではないが、熱心に早いペースで食べていく。
突然、推しの目から涙が、そうして、
「これ、私の大好きなだった六宮の味だあぁ」
子供が泣く時みたいにぶわっと溢れてきた涙。
「お父さんとお母さんと一緒に食べに行った時の味だ。 お父さんはこのスープが好きで、お母さんはこのチャーハンの味付けが好きだったの。 私は両方好きだったから、これを食べてみんなで笑顔になったの」
推しは店に入ってから、初めて俺の顔を見た。
その顔を見た時、俺は自身の気持ちが抑えきれず、想いをぶつけた。
俺が今までどんなに大変だった時も、推しの笑顔で癒され、パフォーマンスに勇気づけられ、苦しい時も推しも頑張っているからなんとか踏ん張れた。今日こんな風に料理を作れたのも、推しがいてくれたからできた。人生はクソだと思っていたけれど、あなたがいたおかげでこんなにも素敵な人生にすることができた。感謝しかない。大好きだ、この世界で一番大好きだ。この世に生まれてきてくれてありがとう。
どんなことがあっても俺の人生かけてずっと応援し続けます、頑張って!
勢いに任せてすべてを話してしまった。
推しは俺に対して何も告げず、しかし料理は全部食べてくれて、みんなに感謝して足早に帰っていった。
特に俺には顔を合わせず。
やってしまった。
推しが帰った後に一人で後悔する。なぜあんな重たい身勝手な意味不明な事を言ってしまったんだろう。後悔で自分をつぶしたくなる。
しかし、六宮さんたちからは
「よく言った! 格好良かったぞ!」
と励ましの言葉をもらった。
その日から、自分のせいで活動を辞めてしまったらどうしようと悩んでいた。
自分を制御できなかったことへ強い後悔が残る。
だが、その出来事から少しした後、推しがその年のクリスマスイベントで復帰することが決まった。
悩んでいたことなんて忘れてただただ喜んで、チケットを予約できる日を待った。
***
24日は年末で忙しいがなんとか有給をもらって準備を整え、俺は万全の態勢で25日を迎えた。
俺にとっては色々なことがあったが、無事、推しの復帰クリスマスイベントが開催された。
最初は若干のぎこちなさがあった推しもイベントが始まると前と同じ、いや今まで以上に元気に飛び跳ねステージを駆け回り、みんなを笑顔にした。
良かった、完全復活だ。
イベントは予定されていたものが順調に進んでいき、最後までみんな笑顔で今年一番盛り上がれた。
本当に最高だった。
俺は出せるだけの声援を送った。
……今まではこの日のためにあったんだなと思った。
開催後、推しは女性マネージャーの佐藤さんと南風さんの定食屋に来ている。
実はライブ前に佐藤さんから、また今日のライブ後に来ていいかと聞かれていて、南風さんにも許可をもらっていた。
ちなみにお店は貸し切りにしてもらっていて、六宮さんと南風さんと俺の三人で出迎えた。
遥ちゃんは大学にすでに入学しており、今日も予定があってどうしても出られないようだ。
俺は緊張しながらも、またチャーハンとラーメンを作ってだした。
美味しそうに食べている推し。
推しは美味しそうに周りを気にせず食べていて、マネージャーさんは六宮さんと南風さんと飲んでいる。
心の底から、こういうのっていいなと思ってしまった。
そんな風に俺がボケっとしている間に、推しは六宮さんと南風さんと話をしているようだった。
その後話が終わったのか、俺のいる厨房側に入ってきた。
「わぁ、厨房ってこういう風になっているんですね。 初めて見ました」
近寄ってくる推し。
ってあれ、なんか近くない?
「あの、私のためにラーメン六宮のラーメンとチャーハンをもう一度復活させてくれて本当にありがとうございました」
深々と頭を下げた。
「一年前、佐藤さんから有栖川さんから来た手紙をもらって、ここに食べに来て、本当に元気をもらいました。 あの日あなたから心からの応援をしてもらったおかげで、今日私は元気に復活することができました。 上手く言葉だけでは伝えきれないのですが、あなたの存在に私は支えられて生きています。 本当にありがとうございます!
私の人生の私の事をここまで本気で全力で想ってくれた人は他にいないと思います。 というか、私のためにお店屋さんで一年も修行ってどんだけですか。 仕事もあるのに無理し過ぎですよ。 私、知っているんですからね。 佐藤さんが個別で六宮さんと南風さんの所に行って有栖川さんの修行話を聞いて、私にも話してくれていたんですよ。
そんなところも全部含めてありがとうございました!」
そんなことがと色々驚きもしたが、そんなことはどうでもいい。
推しの元気で今日まで費やしてきた努力が今の瞬間すべて報われた気がする。
こちらこそありがとう。
俺の人生に意味を作ってくれてありがとう。
今日は人生の良き日だ。
心が満たされた。
本当にみんなに感謝している。ありがとう。
俺がその暖かい思いを胸にしまっている時、急に拗ねたような表情になった推しが、
「……ところで、あの写真に一緒に写っていた仲の良さそうな女の子って誰なんですか?」
……俺の心へとんでもない爆弾を落としたのである。
END
Thanks so much for your reading!
ここから、彼と推しと看板娘の三角関係が始まる。