9 執着
食後、別室でウェディングドレスの相談をしている姉娘とその婚約者を除いて、皆でお茶を飲んでいる時だった。
うんしょ、と2センチなのでマリジュには大きいがお気に入りの、赤い魚のコップを手に持ってマリジュが言った。
「コリンお兄ちゃんのお母さんも、マリジュの魔法で流しますか?」
「ええ!?マリジュちゃん、母上も魔力がたまっているのかい?」
コリンが動揺して席を立つが、マリジュはふるふると首を振った。
ハッとして夫人が顔色をかえた。
「まさか、マリジュちゃんーーわかるの?」
真剣な顔でコクンと頷くマリジュは、かわいさ以外何もないほど可愛い。
「ーーたまっていますね?」
「ーーわかってしまうのね…。そうなのよ、苦しくて…」
夫人とマリジュが見つめあう。
「マリジュにおまかせです。すっきり、さわやかになりますよ」
「すっきり、さわやか、なんて素敵な言葉かしら。でも、また痛みでマリジュちゃんを危険な目にあわせられないわ」
「お姉ちゃんは1年もの、お母さんは10日くらい?だから、痛みもなくスルスル~とです」
「スルスル~、さらに素敵な言葉が…。食事療法も体操もしたのよ。でも、効果がなくて」
夫人の瞳が爛々と輝く。
「マリジュちゃん、お願いできるかしら?」
マリジュも目をキラリと光らせた。
「うふっ、一族でも一番の流し手のマリジュです。い~っぱい、どっさりです」
「どっさり…っ!」
夫人が歓喜に身をふるわせる。
主語がないにも関わらず成り立つ母親とマリジュの会話にコリンが首をかしげる。
「母上、何がいっぱいどっさりなのですか?」
勘のいいハランドと頭のいい副官はわかっているらしく、バカものめが、とあわれみの目をコリンに向けている。
夫人は微笑んでコリンの前に立った。
その目は笑みの形に細められているが、浮かぶ色は冷たい。
「コリンちゃん」
バシンと直撃した扇子に、コリンは頭を押さえてうずくまった。
「あなたは大事な息子ですが、デリカシーにかけているところがあります。直さないと女性にモテませんよ」
バシンと扇子ではたかれているコリンを横目に、ハランドがマリジュに言った。
「王都へ行けば嫌でも耳にすることになると思うから先に言っておくが、俺は一部の人間に死神と呼ばれている」
「では、マリジュは死神の奥さんですね」
「のんきだな、死神だぞ?」
「え~、くら~い謂れとか因縁とかあるんですか?」
ハランドの造形の極みのような唇が笑いの形に吊り上がる。
「ハハハッ、因縁ときたか!確かにそうとも言えるが、死神と聞いて怖くないのか?」
「マリジュは自分で見て聞いて感じて考えて、必要なら他の人からの助けやアドバイスをもらって、自分で判断します。だんな様は怖くないです。とってもやさしいです」
「マリジュ、本当に百歳じゃないのか?賢者のような思慮深さだぞ」
前世の知識と人生経験で底上げしているだけです、とはマリジュは言わなかった。かわりに愛らしさの権化のような笑顔をハランドに向けた。
「秘密は女性を美しくするのです」
ジャーンと背景音がつくようなポーズをとって、マリジュはない胸をはる。
「俺の掌より小さいくせに秘密とは、生意気な口だな。いずれ暴いてやるが、今は聞け。社交界では有名な話だから他人の口から聞くより、俺が直接に話した方がいいだろうから」
その頃のハランドは死にかけていた。
膨大すぎる魔力に、幼いハランドの肉体が耐えきれなかったのだ。
ハランドには3人の年の離れた兄がいて、家督をめぐり争っていた。明日にも死にそうなハランドを枠外として、3人はお互いに血で血を洗う争いをしていたのだ。
そして、誰かが禁忌の狂乱魔法を使った。
誰かはわからない。3人の兄も母親も使用人も、屋敷にいた全ての者がお互いを笑いながら叫びながら殺しあったから、ハランド以外の全ての人間が。
ハランドは禁忌魔法に自分の全魔力をぶつけ、結果として魔力を制御する術を獲得して生き残った。
しかし、血でまみれた屋敷での唯一の生存者である幼いハランドのことを、死神と呼んで恐れる者も多かった。
むせるような血の中を無傷でハランドが生き残ったゆえに。
「だったら、マリジュも死神です」
マリジュは、無表情の抑揚のない声で言った。
「一族全てが死んだのに、生き残ったマリジュは死神ですよね?」
「それは違う。おまえは被害者だ」
「そうです。マリジュは被害者です。そして、だんな様も被害者です。死神ではありません。だんな様が悪いことなんて何ひとつありません」
きっぱりと言い切るマリジュに、一瞬ハランドは絶句して、それからゆっくりと笑った。
「おまえはやっぱり百歳だろう?」
幼いハランドが死神と言われ、残酷な世界を憎んだことを副官は知っている。
だが今、ハランドの心が救われたのを副官は見た。
マリジュを救うつもりでした結婚は、ハランドの方を救った。
目の底に光を湛えてマリジュを見ている上官が、生まれてはじめて執着した瞬間を副官は本能的にさとった。
「マリジュちゃん、もう逃げられませんよ」
口の中で副官はボソリと呟いた。
後日、夫人がうっとりとお茶会で語った解消法が、同じく便秘で悩む貴婦人たちの間で話題となり、社交界に君臨する名花たちによるマリジュの熱烈なファンクラブ一号が立ち上げられることになる。その後、「愛で隊」、「守り隊」、「踏まれ隊」など様々なファンクラブがマリジュをめぐって、百花が妍を競うがごとく王都にて咲き誇ることとなるのも、また後日のことであった。