2 マリジュの保護者
ハランドの収納魔法に入れっぱなしの花束はあったが、残念ながら針と糸は誰も持っていなかった。
そもそも高位貴族の集団に針と糸を求めることに無理があるのだ。
「隊長の収納魔法はバカ広い上に時間停止ですから、何でもポイポイ入れていたものが役立ちましたね」
「ああ、あの花束もどこかで貰ったものだろうが、癖で収納に入れたんだろうな」
豪華な花束で、色も姿も艶やかで多彩な大輪の花が溢れんばかりだ。
マリジュは、薄く柔らかな花びらが重なった美しい花を指差した。
「もらっていいですか?」
「全部使っていいんだぞ」
「この花だけで充分です。あと、隊長のきらきらの金の髪を2本ください」
マリジュが目指すのは柏餅パンツだ。
花びらの中央に足を通す穴を2ヶ所開けて、残りの部分でお尻とお腹をつつみ落ちないように髪の毛で腰ベルトのごとくぐるっと結ぶ。
服も花びらでつくった。
花びらの、これまた中央に穴を開けて頭を通す、それだけ。
花びらの貫胴衣であるが固定のため胸の下を髪の毛を使ってリボン結びでとめる。柔らかい花びらなので、長さは手でピリピリ破って調節した。
簡単であるが、はっきり言って雑でおおざっぱである。
普通ならば見られたものではないが、マリジュは6センチ。
小さすぎて粗の部分が目立たないのである。ふんわりと花びらがひらひら重なって可憐な花そのものだった。
しかもマリジュは、花束にあった2センチの花を帽子のように頭にのせたものだから。
「きゃわゆい!」
「花の妖精たん!」
「こっちむいて、マリジュたん!」
悶絶した部下たちが、ちょっとアヤシイ扉を開けそうになるくらい、マリジュは凶暴なまでに可愛いかった。
熱狂する部下たちを背景に、マリジュはテーブルの上に正座してハランドに向かって深々と頭を下げた。
「ありがとうございました。マリジュ、翁の木の家に帰ります」
「帰るのはいいが、まだ回復したばかりだ。送って行くぞ?」
「いいえ。マリジュの家族は一族ごと殺されました。翁の木は燃やされました。まきこみたくありません。一人で帰ります」
マリジュの言葉に天幕の中は一瞬で静まる。部下たちは凍りついたように動かない。
血まみれのマリジュを拾ったハランドだけが、驚くことなく柳眉をひそめた。
「やっぱりか。ちまいの、おまえには傷がないのに体中に血が染みこんでいた。ただ事ではないと思っていたが」
「エルフに殺されました。マリジュの一族は、世界樹の肥料として最上品なんだそうです」
マリジュは目に力をいれて唇を噛みしめる。マリジュは子供だが、前世の智恵と人生経験がある。だから耐えることをしっている。思い出すだけで涙が出そうでも、決壊しそうな心に前世が寄り添ってくれるから破裂寸前でもとどまれていた。
「何だと!?」
ハランドが唸った。
「相手はエルフなのですか!?」
副官がギリリッと歯ぎしりをする。
「罰当たりな!森の守り人だぞ!!」
部下たちにいたっては怒髪の形相で怒っている。
ハランドは瞬時に思考をめぐらす。
「駄目だな。マリジュの一族はロメーヌ王国の民ではない。森に暮らしていたことさえ昨日まで知られていなかった。殺害の現場に居合わせたならば、エルフどもをぶちのめせるが終わった後では何もできない。せめて国内のエルフならば捩じ込んで問題にできるが、世界樹を持つエルフの集落は隣国だ」
「密入国をして狩りをしたことに対して抗議できる程度ですね」
「いや、森を燃やしたことの方が重要だ。しかし俺の探知に昨日反応したのは弱いものだった。おそらくマリジュの言う翁の木を一本燃やしただけだろう。しかも証人がマリジュだけとなると」
「しらばっくれられて、お仕舞いですね。忌々しいエルフどもめが」
ハランドと副官の会話に我慢できず部下が割り込む。
「何とかできないのですか!?森の守り人ですよ!」
「ーー俺たちにできるのはマリジュの保護だけだ」
ハランドとて内心煮えたぎっている。しかし現実としては抗議するのが精々なのだ。
「でもね、おしゃべりってできるのですよ」
副官は悪辣な微笑をうかべた。彼の異名は微笑みの貴公子である。
「噂って無責任で質が悪いですからねぇ。証拠がなくても証人がいなくても平気で広がるのですよ。ましてや森の守り人の族滅。周辺国どころか大陸中に広がるでしょうねぇ」
「さすが副官殿。腹黒さは天下一ですね」
「そうですね。ここだけの話って夜会でヒソヒソ話すことなんてよくありますもんね。ちょっと情報部の友人と立ち話をすることも」
「ただでさえ隣国のエルフは悪評が高いのに、さらに森の守り人の族滅が加わればどうなることやら、ぐふふふ」
「くれぐれも噂の出所は確定されないようにするのですよ」
清廉潔白な好青年のように副官は穏やかに微笑んだ。
「では、マリジュは俺たちが保護する」
「異議なし!!」
「食後、翁の木の様子を確認の後、王都に帰還する」
「異議なし!!」
ハランドの決定に部下たちは嬉しげに返事をする。
こうしてマリジュが一言もはさむ余地なく今後が決まった。
「でも、でも、迷惑を…」
「ちまいの、6センチの分際でどこに迷惑をかけれる大きさがある?だいたい俺が拾ったのだから、もう俺のものなんだよ、マリジュは」
「でも、あの、ワイバーンは…」
「討伐済みだ」
「でも、あの…」
「マリジュ、まず食事だ。腹が減っていると思考もマイナスになりやすい。まず腹いっぱい食え。おまえは子供だ。食って寝て俺に甘えろ。俺には財力も権力もある、甘えるにはもってこいだぞ」
そっと人指しを差し出され、マリジュはその指にすがりついてとうとう泣き出した。
家族を殺された。
凍死しかけた。
光りのない夜の道を一人で走った。真っ暗で、聞こえるのは一族の悲鳴と翁の木が燃えてはぜる音、エルフの哄笑。
こわかった。
こわかった。
こわかった。
悲しくて悔しくて、やさしい毎日が一瞬で壊された絶望に魂が削られるような慟哭を上げても、一切光りの差さない暗黒色の夜が吸い食んで消しさった。
ハランドの指先にすがるマリジュは、小さな花が咲いているかのようだった。
それは指先に灯る、夜空からこぼれ落ちた儚い星屑のような小さな明かりに見えた。