18 地上の星星
妖精の女王のような佇まいでラピスはくすくす笑った。
「うふふ、ハランドちゃんたら、おなか真っ黒黒ね~」
「ハランドちゃん……!?」
苦い顔をしてハランドが絶句する。ちゃん付けで呼ばれたのは人生で初めてだった。
「もうバルヌは陥落しているし、うふ、マリジュの結婚を祝福するわ。両思いのハランドちゃんとマリジュを引き裂く悪女になりたくないものね」
ものすごく渋いお茶を飲んだような顔をしているハランドに、ラピスは楽しそうにいじめっ子の顔で声をたてて笑う。
「ハランドちゃん、これからは親戚としてよろしくね」
「妻がすまぬな」
誠実に謝罪するバルヌは、最愛の妻がハランドを認めたことにより、態度も口調も気さくな物言いになったが、目には哀れみの色があった。バルヌの弟たちも、ちゃん付けで呼ばれ咆哮する獅子のごとく怒り狂ったがラピスの方が強かった。鬼人の国は強さが正義だ。
「マリジュちゃんを貴殿の手元においたまま、名前だけを我らの養女にしようと思うが? さすれば、マリジュちゃんには鬼人の国が後見となる、当家は王族と将軍の地位を持つゆえ」
「ありがたいお話ですが?」
ハランドが探るように双眸を眇める。
「なに、小さくなる魔法と魂結びの魔法に比べれば、後見など代価にもならぬ安いものだ。マリジュちゃんのためならば十万の兵士が、それも鬼人の兵士が怒濤のごとく押しよせてくるとなれば、手を出そうとする者も考えなおすだろうからの」
十万、マリジュが冬の吐息のように小さく呟いた。
「十万、いや百万の兵士だとて惜しくない。ラピスは高い魔力ゆえに老化は遅いが、寿命は森の守り人のままだからの。あと十年生きられるかどうか……。魂結びができれば、寿命を合わすことができるのならば、ラピスと数百年ともに生きることができるからの」
この世の贅の結晶のような綺羅綺羅しい謁見の間の中央には、金で縁取りされた天鵞絨の赤絨毯が真っ直ぐに敷かれていた。
その上には、マリジュを頭に乗せた人間サイズにもどったハランドの姿があった。横にはラピスを手に乗せたバルヌが並んでいる。
真紅の絨毯の終点に設けられた王座からは国王が立ち上がり、周囲の王族や重臣たちは片腕を胸に当て、整列する騎士たちは剣を掲げ、歓迎の意を表していた。
「ごきげんよう、ロメーヌの王よ」
花が綻ぶような微笑を刻み、ラピスは大国の国王に対して女神のごとく威厳のある態度を取った。国王もラピスを恭しく迎えた。
「ようこそロメーヌ王国へ。歓迎致します」
水のガゼボの話し合いの後、ラピスはロメーヌ王国に恩を高く売ることにした。
マリジュはリコナの花を毎日一万本も咲かせているが、それでも全ての者が薬を手にするまでに数十日はかかるだろう。病気の進行を遅らせる樹液薬があるといっても、子どもの体力と生命力には限界がある。
薬を渡す順番ーーすなわち命の優劣を王たちは決断しなければならなかった。
王たちは、この病気の発生元である国に薬を求めたが、驚くほどの法外な対価を要求されていた。しかも用意できるのは数百人分だという。
今ではマリジュによって一日に千人分の薬がつくることが可能なロメーヌ王国にとっては、さほど魅力のある話ではなかったが、より多くの子どもたちのためには、と思っていたところへラピスが。
「鬼人の国から必要なだけの薬をお贈りしてもよろしくてよ」
と。
「代価はいらなくてよ。そのかわりマリジュを大切にすると誓約を」
と。
ロメーヌ王国に否やはない。
もとからマリジュの献身に、王に次ぐ待遇を約束するつもりであったのだから。
「鬼人の国は力がすべての国でしょう? ありあまる体力と腕力と魔力で大抵のことは何とかなってしまいますし、だから、備えというものをあまりしなかった国ですの」
ラピスはふぅと優雅にため息をつく。
「ロメーヌ王国同様、困ったことになった過去もあって……。私、無限収納に常に最低十万人分の各種の薬やら食糧やら色々の備蓄を備えるようになりましたの。リコナの花の薬も十万人分以上入っておりますのよ」
「おお! おお!」
もう国王は言葉にならないほど大興奮である。
重臣や騎士たちの中には、安堵と感激のあまり耐えきれず泣いている者もいた。
「念のためリコナの花の薬の鑑定をして下さいな。間違いがあったら困りますからね」
ラピスの言葉に、体の底から沸き起こる喜悦を抑えつつ医師長と薬師長が進み出る。
二人は薬を受けとり、
「間違いなくリコナの花の薬です」
と力強く宣言すると、とうとう涙を溢れさせた。
「陛下、薬ですっ!」
「これで、これで、子どもたち全員に薬を飲ませることがっ!」
嵐のような喜びの歓声が謁見の間を埋め尽くした。それは割れるような大喝采でもあった。
人々の熱い視線と熱意に包まれ、ラピスは収納からドンドン薬を出すが、出しても出しても薬は終わることはない。本当に数万人分の薬が収納から出てきた。
「心からの感謝を!!」
誰もが胸に手を当て跪き、顔を輝かせ薬を無上のものと頭を下げて受けとっていく。明日、王宮の前の広場にて配るために大事に大事に抱きかかえる。
「王都中に伝令を走らせろ」
「明日の日の出とともに、リコナの花の薬を民たちに配るぞ」
「混乱は必至だろうから兵士と騎士と役人の数を惜しみなく。それから列の工夫とーー」
手配をする国王も重臣たちも、喜びの光を目に灯して高揚のままに夜を徹して準備を進める。
その中でマリジュは、王の前だからとお澄ましをしていたが、子どもの体は真夜中をすぎると眠くて眠くてしかたがなかった。ついにはグラリと体が揺れて、ハランドの頭の上からコロコロコロコロと落ちてしまった。
自由はあるが、必ず体の一部がハランドの体に魔法でくっつくようになっているマリジュは、頭から肩へ、そして腕へとコロコロコロコロと落ちていきハランドの手のひらに、てん、と入って止まった。
「ぴー、みんないそがち、てんてこ。マリジュもてんてこコロコロ……」
眠くて舌っ足らずになって、ハランドの手のひらの中で小鳥のように丸くなろうともぞもぞ動く。
「ああ、眠っていいぞ。今日も頑張ってくれてリコナの花をいっぱい咲かせてくれてありがとうな」
ハランドの言葉に、ほにゃあ、と笑ってマリジュは眠りについた。
「ああん、マリジュったら可愛い!」
ラピスにつられて第二王子も鼻息荒く、
「最高ですねっ!」
と、ロリコンでよかったという顔で頷く。第二王子は性癖をオープンにしているが、見て愛でて貢ぐだけなので人々から許容されていた。
「可愛いマリジュちゃんに癒しも貰いましたし、大人は朝まで忙しく働きましょうか、王都の可愛い子どもたちのために」
「伝令! 伝令!」
夜の王都を複数の足音が、声を張り上げ走り続ける。
「日の出とともにリコナの花の薬が配布される! 繰り返す、日の出とともにーー」
次々と家々の灯りがついていく。
「あなた、聞こえましたか!?」
「聞こえたとも! こうしちゃおれん、服だっ! コートもっ!」
静かだった夜は一気に目覚めた。
どの家も灯火を急いで灯し慌ただしい。
「薬よ……っ! 薬がもらえるのよ……っ!」
我が子の手を握り母親が泣く。
「俺は広場に並びにいってくるっ!」
父親はコートを羽織り飛び出していく。
バタン!
バタン!
どの家も扉が開き、衣服をひっかけるように着た人々が走り、駆ける。
「あははっ! 薬だっ!!」
「やったっ! やったぞ! 俺の息子が助かるぞ!!」
「娘にっ! 俺の娘に薬を飲ませることができるんだっ!!」
半分笑い半分泣きながら人々が走る。冬の風が冷たい。しかし身を切るような痛みは、寒さではなく歓喜だった。
夜なのに、夜ではなかった。
家々には煌々とした灯りが、王都を走る人々の手にはキラキラと輝く魔法灯が。
それはまるで地上に降りた、まぶしいくらいの星星のようであった。