16 地上の虹
ロメーヌ王国の王都の大通りは花で埋め尽くされていた。
冬だというのに花の洪水のように、赤の橙の黄の緑の青の藍の紫の様々な花が広い道に敷き詰められている。
まるで地上の虹のような花花の上を、第二王子を先頭とした騎馬の集団が静かに行進する。その中央にはマリジュを頭にのせたハランドがいた。
道の両脇にいる人々も、周囲の建物の二階以上から前のめりに身をのり出す人々も、顔面を興奮と感謝に赤く火照らせながらも決して口を開かない。静かに頭を下げたり手を合わせたりして拝んでいる。
ハランドの頭の上にいるマリジュが、ぐったりと力をなくし眠っているからだ。
マリジュのいとけない寝顔には疲労の色があり、もれる小さな寝息も重なる疲れに弱々しかった。
ハランドの魔力糸で繋がっているマリジュは、ハランドの無限の魔力で強化されて、1日に1千本どころか1万本ものリコナの花を咲かせていた。
しかし、それはたった6センチしかないマリジュにとって、日の出から日の入りまで休みなく働き続けなければ為し遂げることのできない本数だった。
マリジュ自身が1本でも多くのリコナの花を咲かせたいと願い。
王国の人々も1本でも多くのリコナの花を欲していたが。
生まれて4年しか生きていない子どものマリジュには酷な日々であった。
1日中声を出し続けた声枯れの炎症はハランドの魔法で回復するが、体力を回復させる魔法はない。
日が暮れて西の空にかすかに赤さが燃え残っている黄昏時になると、マリジュはもう動くこともできず疲労に小さな体を震わせて地面にうずくまる。そしてハランドによって、そっと頭の上に乗せられると安心してコロンと子猫のように丸くなって眠ってしまう毎日だった。
そんなマリジュを見守るハランドの内心は嵐のように荒れ狂っていたが、花の王のように完璧に美しい顔の構造をピクリとも動かすことはなかった。
家族も一族もうしなったマリジュにとってリコナの花を咲かせることは、ある意味その心の支えとなっていることを理解していたからだ。
そうしてバルト街道から王宮へと帰る一行の前には、王都の人々によって花の道がつくられることになった。
誰かが感謝の念をこめて一輪の花を置き、我も我もと人々が続き、花の少ない冬の時季だというのに富める者も貧しき者も捧げるように花を持ちより、その色彩の美しさは地上の虹のごときであった。
一行が通過後の場所から次々に、声を取り戻したカナリアのように人々がざわざわと喋り出す。
「ありがたや、ありがたや。森の守り人様のありがたい世界樹の樹液薬のおかげで、息子が久し振りに笑顔をみせてくれてねぇ」
「ああ、うちもだよ。もう食べることもできなくなっていた娘が、口を開けて粥を食べてくれて……、うれしくてうれしくて」
「バルト街道には一面にリコナの花が咲いているって」
「もうじき樹液薬に続いてリコナの花の薬も配ってもらえるらしいよ」
「本当に夢みたいだよ、うちの息子が助かるんだ……」
「俺の、俺の大事な娘も……」
「もう、もうダメだと思って、でも諦められなくて……。俺のたったひとりの息子なんだよ、やっと授かった大切な息子なんだよ、俺は、この恩を生涯忘れないよ」
王都の人々に樹液薬が配われるようになって、すでに6日がたっていた。
ロメーヌ王国は戸籍管理が厳重に厳しく、国民全員が身分証明書を所持していた。他国民ならば関所で一時滞在証明書を。
それを見せることによって毎日薬が王宮前の広場にて本人もしくは代表者に分け与えられ、途切れることのない行列が日夜つくられていた。
そして薬を横領したり私利私欲をはかろうとする者には、王命により厳罰を処せられていたが、犯罪者はほとんど出ていなかった。
数十万人もの人々が暮らす王都ゆえに多少の混乱や騒動はあったが、騎士と兵士によって治安は保たれ、何よりマリジュという目に見える希望により人々の意識が高く維持されていたからだ。
そう、マリジュは人々にとって救いの象徴だった。
だから第二王子は虹のような花の道を毎日行進した。
移動面を考えればバルト街道筋にある貴族の屋敷を接収する方が負担が少ない。
しかし人心掌握という面では、マリジュを見せびらかすように王宮に帰る方が民心の安定が圧倒的に高くなる。
自分の行為にヘドが出るが、第二王子は王族でありマリジュを利用してでも民と王国を守る立場にあらねばならないことを自覚していた。
何よりマリジュ自身が見せ物になる必要をわかっていた。
緊迫した状態を脱したが、小さなきっかけがあれば民衆が暴発する可能性があることも、他国の介入により騒乱が発生してしまう危険性も残っていることも、マリジュは前世の知識と経験により知っていたからだ。
「マリジュを見ることによって皆が安心するならば、マリジュを利用していいんです。危ない燻る火種なんてナイナイのポイなのです」
目元をふにゃりと崩してにっこりするマリジュに、不覚にも泣きそうになった第二王子はマリジュがせめて不自由なく過ごせるようにと思ったが。
食事は王宮料理人が、
「申し訳ありません! 森の守り人様にパンくずをメインにした食事しかご用意できなくて~!」
と号泣するし。
靴は靴職人がぴったり足にあった靴をつくることができなくて、
「申し訳ありません! 森の守り人様に脱げるような靴をおつくりして~!」
と号泣するし。
服は服職人が、
「申し訳ありません! 簡素な服しかおつくりできなくて! 人間サイズのボタンひとつでも森の守り人様には重すぎるのです、必ずや森の守り人様にふさわしい服をおつくりいたしますので!」
と泣きながら燃えるし。
第二王子はため息をつきたくなったが、いやいやと首を振って王都一番の木工職人を思い出す。
1センチ前後の食器やカトラリーを多数つくってくれて、王宮料理人が感涙にむせび、
「今夜こそ!!」
と張り切っていたが、ちらりと後方のくーくー眠るマリジュに視線を流し再び首をふる。
「もっと感謝をあらわすものがよいなーーそうだ、例えば黄金の等身大マリジュちゃん人形はどうか? 偉人を彫像にして讃えることは多々あることだし、等身大マリジュちゃん人形、うむ、すばらしい。私のためにもヘソ天の黄金人形とおすわりポーズ、それから……」
第二王子の周囲にいる部下たちは、欲望と願望に向かってナナメに暴走し出した上官を止める役目を無言のまま目力だけで押しつけあう。ガン、ガン、ガンと視線が飛び交う中を第二王子は、自分の美しい声で綴るひとり言に目元を緩ませた。
「黄金、銀、水晶、翡翠、珊瑚、もちろんビスクドールタイプは必須だ。ああ、その前にマリジュちゃん本人のための人形とかぬいぐるみも作らせないと。ふわふわの熊や兎のぬいぐるみを抱くマリジュちゃん、ああ尊い、きゃわゆい、想像しただけでキュウゥンとくるな」
殿下、どこにキュウゥンとくるのですか!? 部下たちは心の中で一致団結して叫ぶが声には出さなかった。ハランドが後方から瞳孔を全開の目で王子を見据えていたからだ。
滲み出る氷点下の冷気を纏い芸術品のごとく美しく冷酷に笑うハランドに、部下たちはぶるぶる震えていたが、
スッコーン、
と軽~い音をたてて第二王子の額に木の実が投げつけられ、すぐさまハランドに対して守りの陣を取った。今の彼らにとって最優先の護衛対象はマリジュであり、王族である第二王子ですらマリジュの盾にすぎない。
さらに大通りの両脇に並ぶ民衆からも、この事態に逃げるのではなく、肉盾になるべく多くの者がハランドたちを決死の覚悟で取り囲んだ。建物からも、男も女も我先に飛び出し駆けつける。
「俺の息子の命が森の守り人様にかかっているんだっ!」
「あたしの娘の命もよっ!」
「森の守り人様に傷ひとつ許さねぇぞ!」
武器も持たない素手であるのに牙を剥いた獣の形相でマリジュを守ろうとする人々は、まさにマリジュを守ることによって我が子を守ろうとする、雛を命をかけて保護する親鳥そのものであった。
「うふふ、合格よ、クルーガー公爵」
マリジュを守ろうとした民衆でも騎士でもなく、王子に木の実があたった瞬間に鉄壁の結界を張りめぐらせたハランドの上に、甘く魅力する声がおちる。
空中には大きな人の姿があった。
体全体が鎧のようにぶ厚く逞しく、口の端から覗く牙と頭から生える角が鋭い、神話の悪神のような凶悪な眼光の鬼人の男がいた。
その手に10センチほどの人をのせ、禍々しいほどの力をたたきつける絶対の強者の気を滲ませる男だった。
鬼人の手に乗る10センチの女性ーー森の守り人の美女は謝罪を装った甘い声で蠱惑的に微笑んだ。
「ごめんなさいね。注意をひいて反応を見てみたかったの、私の可愛いマリジュの夫が夫としてふさわしいか、を」
カルガモを読んで下さった皆様へ
本文の下に、雛ちゃんの日向ぼっこ石の〈ちょこっと〉を追記しました。
もしお時間のあるときにでも読んでいただけると嬉しいです。