15 リコナの花
「ぴぇ……」
マリジュは冬の小鳥のように震えて、太陽のようなハランドの髪に隠れた。
前世でも今世でもマリジュは、人から傅かれたり跪かれたりしたことはなかった。
前世では身の丈にあった善良さで、平凡万歳となんでもない日常をありがたく思って生きていた。
今世では、マリジュは生まれてたったの4年しか生きていない。
大国の王冠を戴く威風堂々とした国王に膝を折られるなどキャパオーバーであった。
「だんな様~」
美しい髪にしがみついてハランドを頼るマリジュ。
「陛下、お立ち下さい。マリジュが怯えています。それに時間がありません、まずリコナの花についての話し合いを」
ハランドの言葉に国王が立ち上がり、それから身分順に周囲の者が立ち上がった。
ハランドはさっと辺りを見回し、
「医師長、薬師長、どうぞこちらに。これを鑑定してみて下さい」
と収納から30センチほどのガラス瓶を取り出し二人に渡した。
「せっ、世界樹の樹液!?」
サーッと顔色をなくす医師長と興奮に真っ赤になっている薬師長。
両者ともに世界樹の樹液が、どれほど稀少で貴重なものであるか知っていた。大金があっても買えるわけではないものなのだ。
「マリジュの持ち物なのですが、今回の病気に役に立つからとマリジュが100個提供してくれました」
「あ、あの、それは樹液を月光によって下処理したもので、それでいつもは万能薬を作るもとになるものなのですが、万能薬は作るのに22日かかってしまいます。それでは子どもたちは手遅れになってしまうので、今はそれを綺麗な水で1000倍に薄めて使って下さい」
マリジュはハランドの髪に半分隠れながら一生懸命に話す。
「病気にかかっていない人には予防薬となり、病気にかかっている人には、病気の進行を遅らせる効果があります。毎日コップ一杯飲んで下さい」
「ひゃ、ひゃく……」
「びょ、病気の予防薬……」
「し、進行を遅らせることができる……」
「医師長、薬師長、樹液をお任せしてよろしいですか?」
驚愕と歓喜に震える二人に、ハランドが次々に樹液を取り出し渡す。
「うわぁぁぁ、そんな無造作に! 貴重な貴重な樹液ですぞ!」
「これ、おまえたち! 早くクルーガー公爵閣下から樹液をいただくのだ! くれぐれもくれぐれも丁寧に!!」
医師長と薬師長が自分の部下たちに半狂乱になって指示を飛ばす。
「そこの騎士殿! 護衛をっ! 1個で金貨1万枚をだしても買えない品ですぞ!」
「これで子どもたちの命を繋げることができるのですぞ! 注意して注意して慎重に薬室まで運ぶのですっ!」
その様子を周囲の人々は喜色満面でソワソワと見ていた。
「薬だ……! 薬だ……!」
「子どもが助かる……!?」
ザワザワと嵐の前の波ように声が広がる。
「子どもが助かるのだっ!」
そのざわめきの中をハランドと第二王子が動き出す。
「陛下。今日は時間もないので、とりあえず騎士の鍛錬場でリコナの花を咲かせようと思います。あそこならば植物は必要ない場所ですので。よろしいでしょうか?」
「おお、それはよい案じゃ、ハランドよ」
国王の言葉とともに庭師たちが走り出す。
「父上、伝令鳥でお願いした候補地は?」
「バルト街道はどうじゃ?」
「もう手配もしてあります、第二王子殿下」
口を添える宰相の視線の先には、ハランドの頭の上にいるマリジュがいた。
宰相の目に映るマリジュはとても小さい。
頼りなく弱々しいと言っても過言ではない。
なのに数万人の命が、たった6センチの上にのしかかっている。
ロメーヌ王国中で探し求めたとしても入手できないであろう世界樹の樹液を100個も提供してくれ、顔も名前も知らぬ他人のために花まで咲かせてくれようとしているーー孫の命も救われる可能性がでてきたのだ。
誰にも知らせず誰にも言わぬが。宰相は、この小さな森の守り人のためならば、毒杯にも葡萄の美酒にもなろうとひっそりと己れの心に誓いを課した。
騎士の鍛錬場に着くと、すでに3分の1ほどの面積でリコナの種が植え終わっていた。
「だんな様、降ろして下さい」
マリジュは大きく深呼吸をすると人々の前に出る覚悟を決めた。
鍛錬場のまわりには、幾重にも重なるように人々がつめかけ取り囲んでいた。
マリジュはちまちま歩くと地面に両手をつけた。リコナの種を植えた場所だ。
人々の視線が熱湯をかぶったようにヒリヒリ痛い。
「おーきくなぁれー」
地面がもごもご口を動かすようにわずかに動き、ポコンと緑色の楕円形の芽が出る。ポコン、ポコン、とお互い違いの葉が動くように伸び、みるみる細い茎が成長していく。
「わあぁあああっ!!!」
天へと届くような凄まじい大歓声が鳴り響いた。
「おーきくなぁれー」
ポコン。
「おーきくなぁれー」
ポコン。
「おーきくなぁれー」
ポコン。
てちてち歩いてマリジュは次々とリコナを発芽させていく。
そんなマリジュを見つめながらハランドは美しい顔をくもらせた。
「マリジュの疲労が心配です。大きさを考えて、我々の数百メートルはマリジュにとって数キロかヘタをすると数十キロではないか、と」
「ああ、マリジュちゃんはちっちゃいあんよだからな」
マリジュ可愛さに、ゆるゆると緩みそうな口元を引き締め第二王子は軽く首を振る。
「自分が歯痒いよ。家族をうしなったばかりのマリジュちゃんに頼るだけで……。マリジュちゃんはあんなにも小さいのに……」
「うむ、辛い境遇なのに我らのために……」
ハランドからマリジュの一族の報告を聞いた国王と重臣たちは、喜びに浮上する気持ちをグッとおさえた。マリジュのことを思えば、手放しに浮かれ騒げるものではなかった。
そっと目元を拭っている者も多い。
「……マリジュを心配しなくても大丈夫なのです」
青々と成長するリコナの間からぴょこりとマリジュが顔を出す。リコナは蕾をつけそろそろ花を咲かす寸前だ。
「マリジュは嬉しいのです。一族がつくった世界樹の樹液が、この王国の子どもたちを助けるということは、死んだ一族の命が子どもたちの命に繋がるように思えて……」
マリジュは手をぴこぴこ動かして言葉を続ける。
「それに、それに、マリジュがリコナの花を咲かせるということは、マリジュを庇って死んだ家族の命が無駄ではなく価値があるものとして、そしてリコナの花によって子どもたちに家族の命が継いで続くように思えて……。だから、だから、マリジュはがんばってリコナの花をたくさんたくさん咲かせたいのです」
マリジュの優しく健気な心にハランドたちは言葉につまった。
その時、最初のリコナの花が咲いた。