14 王都
ロメーヌ王国は大陸有数の強国である。
王による平和で安定した統治、豊饒そのものの広大な国土、突出した経済力と軍事力は他国の追随を許さない。
しかし今、栄光の都と称えられる王都は暗く澱んだ空気に支配されていた。
多くの子どもが、氷解することのない死の天秤にのるような病に苦しめられていたのだ。第二王子が王都を出発した時に数千人だった患者も、今では数万人となっていた。
富める家も貧しき家も。
命の蝋燭がか細く消えかけようとしている我が子の姿に、親たちは臓腑が抉られるような苦しみと悲しみに打ちひしがれ、開くことのない薬師の扉を1日に何度も訪れては落胆し身を切られる思いをしていた。
「リコナの花さえあれば……っ!」
リコナの花以外の薬の材料はあるのだ。リコナの花さえあれば我が子は助かるのに……。
母親たちは我が子の枕元で涙を流し、父親たちは何もできず我が子に死が近づいていく様を見ているだけの無力に嘆き、医師や薬師たちは何とかできないものかと昼夜を問わず働き続けた。
それは王城でも同じこと。まるで、天に見離された光のない暗窟にいるようだった。
国王は苦渋に顔をしかめ痛々しいほどだ。重臣たちの沈んだ顔も苦悩に強張っている。
誰もが恐怖に近い表情を浮かべていた。皆、屋敷に生死をさ迷う我が子をおいて、国のため民のために王のもとに集まってきているのだ。今この瞬間にも我が子の訃報が届くかもしれないことを覚悟して。
「リコナの花さえあれば……っ!」
我が子も数万人もの病の床にいる子どもたちも助かるのに……。
王も重臣たちも血を吐かんばかりの悲痛な日々に、絶望という言葉が背後からヒタヒタ迫る足音をきいていた。
我が子を救うことはできない。
子どもたちを救えない。
直視するには酷く厳しすぎる凄惨な現実であった。
ーーしかし。
「陛下っ!!」
竜騎士を束ねる、いかにも意志の強そうな隙のない眼光をした将軍が、信じられないことに泣きそうな表情で王の執務室へと駆け込んできたのだ。
「第二王子殿下より吉報がっ! 伝令鳥が届きましたっ!!」
伝令鳥は魔力でつくられた鳥で、いわば魔法による電報である。
「森のっ! 森の守り人が力を貸して下さる、と! 伝令鳥には1日に千以上のリコナの花を咲かせることが可能だと!!」
王も重臣たちも息を呑んだ。見張った目に喜色と興奮が浮かぶ。
「まことか!? まことに森の守り人がお力を!?」
「伝説の森の守り人は実在であったのか!!」
「花がっ! 咲くのか!? 薬がつくれるのか!?」
死者が息をふきかえし生者になったような喧騒である。
「子が助かるのか!?」
「はいっ! はいっ! 子どもたちを救うことができるのですっ! ただ伝令鳥は、そのためにリコナの花が咲いた大地は100年間不毛になると……!」
「かまわぬ! 100年の不毛より子どもたちの命だ!」
即決する王に、宰相が目を鷹のように鋭く光らせて冷静に言葉を続ける。
「不毛になるというならば土地を選べばよいのです。植物の必要のない土地、草が生えぬ方がよい土地を」
「そうよな、宰相。候補はあるか?」
判断力に優れ国土を把握している宰相は、数秒間考えて王に進言した。
「陛下、西側のバルト街道はいかがでしょうか? 交通量が増えたので石畳を敷く計画のある道です。毎年、草の繁殖や根により石畳がずれたり段差がわずかにできたりして整備に費用がかかっておりますが、草が生えぬ不毛ならば好都合というものです」
「将軍、伝令鳥には他に何が書いてあったのじゃ?」
王の声には喜びの高揚感で溢れている。
「庭師の手配を、と。森の守り人はお小さいゆえに、種を植えリコナを育てていては負担が大きい、と。種の方は人間の手で植えてほしいとのことでした」
「その際の注意はあるかの?」
「種と種との間隔は大地の力を奪って育てるため、50センチ以上ほしいとのことでした。後は普通でよい、と。それと種を植えた場所に印などは不要とのことです、森の守り人は種の場所がわかるのだと」
「うむ、うむ」
王が手を動かすと側近が静かに素早く姿を消した。
将軍の報告を一心に聞いている重臣たちも山ほど質問したくて、うずうずとじっとしていられない様子で首をのばして機会を待っている。
「して、森の守り人殿はいつ頃に到着するのじゃ?」
そわそわと王は今にも腰を上げんばかりだ。
その時、遠くから飛竜の鳴き声が響いた。
王が王座から立ちあがる。
控えている騎士たちが重い扉を音もなく開けた。将軍が先導し王と重臣たちが廊下を進むが、その足は次第に早くなり、とうとう飛竜の発着場所に向かって走り出した。
発着場所には、第二王子と竜騎士たちが誇らしげに立っていた。
「父上! リコナの花が咲きます、たった1時間でリコナの花が!」
歓喜の雄叫びのような声があがった。
その歓声の中をハランドが前に進み出る。当然頭の上にはマリジュがいた。
「陛下、妻のマリジュです」
恐ろしいほどの真剣な目がマリジュに集中する。
ちいさなちいさな6センチのマリジュに。
怯えかけたマリジュにハランドが指を伸ばす。マリジュはハランドの指先をぎゅっと握って立ちあがって礼をした。
「妻のマリジュです。リコナの花を咲かせます。どこに咲かせればいいですか?」
感激の涙声が噴き出す。
王も重臣たちも騎士たちも使用人たちも周囲にいる全ての人々が、泣き笑いの顔でむせびそうになりながら、伝説の森の守り人に敬意をこめて膝を折った。