11 推し!
天の簪のように煌めく無数の星星が、夜明けの女神のヴェールに隠され、赤いガーベラの炎のような太陽が東の端から昇った眩しい白みを含んだ冬の朝。
マリジュは鏡にうつった菫のように小さい自分を見ていた。
マリジュの、白木蓮のように純白という純粋な白の極みゆえに翳りのある、神秘的とすらいえる白い肌。
可憐に清楚に淡く桜色に染まるまろやかな頬。
ほのかな紅色の瑞々しい花桃の小さな唇。
枯れ草に覆われた寒々しい冬のおわりの光景に、春の日だまりが現れたように地上すれすれに咲きながらも、汚れることなく花咲くクロッカスの青い瞳。
ふわふわの猫っ毛は、タンポポの綿毛のようにやわらかい。
鏡の中のマリジュが、新しい花のスカートを持ってひらひらさせる。
昨日の花の衣装は萎れてしまい、新たな花で作った服は花弁が透けるように重ねられ、踊るようにそよ風のように閃いてマリジュを愛らしく飾っていた。
昨日よりは上手に作れた服が嬉しくてマリジュはくるくる回った。胸の下で結ばれたハランドの髪が金色に煌めいて、きらきらと光の残像を瞬きの間弧を描いて消える。影の落ちた喉元にやわらかく絡みついた綿毛の髪が、天使の羽のようにふわりふわりと揺れた。
「お花の妖精リターン!」
「きゃわゆすぎる!」
「マリジュたーん! マリジュたーん!」
うおおぉ、と熱気をあげて今朝も部下たちは騒がしい。
そして、揃ってビシッと指先を出す。
するとマリジュが、テーブルの上をてちてちやって来て、ぎゅっと指先をちっちゃなお手手で朝の挨拶として握ってくれるのだ。
ただしヒモ付き。
マリジュの腰には、目に見えないハランドの魔力の糸が結ばれていた。昨日の落下を反省したハランドが、魔法を改良して目視の範囲内ならば魔力の繋がりによって、下級竜が踏んでも潰れない結界をマリジュに張り付けたのだ。
「至福~!!」
「至高~!!」
悶絶せんばかりに部下たちが身悶える。
マリジュのちっちゃなお手手は、ハムスターを手のひらに乗せたような小ささと温かさと柔らかさで、心臓をドキュンと撃ち抜くのだ。
無条件降伏するくらい可愛い。
まさに愛らしさ濃縮100パーセントの6センチである。
「だんな様」
マリジュがちまっとハランドを見上げる。
ハランドが小さくなれることは、マリジュとハランドの二人だけの秘密である。
今朝、目覚めてすぐにハランドに口止めされたのだ。
奥の手は隠すものだろう?と。
なので今、マリジュに差し出されているハランドの手は人間サイズである。
その手のひらにマリジュはちょこんと乗る。今朝のマリジュは、きゅるるんと擬音が聞こえそうなくらい可愛い。
手のひらマリジュに、ハランドはやさしく胸に染み入るような微笑を浮かべた。昨日から滴る甘い蜜が全開である。
「可愛いな。俺の唯一のお姫様は」
部下たちが心底同意とばかりに大きく頷く。
「可愛いさの限界突破です」
「マリジュたん。尊いです」
「一生推します」
部下たちの言葉にマリジュはちょっと申し訳なさそうに、ちっこい眉毛をへにょりと下げた。自然界で暮らしていたので、その恩恵を受けることがなかったからすっかり忘れていたのだが、マリジュの一族は人間に絶大な効果を及ぼす種族特性があったのだ。
「あの……、ごめんなさい。人間の赤ちゃんや動物の赤ちゃんを見ると無条件に可愛く思いますよね? マリジュの一族の種族特性はその強化版なのです。魅了のような強いものではなく、見て可愛い見て癒される、という感じの。そこにマリジュに対する同情や好意が合わさって、可愛く思う気持ちがうなぎ登りになっているのかも……」
おおお、と部下たちが声をあげて頷く。
「すばらしい種族特性だ。別に強制された気持ちでも押しつけられた気持ちでもないし、俺、今人生で一番楽しいし」
「マリジュたんのちっちゃなお手手でタッチされると、心の底からウオオってたぎるよな」
「これが萌えって気持ちなのか。生きる活力みたいに胸が熱くなるよな」
部下たちは高位貴族に生まれ、清濁合わさった世界で育った者ばかりだ。そこは、家の力関係や利害関係や派閥や縁戚、あらゆる柵が絡みつき巻きついた世界だった。
しかし、マリジュには何の柵もない。
完全なる枠外なのだ。
仲間と同好の者として柵なく好きなものを好きと言い、ともに共感し熱中し語り合うことが、これほど楽しいものとは誰も知らなかった。
自分の気持ちをわかってもらえ理解してもらえ、共通の思いを同じくし、感情や考えをありのままに喋る充足感。
家も立場も能力も関係なく、生まれゆえにずっとまとわりついて離れず束縛を受けてきたものとは別世界の興奮。
つまり部下たちは「マリジュたん激かわ!!」と推す快楽にどっぷりハマッてしまったのである。
かつてないほどの一致団結のきびきびした動きをする部下たちを従えて、ハランドは広い廊下を歩く。
館の正面玄関には、ハリアント侯爵夫人と姉娘と婚約者、使用人たちがずらりと居並んでいた。
「では、また王都で」
「訪問のお許し、重ね重ね感謝を致します」
ロメーヌ王国第三部隊は、王国最高の戦力となる魔法騎士部隊である。ゆえに、その軍馬も立派な馬体のいかなる戦場も恐れず駆ける駿馬揃いだ。
鞍上でハランドが片手を振ると、一騎当千の強者の名にふさわしい人馬一体の巧みな手綱捌きで、部下たちが一糸乱れず走り出す。
誉れ高きロメーヌ王国の騎士の証である、王国の紋章の刺繍が施されたマントが、雪の原野からひんやりと吹く風になびく。
大地を力強くける馬蹄の響き。
ハランドたちはキリリッと雄姿であったが、マリジュはちんまりと平和だった。
マリジュはハランドの頭の上で、ヘソ天で寝転がり空を見上げていた。
馬の揺れがハランドの魔法によって、まったくないのだ。小さなマリジュなど、ヒランと飛ばされそうな強い風も冬の冷たい寒さも、ハランドの魔法によって守られているマリジュには影響がない。
安心・安全・快適とねこ開きねこ伸び状態のマリジュであったが、種族特性ましましで魅惑の6センチのヘソ天は、まさに可愛いさの極致。
部下たちは勇猛な姿で馬を駆けさせながら、萌えだ癒しだ和みだと内心でヘソ天きゃわゆい!と雄叫びをあげていた。
「南無南無」
魔法万歳、とハランドの金の髪を今日も拝むマリジュだが、遠く、空の彼方に黒い点を見つけた。
「ぴ……?」
その黒い点が、ものすごい速さでぐんぐん近づいてくる。瞬く間に、点が個体となり群の大きさとなった。
マリジュのクロッカスの瞳が、花開くように大きく見開かれる。
「だんな様! ワイバーンの群です!」




